家族会の場で私も少しお話をさせていただくことができました

そのときのメモをもとに、いくらか膨らませて載せておきます

 

大切な人を見送った後の心の変化は誰にでもおこるものです

たとえば次のようなことがあります

 

(1)お別れのお葬式がすみ、人が離れていき、普通の生活に戻らざるをえなくなります

またそのことを社会からも求められることになります

そうするととたんに自分ひとりが「孤独感」の中に放り込まれたような気持になることがあります

そんなとき周囲のサポートがほしいのです

たとえば一緒に食事に行くとか、故人を偲ぶ食事会をする などを求めたくなります

また男性に特有のことかもしれませんが、日常の生活に簡単にはなじめない、たとえば「ゴミだし」や「公共料金の支払い」「部屋の掃除」など、どうしていいのかわからないことだらけです

 

(2)できることならもう一度だけでも会いたい、あなたのことを決して忘れたくない という想いが強くなります

写真を手帳や財布にいれてつねに持ち歩き、いつも一緒にいたいと思うのです

車を運転していてもつねに隣にいることを感じて、横に座っていると勘違いをして声をかけてはっと気づくのです

朝出かけるとき、「行ってきます」と声をかけ、夜仕事を終えて帰ってくると「ただいま」と…

ブログ第一集のP17に「亡くなったご主人が夢に現れる」というお話を描きました

 

(3)故人が大切にしていたもの、日常に使っていたものを簡単には整理できません

…洋服やネックレス、靴、歯ブラシ・・・

まだ大切な人の気配を感じていたい

もしかすると帰ってくるかもしれない

と信じています

ともに行ったことのあるレストランや美術館、映画館に行き、過去の思い出に浸ります

 

(4)多くの方々は後悔におそわれます

「これでよかったのだろうか」

「悪くなることがわかっていればああしてあげればよかった」

後悔することは決していけないことなのではなく、当たり前のことなのです

よく考えてみましょう

私たちはそのときには最善をつくしているはずなのです

 

(5)故人ができなかったこと、したかったことを代わりに行っている人がいました

仕事を引き継がれたご家族がいました

大切な人が私たちに残してくれたものに思いを馳せる時間が必要で、その中からきっと残された仕事ややり残されたことに気づかれることがあるでしょう

 

実はこれらのことは、私も体験してきました

誰にでも訪れることであり、決しておかしなことではないということを理解す

るまでに多くの時間がかかりました

 

しかし一方で、この体験は「自分だけのもの」でもあります

自分の言葉にすること、親しい人に静かに話を聞いてもらうことも大切なのです

 

家族会がその一つの機会になればいいなと考えています

 

 

 

初めての家族会を開きました

病棟のナースや臨床心理士さん、それにボランティアさんの時間をかけた準備のおかげでとてもいい集まりになったと思います

20名近くのご家族が参加されました

自己紹介にはじまり、病棟の日常のスライド、テーブルに分かれてのそれぞれのご家族との会話、フルートの演奏と盛りだくさんでしたが、印象に残るものになったのではないでしょうか

138-01

家族会または遺族会に参加する事の意義は色々と述べられています

たとえばつぎのような記述がありました

――悲しいときに涙を流し、うれしいときに笑える自分を、みずからが許せると感じたとき、それはその人の「生きる力」となっていく、「あるがままの自分」を認められたとき、人は生きるきっかけを得ていく――

(「緩和ケア」Vol27.No2)

 

参加されたご家族からは、

「ずっと笑顔でした。亡くなるその日まで冗談を言っていました。やすらかな顔をしていました」

「病院の前を通るのがつらくて、遠回りをしています」

「亡くなった家族の分まで元気で生きていきたい」

「納骨はまだなんです。(亡くなった)夫とは日常の出来事を毎日話しています」

「ここにくるまでがすごく苦しそうでした。入院してから穏やかで、看護師さんたちが優しく、心が軽くなりました」

「父は娘と妻の手を握って旅立ちました」

「もっと早くここにくればよかったと思います」

「(故人は)息子を待っていたようです。その後の息子の人生が変わったように思います」

などたくさんの言葉や話をいただきました

 

準備もたいへんですが、今後も続けていければなあと、つよく思いました

看護師さんたちがんばりましょう!