昔からいろんな書物を読むことが好きで、手当たり次第に買ってきては読んでいました

直接緩和ケアに関係しないことから、専門書まで気になったものはどんどん目を通しています

そのときにちょっとしたことで気にかかることばというものに出会うことがあります

 

「予後1~2か月と予想されます」と言われて入院された女性患者さん

ご家族が一生懸命に介護されていました

毎日病院に来られ、朝早くから消灯時間まで付き添われていました

たまにご自分の病気で受診され、そのときには顔を見ないことがあり、「今日はどうされたのかな?」と気になってしまいます

残された時間、どのように過ごしていただこうかと考えました

気分のいいときには外出はどうだろうか?

どなたか会いたい人はいないのだろうか?

食欲がないときには、何かたべたいものは…?

などなど

でも患者さんはいつも「とくにありません」と答えられます

 

ご家族とも相談しました

「急な入院になったので家のことが気になっているようです」とのこと

それならとご自宅への外出を勧めましたが、「今はいいです」との返事

 

時々痛みが強くなり医療用麻薬を飲むことで改善します

今ならまだできることはあるのにねと、思いましたが、患者さんはやはり「とくにありません」と同じような返事です

 

だんだんと病状が進み、意識状態が混濁してきました

でも痛みのコントロールはまずまずで穏やかな表情をされています

最期はご家族に見守られながら静かに旅立たれました

 

お見送りの際にご家族は「本人は満足していました」と話されました

 

また在宅でのことです

高齢のお母さんを二人の娘さんが交代で介護されていました

せん妄状態が現れても娘さんたちはあわてる様子もなく

「お母さんそばにいるからね」

と優しく声をかけています

娘さんの声を聞くと患者さんは落ち着かれます

「優しい母親でした。私たちは今その恩返しをしています」と娘さん

いつも穏やかな態度で付き添われていました

 

「何かご希望は言われていませんか?」と尋ねても

「このままがいいようです」との返事が返ってきます

 

徐々に呼吸が弱くなり、日付が変わろうとするころに永眠されました

ふたりの娘さんたちはほっとした顔をされ、それでも満足されていました

 

私たちは終末期の患者さんに対して、「今のうちにできること、したいこと、やり残したことをしていただこう」と努力します

多くの患者さんは「○○さんに会いたい」「□□が食べたい」「一度自宅に帰りたい」などご希望を話され、その実現に向けてスタッフとご家族とで相談し、なんとかご希望が叶えられるようにと計画をします

 

でも上記の二人のように「何もありません」とおっしゃる方も少なからずいます

そのことは本心なんだろうか、私たちやご家族に気を使っているんじゃないだろうかなどと考えてしまうこともありました

 

そのようなときある本に次のようなことが書かれていました

『何かを一緒にする人は、他にもいる。ただ、一緒に何もしない、という人は、他に誰もいない』

アメリカの有名な先生の言葉だそうです

 

一人目の患者さんのご家族は毎日病院に来られても、お部屋の椅子に座られ、患者さんと一緒の時間を静かに過ごされていました

二人目の娘さんたちも時々話しかけたり、体を拭いたりされることで一日を過ごされていました

 

このような寄り添い方もあるんだなあと考えさせられました

 

最期の過ごし方は、人それぞれ、決して私たちが押し付けるものではないことに改めて気づかされています

けっして「何もしない」というわけではないのですが…

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