ずっと前の出来事です

医師になってまだ数年しか経過していないとき

高齢の女性が入院してこられました

 

診断は“脱水”

 

ご家族と同居されていましたが

みなさんお仕事をもっていて

日中の長い時間はひとりです

 

暑い夏の日

クーラーをつけず

意識がもうろうとした状態で

搬送されてきました

 

輸液をはじめて

数日で回復したため

無事ご自宅へ退院となりました

 

 

そこから訪問診療の開始です

介護保険制度が始まるはるか昔のこと

訪問看護も制度としては不十分な状態でしたが

私たちの病院では

診療報酬で保障されていない時期から

訪問看護を先輩たちの努力で

行なっていました

 

 

ご自宅をたずねて

衝撃をうけました

 

部屋は散らかり放題

 

箪笥の引き出しは開けられたまま

さらに衣類がたくさんはみ出しています

看護師さん…「まるで空き巣に入られたあとのようですね」271-01

 

患者さんは寝たきりの状態です

診察のために布団をめくると

 

…いろんな臭いが鼻を刺激します

 

食べ物が布団のまわりにたくさんあり

 

…小さな蟻が

 

安否確認もふくめ

定期的に訪問を開始しました

 

それでも気候の変化がはげしくなる時期には

入院となります

 

 

「自宅での介護には限界があるのじゃないの」

だれもが同じ思いを持ちます

 

でも

患者さんは

「家に帰りたい」

 

ご家族と何度も話し合いました

 

食事の準備をしていただくことだけで精一杯のようです

ひとりでいる時間のおむつの交換などは

とても無理

 

病気が悪化して入院となることは

自明のことでした

 

 

ちょうど医療保険制度が変わろうとしているときでした

入院期間が長くなると診療報酬が減額されることになります

 

主治医に対しての眼が厳しくなってきました

…このままでいいのですか??

 

 

患者さんの望み

家族の介護力の限界

不十分な制度

病院の「都合」

……

板挟み状態です

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困ったときのカンファレンスも

このときばかりはあまり有効に機能しませんでした

 

結局

患者さんは

当時の「老人病院」に転院という選択となりました

 

 

医療が万能とは思いません

家族の力にも限界や理由があります

特別養護老人ホームへの入所は「措置」という時代

この時代に「患者さんの尊厳」という言葉は

まだありませんでした

(あったかもしれませんが私たちは知りませんでした)

 

今から思うと

まだ何か方法があったのではと悔やまれますが

当時としては必死に考えて出した結論

 

そのときのことを思いだしたのは

緩和ケア病棟での入院期間が様々に議論されはじめているから

 

 

急性期病院で

「これ以上することはないから」と

私たちの病棟にこられた患者さん、ご家族

 

こんどは

私たちが

「緩和ケアの“対象”ではないので」と

患者さん、ご家族と話し合いをしなければならない状況にあるのです

 

 

矛盾が

年を追うごとに広がってきているようです

 

いちばん苦境に立たされるのは・・・・・

 

ある日の午後

路地の真ん中で

カラスが柿をついばんでいました

 

カメラを構えましたが

気配を察したのか

柿を咥えて屋根の上へ…

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「カラス」と「柿」で検索すると

いっぱい出てきます

約70万件ほど

それほど柿はカラスに襲撃されるのでしょう

 

私はその時

ある患者さんのことを考えていたところでした

 

とてもおいしそうについばんでいる絵

患者さんにはまことに申し訳ないのですが

「もっとご飯が食べたい」

と言われていた姿が重なっていました

 

 

食道に大きな腫瘍ができ

食事がとれなくなった患者さん

 

少しでも食べることができればと

放射線治療を受けられ

その後

私たちの病棟に入院してこられました

 

前の病院では

高カロリー輸液が始められ

当院でもそのまま引き継ぎました

 

少しは飲むことができそう

ということでわずかですが栄養剤を飲んでいただきました

 

病状は比較的落ち着かれ

検査でも悪化は見られていません

 

このような日々が続いていたある日

「もっと食べてみたい。食べ物を噛んでみたい」

と望まれました

 

落ちついているように見えても病状はよくないのでは

と主治医としては躊躇する反面

患者さんに希望を持ってもらうために

“ダメ元”でもいちど検査をしてみよう

となりました

 

その結果

病気は改善していたのです

検査をお願いした医師からは

「食事は摂れるでしょう」

との嬉しい返事

さっそく患者さんと相談

徐々に食事の量と形を増やしていきました

 

食事を摂られている姿は

とても幸せそう

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私はいつも反省ばかりです

このときも後悔しました

「この患者さんは食べることができないのだ」

との思い込みがあり、

その奥には「緩和ケアへの慣れ」という傲慢さもあったのかもしれません

 

もっと患者さんの想いに寄りそっていれば…

もっと早くに望みを叶えることができたのでは…

 

 

医師として

原点となることでした

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「先生! ちょっと話を聞いてくださいよ」

 

早朝の回診で

看護師さんに呼び止められました

 

詳しく聞くと次のような出来事があったようです

 

――☆☆(私の名前です)だけど、妻がパソコンのデータを全部消しちゃったんだ

医師の連絡網を教えてもらえないかな

 

とのこと

電話があったのが午前1時…

 

看護師さんは私のことをよくわかってくれている人でした

 

「先生、少し声がかすれているようですが、風邪ですか?」

 

――そうなんだよ

 

この時点で笑いをこらえるのに一苦労です

 

「あした外来ですよね。そのときでいいんじゃないですか?」

 

――急いでるんだよ

ほんとに困るんだけど……

 

と電話を切ったそうです

 

 

こんな電話がかかってきたことは初めてでした

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新手の「成りすまし」電話でした

 

みんなにこの話を伝えると

大笑いです

 

おどろくような方法を考えるものだと感心もしました

でも、要注意です

台風19号の被害にあわれた地域の方々に

心よりお見舞いを申し上げます

 

例年通りであれば夏休みを利用して

緩和ケアの先輩を訪ねる旅を考えておりました

実際に関東甲信地域の先生とは連絡がとれ

訪問させていただく段取りとなっていました

 

しかし台風と重なり

断念することになりました

ただ記録として留めておこうと思います

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まず新神戸から新幹線にのり

降り立ったのがここでした

 

駅前の有名店で

かねてから期待していた浜松名物を堪能

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ちょうどラグビーのワールドカップの会場も近くでした

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スコットランドのサポーターがいっぱい

駅構内の案内所では外国の方優先でした

 

翌日には

横浜へ!

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ここはさらに多くの外国のサポーターの人たち

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ランドマークタワー

そしてその周辺

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遠くには富士山が見えるそうですが

この日はあいにくの曇り空

台風の前兆のようでした

 

その後の予定をすべてキャンセルして

神戸に帰ってきました

 

ところで

お会いするはずだった先生

 

直前のテレビに出演されていました

「ぜひ見ておいてください」と話されました

 

とくに心に響いた言葉…

 

“わたしは医師という隣人になりたい”

“(死亡診断書は)人生の卒業証書です”

 

色々とお聞きしたいことがあったのですが

またの機会の楽しみに

とっておきます

 

じつは……

 

旅行の前から体調がすぐれなかったのです

食欲がまったくわかなくて

 

 

仕事に復帰してからもその状態が持続

 

さらに追い打ちをかけるように

・1日に5人の患者さんの旅立ちをお見送りしました

・元気に外泊された患者さん、ご自宅にたどりついたとき、急変されました

その他にも心が折れてしまうような出来事が次々と

 

耐えなければと思いながらも

身体と心がともに参ってしまいました

 

そのためブログも長く更新できないまま

 

やっと普段の生活を取り戻してきたので

このような取り留めのない話を

書き綴っています

 

少しずつ考えていることを

これからも書いていければと思っています

 

 

「まだ到着されていません」

受け付けからの連絡です

 

基幹病院からの紹介で当院の緩和ケア病棟に転院となった患者さんをお待ちしているときのことです

 

…病院を間違えたのかしら?

…道に迷っていないかな?

…途中で調子がわるくなったのでは?

様々な憶測が飛び交います

 

30分ほど遅れて来院されました

 

「タクシー代がかかるので、電車を乗り継いできました」

と患者さんはもちろんご家族も

息を切らしています

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問診をとり、一通りの身体診察をすませたのちに

気がかりなことを思い切ってたずねました

 

これまでの治療でたくさんの医療費がかかっていました

やはり緩和ケア病棟での自己負担がご心配だったようです

 

医療ソーシャルワーカー(MSW)に連絡したところ

すぐにベッドサイドを訪問してくれました

 

年金や過去の仕事のこと、ご家族のこと、自宅に帰れたらやりたいことなどいっぱいお話をされたと聞きました

費用面のことをとくに詳しく説明してもらい

いつでも相談に応じますと

伝えてくれました

 

 

前後して

若い患者さんが入院されました

 

率直に費用のことを話され

もし負担が多くなるのなら退院したいとまで言われます

 

MSWと相談しました

病気になってから収入がまったくなく

蓄えを切り崩しながら療養されていました

 

この患者さんの置かれている状況を考えて

「無料低額診療」の対象となることがわかり

さっそくその手続きをしました

(無料低額診療事業とは、低所得者などに医療機関が無料または低額な料金によって診療を行う事業です。厚生労働省は、「低所得者」「要保護者」「ホームレス」「DV被害者」「人身取引被害者」などの生計困難者が無料低額診療の対象と説明しています。

https://www.min-iren.gr.jp/?p=20135

 

このおかげで入院の費用の心配や退院後の往診などの負担への不安を解消することができました

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https://nursepress.jp/226765

 

私たち医師はとくに社会的苦痛に関しての理解が得意ではありません

日頃の患者さんやご家族との話の中から

アンテナを高くして気づかなければならないことが多くあります

 

幸いなことに私たちの病院は患者さんたちの経済的な心配を少しでも減らすための努力を行ってきました

先ほどの「無料低額診療事業」はそのひとつです

 

また

緩和ケア病棟は全室個室ですが

すべてのお部屋は差額ベッド代をいただいておりません

このことは病院ができてから先輩たちが苦しい経営事情の中でもずっと守ってきた信念です

 

「下町の緩和ケア病棟」を目指す私たちの特徴でもあります

 

 

日常の現場では

身体的な、あるいは精神的な苦痛については訴えがストレートな場合もあり、把握できることが少なくありませんが(それでも良好な関係が作れていないと難しいです)、経済的な苦痛やスピリチュアルペインは見逃してしまい、毎回反省しています

 

緩和ケアチームはそのためにも存在しているのだと、その都度気づかされます

患者さん・ご家族とのコミュニケーションとともに、スタッフ間のコミュニケーションをさらに密にしていかねばとふたりの患者さんのことを振り返りながら考えています

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