先日26回目となる“看護総会”が開催されました

毎回お招きいただきあいさつをしております

 

1年間の活動のまとめ、医療・看護・介護をとりまく環境の変化、今後の方針などが活発に話し合われました

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先輩たちから受け継ぎ

継続して取り組んでいることにいつも感心しています

 

 

また一方では

病院あげての“望年(忘年?)会”でも

その力をおおいに発揮されました!

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これは『ヘイヘイドクター』『ヘイヘイナース』

をみんなで踊っているところです

 

毎年集団で盛り上げてくれます

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そのパワーには圧倒されます

 

看護集団の力で

私たちの病院や活動が支えられていることを

実感するときです

 

 

以下に看護総会でのあいさつの一部を載せておきます

 

総会方針は5点提案されています

うち最初に述べられていることが重要と感じたので

そのことを話させてもらいました

 

 

そこには

―――「その人らしく生きる」をチームで支え実践していきます―――

書かれています

さらには「寄り添う看護」「療養の主体はその人」という文言も添えられていました

 

 

ある看護師さんが書かれた書物に、『私たちは患者さんを生活を営む人として受け止める』とありました

入院のみでなく、外来や在宅でも医療が必要な状態となったとき私たちは「患者」となり、非日常を強制されることが多くなります

そのときに方針に書かれた「その人らしく生きる」を支えることが本当に大切になります

また患者さんだけでなく、患者さんをとりまくご家族たちへの心配りも必要であることは言うまでもありません

 

 

また『最期まで患者さんから逃げない看護』という表現を目にしました

医師は治療とはあまり関係がないと思うと現実から逃げがちのように思います(私だけかもしれませんが…)

でも看護師さんたちはそこで踏みとどまり24時間頑張っている姿をたくさん見てきました

「寄り添う」ということはそういうことなんだろうなと感じています

 

 

患者さんと私たちの価値観にも触れます

お互いの価値観、人生観、死生観などはちがって当たり前

しかし医療の現場では権威勾配があり、患者さんたちは自らの価値観を胸に秘めたまま療養されていることが多いのではないでしょうか

カンファレンスを繰り返し行いながら、「チームで支える」ことはそのときにとても重要になります

 

方針の文章を読み以上のようなことを感じたので、あいさつで話をさせてもらいました

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これからもよきパートナーとしてともに力を合わせていきたいものです

 

 

ずっと前の出来事です

医師になってまだ数年しか経過していないとき

高齢の女性が入院してこられました

 

診断は“脱水”

 

ご家族と同居されていましたが

みなさんお仕事をもっていて

日中の長い時間はひとりです

 

暑い夏の日

クーラーをつけず

意識がもうろうとした状態で

搬送されてきました

 

輸液をはじめて

数日で回復したため

無事ご自宅へ退院となりました

 

 

そこから訪問診療の開始です

介護保険制度が始まるはるか昔のこと

訪問看護も制度としては不十分な状態でしたが

私たちの病院では

診療報酬で保障されていない時期から

訪問看護を先輩たちの努力で

行なっていました

 

 

ご自宅をたずねて

衝撃をうけました

 

部屋は散らかり放題

 

箪笥の引き出しは開けられたまま

さらに衣類がたくさんはみ出しています

看護師さん…「まるで空き巣に入られたあとのようですね」271-01

 

患者さんは寝たきりの状態です

診察のために布団をめくると

 

…いろんな臭いが鼻を刺激します

 

食べ物が布団のまわりにたくさんあり

 

…小さな蟻が

 

安否確認もふくめ

定期的に訪問を開始しました

 

それでも気候の変化がはげしくなる時期には

入院となります

 

 

「自宅での介護には限界があるのじゃないの」

だれもが同じ思いを持ちます

 

でも

患者さんは

「家に帰りたい」

 

ご家族と何度も話し合いました

 

食事の準備をしていただくことだけで精一杯のようです

ひとりでいる時間のおむつの交換などは

とても無理

 

病気が悪化して入院となることは

自明のことでした

 

 

ちょうど医療保険制度が変わろうとしているときでした

入院期間が長くなると診療報酬が減額されることになります

 

主治医に対しての眼が厳しくなってきました

…このままでいいのですか??

 

 

患者さんの望み

家族の介護力の限界

不十分な制度

病院の「都合」

……

板挟み状態です

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困ったときのカンファレンスも

このときばかりはあまり有効に機能しませんでした

 

結局

患者さんは

当時の「老人病院」に転院という選択となりました

 

 

医療が万能とは思いません

家族の力にも限界や理由があります

特別養護老人ホームへの入所は「措置」という時代

この時代に「患者さんの尊厳」という言葉は

まだありませんでした

(あったかもしれませんが私たちは知りませんでした)

 

今から思うと

まだ何か方法があったのではと悔やまれますが

当時としては必死に考えて出した結論

 

そのときのことを思いだしたのは

緩和ケア病棟での入院期間が様々に議論されはじめているから

 

 

急性期病院で

「これ以上することはないから」と

私たちの病棟にこられた患者さん、ご家族

 

こんどは

私たちが

「緩和ケアの“対象”ではないので」と

患者さん、ご家族と話し合いをしなければならない状況にあるのです

 

 

矛盾が

年を追うごとに広がってきているようです

 

いちばん苦境に立たされるのは・・・・・

 

ある日の午後

路地の真ん中で

カラスが柿をついばんでいました

 

カメラを構えましたが

気配を察したのか

柿を咥えて屋根の上へ…

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「カラス」と「柿」で検索すると

いっぱい出てきます

約70万件ほど

それほど柿はカラスに襲撃されるのでしょう

 

私はその時

ある患者さんのことを考えていたところでした

 

とてもおいしそうについばんでいる絵

患者さんにはまことに申し訳ないのですが

「もっとご飯が食べたい」

と言われていた姿が重なっていました

 

 

食道に大きな腫瘍ができ

食事がとれなくなった患者さん

 

少しでも食べることができればと

放射線治療を受けられ

その後

私たちの病棟に入院してこられました

 

前の病院では

高カロリー輸液が始められ

当院でもそのまま引き継ぎました

 

少しは飲むことができそう

ということでわずかですが栄養剤を飲んでいただきました

 

病状は比較的落ち着かれ

検査でも悪化は見られていません

 

このような日々が続いていたある日

「もっと食べてみたい。食べ物を噛んでみたい」

と望まれました

 

落ちついているように見えても病状はよくないのでは

と主治医としては躊躇する反面

患者さんに希望を持ってもらうために

“ダメ元”でもいちど検査をしてみよう

となりました

 

その結果

病気は改善していたのです

検査をお願いした医師からは

「食事は摂れるでしょう」

との嬉しい返事

さっそく患者さんと相談

徐々に食事の量と形を増やしていきました

 

食事を摂られている姿は

とても幸せそう

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私はいつも反省ばかりです

このときも後悔しました

「この患者さんは食べることができないのだ」

との思い込みがあり、

その奥には「緩和ケアへの慣れ」という傲慢さもあったのかもしれません

 

もっと患者さんの想いに寄りそっていれば…

もっと早くに望みを叶えることができたのでは…

 

 

医師として

原点となることでした

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「先生! ちょっと話を聞いてくださいよ」

 

早朝の回診で

看護師さんに呼び止められました

 

詳しく聞くと次のような出来事があったようです

 

――☆☆(私の名前です)だけど、妻がパソコンのデータを全部消しちゃったんだ

医師の連絡網を教えてもらえないかな

 

とのこと

電話があったのが午前1時…

 

看護師さんは私のことをよくわかってくれている人でした

 

「先生、少し声がかすれているようですが、風邪ですか?」

 

――そうなんだよ

 

この時点で笑いをこらえるのに一苦労です

 

「あした外来ですよね。そのときでいいんじゃないですか?」

 

――急いでるんだよ

ほんとに困るんだけど……

 

と電話を切ったそうです

 

 

こんな電話がかかってきたことは初めてでした

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新手の「成りすまし」電話でした

 

みんなにこの話を伝えると

大笑いです

 

おどろくような方法を考えるものだと感心もしました

でも、要注意です

台風19号の被害にあわれた地域の方々に

心よりお見舞いを申し上げます

 

例年通りであれば夏休みを利用して

緩和ケアの先輩を訪ねる旅を考えておりました

実際に関東甲信地域の先生とは連絡がとれ

訪問させていただく段取りとなっていました

 

しかし台風と重なり

断念することになりました

ただ記録として留めておこうと思います

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まず新神戸から新幹線にのり

降り立ったのがここでした

 

駅前の有名店で

かねてから期待していた浜松名物を堪能

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ちょうどラグビーのワールドカップの会場も近くでした

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スコットランドのサポーターがいっぱい

駅構内の案内所では外国の方優先でした

 

翌日には

横浜へ!

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ここはさらに多くの外国のサポーターの人たち

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ランドマークタワー

そしてその周辺

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遠くには富士山が見えるそうですが

この日はあいにくの曇り空

台風の前兆のようでした

 

その後の予定をすべてキャンセルして

神戸に帰ってきました

 

ところで

お会いするはずだった先生

 

直前のテレビに出演されていました

「ぜひ見ておいてください」と話されました

 

とくに心に響いた言葉…

 

“わたしは医師という隣人になりたい”

“(死亡診断書は)人生の卒業証書です”

 

色々とお聞きしたいことがあったのですが

またの機会の楽しみに

とっておきます

 

じつは……

 

旅行の前から体調がすぐれなかったのです

食欲がまったくわかなくて

 

 

仕事に復帰してからもその状態が持続

 

さらに追い打ちをかけるように

・1日に5人の患者さんの旅立ちをお見送りしました

・元気に外泊された患者さん、ご自宅にたどりついたとき、急変されました

その他にも心が折れてしまうような出来事が次々と

 

耐えなければと思いながらも

身体と心がともに参ってしまいました

 

そのためブログも長く更新できないまま

 

やっと普段の生活を取り戻してきたので

このような取り留めのない話を

書き綴っています

 

少しずつ考えていることを

これからも書いていければと思っています