感動的な看護を実践された看護師さんがいました
無理をお願いしてそのときの経験談を描いていただきました
私の下手なコメントよりもそのままを記載することが大切だと考え
このブログに載せたいと思います
(字句などわずかな手直しがありますが私の責任です)
私にとってのこの7ケ月は長いようで短かかったが、きっとこれからも看護師人生を続ける中でずっと忘れることの出来ない人だと確信している。
3月に入院してきたA氏は90歳代前半であったが高齢とは思えない程、気持ちもパワフルな人で活気に満ち溢れた人でした。直腸癌、仙骨・腰椎転移で長期座位の保持困難で臥床して過ごされることは多かったが趣味である折り紙を沢山折られ、地方裁判所の検事として長年勤務してから定年後は沢山のボランティア活動に参加され長期で続いていたのが水族館のボランティアでした。そこで、魚をかたどった折り紙を沢山の子供達に教え、50種類以上の魚の折り方を頭の中で熟知されていたという達人でもありました。性格は、真面目で何事も筋道を通して物事を勧めていくような慎重な方でもありました。
入院してからの3か月はA氏を知ることから始まりました。徐々に癌性疼痛が悪化しても’麻薬’という言葉に敏感で’麻薬=死’を早めるものと認識している為か受け入れるのにも時間がかかりました。症状があっても訴えはするものの薬が増えることへの抵抗もありました。
前院でまだ自分は治療がしたかった、化学療法もおこなったが副作用が強く年齢もあり医者からやめるよう説得されたと話され、そこでセカンドオピニオンも行ったが治療をしてくれなかったと今までの病院での医師の対応などにも不信感があったエピソードを教えてくれました。「頑張って長生きして奥さんと少しでも長く一緒にいたい」という思いが入院当初からありました。緩和ケア病棟に入院した理由として、本人から「前の主治医から疼痛コントロールが出来たらまた家に帰ったらいいと言われてこの病棟にきた」と話されており、まだここで終わりたくないという思いがあるとも話してくれました。入院当初からお話好きで今までの人生話や、折り紙の折り方など沢山の事を話してくれたのを覚えています。
月日がたつにつれ、疼痛が悪化し、何度も本人と話をした結果、時間を決めた麻薬から始まりましたが、飲みにくさと内服の数が増えることへの不満もあり麻薬のテープへと変更になりました。しかし、それでも痛みがUPすることがありましたが、我慢強いA氏の為、辛い思いを話してくれるものの、薬が増える事への抵抗の方が強かったようでした。その何かが変更になるたびに本人とは話し合いを続けました。なぜ薬が増えるのが辛いのか、なぜ薬の量をあげないといけないのか、一つ一つ本人と話をしながら本人の不安な事が解消できるように話をしました。主治医からの説明では特に質問はないものの、その後何か不安なことがないか伺うと、薬に対する思いや不満があったので、それを解決できるようにその場で何度も話をしました。また、主治医には直接言えない事も少しずつ本人の本音を引き出しながら話をすることで、信頼関係が生まれたように思います。
それからは、A氏も私が来てくれるのを楽しみに待ってくれるようになり、私自身もA氏に会う事が楽しみになっていきました。そして、親身になり親しくなればなるほど、本人の苦痛に対する思いに自分がどうしてあげればよいのか、またいつまでこの状態が続くかわからない精神的な苦しみに対して「この状態が100歳まで続いたらどうしたらいい?」と言われた時には言葉がつまりました。何かいい事をいってあげたい、この人の役に立ちたいという思いが先走ってしまいコミュニケーションに困ったこともありました。疼痛コントロールがうまくいかないこともあり内服をすすめても我慢してしまうA氏に対して、気持ちが溢れてしまい、A氏の前で涙がでたこともありました。するとA氏は「大丈夫や、痛くないで、ほら普通に座れるやろ」と端座位もままならないA氏でしたが、冗談をいって私に気を遣われたのです。そのことに私は反省し、師長に相談をしました。すると師長からは「患者さんの前で泣いたっていいやん。自分の為に泣いてくれてるんやって思ったら嬉しいと思うよ」と。また他のスタッフからも「傍にいるだけでいい。何も話さなくてもいい。聞いてあげるだけでいいんじゃない?」とアドバイスをもらいました。そして、もう一度冷静になり、再度自己学習として、コミュニケーションについて緩和の本を開いた時に傾聴、沈黙とありますがまさにこれだと実感しました。学生時代初めての実習で患者さんとコミュニケーションをとることに苦労した事、アセスメントや看護計画に必要な情報を聞くことに必死で自分の必要な事しか聞くことしかできず話のもっていきかたに苦労したことを思い出す事ができました。
傾聴と沈黙、この二つに重きをおきながらA氏と話すようになってから私自身の気持ちも穏やかになり、傍でただ寄り添い本人の思いに耳を傾けることによってそこからまた本人の思いを聞きとることができるようになりました。それからはより本人との距離も縮まり、知りたい情報はとことん付き添い本人が納得するまで時間をかけて話をするようにしました。本人の性格を知る事におよそ三か月はかかったように思います。
(2)神戸の娘として につづきます