かねてから依頼をしていたお話が届きました!

私たちの法人の訪問看護ステーションでも終末期の緩和ケアでしっかりとした取り組みが行われています

ぜひブログに載せたいのでとお願いしていました

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以下に掲載させていただきます

「家族との思い出が詰まった、住み慣れた自宅で最期の時を迎えたい…」

これは私(Ns)が在宅医療に携わるようになり、2年が経過したころの経験談です。

 

【患者さんの紹介】

N氏 80歳代 女性

□年4月 膵体・尾部がんにて膵体・尾部切除+大網・小腸間膜切除施行後、同年6月より化学療法受けていました。約1年後に増悪(腹膜播種、肺転移)あり、化学療法は中止し、BSC方向となる。十二指腸の狭窄のためステント留置し在宅療養を続けていたが全身状態悪化傾向で医師より入院を勧められましたが、N氏は在宅を希望されました。訪問看護を導入し在宅緩和ケアがスタートしました。高齢の夫・長女と同居だが長女は仕事をされており、日中は夫との二人生活。

 

【経過と看護師としての関わり】

食事・水分は徐々に摂取困難となり、程無くして経口摂取は出来なくなりました。癌性疼痛もひどくなり、適宜主治医のH医師と連携し、鎮痛剤の調整を行っていきました。また、点滴開始に伴い毎日2回以上の訪問となり、1ヶ月の訪問回数は50回近くになりました。

N氏はとても気丈でしっかりされている方で、もともと様々なボランティア活動や民生員活動などをされており、ご自身が辛い状況であるにもかかわらず、気遣いをして下さり、明るく心優しい方でした。告知内容もしっかりと受け止め、子育ての話や実父を在宅で看取った(H医師により)経験談、死生観についても語ってくださり、「家族との思い出が詰まった、住み慣れた自宅で最期の時を迎えたい…」「父親の時から信頼していたH先生に死ぬまで見届けて欲しい」「点滴は続けたい」とハッキリと希望を伝えて下さいました。病気から逃げず、泣き言も言わず、最期まで自分らしく生きようとされる姿に感動し、多くの事を学ばされ、訪看チームでその思いを支えたいと、一丸となりサポートさせて頂きました。お亡くなりになられるその直前まで、私たちに対して、「○○さん、ありがとう!だいすき!」と手を握り、抱きしめてくださいました。最期は遠方のご家族も駆けつけ、皆に見守られながら、長年過ごされたご自宅で、眠るように天国へと旅立たれました。訪問看護開始から1.5ヶ月間の関わりでした。

 

【死ぬまで生きること死に方は選べること…】

この1.5ヶ月という短い期間ではあったが濃密であったN氏との関わりを通して、当たり前なのですが、改めて「人は死ぬまでちゃんと生きるんだ」と再認識しました。生まれる時、自分ではその状況の選択ができませんが、最期の時はできます。死に方ではなく、息を引き取る最期の瞬間までご本人らしく「生きる」状況の選択です。

「死」とは、その方の人生の最期で最大の出来事、ご家族の心にも深く深く刻み込まれる出来事であり、その大切な最期の時に関わらせて頂き、N氏の願う「最期の生き方」のご意向に出来る限り沿えるようにチームで一丸となり、ケアに当たりました。在宅医療の限界を伝えられ、当初は不安に思っていらしたご家族様も、最後は心から感謝して下さいました。

これからも、N氏から学ばせて頂いた多くの事を胸に秘め、在宅療養される方々への支援につなげていきたいと思いました。

 

訪問看護は外来――入院――在宅と切れ目のない医療/看護/介護をめざす私たちにとって、心強い存在です

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10月1日神戸市内のホテルで今年の生協強化月間のスタート集会が500人あまりの参加で開催されました

広い会場いっぱいの参加者

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I専務理事からの今の社会情勢や今年の月間の特徴についてのあいさつのあと、今回のメインイベントである福岡の「みらいクリニック」院長の今井一彰先生のご講演がありました

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「鼻呼吸を日本に広げよう」との呼びかけに始まり、「あいうべ体操」の紹介とその効果など、ユーモアをふんだんに交えながらのお話に1時間半みんな引き込まれていました

 

(参考)

あいうべ体操”とは……>宣伝をします

 

「あいうべ体操は、口呼吸を鼻呼吸に改善していく口の体操のこと」です

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先生の本を手に入れて少し勉強を始めているところです

病棟でもなにか取り入れることができるでしょうか?

講演のあと質問タイムとなりましたが、次々と質問が出され途切れることがありません

私の率直な感想です

・みなさん健康への関心はどの時代でも大きいものがあります

・体のことでの悩みが様々にあることの反映が、質問や疑問となって表れているのでしょう

・普段医療機関で聞いてもらえないことがきっとあるのでしょう

・子ども連れの若いお母さんたちの姿がこれまでになく目立ちました

・先生のファン(追っかけ?)も来られていたようです

さいごの締めくくりとして、I組織委員長から今年の強化月間の特徴と目標についての提案があり、みんなで心をひとつにした集まりとなりました

 

 

9月のさいごの日

家族会が開かれました

第二回目です

 

11のご家族に参加していただきました

病院からは医師、看護師、臨床心理士、事務職員、そしてボランティアさんたち

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O師長さんの司会ではじまり

N副総師長さんの挨拶とY先生からのメッセージ

ご家族からの自己紹介とつづき

緩和ケア病棟の日常を紹介したスライドをみんなで鑑賞

 

その後はテーブルごとにスタッフもまじえての故人を偲ぶお話を聞かせていただきました

 

「看護師さんの顔をみるといろいろと思い出します」

「入院中はいっしょに商店街を散歩しました。今日ここにきて胸がいっぱいです」

「毎晩のように涙がでます。でもよくがんばった人でした」

「入院中はつらかったのですが、でも家族みんなが力を合わせて楽しかったです」

「『痛いといわずに逝けました』患者にとっても家族にとってもよかったです」

「買い物に行くような穏やかな顔で最期を迎えました」

などなど

涙ながらに話されるご家族

私もつい涙腺が緩みます

 

ボランティアさんのピアノ演奏ののち

私はおわりのあいさつをさせていただきました

 

若干の修正を加えてご紹介いたします

 

 

本日はご参加していただき有難うございました

多くの大切なお話を聞かせていただくことができました

 

  • この機会に緩和ケア病棟の開設への簡単な道のりをご紹介いたします

色々な事情から空いていた5階病棟をどうすれば有効に生かすことができるのか、職員・組合員が長い時間をかけて話し合ってきました

その結果緩和ケア病棟が患者さんや地域の要求にこたえる一番の道だろうということで約1年間の準備期間を経て、2年前の6月にオープンしました

 

  • 私が医師になった1970年から80年代にかけて、一般病棟での医療では大きな4つの課題がありました

これは大先輩の柏木哲夫先生からの話です

  1. 感染症にたいして抗生剤、心停止があれば心臓マッサージという一種のパターン化された医療があったこと
  2. 急性期病院の大部屋では終末期を迎えられた患者さんが取り残されていたこと
  3. 多くの職種でチームを組むということが困難であったこと
  4. 個室が少なく、ご家族のための部屋やスペースがなかったこと

などいよいよの時を迎えられた患者さんのケアにふさわしい療養環境が不十分でした

緩和ケア病棟はこれらの課題を解決するためにも必要だったのです

 

  • ご家族の皆さん方はそれぞれたくさんの感情をお持ちだと思います

つらかったこと、うれしかったこと、様々にあったでしょうし、現在も続いている方もいらっしゃることでしょう

今みなさん方が感じられている感情はごく自然なものだと思います

たとえば、

「大切な人が夢にあらわれた」と話されたご家族がいました

「誰もいない家に帰って、しぜんとただいまと声をかけてしまうんです」

「これまで使っていた日常品―歯ブラシや靴、洋服などをそのままにしています」

「体の半分をもっていかれたような気持ちです」

「いっしょに行った所を再度訪ねてまわりました」

など様々なことを経験されていることでしょう

私も大切な人を見送った経験から言えることです

でもこれは決しておかしなことでなく、どなたにも訪れることなのです

この経験や感情を大事にしてください

 

細川宏先生という東大教授をつとめられ44歳で癌のために亡くなられた方が詩集を出されています

その中の一部をご紹介します

“時の力”という題です

 

「この世の中に

神というものが存在するのかしないのか

それは僕にもよく分からない

ただ言えることはね 君

神のような力をもったものはたしかに存在する

それは時さ

時の経過の持つ神秘な力さ

耐えがたい苦悩と悲痛も

時の経過だけがそれを和らげ

癒してくれるのだ

よきにしろ

あしきにしろ

一応の決着をつけ

不思議な追憶の美化作用で粧ってくれるのだ

時の経過のもつ神秘な治癒の力

その力を信じて

暫しこの身を病苦の跳りょうに委ねることにしよう」

(「詩集 病者・花」細川宏遺稿詩集より)

 

  • 今回家族会に参加していただいた方々からお話をきかせていただき、私たちもこれからのケアへの励みになりますし、勇気づけられる思いです

またよろしければ病棟にお顔をみせていただければうれしいです

今日はほんとうにありがとうございました