「もう疲れました。このまま眠らせてください」

ベッドサイドを訪れるたびにAさんから懇願されます

痛みと吐き気、つよい倦怠感に一日中苦しんでいました

 

 

Aさんは一人暮らしで何でもご自分で決めてきた方です

友人たちのお見舞いが多く、いっしょに外出されている姿を見て、生活を楽しんでいることがうかがえるようでした

 

病気のことは冷静に理解されていました

 

食べたいものがあればご家族といっしょに調理をしながら味わわれたり、外出しては名物のお好み焼きやたこ焼きを普段よりもたくさん食べましたよとにこにこしながら帰ってこられていました

 

でもだんだんとできることが減ってきました

食事がのどを通らなくなってきたり…

現実をそのまま受け止めることができる方でした

 

 

痩せが目立ち

一人では動くこともままならない状態

それでも「歩いてトイレには行きたい」「無理なときはつれて行ってね」と看護師さんにお願いされている所を何度か見かけました

体がしんどいからと、大好きだったお風呂も拒否されるようになってきました

 

一方では私の回診のときは

笑顔で待ってくれています

こちらから尋ねないと弱音を吐くことはありません

そして部屋を出るときには必ず

「いつもありがとう、感謝しています」

と声をかけていただきました

 

 

ある日からAさんは

「もう十分です このまま眠らせてください」

と私にも看護師さんにも話されるようになりました

 

このときの症状は

腹痛、吐き気、倦怠感、不眠

でした

 

モルヒネの持続皮下注射や夜間の睡眠確保のための安定剤の点滴は一定の効果があります

しかし朝目覚めると同じ訴えが出てきます

日中も「眠りたい」との訴えがあり、安定剤の飲み薬などで希望に添うようにしました

 

 

これらの対応はそれでも一時的です

Aさんの望みは

「ずっと眠らせてほしい」

に変わってきました

 

私たちの病棟では

「鎮静」を考える時期には、開設当初より医師、看護師のカンファレンスを必ず行っています

 

“がん患者の治療抵抗性の苦痛と鎮静に関する基本的な考え方の手引き(2018年版)”では

苦痛緩和のための鎮静を、医師が患者の意識の低下を意図するかしないかにかかわらず、「治療抵抗性の苦痛を緩和することを目的として、鎮静薬を投与すること」と定義されています

 

手引きに従ってカンファレンスを繰り返しました

「治療抵抗性とは言い難く、今は持続的な鎮静の適応ではない」

という結論でした

 

 

それでもAさんは

眠りたい

起きていることがつらい

と何度も訴えられます

 

ご家族と相談して、「体と気持ちを休めるために、いちど短時間でも眠ってもらおう」ということになりました

「間欠的な鎮静」です

ミダゾラムを皮下注射すると

数時間穏やかになります

 

効果を確かめたうえで

Aさんの気持ちをたずね

ご家族の思いを聞きました

 

☆Aさん

――日中は起きて過ごしたい

家族とも話をしたり、食べれるものがあれば口にしたい

――でも起きていることがつらい

矛盾した気持ちの中でゆれていました

 

☆ご家族

――少しの時間でも眠れたようでよかった

いままで必死になって頑張ってきた人だから

楽にさせてあげたい

だけどもうちょっと話もしたい

「鎮静」についてのご意見は

――時々このように話せるくらいがありがたい(間欠的鎮静)

でも本人が望むようならずっと眠らせてあげてもいいのかな?

(持続的鎮静)

悩んでいました

 

 

再度カンファレンスです

「Aさんは持続鎮静を希望されています」

「でも私たちから見ると穏やかにも見えるんです」

「ご家族と良い時間が過ごせているように思えます」

 

このとき別の観点での意見がでました

「Aさんは『家族にこれ以上の迷惑をかけたくない』と言っていました」

「それって精神的な苦痛ではないだろうか?」

 

 

話し合いのまとめです

  • 身体的な苦痛は「腹痛」「吐き気」「倦怠感」などまちがいなく存在し、オピオイドなど必要な薬剤での対応は可能な限り行ってきた

ただ「治療抵抗性」と断定もしきれない

  • 一方では「自分がこのような(人に頼らなければいけなくなった)状態でいることで家族に迷惑をかけてしまうことがつらい」という精神的苦痛が強くなってきている

という状況におかれているのだろう

 

もういちどAさんと話してみよう

と鎮静の開始はさらに見送られることになりました

 

 

☆医療者から

「Aさん、お付き合いは短かったけれど楽しいことをともに経験できましたね」

「他の患者さんのためにご自分の趣味を役立てていただき嬉しかったです」

「約束通り、桜も見に行けましたね」

――ほんとうにありがとうございました

けれどもう少しいっしょの時間を過ごせればと思うのです

 

☆ご家族は

「いままでありがとう」

「私たちは決して迷惑とは思っていないよ」

「できるならもっと話がしたいの」

 

私たちはそれぞれがAさんにもう少しと望みをぶつけました

 

☆でもAさんは

「もう十分、もう寝かせてほしい」

「みんなありがとう… でももう長引かせなくてもいい…」

 

それぞれの立場から期せずして「ありがとう」の言葉がでました

 

Aさんはついに

「何度同じことを聞くの! 何回も同じことを言わせないで!」と興奮ぎみとなり、苦痛の表情を浮かべています

 

 

看護師さんたちは受け持ちの看護師さんを中心にしながらAさんの思いをくみ取ろうと一生懸命です

 

Aさんとご家族の間に立って

「私はAさんにとって悪者になっちゃいました」

と言わざるをえないほど何度も話をしてくれました

 

その結果

ご家族は覚悟を決めながらも

もう一晩いっしょに過ごすことを希望されました

 

 

翌日のこと

 

☆ご家族

「体のつらさと精神的なつらさ、同じくらいあるように思いました」

「これまで自分で決めてきた人なので、死に際もきめたいんだと思います」

「もう本人にとっては十分なのかな」

 

その後さらに苦痛の訴えが頻繁となってきました

 

あらためてのカンファレンスの場で

「持続的な鎮静を開始しましょう」

との結論となりました

 

同時にバイタルサインも悪化傾向です

余命は日の単位と予測されました

 

 

持続鎮静を開始してから

Aさんの表情は穏やかになり

ご家族もほっとしたご様子です

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身体のケアは今まで通り当然継続です

身体や口の中の保清、声かけなどなど

 

しだいに呼吸回数が減ってきました

 

数日後

Aさんは

ご家族や友人に見守られながら

旅立たれました

 

 

最後に

ご家族がスタッフとともにAさんのお化粧をされました

 

 

持続鎮静を必要とする患者さんはそれほど多くありませんが

患者さんから「もう眠らせてほしい」「このまま逝きたい」とつよく望まれることがあります

 

私たちは慎重に、何度もカンファレンスを持ちながら

「手引き」にもとづき

適応を考えて鎮静に踏み切ってきました

 

 

医療者として

患者さんやご家族の情に流されそうになることもあります

 

私も「もういいんじゃないのかな」と思ってしまうことがあります

 

しかし

大切な患者さんの人生です

しつこいと思われるくらい悩み、行ったり来たりしながら話し合い

鎮静が開始となってからも「これでいいのだろうか」と毎日を振り返りながら

ケアを行っています

 

 

…心は風に揺れる草穂のようだと…

 

 

「正しいか正しくないか」という価値判断ではありません

 

 

かかわりをもつことになったみんなが

ご家族もふくめ

当然患者さんご自身もです

――これでよかったんだね

って思えるように

なれればいいな

と思ってます

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(このお話はある程度脚色しています)