前回のブログの最後に積み残し課題を書きました

引用します

 

「病状を『受け止めきれていない』と思われている患者さんがいます

しかし、今の苦痛の原因を知ることのみが目的ではないように思います

・ こんな状態になってしまったことが、悔しい、情けない、腹立たしいという思いをぶつけたい気持ちに共感する努力がいるのでは?

・受容が必要と言って、悪い病状を繰り返し説明することで、患者さんの小さな望みをつぶしてしまっているのでは?

などと考えてしまいます」

 

今回このテーマで考え、また反省したことがあります

今までのブログと比べて過激な表現となってしまっている部分がありますが、お許しください

 

(1)Bさんの出来事

 

私にとって緩和ケアがまだまだ手探りの時期のことでした

 

Bさんは50台の男性です

病気が見つかったのは約1年前

食欲がない状態が続き近くのかかりつけ医を受診、そのまま大きな病院に紹介となりました

すでに多数の臓器に転移しており、抗癌剤治療の選択となりました

予後は約半年と言われたそうです

それから1年が経過

るい痩の進行、腹痛の悪化で私たちの病棟に紹介入院となりました

 

食事はあまり口にできず

突然の痛みに悩まされています

医療用麻薬の量がだんだんと増えてきました

 

そのような状況でのBさんの声です

「どうして食べれないのか?」

「なぜ痛みが続くのか?」

「なんでこうなってしまったのだろう」

と毎日のように繰り返されます

 

私たちのカンファレンスでは

――Bさんは病気の悪化を十分に受け止めきれていないようです

――今まで何度も説明をしているんだけれどね

――「私はまだ生きたいんです」とおっしゃっていることもあります

――残された時間はおそらく1~2か月とあまり長くないのになあ

――Bさんにとってはきっとやり残したことがあるんじゃないでしょうか

・・・・・

――繰り返し話をしないといけないのかな

というようなやり取りが何度か行われました

その結果Bさんの気持ちを大切にしながらも、「病状の受容」が必要だろうという点に落ち着きました

 

医師からは検査の結果説明や現在の状態を詳しくお伝えし

看護師からはしておきたいことはないか、あっておきたい人は…

など折に触れて話をしました

 

Bさんはそのつどうなづかれ、わかったと返事をされるのですが

数日すると同じ望みや悩み、心配事を話されます

 

病気と今後のことへの不安がそうさせているのではないかということで

抗不安薬に頼ることもありましたが、眠くなってしまうだけで解決にはつながりません

 

ある日のこと

一人の看護師さんがベッドから起き上がれなくなったBさんの清拭をしているときです

……わたしのきもちをわかってほしい……

か細い声でBさんがぽつんと漏らされたと報告を受けました

 

Bさんはそれから一層苦痛が強くなり

Bさんの希望、ご家族の思いを聞き

私たちの話し合いを経て

持続的な鎮静が開始され

1週間後に旅立たれました

 

2か月ほどのお付き合いの中で、Bさんが言葉にできなかったこと

最後に看護師さんに漏らした言葉

などを振り返り

いま、たくさんのことを反省しています

 

1.Bさんの思いや希望をないがしろにしてしまったのではないだろうか?

 

医療者は患者さんに対して病状や置かれている状況を正しく受け止めていることを求める傾向にあります

患者さんからの反応が「いま一つ」と思ったとき、こちらからの説明が繰り返しーこれでもかというようにー行われることがあります

当事者は決してそのようには考えていないのですが

その結果患者さんのわずかな望みをつぶしてしまうことがあるのではと思ってしまいます

 

というのも

患者さんたちはご自分が悪い状態であることをほとんど本能的に感じているときであっても、おそらくは「少しでも生きたい」という希望を持たれているのではと感じさせられる場面に出合うことが少なからずあります

そのときに医療者としての役割を自覚しながらも、一方的な対応とならずに患者さんの世界に飛び込んでみる努力が求められているのではないでしょうか?

2.Bさんへの期待(何かしたいことがあるはず、それを私たちは叶えてあげたい)がBさ

んにとって重荷になってしまっていたのでは?

 

終末期医療や緩和ケアの書籍や文献がたくさんでています

マスコミで闘病記が紹介されることが多くなりました

無意識に患者さんの生きざまを私たちの枠にはめてしまうようなことはないでしょうか

 

ある患者さんが言われたことがあります

「私はもう何もしたいことはありません。ただこのベッドでゆっくりと身体を休めることがいちばんの幸せです」

「みなさん親切にしたいことを見つけましょうと言ってくださいます。でもわたしはしんどさが強いのでどうしても今できることしかできないのです」

そして

「自分の生き方は自分で決めたいと思っています。強いられたくないのです」

としんみりと話されたことがありました

 

3.Bさんの気持ちをきちんと聴けていたのでしょうか?

Bさんは医療者からの話を聞かなくなってしまったようにも感じました

 

最近読んだ本につぎのようなことが書かれていました

「医者とか看護師さんは私(患者さん)が話をするとすぐ『そうですよね』とか『わかります』とか適当に相槌を打つんだ。でもあなた(目の前の看護師)はただ黙って私の話を聞いてくれた。ありがとう」

・・・・・患者さんの気持ちに応えることができず悔しさで何も言えないまま立ちすくんでしまった若い看護師さんに対しての患者さんがかけた言葉

 

こちらからの気持ちをよかれと思って一生懸命に伝えても患者さんには響かないことがあります

そのようなとき気持ちを切り替えて患者さんからの言葉を静かに待ってみることが必要なのでしょう

 

(2)私の家族の話から

 

ずっと前のことです

私の家族が重い病気になったとき

本人からの言葉を文章にまとめたことがあります

看護師をしていた本人の言葉をそのまま掲載します

 

 

――私はいわゆる病気の「受容」はできていません。キューブラー・ロスの死にゆく患者がたどる心理的プロセス(否認⇒怒り⇒取引⇒抑うつ⇒受容)の話を引き合いに出しますが、私は行きつ戻りつ何かあるたびに何度もこの過程を繰り返しています。ささいなことで気持ちは揺らぎ、怒りや否認という段階に戻ってしまう。自らの体験を通して人は病気になったとき一人ひとり反応は違うのだと初めて気づきました。私は今まで教科書的に理論やデータに当てはめようとしていたのです。科学的な見方はとても大切です。でも忘れないで。患者さんには心があり、身体も一人ひとり特別なのだということをーー

 

――私の受け持ちの看護師さんはとてもよくできた人です。静かな物腰で、丁寧な言葉遣いのできる人でした。ところがあるとき血圧を測ったあと、「これからしばらくはゆっくりとされればいいですよね。これまでがんばってこられたんだから」といつものやさしい声かけをしてくださいました。

でもこの言葉に腹立たしさを覚えました。≪あなたが優しさで言ってくれたことは十分に分かっているのよ。でもあなたは私がこれまでどんなふうにがんばってきたかは知らないでしょう? 私は今の仕事・・看護や介護・・が本当に大好きなの。休みたいと思って休んでいるんじゃないのよ!≫ そして「どうするのかこれから考えます。働き続けられるのか、退職するのかも含めて・・」と答えました――

 

――後輩たちに対して⇒「『私に何かできることはありませんか?』『お聞きになりたいことはありませんか?』と患者さんに声をかけてあげてください」――

 

ここで強調しておきたいことを二つ見つけました

「受容とは何なの?」

「私のことをどれだけ知っているの?」

 

(3)上記ふたつの経験を通して「いのちと家族の絆」(沼野尚美著)を参考に考えてみました

 

☆私たち医療者はともすれば現実の厳しさを患者さんが受容できるようにお手伝いすることを優先しがちです

これまで出会ってきた患者さんから学んだことは、「どのような状況であっても生きたいという望みを持っている人は少なくない」ということです

昨日よりも少し気分がよければ「奇跡が起きるんじゃないか」と期待を持たれていた人がいました

そんなことは考えられないと否定するのではなく、そのわずかな期待や喜びをともに共有することが大切であり、支えることのひとつではないでしょうか

過激な言い方をすれば「希望をたたきつぶさない」ということです

 

☆患者さんが望むことを全部叶える努力をするということではなく、反対に患者さんの人生観をないがしろにして医療・看護を行うことでもない

一人ひとりの状況に合わせた最善を尽くしながら、患者さんが生きる支えとなることが私たちの役割だと気づきました

 

☆沼野さんの文章を引用します

「患者さんにとって、いまさらながら癌になった原因を知ることが目的ではないことが多いのです。むしろ、原因がどうあれ、こんな状態になってしまった、悔しい、腹立たしい、情けない気持ちを誰かにぶつけたいと思っておられます。その腹立たしい不本意な思いに共感する努力をしなければなりません」

「人はどうすることもできない状況のとき、自分の気持ちをわかろうとしてくれる人を求めます。なぜならば、気持ちが理解されることは、心の癒しだからです」

「病める方には『なぜ、なぜ』と何度も言わせてさしあげてください」

「私たちはこの問いかけとつきあっていく覚悟をもたなければなりません」

 

・・・大切な内容が書かれています

 

☆そして…

悩みがある人に寄り添うための秘訣は、「その人のことを理解しようとする」こと

「その人のことを知るためには、きちんと尋ねる必要がある」

とのことでした

 

 

ただ限界も感じています

たとえば急に病状が悪化して入院となった方、短い入院期間の方、コミュニケーションができる時間が短い方 が多い病棟です

今の緩和ケア病棟のあり方の中でどこまでのことができるのか試されています

 

――――いつも中途半端な文章で終わってしまい、消化不良を免れません

さらに考えを深めていきたいと思います

 

⦅追加⦆

「下町の緩和ケア病棟」として日常の出来事を書いてきた文章が今回で100回目となりました

これからも気が付いたこと、気になったこと、悔しかったこと、感激したことなどをちょっとずつ残していきます

360-01 

8月のブログでマッサージのことを少し書きました

今回その点について考える機会がありました

 

(1)Aさんの話

 

Aさんは高齢の方です

ご家族が入院に向けての面談に来られたとき、「不安がとてもつよい人です」「家族が外出したときには『早く帰ってきて』といつもお願いをされます」と話されていました

数年前に病気がわかり、そこから手術や抗癌剤治療を続けられ、体力の限界を感じてきたときに緩和ケア病棟を勧められました

長年にわたる病気との付き合いで疲れ果てているのでは、きっと不安でいっぱいだろうなとAさんの姿が想像されました

 

面談から約1か月後、Aさんは私たちの病棟にやってこられました

 

検査で全身に転移が見つかり

痛みと下肢のしびれをとくに訴えています

 

医療用麻薬をはじめいくつかの薬の組み合わせで痛みはいくぶん和らげられたようです

 

しかし病気の進行を止めることはできず

ふたたび痛みと下肢のしびれや麻痺が悪化してきました

 

 

――カルテから拾ったAさんの言葉と看護師さんたちの記録から;

 

「脚が動かなくなった。痛みもしびれも熱い冷たいもわからない」

「看護師さんが病室にこられるときには毎回脚のマッサージをお願いしますね。マッサージを続けていれば動くようになるのかなあ」

「(脚を)さすってもらったら気持ちがよくなる」

「風呂に入っているときには体がふわっと浮いて力が抜けて楽になるんです」

 

看護師さんたちは症状が少しでも軽くなるならと、そのつどマッサージをします

 

Aさんは「病状の受け止めが十分にできていないのかな」と主治医は何度か丁寧に説明をしていますが、「マッサージで脚が動くようになるのでは」と期待を捨てきれていない様子です

 

もともと不安のつよいAさん

コロナ禍で面会の制限があり、一人病室で過ごされる時間が長く

不安がいっそう掻き立てられるのではと思われました

医師からも看護師からも病状の話をし、そのときには「わかりました」と返事をされるのですが、表情は険しいまま

・・・不安に寄り添う看護が必要とカルテに記載されています

 

さらにカルテ記載から

・・・午前中は不機嫌な表情であったが、マッサージなどをしていると表情が穏やかになる。看護師がAさんのことを気にかけているとわかればストレスが緩和されるのか

他職種の関わりも増やし、何かしてもらえていると伝われば落ち着いて過ごすことができるのでは

とリハビリスタッフもかかわりをもってくれることになりました

 

――受け持ちの看護師さんに聞きました;

 

*自分のことを気にかけてほしいAさん

他の患者さんのケアの必要から病室を変わることになり、ナースステーションから離れることで「見放された」と思ってしまったようです

*不安感のつよいAさん

「そばにいてほしい」

「人と話がしたい」

看護師さんがマッサージをしながら病気に対する心配事を聴き、日常のテレビの話など雑談も交えて話をすると、最後には笑顔が見られることがあります

*看護師さんの思い

脚が以前のように動くことは難しい

でもマッサージをすることで気分が落ち着き、自らのことを整理する時間を作ることができればと思っています

難しいですが、メンタル面でのケアの必要性を感じています

*主治医から指示をもらい薬を勧めましたが、「薬はいいからさすってほしい」と言われます

 

このようなケア・看護を粘りづよく行っている姿をみて

とてもかなわないなあ・・・と

つくづく実感しています

 

(2)「タッチング」について

いくつかの文献を調べてみました

 

医療(とくに看護)分野では「タッチング」という言葉があります

―手を当てる、さする、もむ、圧迫する、軽くたたく などです

臨床の現場では重要な技術の一つであり、安心・安楽を与える非言語的コミュニケーションと言われています

 

その目的と効果は、いろいろと書かれていますが、私は次の3点が大切だと思いました

以下の記載は次の資料を参考にしています

https://kyotoohara.or.jp/recruit/nurse-blog/nurse-touching.html

 

<一つは、痛みや違和感を緩和すること>

これまでも腹痛や腰背部痛が看護師さんのマッサージやタッチングなどで緩和されている場面を何度か目にしました

痛みだけではなく呼吸困難や吐気も和らぐようです

 

<二つ目に、不安を解消して安心感を与えること>

Aさんに対するマッサージはまさしくこの効果が大きいようです

私の経験でも、身内が重い病気になったとき足裏をつよくマッサージすることで心地よい眠りを誘うことができたことを思い出します

さらに不安のつよい時、そばにいてくれるということは安心の保証となっています

 

<三つめに、お互いの信頼関係を築けること>

看護師さんのカルテにあったように、雑談からでもたくさんの話ができ、患者さんの心を開くことにつながるのではないでしょうか

Aさんの胸の中にたまっていることを少しずつでも出してくれることができればと思います

 

 

医師としては「薬に頼るしか方法がない」と思ってしまうことは間違いだと気づきました

 

ある本に次のような出来事が書かれています(一部略しながら引用します)

 

――〇〇さんは吐気に悩まされていました。吐くものがないのに吐気が止まらず眠れない。夜中に背中をさすってもらうと落ち着くということがあって、総合病院に入院していたとき看護師さんに「ちょっと背中をさすっていただけたら楽になるのですが」とお願いしてみました。ところが「それは薬ですべてやります」、そう言われてにべもありません。

(中略)

その後にホスピスに入院して、家族が泊まり込み夜中に〇〇さんの背中をさすってあげていました。それを見た看護師さんが「やりますよ」と言ってくれ、たびたび〇〇さんの背中をさすってくれました。

――言葉をかけてくれたり、見に来てくれるだけでは不十分なんですよ。ちょっとでも触れたり、さすってくれると、患者はどれだけ楽になれることか……

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(3)文献のレビューから

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsnas/8/3/8_91/_pdf

このサマリーから引用します

 

「(文献の総合的レビューから)ストレス状況下における看護師によるタッチにはストレス、不安、苦痛を軽減する効果があること、ナーシングホームやホスピスの入居者、がん患者へのハンドマッサージやフットマッサージには安楽や症状緩和の効果があること、全身/背部マッサージにはリラクゼーション、疼痛緩和、皮膚温上昇の効果があることが明らかにされた。また会話しながらのタッチは会話のみの場合よりもストレス緩和の効果が高いなどの実践への示唆が得られた」

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(4)積み残した課題

 

今回マッサージ/タッチングに関していくつかの角度から考えてみました

その中でテーマとは直接には関連するものではありませんが、これからの課題として考えてみなければいけないことが浮かんできました

 

※病状を『受け止めきれていない』と思われている患者さんがいます

 

しかし、今の苦痛の原因を知ることのみが目的ではないように思います

・ 「こんな状態になってしまったことが、悔しい、情けない、腹立たしい」という思いをぶつけたい気持ちに共感する努力がいるのでは?

・受容が必要と言って、悪い病状を繰り返し説明することで、患者さんの小さな望みをつぶしてしまっているのでは?

などと考えてしまいます

 

※私たち医療従事者の仕事はますます忙しくなっています

 

だれかにそばにいてほしい人がいて、必要なときにその人の為に時間をつくること(ある先輩医師は「時間を注射する」と言っていました)はできる努力ではないのかと、私のこれまでを振り返りながら反省する毎日です

 

難しい課題ですが、引き続き考えていきたいと思います

 

コロナ禍の影響で思うような取り組みができなくなったことはこれまで何度も書いてきました

 

それでもご家族のみなさんが10分間という制限の中での面会を有効に使っておられ、その姿をみるたびに頭の下がる思いをしています

 

「大好きなものなら食べてくれると思って」と食欲の低下した奥様のために慣れない調理をして差し入れされているご主人

「小さい孫の面会ができないのなら、スマホの中だけでも会わせてあげたい」と準備をしてこられたご家族

毎日決まった時間にやってこられ、限られた時間でご主人のマッサージを一生懸命にされている奥様

仕事をもちながらも順番を決めて交代で会いに来られる娘さんや息子さん

 

それぞれが思い思いの方法で病棟に上がってこられます

 

 

余命がいくばくもないと思われた患者さん

ご家族の声かけや励ましにより

私たちが予想した時間よりもはるかに落ち着いたときを過ごされました

私が声をかけても反応が見られないのに、ご家族が話しかけると

顔を向けられたり

目を開けられたり…

 

 

「家族みんながコロナに感染してしまい、行けなくなりました。その間はよろしくお願いいたします」と電話で病状をたずねられる方

 

遠くに住んでいて、また仕事が忙しくてと頻繁には来院されることが難しいご家族

来られた時には家族みんなの写真を持参され

患者さんのまわりをきれいに飾られていました

 

 

まったく身寄りのない患者さん

誕生日を迎えられたとき

スタッフみんなでお祝いをしました

 

 

1日の勤務を終えた夕方にもういちど患者さんのもとへ行くとき

今日はこんないいことがあったなあと振り返ることがあります

 

今日はどんな癒しがみなさんのもとに届いたのだろうと……

 

 

ところで 家に帰ってからの

私の癒しのもとはこれです

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ずっと昔のことになりますが

愛犬を見送りました

それからは犬や猫といっしょに暮らすことはいずれ別れも経験することになり

少しためらいをもったままでいます

 

 

このふたりなら…

だいじょうぶかな?

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指を口に入れると

優しく噛んでくれます

 

 

疲れたときやモヤモヤを抱えて帰ってきたときには

そっと人差し指を…

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以下の文章はスタッフのI看護師さんにいつものように「記憶に残った患者さんのことを描いていただけませんか」とお願いをして、忙しい中仕上げてもらったものです

 

看護師さんと患者さんとのコミュニケーションというテーマで述べられています

努力のあとが偲ばれる内容となっています

 

ほぼ原文のままですが、ごく一部だけ手を加えさせてもらいました

 


 

先生からこれまで出会った患者様の中で心に残った方を書いて下さいと依頼がありました。

どの患者様も様々な思い出があり、迷いましたが、3年前に入院されたT様との関わりの場面を書かせていただきたいと思いました。

テーマは「スピリチュアルペイン」です。

スピリチャルペインとは

‘自分自身の存在や生きる拠り所が失われたり揺らいだりした時に生まれる苦悩‘

‘自分自身というものを失う苦しみ‘

‘その状況における自己のあり様が肯定出来ない状況から生じる苦痛‘

 

その苦しみを表出された際

1.苦しい思いを語りつくす事

2.その語りつくす過程で、自己の思いが明確になり

3.苦しい事柄の意味の変更が始まり

4.新しい意味に出会う

 

自分自身の存在と生きる意味を失った状態、穏やかな気持ちで居られない状態そのものを受け止め支えていく姿勢が大切、とあります。

 

◆T様 50歳代の男性

痛みと食事がとれなくなったとのことで入院してこられました。

 

T様は美術教師の資格があるとの事でしたが、T様とお話ししているととても感受性の高い繊細さを感じました。

当時、緩和ケア病棟の病室の窓は換気が出来る程度にしか開ける事が出来ませんでした。窓はスリガラスなので外の景色は開いた窓の隙間からしか見る事が出来ませんでした。

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T様は「その窓はずっと開けっ放しにしておいて下さい。(隙間程度に開いた窓を指して)窓を開けていると気持ち良い風が入って来るので」と希望されました。

「この窓からアンテナが1本見えるんです」とT様。

私:えっそうなんですね。アンテナが1本?

「と、細い空。」

ちょっとおどけたような、それでいて優しい笑顔を見せるT様。

 

T様はお話しをしながら時々涙を拭っていらっしゃる事がありました。

「リハビリをして少しでも歩けるようになって・・」といつも前向きに頑張ろうという言葉が聴かれても、やはりご自身のお身体の様子とこれからの事に対して何か感じるものがあるのだろうと思われました。

T様とお話しの中で、私はよく反復法というコミュニケーション方法を用いました。会話の中でT様の思いに触れていると思われる言葉をキーワードとしてそれを反復する事で‘確認‘していく方法です。

そうする事で心の中にある深い悲しみ、苦しみを少しずつ、語る事が出来、聴き手は自分の意見やアドバイスなしにひたすらその語りを聴く事に徹します。

私の手法では決して十分に傾聴出来たと言えない・・カルテを読み返すと反省する点が多いのですが、T様が語られる様々な、今、感じている事や心の中の辛い思いを聴かせていただきました。

 

 

(遠方からご家族が来られた後で)

 

T様「今日はありがとうございました。おかげでみんなに会えました」

私:とても仲良しのご家族ですね。

T様「そうです。みんなすごく仲がいいんです。父は身体が不自由ですが息子(孫)が卒業するまで頑張ると言ってくれています。母もうつ病で入院して、ようやく退院しました」

私:お母様はうつ病で入院されていたのですね。ようやく退院されたのですね。

T様「ええ、僕も病気になりこんな状態なので母は気持ちも辛かったようです。僕が病気になったから。父母は2人暮らし。近くに住む妹がよく見に行ってくれています。僕は神戸で遠いしあまり行けないので。妹に負担をかけていると思って・・」

私:T様がご病気でお母様もお気持ちが辛かっただろうと思うんですね。妹様がよく見に行って下さるんですね。T様は妹様に負担をかけているという思いがあるのですね。

 

――沈黙

 

私:お兄様の妹様への優しい思いが伝わるので妹様も頑張れるのだと思います。

 

T様(涙を拭って居られる)

 

この場面ではT様が、ご家族の事を何よりも大切に思われている事が伺えました。そのご家族に自身が癌を患った事で苦しみや負担をかけているという自責の念が言葉に表れていると思いました。

沈黙の後、私はついT様に言葉をかけてしまいましたが、沈黙はT様の心の中が揺れ動き、更なる思いを言葉にするチャンスでもあります。沈黙とは苦しむ人が重い自分自身の心の扉を開ける大切な時間です。長い沈黙の後の、その言葉に傾聴する事で、T様の心の奥にある思いをご自身で確かめる事が出来、それはT様自身で心の回復につなげる事にもなります。沈黙の後の言葉を静かに待つ事が必要だったと反省しています。

 

 

(別の日。トイレ後、廊下の北側の大きな窓辺に車椅子を設置し窓を全開にしてしばらく過されている)

 

T様「もう6月になった。今年も夏は暑いかな?・・部屋の細い窓を開けていると外の音が聴こえる。鳥の鳴く声や車の音、時々高速道路の音も。救急車の音も。」

私:部屋の窓を開けていると外の音が聴こえるんですね。鳥の鳴き声、車の音、高速道路の音、救急車のサイレンも・・。

T様「そう、それらの音を聴いているとなぜか安心するんです。人が生活している気配、小さい鳥とか動物とかがが生きてる感じがして」

私:人が生活している音とか、鳥や小さい生き物が生きてるのを感じる。安心するんですね。

T様(窓の外を見ながら頷きつつ涙を拭っている)

私:(そっと背中を擦る)

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私は人の生活音や普段うるさい高速道路や救急車のサイレンなどの騒音がT様にとって命の息遣いのように聴こえるんだな、それでほっとするんだな・・と感じながらT様の言葉を聴いていました。同時に気持ちの温かさや自然、小さい生き物の命を愛おしむT様の感性に触れさせていただきました。私はT様が涙される横顔を見て自然や人々、この世界の全てとの別れを予感し惜しまれているのでは?と感じました。T様の悲しみに対し何も出来ない自分を思いました。

NOT DOING BUT BEINGという言葉があります。

私は苦しむT様に対して何も出来ない、傍に居る事以外・・。

 

 

(翌日)

 

T様「下肢静脈エコー再検査で血栓が消えていたらいいですね。リハビリが出来れば・・下肢筋力が衰え、脚がとても細くなった。歩行器歩行くらい出来れば・・」

私:再検査で血栓が消えてリハビリが出来るようになりたいと思うのですね。私もそう願っています。

 

T様は歩行器で歩けるようになりたい、という希望と今は歩く事も出来ない、という現実があります。

 

~苦しみとは希望と現実の開きである~

表情は穏やかですが、T様の言葉は苦しみの表出だったと思われます。また、血栓が残存しリハビリが出来なかったらどうしよう、という不安もあったと思われます。反復法を用いた傾聴をする事でT様の不安や気持ちの辛さに傾聴しつつ、リハビリが出来なかった際、どのようにこれからの時間を過ごそうと思われるか、などを共に考える機会となり得れば、T様の不安(苦しみ)を希望に転換出来たかもしれない、と思います。T様の希望を失わないように、という思いが強く、‘私もそう願っています‘と、つい自分の意見を言ってしまいましたが、意見を言わずにただ傾聴する姿勢を保っていれば良かったと反省しています。

 

 

このように反省する事ばかりの傾聴となりました。傾聴する時‘患者様が自分の語りを大切に聴いてもらえたと実感出来る事が大切‘(広瀬寛子「心理的アプローチとグリーフケアのポイント」より)とあります。泣く事を支える、語る事を支える、怒る事を支える事が大切であると。

 

傾聴に関してまだまだ未熟な私ですが、T様との関わりをずっと胸に、患者様の語りに十分に傾聴する事が出来、受け止め、支えていく事が出来るようこれからも努めたいと思います。

 


 

 患者さんの言葉をじょうずに受け止めてくれています

私も見習わなければと…

I看護師さんが記録したカルテを毎日読みながら感銘を受けていました

 

その背景には上に述べられている努力があったのでしょうね

 

業務で忙しい中、ありがとうございました

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高齢のOさんは癌の終末期で入院していました

食欲がなく、1日中ウトウト

幸いにも痛みはありません

主治医からは余命は半月と言われていました

 

 

「コロナのために短時間しか面会がかなわず、大好きな母親を抱きしめてあげることができない」

娘さんたちご家族は覚悟を決めました

サヨナラの言葉を伝えたかったのです と娘さんは話されました

 

 

Oさんは自宅に帰ってこられました

しかし一人暮らしです

娘さんたちは交替でOさんの介護にあたるため順番を決めました

 

訪問診療は当院から

訪問看護も当法人のステーションから

ヘルパーさんとともに頻繁な訪問の開始です

 

私たちはいわゆる「在宅での看取り」と考えていました

 

 

ところが…

Oさんはメキメキと元気になってこられたのです

娘さんの「奇跡が起こってほしい」という願いが通じたのでしょうか

 

 

その時どきのカルテから引用します

 

「たくさん食べてくれるんです!」

「お肉を3枚、夜中に家族を起こしてパンを焼いてきてと言いました」

 

「奇跡が起こったのでしょうか?」

「とってもうれしい」

と娘さん

一方では

「でもいつか泣かないといけない日がくるんですよね」とも

 

ご家族みなさんでおむつ交換などをかいがいしくされています

ヘルパーさんを含めいつもどなたかがそばに付き添っています

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退院の2か月後には

ドライブに行くまでになりました

靴を履き、数歩歩くことができたとのこと

車内ではしっかりと自分で座っていたそうです

「グラタンもコロッケも食べました」

 

 

退院時にはまったく食べれなかったOさん

蘇ったようです

 

 

その後長女である娘さん以外のご家族は仕事やそれぞれの家庭のことがあり

今は娘さんお一人で介護をされています

 

 

「私は腰を痛め困っていたところ、ショートステイに受け入れていただくことができ、その間に休んでリフレッシュしています」

ヘルパーさんやショートステイの職員の方々には大いに感謝しているんです

と涙ながらに話されました

 

「ショートステイに行き、元気になって帰ってくるんです」

「職員さんからは『お一人で食事をされました』『間食も召し上がられていましたよ』と聞き、ほんとにうれしかった」

衣類の着脱が楽になったこと、娘さんの言うことを聞いてくれるようになったこと

笑顔で報告してくれます

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退院後すでに半年が経過しました

 

その間すべてが順風満帆であったわけではありません

何度か発熱、意識状態の悪化、黄疸の出現など危機的な状況に見舞われました

 

「今度は難しいかもしれません」

と私たちがお伝えし

娘さんはあらためて覚悟を決めています と号泣されました

 

しかし…

そのつどOさんは「復活」されるのです

 

 

今は

ねたきりで全介助ですが

お家を訪ねると

「こんにちは」とあいさつを返されます

寝ている時間は増えてきましたが

「食事はしっかりと食べてくれています」

「寝ていてもご飯ですよと耳元で声をかけると目を覚ますんですよ」

 

 

 

■Oさんが在宅で頑張られるわけを考えました

 

ひとつはご家族に対する想いです

「自分の子どもより先に死ぬわけにはいかない」と常々お話されていたとのこと

母親であるOさんと、彼女を取り巻く娘さん・息子さんたちの愛情をつよく感じました

生きようとする力の源となっているようです

 

もうひとつは

食べることへの執着ですと娘さん

退院直後から介護食よりも魚や肉を口にされ

好きなものを食べることで元気を取り戻してきました

病状は決して改善しているとは言えませんが

食事に関してはまったく何も心配がいらない状態です

 

 

 

娘さんは

病状が悪化すれば大いに涙され

回復すれば心から喜ばれ

Oさんと一心同体です

 

 

私たちはこれからも

Oさんと娘さんを支えながら

訪問を続けていきます