鎮静のカンファレンスをするたびに思い出すことがあります

                                           

Aさんは若い患者さんでした

緩和ケア病棟に入棟する前の面談時から倦怠感がつよく、ベッドに臥床してもらってお話をうかがいました

きっと近いうちの入院となるだろうなと思われる状況でした

                                             

それから数週間後

かかりつけ医から入院依頼の連絡が入りました

                                           

苦痛が強いとのことで病院の玄関まで迎えに行きました

意識はありますが激しい痛みのため十分な会話が難しく

ずっと叫んでいました

持続皮下注射のPCAポンプのボタンを握りしめています

(※PCAポンプ;医療用麻薬の持続皮下注射の機器に接続し、痛みや苦しさを感じた時に自分で薬剤を一時的に多めに投与―レスキューーできるしくみで、その間隔は30分ごととか1時間ごとなど設定が可能です)

絶えず激しい痛みを訴え、しきりにスイッチを押していました

                                             

胸には医療用麻薬の貼り薬が貼られています

経口のモルヒネに換算すると1日600㎎ほどの薬剤が身体に入ることになります

かなりの量です

                                          

                                            

入院してからもAさんは叫び続けています

まさに「耐えられない苦痛」でした

                                            

1)Aさんに提案して鎮静薬で一時眠っていただくことになり、その間に方針を決めることにしました

医療用麻薬の「耐性」、痛みに対する「不安」、薬剤による「せん妄」などを疑い、ご家族と相談しました

血液検査にはたくさんの異常所見がみられました

  • 現在考えられる病状の説明と予後は厳しく短い週の単位と思われること
  • 医療用麻薬は可能であれば減量を検討したい
  • 苦痛を緩和するために鎮静薬で休んでいただく

という方針を提案、了承いただきました

                                            

鎮静についてはいっときの休息目的ということで「間欠的鎮静」としました

同時に今後持続的な鎮静に移行していく可能性があり、このときの準備を兼ねて説明用紙に基づき説明を行いました

                                          

                                          

2)翌日に再度ご家族との話し合いをもちました

Aさんは穏やかに眠っています

                                        

医療用麻薬のレスキューは必要ではなく、また腎機能が悪いため減量していることを説明

そのあとに次のようにお話をしました

「ご自宅での療養中は痛みに耐えられず辛かったのだろうと心が痛みます」

「医療用麻薬が増えていったのもやむを得なかったのではないでしょうか」

続けて二つの提案を行いました

  • 鎮静薬を減量、あるいは中止して意識の回復を待ち痛みなどの症状を見ていく

あるいは

  • 静かに眠っておられるのでこのまま鎮静を続けていく

                                              

展開が急なためご家族はどうすればいいのかどう返答すればいいのか困惑されています

「家では苦しんでいましたから…」と一言

                                            

主治医としても二者択一でお勧めすることが難しく、しばらく付き添っていただくことになりました

                                         

                                        

3)その日の午後のことです

穏やかな表情で眠っているAさんの姿をみてご家族からはこのまま眠らせてあげてもいいと思いますと話がありました

バイタルサインは落ち着いています

鎮静薬を止めて再び苦痛が悪化することはかわいそうと言われ、持続的な鎮静として継続することになりました

                                          

入院されたのが緩和ケア病棟でなく一般急性期病棟でしたので、スタッフ間での時間をとった鎮静のカンファレンスを持つことが困難でしたが、担当の看護師さんと話をしながらケアを継続していきました(その後緩和ケア病棟に移ることができました)

                                        

                                            

4)しばらく落ち着いた状態が続き、医療用麻薬を徐々に減量してきたときに、ご家族と4回目の面談をもちました

入院されてからの症状の変化や治療についてもういちどお伝えしました

痛みの悪化はほとんどなく、医療用麻薬は最初の1/3まで減量してきています

ご家族からは「楽な姿がみれています」「入院するまで夜はほとんど眠れていなくとても辛そうで、家族としても不安がいっぱいでした」と話され、鎮静については合意のもと継続することになりました

呼吸の状態に合わせて鎮静薬も徐々に減量しました

                                           

Aさんはそこから約10日間過ごされ、ご家族が見守られる中静かに旅立たれました

                                           

                                             

入院の期間が短く、Aさんとほとんど言葉を交わすことができないままの旅立ちでした

ご家族の受け入れも難しかったのではないかと思われます

主治医として果たしてAさんやご家族にとって最善の方針であったのだろうか……

                                                 

看護師さんが最期にカルテに記載してくれました

――娘さんは立ち尽くしておられる。「覚悟はしていましたけどびっくりしました」と。無理はせず、しんどいときは少し距離を置いても大丈夫。Aさんの分までしっかり食べてしっかり休んで(ください)。Aさんはずっと娘さんのことを見てくれて分かっていると思いますと声をかけると静かに流涙あり。

最期の服は○〇を着用され、少し微笑んでいるような安らかな表情だった。メイクはいつもよりしっかりめ、〇〇系と娘様より情報あり、みんなでメイクを行う――

                                                  

                                                

※いくつかの反省点があります

  • 鎮静について患者さんやご家族と事前に話ができていませんでした

Aさんの激しい苦痛にこちらも戸惑い、まずこの瞬間を落ち着かせなければとの思いが強かったことです

しかしある本には「重篤な病態において緊急の合意形成と意思決定が必要な局面では、その場で『決断を下し』治療方針を決定するかじ取りは、主に医師を含む中心的な立場の医療従事者(看護師も含む)が代表して行う」とありました

はたしてその役割を果たせたのでしょうか?

  • 後になって持続的な(深い)鎮静から徐々に回復することはできなかったのかとの思いもあります

Aさんとご家族が心を通わせることができればなあと

しかし症状の激しさと短い予後判断から鎮静の中止という選択は難しかったことも事実でした

今までの鎮静(とくに深い持続的な鎮静)では患者さんやご家族との話し合い、意思確認、スタッフ間でのしっかりとしたカンファレンスを行ってきました

この姿勢はしっかりと持ちつつも、急な激しい苦痛に患者さんが襲われるような場面での対応は安易に流されないように心がけていきたいと思っています

インフルエンザやコロナが増えてきている中でしたが、病院全体、また病棟ごとのクリスマスがありました

                                             

病院では外来の待合室でクリスマスコンサートが開かれました

                                               

内科医師によるバイオリン演奏――「愛の挨拶」「愛の花」

さらにはオカリナユニットのオカリナ+ギター演奏

通院患者さんや入院中の患者さん、ご家族、職員、100名近くの参加で

盛り上がりました

緩和ケア病棟に入院中の患者さんも職員と共に参加

みなさん演奏に魅了されていました

来年も開催してほしい

との意見がさっそく寄せられました

                                             

                                             

緩和ケア病棟ではサンタクロースの登場です

私と同僚の先生とのふたりサンタです

患者さんのもとを訪れ

帽子のプレゼント

一緒に写真をとりました

みなさんびっくりしたり喜んだり

「声を聞いてだれかわかったわ」との声

                                              

それまで反応のなかった患者さんは

呼びかけに目を開けてくれました!

ご家族もびっくり

このようなプレゼントも看護師さんによって準備されていました

ナースステーション前の飾りつけ

廊下のツリー

感染症のリスクがなければ以前のようにボランティアさんたちの参加もいただき

もっといろんな取り組みができたでしょう

来年はより楽しく開催できることを期待しています

新型コロナ感染が流行し屋外でのたくさんの人が参加するイベントが開催できずにいました

このたび「楽迎会(がくげいかい)」と銘打って大きな集まりを開催しました

医療生協の組合員と職員による手作りの催しです

以下写真を連続して載せます

雨を心配していましたが秋晴れのなかでの開催となりました

みんなのラジオ体操で始まりました

よさこいソーランです

力が入ってます

健康チェックコーナー

子どもコーナーは大人も大賑わい

高齢者体験です

医療・介護・生活相談の場面

近くのホールでは組合員の作品展がありました

高校生の描いた原爆の絵の展示では圧倒されました

商店街では「おむつの半額セール」や「野菜・お米の販売」が行われ、野菜はすぐに品切れになっていました

そして午後からの協同病院院長の講演「認知症を予防するには」にはたくさんの参加があり、ユーモアを交えたお話は時間を忘れるほどだったようです

ほかにも様々な取り組みが行われました

班活動や事業所の紹介等など

私は仕事をしながらの参加だったのですべての写真を載せることができませんでした

(残念です)

延べ700人の参加で成功しました!

                                     

緩和ケア病棟ではコロナ前は多彩なイベントを行ってきました

面会制限が緩和され

これからはスタッフやボランティアさんたちの力でいろんなことが復活できればいいなあ

と心から願っています

以前にも書いたことがあるかもしれません

それでもいまここに記しておきたいことがあります

                                                                             

                                                

私のとても親しくしていたひとのお話です

彼女はがんサバイバーでした

みずからも病いとたたかいながらの出来事です

                                                   

                                             

昔からの友人ががんの終末期ということで入院しました

                                                 

彼は毎日のように襲ってくる痛みや吐き気に対して医療用麻薬を使っていました

わがままな人であり、看護師さんや医師の言うことを聞かない「困った」患者さんとしてみんなから見られていました

                                               

自分の弱さを易々と他人には見せるものかという悲しいプライドと、激しさを増す痛みや苦痛、死への恐怖、一人で(彼は離婚し独り身でした)病気と闘わざるを得ないという心細さなどなど

きっとこれらのことがごちゃまぜになって、医療者にとっては「手のかかる患者」としての姿をとらざるを得なかったのかもしれません

                                            

彼女はそんな友人に対して、仕事の帰りなど時間が許す限り病床を訪れていました

今のような面会制限もなく、長い時間付き添っていました

医療者にとっては助かる存在だったのではないでしょうか

                                              

身体をさすったり、汗をかいていればきれいに拭いてあげたり・・・

                                              

徐々に弱っていく彼をどのような思いで介護していたのでしょう?

                                               

                                              

彼女はのちにつぎのように書き残しています

『わたしは病気になって悲しんでいる時、仲のいい友だちに抱きしめてもらった。でもわたしは彼を抱きしめてあげられなかった……』

心残りだったのかもしれません

しかし、彼女の心は残された日々をひとのために大事に使いたいという気持ちでいっぱいだったのだろうと想像しています

                                              

                                               

ある本でつぎの言葉を見つけました

―――自分のためではなく、ひとのために時間を使うこと、それはいのちを捧げることであり、尊い愛の行為だと思うのです

いのちは自分のものかもしれませんが、自分だけのものではないのだと思います―――

                                              

                                            

少し前のことになります

患者さん(Aさん)、ご家族(代表してCさん)とのやりとりの記録を振り返ってみました

『患者さんやご家族とともに悩むことができたのか』『患者さんやご家族にとって大切なものはなになのか』を考えるきっかけになりました


Aさんは癌による腸閉塞で入院してこられました

腹満、腹痛、嘔吐などで苦しんでいました

まず絶食(水分は少量ならOKです)、医療用麻薬の持続皮下注射を開始します

                                                                                           

私からの提案への納得がなかなか得られず、イラストを使って説明しましたが、「なぜ食事がとれないのか」「絶食だと栄養がとれないのじゃないか」「他の栄養補給の方法はないのか」など食事や栄養へのこだわりをつよく持っていました

Cさんからは点滴の要望がありましたが、Aさんは嫌がられています

何度か時間をとって話をしましたが、結局「強引な」スタートになってしまいました

                                                

AさんもCさんもそれぞれのニュアンスは違いますが、絶食という方法を受け入れることが難しい状況でした

――理解されていないから提案に応じられないのではなく、理解しているから辛い現状を受け入れられないのではないかと後になって思いました

嫌な現実を認めることが困難でそこから逃れようとする感情なのではないでしょうか

                                           

Aさんはあきらめに似た思いを持たれたようですが、Cさんの方は「水分だけで体がもつのでしょうか」「食べないと元気にならないのでは」という気持ちから話を繰り返されました

――強引に進めてしまい、私の価値観を押し付けてしまったのではないかと後に反省しました

                                             

アイスクリームやジュース、牛乳などを少しとってもらうことでひとまず合意がとれました

                                            

絶食にすることで腹満や腹痛は楽になってきました

するとAさん

「絶食だとお腹がすいてたまらない」

「大便が出ないのなら浣腸はできないの?」

「いつになれば食べることができるの?」

と、次の疑問や要望が出てきました

――なぜそのように思ったのか、Aさんは病状をどのよう解釈されているのだろうか

その検討が十分にできないまま……

                                                

症状が軽くなったので少しの食事を開始しました

しかし再び腹満や腹痛が悪化してきました

再度水分だけにして、我慢することになったのです

腸の穿孔のリスクも頭にありました

――このときのやり取りです

AさんもCさんも癌が治らないことはわかっている、でも食べないと元気にならないと言われます

「元気になりたい」思いを強く出されました

相反する考え方ですが、この時は言葉を否定せず、「元気になりたい」思いを尊重できないか、AさんやCさんの価値判断をまず受け止めようと考えました

                                             

医師:Aさん、絶食にしたときはお腹はどうでしたか?

Aさん:痛くなかったです

医師:お腹が痛くなっても食べたいお気持ちは強いようですね

Aさん:そうです、お腹がすいてたまらなくなるんです

 (気持ちを率直に伝えられました)

医師:なぜお腹が痛くなるのかAさんの感じられていることを聞かせていただけますか?

Aさん:大便が出ないから痛くなる…

医師:どうして大便が出なくなってしまったのでしょうか?

Aさん:癌が腸をふさいでしまっているから

    でも私の知っている人で癌があっても大便が出る人も出ない人もいるよ

 (病気に対するAさんの解釈です)

医師:たしかにそうですね

   Aさんの場合は残念なことに癌が大きくなって腸をふさいでしまっている

   から便秘になっています

 (否定をせずAさんの言葉をそのまま返しました)

   下剤や浣腸を使っても難しいと思います

 (前に希望された手段への答えです)

Aさん:どうすれば便が通るようになるのかな?

医師:体力があれば人工肛門という方法があるかもしれません

   しかし転移が広がっておりそれは難しいですね

 (別の対処法も考えたが困難であることを説明)

Aさん:どうすればいいのかな

医師:卵豆腐から始めてみましょうか

   可能なら他にも食べれそうなものをいっしょに考えてみましょう

   痛みが強くなるようならいったん止めますが、落ち着けばもう一度食事を

   考えてみるということでいかがでしょうか?

 (次の提案を順序だてて行いました)

Aさんとそばで話を聞かれていたCさんはこの提案に同意されました

何度でも話をしていく必要を感じています

この話し合いの中で、「病気の解釈」「感情の表出」「変化への期待」が見られました

                                                 

                                              

Cさんをはじめとしたご家族と話をしました

「無理に長生きをしてもらおうとは考えていません」

「でもこのまま食べることができずに弱っていく姿をみていくことは辛いです」

いくつかの方法を相談し、その中でCさんやご家族の期待を強く感じました

例えば胃管を留置しながら口から食べてもらう方法などです

しかしAさんは苦痛をともなう方法(点滴や胃管など)をすべて拒否されていました

                                            

                                             

そうこうするうちに少しずつ排便が見られるようになってきたのです!

閉塞したところが少し通過したようです

みんなに笑顔が戻ってきました

                                              

ちょっとずつ食事を増やしていきました

                                             

ある日のことです

看護師さんに

「家に帰ってみたい」

「退院じゃなく何日か帰ることってできないかしら」

――理由をたずねました

「今のままだと息が詰まってしまう」

「家の空気を吸いたい」

今までにない大きな期待感です

家でしたいことがあるわけじゃないけど一度は帰ってみたいと表情は明るいです

                                           

その一方でCさんは不安から尻込みをされています

                                              

――Cさんは決して拒否をされているわけではありません

帰ってきてほしいという期待もあり、短時間だからといっても自分に介護できるのだろうかという不安もある状況での悩みです

しかし他のご家族からみんなで支えるからと後押しされました

十分な準備を経て、短時間でありましたが自宅への外出が実現しました

それからは少しずつ悪液質が進行し

眠っている時間が増え

約1か月後にご家族に見守られながら旅立たれました

あれからずいぶんと日が経ちました

少しでも振り返ることができたかなと思います

                                          

                                            

※患者さんやご家族に対して「理解が悪い」「受け入れができていない」とついつい言ってしまいがちですが、お互いの価値観が最初から一致しているわけではありません

理解が悪いのではなく、「私たちの説明が不十分」であったり、「患者さんたちは理解できているけれどそれを簡単には認めたくない」のかもしれません

症状や病気をどのように解釈されているのか

何が不安で、どのようなことを期待されているのか

お互いへの影響をどう考えられ心配しているのか

など

私たちは冷静に考えないといけないことを学んだように思います

                                         

患者さんやご家族の思いと私の思いがどこか少しでも重なったとき、胸のつかえから解放されとても穏やかな気持ちになることがありました

                                       

                                             

今回はAさんやCさんとのやりとりをカルテ上に繰り返し記載できていたことで振り返りが可能になりました

                                            

                                                

この経験を日常の仕事にもっと生かせていければ・・・・・