緩和ケア病棟の看護を担当します、中西です。

現在は一般病棟で働きながら、緩和ケア病棟開設に向けての準備に取り組んでいます。今年、緩和ケア病棟がある他の病院の研修に参加してきました。今まで一般病棟しか経験のない私だったので研修で学ぶ緩和ケアへの考え方、症状緩和の為の薬剤の使用方法や看護に至るまで、すべてが今後緩和ケア病棟を開設するにあたって、とてもよい学びとなりました。

もちろん、今までも終末期の患者さんに関わることも多々あり、いつも患者さんやご家族に寄り添いたいという思いで看護してきました。しかし、一般病棟では検査や手術、様々な治療をされている方の対応に追われる為に、ゆっくり患者さんやご家族の思いを聞き、それに応えることに限界がありました。しかし緩和ケア病棟ではそれらをかなえる事ができます。

研修を終えて、人と人のつながりの大切さや命の尊さを改めて考えるようになりました。緩和ケア病棟は末期癌患者さんが「最期の時」までを精一杯、自分らしく生き抜く所です。私たちが作っていく緩和ケア病棟が最期に過ごす場所としての選択肢の一つとなれるよう、そして患者さん自身が様々な人生の決断をされる場面で、そっと支えられるような看護師集団でありたいと思っています。

最後に、緩和ケアに興味のある看護師の皆さん。まだまだ手探りの状態ですが、私たちと一緒に協同病院の緩和ケア病棟を作っていきませんか。

 

医療にたずさわっていると忘れ難い患者さんやご家族に出会うことがたくさんあります。

私にも印象に残った患者さんやご家族があり、その中でも思い出深いある男性Aさんとその奥様の話をしましょう。

Aさんは何年も肝臓の病気で通院されていました。最初はなぜか固い雰囲気を感じたのですが、実際に付き合ってみるといつもニコニコとして「先生こんにちは」と元気な声で診察室に入ってきます。彼の職業が一見そのような雰囲気を漂わせていたのでしょうか、すぐに親しい患者さんになりました。

たまたま受けた検査でがんが見つかりました。それからの約10年間、病気との闘いの連続でした。Aさん自身は闘っているという意識はなかったのかもしれません。けっして悲観的にはならず自分のことよりも家族への気遣いをいつも見せていました。

永遠の眠りにつく1年前、仕事中に手のしびれと首の痛みを覚えました。首の骨にがんが転移していました。当時通院していた大きな病院の医師の勧めもあり抗がん剤治療や放射線療法をはじめ様々な治療をうけましたが結局は手術が必要ということになったのです。その後腰の骨への転移も見つかり手術を2回受けました。さらに食欲が落ちて体力の低下から肺炎を合併し、つらい治療が延々と続いたのです。

 

――治療は家族のために

普段は明るいAさんも治療の連続で何度か気持ちが落ち込むことがありました。「もう自分はあかんと思う」と弱気な言葉を家族に告げることも何度かあったようです。でも奥様をはじめ息子さん、娘さんたちは励ましました。すると途端にAさんの表情がパッと明るくなるのです。

つらい治療だけれど家族のために受けることを決意したのでしょう、と奥様は後に語ってくれました。

そのとき阪神淡路大震災で焼失した家を建て直したエネルギーが蘇ってきたようでした。

 

――言わないといけない人の身にもなって

ふたりは主治医から突然「今年の夏まで持ちませんよ」と言われました。

病室にもどってから奥様は腹が立ってしかたがなかった。「パパ、厳しいことを言われたよね」何で急にそんなことを言うの?という思いが口調に現われたのか、その言葉を聞いたAさんは思いがけないことを告げました。

「ママ、患者にそのようなことを言わないといけない医者の身にもなってあげろよ」

この人はどこまでいい人なんだろうって奥様は思ったそうです。

手術後のリハビリも一生懸命に取り組みました。担当の理学療法士さんは「いつもニコニコされていますね。奥様もいっしょに笑って…」

看護師さんは嬉しそうに言います。「おふたりをみているととっても微笑ましく思います。用がなくてもAさんの部屋につい来たくなるのですよ」

 

――ずっと日記を

話は前後しますが、Aさんがいなくなってから奥様はずっと日記をつけています。今日はこんなことがあったのよ、こんなことを思ったのよと。

48年間ずっと仲のいい夫婦でした。

10代のときに駆け落ち同然の状態で一緒になり苦労もいっぱいしましたが、幸せな生活でした。心臓の病気をかかえながらもたくさんの子どもたちにもめぐまれました。

阪神淡路大震災では自宅は火災で焼失、近くの中学校に家族みんなで非難しました。しかしAさんは家族を無事に避難させると、すぐに近所の人たちの救援に駆け付けたのです。多くの男の人たちが避難所にとどまっているというのにです。とても男気のある人でした。

 

――これ以上の治療は難しくなって

主治医からは在宅での療養を勧められ、私のところに紹介されてきました。私は元気な頃のAさんの担当をしていたこともあり、時々スーパーなどでAさん一家と出会うこともあったのですが、久しぶりに出会ったAさんはやはり明るくあいさつをしてくれたのです。「先生久しぶりです。よろしくお願いします」

病状は芳しくないことを前医からの情報で知っていましたが、元気な顔を見てほっとしたものです。

でも病気は間違いなくAさんの体を蝕んでいます。ベッドの上で静かにしていると大丈夫なのですが、少しでも動くと痛みが襲います。「痛くないですか?」

「いえ大丈夫です。でも動くと痛いので痛み止めを飲んでいます」

麻薬の副作用対策のための吐き気止めや便秘の薬などたくさんの薬を飲まれていました。また鎮痛補助薬という作用の薬も出ています。これらの薬のためか時々うとうとされるのですが、話しかけると笑顔で返事をしてくれました。

往診の開始です。

 

――よく知った病院だから安心して入院できた

幾度か往診をさせてもらいましたが、痛みと眠気のコントロールが難しくなり提案をしました。

「いちど病院に入院をして症状のコントロールをしませんか? 落ち着けばまたお家に帰ってきましょう」

Aさんは了解してくれました。

入院は私たちの病院に決まりました。

「いままでよく知っている病院で、先生も看護師さんも親しい人だから安心でした。そして幸せでした」と奥様はのちに振りかえっておられます。

この日には帰ろうねって約束し、目標にむけて頑張ったのに病気の勢いのほうが勝ったのです。

 

――手をにぎって!

子どもたちが集まってきました。

Aさんは一人ずつ病室に呼んで話をします。

「俺が病気になって家族みんながまとまったなあ」

息子さんは「自分がパパのかわりになったほうがどれだけ楽か…」涙を流し続けます。

でも奥様にはとくに話はありませんでした。

実は遠くに逝ってしまう4日ほど前、ふたりだけのとき、「旅立つ時にはつよく手をにぎってな」とお願いされていたのです。

とてもしんどそうにしていた日などには「パパ、今夜は泊ろうか?」と訊ねると、子どものように嬉しそうに笑ってくれました。

 

――家族みんなで体を拭いて

とうとうお別れです。

娘さんは職場でお休みをもらい付き添っていました。

息を引き取ったあと、家族みんなでAさんの体をきれいにしました。ゆっくりと、ていねいに…。

奥様は自宅で療養していた頃のことを思い出しました。

何かがきっかけだったのでしょう。ある人に嫌な顔をしたことをAさんに指摘されました。

「人にしてあげたことは忘れてもいい。だけど人からしてもらったことは絶対に忘れちゃだめだよ」

「これがパパの遺言だったと思います」

 

いつもパパのことを思い出します

とても優しいひとだった

いつも笑顔だった

男気のあるひとだった

……

 

――生きられなかった時間を、自分が

「やっぱり人は生きて来たように死んでいくんですね」

奥様は遠い目をして話されました。

「夜ひとりで寝ていると、急に目覚めることがあったの。天井に白いものが見えてきて、その白いものに体が包まれるの。とってもあったかいものに…。あれはきっと…」

 

……亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚……

――長田弘詩集“詩ふたつ”あとがき より

 

Aさん、あなたのもっとあるべきだった時間を私たちが引き継いで生きていきたいと思います。

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私たちが準備を進めている緩和ケア病棟では、ほとんどの施設がそうであるようにがんの患者さんが対象です。

がん検診の是非に関しては様々な議論が行われていますが、実際にがんと診断された患者さんやご家族と話をしていると、進行した状態で発見されるよりも早期に診断されたほうがはるかにメリットが多いと感じています。

ある検査や治療法についてEBMに基づき予後に優位差がないと言われていても、一人ひとりの患者さんのこれからの人生を考えるとEBMから判断された方針を提示することに説得力をもたせることはなかなか困難です。

そういう理由で私たちは医療生協の組合員さんたちに積極的に健診を受けていただく運動をすすめています。そのために健診料金をできるかぎり抑えたり、何人か集まれば送迎を行ったりと様々な工夫をしています。

しかし、みずからすすんで健診を受けようという意識の高い人は多くありません。「胃カメラは苦しいと聞いている」「症状もないのにわざわざ病院にいく時間がとれない」など理由はいくらでもあります。

たしかに病院は一種の「ブラックボックス」です。そこでは何が行われているのかわからない、意味不明の言葉を医師や看護師が使っている、検査は痛いのじゃないかなどなど。

そこで私たちは健診ってどんなもの? どのような検査が行われているの? 医師の診察って? などの疑問に答えようとDVDの作成に取りかかりました。

もうすぐ完成の予定です。撮影も登場人物も病院の若手職員(大半は20歳代)中心です。彼・彼女たち感性に驚いています。

出来上がれば病院のホームページにもアップする予定です。

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10月19日、阪神タイガースが日本シリーズ進出を決めた翌日!

空は快晴で気分よく病院周辺の医療生協組合員さん宅の訪問活動に参加しました。

 

病院への要望をお聞きし、緩和ケア病棟建設と12/14の市民講座のお知らせをし、健診へのお誘い……

延べ130人以上の組合員と職員の参加がありました

私は午後から参加です

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参加者の打ち合わせ

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午前の参加者には昼に特製カレーでおもてなし

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チームを組んで訪問

「お元気ですか? 今度緩和ケア病棟が…」

若い職員も一生懸命訴えます

 

この取り組みではたくさんの教訓を得ることができました

病院への率直な苦情も今後の改善のためには大切な宝物です

 

独りよがりの医療にならないためにも、まとめをしっかりと行います

 

 

神戸協同病院では医療、看護、介護の分野に関わる職員で認知症の学習会を続けています。

医療生協組合員さんたちの認知症予防の取り組みがねばり強く行われ、相談相手としての職員への期待や要望が出されていました。また日常の患者さんとの付き合いでも認知症への理解と対応が求められる場面が少なくありません。

このような状況のなか、関心をもっている職員へ呼びかけ定期的な学習会を積み重ねてきました。

一冊の書籍を分担して読み終え、症例検討を行い、地域で実践している人や「認知症の人と家族の会」からのお話を聞かせていただいています。

 

このたび「ユマニチュード」について勉強しようということで集まりました。認知症の人のケアをするため、フランスのイブ・ジネスト氏とロゼット・マレスコッティ氏の二人によって開発されたそうです。

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分かりやすく書かれた本です。DVDもあります。

ここに詳細を述べるよりも実際に読んでいただいた方が理解できるでしょう。

 

ユマニチュードの4つの柱を学びました。

人としての尊厳を取り戻すためには『見る』『話す』『触れる』『立つ』ことの援助が必要だと述べられています。

緩和ケアにも通用することが多い内容だと思いながら報告者の話を聞いていました。

 

次回は12月ごろに、より実践的な勉強をする予定です。

医療・介護の従事者で関心がある方はぜひご参加ください。