4月はじめのブログでご紹介した患者さんのその後です

折り紙が大好きで

みんなにプレゼントしていただいていました

たくさんの作品は窓に飾ってあります

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その後痛みが強くなり

ベッドで寝ていることが多くなってきました

 

医療用麻薬の皮下注射に変更してからは少し動けるようになっています

 

そのようなとき

うれしいサプライズがありました

 

患者さんが作った折り紙を

プレゼントされた小学生の男の子

とても喜んでいたとは聞いていましたが

今回夏休みということもあって

スマホでの初顔合わせと

素敵なプレゼントを届けてくれました

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手作りの水族館です

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天井にもイカが・・・!?

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患者さんの「いいね」サインです

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回診のときに気づき

しばらく見とれていました

 

痛みを忘れるような

とってもすばらしい贈り物ですね

 

当院の看護部のブログでとてもすてきな出来事が紹介されていました

総師長さんにお願いをして

掲載の許可をいただきました

さらに文章も添えていただいています

 

医療者を応援したいと、神戸医療生協ひだまり支部の方々から「コットンボー

ル」を届けて頂きました。涼し気な色合いでコロコロとした形がとてもかわいくて思

わず「どうやって作ったんですか?」と作り方までお聞きしました。メッセージにも

「ありがとう」や「ソーシャルディスタンスを守りましょう」と書かれていてとても

励まされました。

いただいたコットンボールは患者さんのおられる部署に飾って、患者さんにも少しで

もほっとできる時間をもってもらえたらと思っています。

私たちの事を思って一生懸命に作って下さったひだまり支部の皆さん、本当にありが

とうございます。

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 さて、私たちの組織は他の院所とは違い、多くの組合員さんに支えられています。も

ちろん私達の対応でお叱りを受けることもありますが、こうして私達の事を考え、心

身ともに気遣って下さることにとても勇気づけられます。先日、他の支部からも組合

員さんが書いて下さったメッセージカードが届けられました。組合員さんも私達も経

験したことのないコロナ禍での夏・・組合さんのお心遣いで張り詰めた緊張が途切

れ、笑顔がこぼれるほっとした時間を持つことができました。

まだまだ大変な日々が続きますが、コロナに負けず力を合わせて頑張りましょう。

 

                                            N師長さんより

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私たちの働く組織――医療生協の温かさを実感する出来事でした!

 

家にこもって資料をあれこれと漁っているうちに

ひとつの本にたどり着きました

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「母のがん」というコミックで

“グラフィック・メディスン”という風に呼ばれているそうです

 

 

作者の母親は進行した肺がんであり、長男である漫画家が、看護師である上の妹と、高次脳機能障害をもった下の妹たちと協力して治療を援助するお話です

 

 

日本語訳の一部にわかりにくい所がありますが、その点は雰囲気で読み進められます

 

1ページ、あるいは一コマ一コマが教訓に満ちています

 

絵を載せたいところですが、著作権の問題がありますので、私がとくに注目したところをご紹介します

ぜひ原書をお読みください

 

 

☆「あとどのくらい生きられるのか?」

 

「母さんはけっして聞かない。医師もまた、決して自分から言わない」

 

「無理に知らなくてはいけないのだろうか?」

 

「僕だったら、知りたいと思う」

 

「母さんは(生存の)確率よりも運命なんてものを信じる」

 

「母さんは知りたくないんだ。知る必要がないんだ」

 

―――日常的にいつも悩む問いかけです

 

 

☆医師に会うたび必ず言われること

 

「何か異常があればすぐに電話してください」

 

…頭痛がするんですが

「あ、心配ありませんよ」

 

…ひどい咳があって

「なんですって?! 電話してくれないと!」

 

…息ができないんですが

「それで? 肺がんがあるんですよ! 当然ですよ」

 

…足にけいれんがありました

「なんで電話しなかったんですか?!」

 

しばらくすると、母さんはもう何も訴えようとしなくなった

 

―――反省することしきりです

 

 

このようにたくさんの辛辣なやり取りや教訓などがちりばめられています

 

何度も読み返してみないといけないと思っています

 

 

 

“あとがき”はお母さんの言葉で書かれていました(抜粋します)

 

『私が経験した疲労は人生で最悪のものでした。もう闘い続けることができるかどうかわからないほど、体の芯から疲れ果てていました。(中略)一番驚いたことは、治療をやめた瞬間自分でないような感じになったことでした。寛解とは、元の自分に戻れるという意味ではありません。抗がん剤治療と放射線治療を受ける間に、お医者様たちはたくさんの健康な細胞すら奪ってしまったのです。』

 

『助けを求めることは大変ですが、必要なことです。人生を変えるような健康問題と立ち向かっている誰しもが最初からできるだけ人に頼るということをするべきです。』

 

 

 

さいごに小森康永先生(愛知県がんセンター 精神腫瘍科部)のコメントを引用させていただきます

https://www.pref.aichi.jp/cancer-center/hosp/15anti_cancer/special/10.html

 

 

終末期を迎えた癌の患者さんには『寄り添い』が

ご家族には『支え』が

と考えています

 

とくに『支え』に関して最近あった出来事をお話します

 

 

Aさんは70台の穏やかな女性でした

 

入院してこられたときは思ったよりもお元気で

Aさんもいちど家に帰りたい(退院したい)と望んでいました

 

そのための準備をしていましたが

急に病状が変化し

退院が難しくなってしまいました

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それからは食欲がなくなり

気持ちの落ち込みがみられる日が続きました

 

 

Aさんはシングルマザーの娘さん、小学生のお孫さんといっしょに暮されています

 

娘さんはお仕事をしながら

毎日Aさんの面会に

ただ新型コロナウイルス予防のため時間に制限があります

母娘で話す時間は限られます

 

それでも頑張っている姿をみるたびに

頭が下がります

 

 

「きょうだいは男ばかりなので、私がいることで救われているよ って言ってくれるんです」

「弱っていく母を見るのはつらい、でもいかなければきっと後悔するんじゃないかと…」

面談のときには娘さんとお兄さんが時間をやりくりして来ていただいています

娘さんの存在は大きいなあと感じるときです

 

娘さんも病気を抱えています

友人からは

「それでもあなたはよく頑張っているよ」

と、励まされているそうです

 

この話は看護師さんの記録からです

続けて

「傾聴し、時にねぎらい、Aさんの状況をお伝えし、一緒に病室に入る」

「おふたりは手を取り合ってにこっと笑われた」

「面会ができないお孫さんの声をスマホで聴かせている」

とかかれていました

 

 

お孫さんは小学生です

働いている娘さんのかわりに

小さいときからAさんがお世話をされていたそうです

 

大好きなおばあちゃんに何とかして会いたい!

お孫さんのつよい希望

でも面会者には年齢制限が…

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しだいに弱ってくるAさん

酸素が必要となりました

血圧が下がってきます

眠っている時間が長くなります

 

判断のしどころでした

短い時間だけれど

会える許可をいただきました

 

お孫さんの顔をみてほほ笑むAさん

「今までありがとうって伝えないと」と娘さん

「返事してくれないのがさみしい」とお孫さん

お互い言いたいことは山ほどあったと思われますが

声になりません

 

言葉を交わすことはあまりなかったけれど

おばあちゃんと離れたくないという気持ちは理解できます

――今夜はそばにいたい

 

しかしこれ以上の滞在は難しく

やむなく帰ることになりました

 

 

ふたたび看護師さんの記録です

「お孫さんが会いに来てくれたことがAさんにとっては何よりもかけがえのない時間となった。娘さんから〇〇(お孫さんの名前)くんが会いに来てくれたことがおばあちゃんにとって救いになったのだということ、ありがとうを〇〇くんに伝えてあげてくださいと娘さんにお願いした」

そして

「コロナウイルスの影響でAさんやご家族様に辛さを強いてしまっていることを謝罪した」

と書かれていました

 

お孫さんからのパワーをいただいたからでしょうか

Aさんはその後少し落ち着きをみせました

 

 

――外の風に触れさせてあげたい

 

ずっとベッド上での生活でした

看護師さんたち数人がかりで車いすへ移動

 

病室の窓から見えていた空を

こんどはベランダに出て眺めることができました

 

ご家族と看護師さんといっしょに

笑顔いっぱいの写真が残っています

 

 

「〇〇がもう一度おばあちゃんに会いたいと言ってます」

Aさんの姿をみて心が揺れ動いたのでしょう

 

学校で泣き出し

保健室の先生にたくさんの話を聴いてもらいました

先生もいっしょに泣いてくれたとのことです

 

 

――もう一度でいいから会いたい

そのときには話をいっぱいしたい

 

看護師さんからパソコンを使ったWEB面会を提案しました

 

この日、お孫さんは学校から早く帰ってきます

 

さらに看護師さんの記録

「他愛もない話をしながら、それでもたくさんの話ができている」

「Aさんは言葉がだんだんと増えてきた」

「みんな嬉しそうに話をされていた」

 

お孫さんの率直な思い

「卒業するまで元気でいてね」

 

でも

「覚悟はきまっている、ありがとう」 と

 

 

Aさんはそれから1週間後に旅立たれました

 

 

『ご家族は第二の患者さん』

と言われます

 

Aさんのご家族にとっては多くの支えがありました

 

 

―娘さんにとって

きょうだい、友人、受け持ちを中心とした看護師さんたち、そしてお孫さん

―お孫さんには

なによりもお母さん、学校の先生、看護師さん

 

それから

おふたりにとってはAさんの存在そのものが支えであったことでしょう

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いつも間にか6年目を迎えることになりました

5年間様々なことがありました

大きなことから小さな出来事まで記憶にとどめ

あとを引き継いでもらえる人たちのために

ちょっとずつブログを更新してきました

 

 

6年のスタートにあたり

何か取り組みをしましょうとみんなに提案していましたが

このたびの新型コロナウイルス感染症のため

実現は先送りとなってしまっています

 

 

その中でもブログだけはなんとか継続してきました

 

 

あるとき

「看護学生さんがブログを読んでくれていますよ」

とのうれしい話が伝わってきました

 

無理をお願いして

当の学生さんに感想を書いてもらいました

ご本人の承諾をいただいているということですので

ここに掲載させていただきました

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 初めてブログを拝見させて頂いた時は医師が書いているものだとは思いませんでした。

 

それはきっと私の経験の中で医師と患者さんの距離がここまで近いものだという認識がなかったからだと思います。

 

私が貴院を志望した理由の一つに、誰もが平等に安心して医療を受けられるという環境に感銘を受けたということがあります。

 

ブログを拝見していて感じられる先生と患者さんとの関わり方は、その安心に繋がると深く感じました。

 

対等な立場で接しておられることがとても伝わってきました。

 

私が目指しているのは看護師ですが、先生がブログに綴られていることを日々意識しながら看護を深めていきたいと思いました。

 

 

ありがとうございます

この思いを大切にさせていただき

ともに働ける日を心待ちにしています

 

 

また患者さんのご家族からも

「時々見ています  次のブログまでの間が長いとどうされたのか心配していました」

とのお便りがありました

 

職員もたまには目を通してくれているようです

いつもありがたいと感謝しています

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