今回は私が励まされた患者さんのお話です

 

Yさんは100歳

たくさんのご病気を抱えていらっしゃいます

 

訪問診療を始めて数年がたちました

息が苦しくなって病院を受診

足腰が痛くなってはやってこられます

骨が弱くなり、体のあちこちに骨折をおこしました

 

それでもいつのまにか症状は改善してきます

Yさんはいつも言われます

「どうして痛くなるんかな?」

「脚が腫れるのはなんで?」

「息が苦しい、なんとかならんかな?」

 

でも決してご自分からは「もうだめ」とか「しかたがない」とか

口にされることはないのです

だからこちらからも

「年のせいですね」とは言えません

 

だけど徐々にADLは低下

少し前までは酸素なしで階段の上り下りをされていました

今はお部屋の中での生活です

それでも次に伺ったときには前回よりも元気なのです

 

その姿をみて

私たちは感心すると同時に大いに励まされています

 

ひとはいくつになっても生きる意欲や希望を失わないのだなあと……

 

そのYさん

素晴らしい特技があります

 

「手芸」です

 

お部屋ではたくさんの作品に囲まれています

 

そして

ときには子どもたちにあげてね

と渡してくださるので

たまにはお預かりしてきます

 

そのごく一部がこの写真

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5月のコイのぼり

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 丁寧に編まれた人形

 

一つひとつが玄人の仕事です

 

またもうひとつうれしいことが…

 

お孫さんのそのまたお孫さんが生まれたと嬉しそうに話されました

『玄孫(やしゃご)』というそうですね

言葉としては知っていましたが

このようなときに使うものとは知りませんでした

 

Yさん

新しい作品を期待しています

でも決して無理はなさらずに……

 

私たちはYさんにいつもエネルギーをもらっています

ありがとうございます

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いろんな事情で入院期間が長くなった患者さんにはそれぞれの思い出があります

お付き合いが長い分だけたくさんのことをいっしょに経験してきたことが記憶として残ります

(決して入院期間が短い患者さんがそうでないという意味ではありません)

 

旅立たれたあと、様々な出来事が思い出されます

 

 

「〇時□分、ご臨終です」

ご家族に告げ、病室をあとにしたとき

これから寂しくなるなあとつぶやいてしまいました

 

Sさんと入院前の面談を行ったとき

認知機能の低下があり、物忘れや複雑な行為が難しくなっていましたが、一方では体や心のことへのこだわりを持たれた言葉が聞かれました

不安いっぱいのお顔をされていたことがとても印象に残っていました

 

それから1年近く病と闘われて私たちの病棟にやってきました

おもな症状は呼吸困難と不安感です

 

入院してから高熱が出たり、呼吸困難が強くなったりして、余命は長くないだろうと思われました

 

それでもSさんは頑張り

私たちはたくさんの思い出を共にすることができました

 

 

受け持ちとなった看護師さんには限りない想いがあるでしょう

私は今、主治医として関わらせていただいたことをありがたく思っています

 

 

Sさんからたくさんのことを学び、経験を共にすることができました

順不同で述べてみます

1)病状が悪化してきたとき、「早く逝きたい」「おとうさん(亡くなられたご主人)がまだ迎えにきてくれない」「もうしんどいのはいや」が毎日のあいさつになりました

それでもご家族のことや好きなことの話題になるととたんに穏やかな笑顔を見せてくれます

2)コーヒーが大好きなSさん

ベッドサイドでいっしょにインスタントコーヒーを飲みながら話をしました

受け持ちの看護師さん(プライマリーナース)も何度かコーヒーをともにしていました

苦しくてもコーヒーをお勧めすると「飲みたい」とはっきりと主張されます

3)ときには症状の悪化からパニックのようになることがありました

そのようなときには背中をさすったり、落ち着いて話を聞いたりしながら患者さんに寄り添っている看護師さんたちの姿を見かけていました

認知機能の低下も加わり、Sさんの苦痛を改善するためには薬に頼らざるを得ないことがあり、効きすぎたり効かなかったりと苦労をしながら病状に合わせた工夫をみんなで話し合ってきました

4)「食べると元気になる」「ご飯はおいしいよ」と食へのこだわりが強いこともSさんのidentityのひとつです

進行してきた時期にSさんにとって何がいちばん大切にしてもらいたいことなのかを考えるヒントになりました

 

 

Sさんとのお付き合いを振り返り、ふたつのテーマを考えています

 

 

<生きるということ>

 

毎日のように「早くおとうさんのところに行きたい」と繰り返されていたSさん

しかしご飯の時間が待ち遠しく、少しでも食べることができたときは「お腹いっぱい食べましたよ」「食べないと元気がでないからね」と笑顔を見せてくれました

コーヒーが大好きで飲んでいるときにはいい笑顔をしています

 

何度も危機的な状況になり、ご家族には余命は短いですと告げてはしばらくすると落ち着かれるという状態の繰り返しでした

 

「死別」をテーマにした本の中に次のような一節があります

「病状を理解していても、かなり悪くなるまでは本人も家族も意外にピンときていない。病状が急激に悪化すると、本人も家族も混乱しやすい。状況を理解しているはず、と決めつけず、混乱を受け止めることが大事。どのような状態でも、人間は生きたいと思っている」

「どんな状態であっても、生きることをすんなりと諦められる人はいない。緩和ケア病棟でも、この現実は変わらない」

(ともに「月間保団連」No1394より)

 

Sさんの姿に接して同じことを感じました

 

<ケアについて>

 

毎日同じ会話の繰り返しのように見えても、いい日があり、悪い日があります

聴診器を当てながら診察をしていると、Sさんはゆっくりと変化していっていることがわかります

「呼吸が苦しい」と訴えられたとき、胸に聴診器をあて丁寧な診察を心がけるようにしていますが、そんなとき患者さんたちがほっとされる表情を見せてくれる瞬間があります

いきなりの「心のケア」や「薬」ではなく、まず身体症状を受け止めることが心理面を大切にすることにつながるのではないかと気づかされることが少なくありません

 

WHOの緩和ケアの定義を改めて引用します

「緩和ケアとは、生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者とその家族のQOLを、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見出し的確に評価を行い対応することで、苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチである」

 

Sさんが認知機能低下の進行やせん妄の出現、食事量減少、倦怠感の増悪に苦しまれたとき、プライマリーナースをはじめ私たちは悩み、何度もカンファレンスを行いました

その結果Sさんのもっとも大切にしたいことを目標としようと意思統一し、1日1回でも食事を安心してとっていただこうということになりました

そのことがQOLの向上につながったと思っています

 

※このような関わりの中でも最も重視することになったキーワードがあります

 

それは『コーヒー』です

Sさんはどのようなときでもコーヒーがのめれば安心していました

 

最期のお別れのとき

ご家族が準備された誕生日祝いのケーキとスプーン一杯のコーヒーをお孫さんが口に含ませてあげていた姿が忘れられません

Sさんは唇を通してその温かさを感じられたのではないでしょうか

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どんな人でも

心が疲れ切ってしまうときがあります

悩んでねむれなくなるときも

周りの人から声をかけられても耳に入らない、このままでいいのだろうか、他になにかできることがあったのでは と

 

そんな人に絵本をご紹介します

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ページの一つひとつに心が温かくなります

 

たとえば・・・

 

やさしい きみが

理由も ないのに

おこったりしないの、知ってるよ

 

・・・さみしかったんだね。

 

 

また

 

じょうずに できたときも

じょうずに できなかったときも

あなたが とっても がんばっていたことは

なにも かわらないよ。

 

おつかれさま。

よく、がんばったね。

 

 

ほとんど毎日のように

開いています

 

 

自分だけではもったいないので

何人かの人たちにプレゼントしてきました

 

 

よければ

ぜひごらんください

(出版社の回し者ではありません)

 

少し古い文献ですが「緩和ケア病棟におけるプライマリーナースのストレス」(2004年:独立行政法人国立病院機構東京病院緩和ケア病棟)を読む機会がありました(以下文献と記載します)

プライマリーナーシングは「1人の患者さんに対して、1人の看護師が入院から退院まで責任を持ち、看護計画の立案、評価などを行う」という看護方式です

看護師の主体性や専門性が発揮できることや、患者さんに合わせた看護を提供しやすく質の高い看護を提供できるため、看護師にとってもやりがいにつながるシステムと言われています

 

 

私たちの病棟でもプライマリーナーシング方式をとっており、看護師さんたちのケアを見ていてこの看護方式はよく考えられた奥深いものがあると医師の立場としてはすごく有難い思いをしています

患者さんと主治医における関係とは異なった意義があります

 

しかし一方では仕事に行くことがつらくなるほどストレスを感じて悩んでいる看護師さんも少なくないとの指摘もあるようです

私も看護師さんたちの日常のストレスを身近に感じることが少なくありません

 

今回上記の文献を読んでたくさんの課題があることを知りました

看護の仕事そのものへの言及は私の役割ではありませんので、緩和ケアにたずさわる医師(主治医)として同じようなストレスを感じてきていたことを整理してみました

 

文献では次の4つのカテゴリーに分類されています

「人間関係(家族・患者との関係、主治医と患者・家族との関係、スタッフ間の関係)」「プライマリーナースの責任の重さ」「不満への対処(苦情の訴え、不満の訴え)」「苦痛への対処(症状コントロール困難、苦痛緩和困難)」

今回は「責任の重さ+苦痛への対処」と「人間関係+不満への対処」のふたつに分けました

 

(1)責任の重さと苦痛への対処

 

知識や経験の不足

とくに開設当初は患者さんの身体的な苦痛に対して的確な対応ができない状況でし

もともとの私の専門領域とは関連のなかった分野であり、研修に行き多くのことにカルチャーショックを受けました

看護師さんたちからの要望にうまく応えることができない状況でのスタートでした

悩んだ結果、緩和ケア関連の書籍をくまなく読むこと、わからないことがあれば他のホスピスに遠慮なく尋ねることを自分の姿勢としてきました

 

症状の緩和ができなかったことへの責任の重さ

自分が主治医でなければ患者さんは苦しむことがなかったのでは、もっと他に最善の方法があったのではないだろうかと反省の日々でした

これまでの医学/医療知識が役に立たないことがたくさんありました

患者さんが納得のできる最期を迎えられたかどうか、それはご家族を通して判断されることでもあります

ご家族の表情からはうかがい知ることが難しいのですが、プライマリーナースからご家族に送った四十九日レターへのお返事をいただいたり、しばらくしてご家族や友人が私たちの病棟への入院を希望してこられたりしたときには評価していただいたと思っていいのだと感じています

また「このような病院が他にももっとあればいいのにね」と話されたときには疲れが一気に解消しました

でもそのようなときばかりではありません

(患者さんのことを)思い出すとつらくなるので、病院には行くことができませんと家族会への参加を躊躇されるご家族も少なくありません

患者さんやご家族からの主治医に対しての複雑な感情を受け止めきれずモヤモヤ感

病状がかなり悪化してからの入院が多く、残された短い時間の中での関係づくりに困難を感じることがあります

最期のときまで心を開いていただけなかった患者さん

診察を拒否された患者さん

コミュニケーションがとれないまま旅立たれた患者さん

たくさんの反省があります

その都度次こそは…と思うのですが、教科書通りにはなかなかいかないものです

 

(2)人間関係でのストレスと不満への対処

 

患者さん・ご家族に合わせた距離の取り方

文献には「患者さん・ご家族に合わせた距離の取り方を見極めたうえで対応する」

と述べてありました

またある傾聴の本を読んでいたとき次の記載を目にしました

「いい人間関係をつくるために・・・どんなことがあってもこの患者さんとうまくやってい

くんだと腹を決めること」

そう考えると私はまだまだ未熟です

 

医師と患者・家族の思い/考えが異なり看護師さんは板挟み状態のストレス

長い医師人生の中で担当をかえてほしいといわれたことがあります

また他の医師に対しての場面を目にしたことがあります

医師や医療への不満を看護師さんにぶつけられるときがあり、看護師さんたちは板

挟み状態となり本当に迷惑をおかけしてきました

苦情や不満をぶつけられることで意欲の低下につながることがあります

文献には「努力しても医療者と患者・家族の間には相違があり限界があることを認識

し、スタッフ間でサポートしていくことがストレス緩和につながる」とありました

 

スタッフ間の課題

他のスタッフから責められているように感じ、相談できずに悩むことがあります

特に経験が浅いときは毎日のようにその感情に襲われることがありました

悩みを打ち明けるときはよっぽど苦しいのだろうということは皆さん共通しているようで

対策としてはカンファレンスを充実させ、自らも勉強し、困ったときには率直に教えを請うことが大切なことだと痛感しています

カンファレンスでは今しかできないことをみんなで考えようという姿勢で臨みたいです

 

―――さいごに

看護師さんたちが患者さん・ご家族にアンケートをとっています

概ね積極的な評価をいただき有難く思っています

 

今の時期に特徴的なことは

「コロナがなければ…」というご意見が多く見られたことです

患者さん・ご家族、私たちにとって最も大きなストレスの原因です

 

面会の制限(時間も人数も)、とくにいよいよの時でもある程度の制限が設けられておりご

家族の気持ちと病院の方針との間に矛盾や軋轢が生じ、お互いに悲しい思いをしていま

世の中の感染状況に応じていくらか緩和されてきましたが、それまでのスタッフやご家族

の努力は並大抵のものではありませんでした

 

今回緩和ケア病棟でのストレスというテーマで考えてきました

そして少しでも和らげるためには

 

※ひとりで悩まない

※ひとりで決めない

※みんなで考える

というスタイルを堅持していきたい

そこから改めてやりがいを見出すことができればいいなあ

と思っています

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「がん患者の治療抵抗性の苦痛と鎮静に関する基本的な考え方の手引き 2018年版」(以降「手引き」とします)によると、苦痛緩和のための鎮静を、医師が患者の意識の低下を意図するかしないかにかかわらず、「治療抵抗性の苦痛を緩和することを目的として、鎮静薬を投与すること」と定義されています

 

またそれは、「間欠的鎮静」と「持続的鎮静」に分類され、持続的鎮静は「調節型鎮静」と「持続的深い鎮静」に分けられています(参考-1)

 

「手引き」によると調節型鎮静とは、「苦痛の強さに応じて苦痛が緩和されるように鎮静薬(主にはミダゾラム)を少量から調節して投与すること」とされ、「鎮静薬の投与量を調節する基準は、患者の意識水準ではなく、苦痛の強さである。したがって、結果として、患者の意識が維持された状態で苦痛が緩和される場合もあり、苦痛が強い場合には苦痛にあわせて鎮静薬を増量した結果として患者の意識が低下してはじめて苦痛が緩和される場合もある。苦痛の強さの指標としては、STASが1~2以下(参考-2)であることを用いる」とされています

 

これまで必要時には何らかの鎮静に踏み切ってきました

頻度は多くはなく、最近では入院患者さんのうち1割以下ではないかと考えています

 

しかし「調節型鎮静」の理解が難しく、私自身どう取り組めばいいのかあいまいなままでした

その結果、持続的鎮静の場合、間欠的鎮静から、あるいはいきなり持続的な深い鎮静となっていたというのが現状でした

 

このたび調節型鎮静を選択した患者さんがいました

以下に経過を記録しておきたいと思います

 

Aさんは70歳代の患者さんです

健康診断で病気がわかり、10年近くにわたり手術や抗癌剤治療を受けてこられました

 

初対面のときから誠実な印象を受け、また多彩な趣味を持っている方でした

がんと診断されたときには淡々として受け止めておられ、Aさんがおっしゃるには「きちんとした生活をしていればだいじょうぶだと思っていました」とのことでした

それでもショックなことは2回ありましたと話されます

一度目は5年ほどして転移が見つかったときです

そして二度目は「効果のある薬はもうありません。できることはないです」と医師から告げられたとき

さらに転移が広がっていると言われ、いよいよかと思われたそうです

そして医学ってこんなものかとも

 

「これからどうなっていくのか、どれくらいがんばれるのか、症状が悪化してきたときのことを考えると不安があります」

「無理はしないように心がけたいです」

と落ち着いて話される姿が印象的でした

 

趣味で作成された作品をiPADに記録しており、嬉しそうに何度も見せてくださいました

 

少しずつ身体的な症状がでてきたとき

お気持ちを聞かせてくださいとお願いしたところ

少し思案しながら

「不安はいっぱいですが仕方のないことだと思っています」

「でも家族には苦しい顔をいつまでも見せたくないことも事実です」

と話されました

 

1か月がたったころ

痛みや吐気が強くなり

せん妄が現れるようになりました

それまでのAさんから変化したことに娘さんたちは戸惑われています

 

痛みは医療用麻薬で緩和ができましたが、一方ではせん妄がつよくなり

急に起き上がり静止がきかず、ご自分のおかれている状況を正しく判断できない状況となりました

夜間はしっかりと眠っていただくこと、日中は短時間でも心と体を休めてもらうために間欠的鎮静を始めました

 

病状や検査結果から余命は数日かと考えられ

私たちはカンファレンスを持ちました

夜間の睡眠確保のためのミダゾラムの点滴をこのまま日中も継続すべきか

あるいはいちど鎮静薬を止めて意識の回復を待つか

ご家族としっかり話をして選択させていただこうということになりました

 

今までの症状と治療経過を丁寧に説明し

率直な思いを聞かせてほしいとお願いしました

娘さんをはじめご家族は

「父はしんどい思いをしているけど、楽しい人生も歩んできました。残りの時間を穏やかに苦しみなく過ごしてほしい。よくがんばってきたと思います」

「苦痛が続くのはつらそうです」

「家族には苦しんでいる姿を見せたくないと以前から話してました」と持続的な鎮静には同意されましたが

一方では「(意識のある間に)ありがとうと言いたかったです」とも話され

苦渋の決断だったと思われます

 

再度のカンファレンスで

現状認識を意思統一し、ご家族の思いを受け止めて

「調節型鎮静を行いましょう」ということになったのです

 

そこからの約2週間

毎日カンファレンスをもちながら鎮静を行いました

 

以下に簡単な経過を記載します

ご家族は毎日短時間ですが面会に来られました

 

X日:鎮静開始

少量でミダゾラムの持続皮下注射を開始

開始時の量では効果不十分で2回増量を行う

 

X+1日

刺激がなければ苦顔なく入眠

 

X+3日

やや意識が回復(RASS 1~0:参考-3)

ご家族は会話ができることに涙される

穏やかな状態であり現状を維持

 

X+4日

刺激で開眼

ジュースを少量口にされる

X+5日

開眼され疼痛なくせん妄見られず

カンファレンスを経てミダゾラムの減量を行う

 

X+8日

意識はさらに改善

入浴の希望あり、入浴していただけた

X+10日

笑顔が見られる

氷片などを頻繁に希望され、誤嚥はみられず

「美味しかった」と感想あり

 

X+12日

ミダゾラムはさらに減量

 

X+14日

スマホを触ったりされている

みんなの合意の上でミダゾラムは中止

⇒持続的鎮静(調節型鎮静)は中止となる

 

このような経過でAさんは落ち着きを取り戻されました

当初の予後予測からも大きくはずれ

Aさんはその後1か月あまり過ごされ

ご家族の見守りのもと静かに旅立たれました

 

多くの緩和ケア病棟ではAさんに対するような鎮静は当然のケアだと思います

しかし私たちにとっては初めての経験でした

 

貴重な経験をさせていただいたAさん、ご家族のみなさんに深く感謝いたします

 

もう一度最初にもどって考えました

「手引き」からの引用です

 

※「治療抵抗性の苦痛」とは「患者が利用できる緩和ケアを十分に行っても患者の満足する程度に緩和することができないと考えられる苦痛」を指します

 

――Aさんは徐々に苦痛が強くなり、私たちのこれまでの治療/ケアでは緩和できないほどのせん妄状態となりました

 

※「耐えがたい苦痛」とは、患者にとって耐えられない苦痛を意味します

 

――Aさんは苦しんでいる姿を家族には見せられないと何度か話されていました

本来ならAさんの意向を聞くことが必要なのですが、気持ちをたずねることが不可能なほどのせん妄状態であり、Aさんのこれまでの言葉やご家族からのAさんが常々話されていたことなどを踏まえて判断させていただきました

 

以上の判断が正しかったのかは今後の私たちの取り組みの中で深めていく課題だと思っています

 

またある文献によると

「持続的深い鎮静の対象症状として、せん妄が55%、次いで呼吸困難が27%、疼痛はこれよりは少ないが20%を占めていた」

とあります

 

私の実感としても同様な受け止めです

 

今後も治療抵抗性の苦痛に悩まれる患者さんのケアの場面が何度もあるでしょう

患者さん一人ひとりはそれぞれ異なる多彩な状況に置かれており、その都度丁寧な話し合い――スタッフのみでなく、患者さん・ご家族とのーーを積み上げていきたいと痛感しています

 

≪参考≫

 

※鎮静の分類:参考―1

367-01

 

※STAS-J:緩和ケアにおける評価尺度のひとつ:参考―2

367-02

※RASS:鎮静スケール:参考―3

367-03

367-04