3度目の緊急事態宣言

休みの日は積み上げた本を開いてみたり

これまでの仕事の振り返りを行ったりしています

 

 

☆80歳代の女性でした

 

訪問診療や訪問看護を受けながらご家族と自宅で療養していました

ある時から痛みが強くなり

主治医は癌性疼痛の悪化と判断

オピオイドが増えていきました

 

これ以上は在宅での生活が難しくなり

私たちの病棟にやってこられました

 

少しの動作や介助で痛みが増悪しています

同時に意識がもうろうとした状態でした

ご家族には病気の進行に伴うものなら予後は厳しいかもしれませんとお話をしました

 

 

看護師さんたちとまず痛みを少しでも和らげることに全力を尽くしました

貼り薬の鎮痛薬から持続皮下注射に変更

そのかいあって徐々に痛みがうすれてきました

 

あらためて全身の診察とCTなどの検査で評価を行います

判断に迷うことが多々ありましたが

みんなで話し合った結果

癌性疼痛のみでなく、また骨転移などでもなく

筋肉痛や廃用痛の関与が大きいとの結論

意識の低下はオピオイドの短期間の増量の影響と考えました

 

 

それからは

少しずつオピオイドを減量

他の鎮痛薬を併用し

コントロールが取れてきた段階でリハビリを開始しました

 

2か月ほどかかりましたが十分に落ち着かれ

ふたたびご家族のもとに帰っていかれました

 

 

※この時の教訓です

〇「癌がある=その痛みは癌性疼痛」ということでは必ずしもないこと

〇しっかりとした問診、診察、その上での検査という原点に立っての評価

〇疑問点が少しでもあれば十分に悩みみんなの意見を聴くこと

 

☆6年前に私たちの緩和ケア病棟がオープンしました

私自身たくさんの悩みを抱えながらの出発でした

 

患者さんに最も近くにいる看護師さんたちからの要求が次々とだされ

それに満足のいく返答ができず

ときには感情のぶつかり合いになったりしました

とくに最初の1年間は「自分は向いているのだろうか」と悩み続けました

 

〇教科書(的な書物)に書かれていないことが現場にはたくさんある

〇患者さんは一人ひとりみんなちがっている

病名は同じでも、同じような苦痛でも…

〇次の一手、そしてその次の一手をいつも考えること

「この方法でだめなら次にどうすればいいのか、指示をください」とよく言われました

 

シシリー・ソンダース先生の言葉です

「もし私ががんの末期になって強い痛みのために入院した時,私がまず望むのは牧師が早く痛みが取れるように祈ってくれることでも,経験深い精神科医が私の悩みに耳を傾けてくれることでもなく,私の痛みの原因をしっかりと診断し,痛みを軽減する薬剤の種類・量・投与間隔・投与法を判断し,それを直ちに実行してくれる医師が来てくれることです」

314-01

この言葉も当時の私にとってはプレッシャーとなりました

優しさだけに頼ったりしてはいけない

ごまかしはきかない

とわかっていました

しかし後ろ向きに歩くところんでしまいます

 

 

どうすればいいのかと考えた結果

たくさんの関連図書を読みました

たくさんの先輩医師に教えを請いにでかけたり、電話で相談をしました

少しずつ自分の方法論が作られてきたように思います

…我流ですが

 

 

☆看護師さんの観察から教えられることがいっぱいあります

 

患者さんの顔はひとつではありません

医師への顔

看護師への顔

リハビリスタッフやその他の職員に見せる顔

ご家族への顔

……

 

回診のたびに

「今日もかわりません。ありがとうございます」

と笑顔で話されていた患者さん

実際には痛みを耐えていました

 

患者さんの本当のつらさを看護師さんから教えられることが

毎日のようにあります

その大きな場が日常のカンファレンスです

「私にはこんなことを言ってたよ」が通用しない

どうしてわかってくれないのですか

と、看護師さんから涙で訴えられたこともありました

さいごには優しさで締めくくられます

 

時間がかかりましたが

少しずつ信頼関係ができてきた(?)ように思います

 

私の知識も増えてきました

 

毎日が、学ぶことに満ち溢れています

314-02

 

 

 

先日数人の医学部の学生と話をする機会がありました

今年医学部に合格した新1年生から4年生までの若者たち

それぞれ所属が異なる大学の学生たちです

 

 

医師を目指すことになったきっかけを話してくれました

 

――家族の白衣姿にあこがれて

――親友の闘病生活をそばでみて

――同じ趣味をもって活動していた医師から勧められて

――東日本大震災のときに寝食を忘れて頑張っていた医師に感動して

などなど

聞いていてしっかりとした話でした

 

きちんとした理由もなく入学してしまった自分が恥ずかしいかぎりです

 

 

コロナ禍での学生生活は

マスコミなどで報道されているように

対面授業が少なく

サークルに入ったものの、活動がストップしている

など有意義とはいえない状況に置かれています

 

この時期にしかできないことを見つけて

これからに備えてもらいたいと

心から思いました

 

 

お互いの状況の報告など交流を深めながら

核心に迫る話になりました

 

・・・どのようなお医者さんになりたいの?

 

――患者さんやご家族が社会から孤立しないように力を尽くしたい

――研修先の病院のすべての職員の顔と名前をおぼえて仲良くなりたい

――医療制度に関心があります

――真摯な姿勢で医療に取り組みたい

――日本だけでなく様々な国の医療にかかわり、一人でも多くの人を救いたい

青年らしい、思わず笑みがこぼれるような決意表明がありました

313-01

WEB会議という制限の中です

直接会えればもっとたくさんのことが話せたのに残念です

 

現役の医師も複数で参加

老婆心ながらいくつかアドバイスをいたしました

ちょっとうっとうしかったかもしれません

 

〇学生の間にたくさんの本を読み、見識を広げてほしい

…医学にこだわらずなんでも

…英語をしっかりと学んでください

〇独りよがりにならずたくさんの人たちの意見を素直な心で聴いてほしい

〇多くのスタッフと仲良くしてください、それがチーム作りの基礎となります

もっと恥ずかしいことも言いましたが、ここまでにします

 

 

さいごにブログの宣伝をしてお別れしました

みんなたくさん学び、数多くの経験を重ね、優しくて感性豊かなお医者さんになってほしいですね

そしてこの中から緩和ケアの世界に飛び込んでくれる医師が生まれることを願いたいです

313-02

その日の夜のこと

 

学生時代から親しくさせていただいている先輩から久しぶりの電話がありました

医師としての働き方や考え方に影響を与えてくれた人です

 

過去のことを懐かしみ

今何をしてどんなことを考えているのか

同僚やお世話になってきた医師の近況など

たくさん話をして

お風呂のお湯がためっ放しになっていることを忘れていました

 

 

 

毎日の仕事に追われているなか

初心に帰ることができた1日となりました

 

 

きょうは日曜日の午後

時々雨という不安定な天気ですが

少し現場を離れ

頭の切り替えをしてみようかと思います

 

もちろん感染には十分に気を付けて……

 

 

私たちの医療生協では隔月に機関誌「三つの輪」を発行しています

その中で毎回いたやどクリニックの木村院長が「カンガルーのポケット」としてエッセイを連載しており

組合員さんたちからたくさんの感動が寄せられています

 

このたびの記事を読み、心が揺さぶられました

家族の一員としての愛犬のお話ですが

何か通ずるものを感じています

 

敢えてコメントをせずにそのままを載せたいと思います

木村先生からは快諾をいただきました


 

 雲の上のナナちゃん

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□「おとうさん、元気にしていますか。わたしは今、広い公園を 走り回って遊んでいます。雲の公園は、地面がフワフワッとして、どれだけ走っても疲れません。雲の地面をペロペロってすると、のどの渇きもなくなります。おとうさんが一緒に走ってくれないのが寂しいけれど、わたしは元気です」

 

家族になりました

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わたしはナナちゃん。6月1日生まれの白柴の女の子です。おとうさんとおかあさんが、ホームセンターにカブトムシさんのエサを買いに来た時に出合いました。生まれてまだ2か月でふるえているわたしを抱っこして、「決めた!」って言って、その日のうちにおうちに連れて帰ってくれました。8月7日に新しい家族になったので、お名前を決める時にハナちゃんにするか、ナナちゃんがいいのか迷ったみたいですが、呼びやすいのでナナちゃんになりました。

その年の暮れ、たくさん雪が降った日に、おとうさんたちは家族旅行に出かけました。わたしはお庭の小屋でお留守番。寒くて寒くて思い出してもつらかったです。旅行から帰ってきたおとうさんは、申し訳なさそうな声で「これからは一人にしないよ」って、言ってくれました。

□年が明けて、おうちに赤柴くんがやってきました。ホームセンターにわたしのご飯を買いに行ったときに出合ったそうです。またまた衝動買い。おとうさんの悪い癖は治りません。お名前はナナちゃんの次だからハッちゃん。単純な考え方も治りません。わたしより2か月後に生まれたのに、体が大きくって、落ち着きがなくってやんちゃさんで、わたしが注意すると目をつぶって噛みつくので、何度もケガをさせられました。今ではわたしを怖がって、目を合わせるのを避けるようになったので、注意しすぎたかなって思ってます。それでもふたりは結婚して、3人の女の子が生まれました。さくらとスズとペコちゃんです。お産は大変だったけど、かわいくって一緒にお庭を走って遊びました。3人ともかわいがってもらえる方にもらわれたので安心です。□□□□□

 

たくさんの思い出と

 

ハッちゃんとわたしと家族みんなで旅行にも行きました。車で何時間も揺られて着いたのが島根県の三瓶山。青い草原でいっぱい走り回り、バーベキューのお肉をもらって、夜は流れ星を見ました。この星に生まれて本当に良かったと思いました。□

わたしが2才の時に、おねえちゃんが大きなご病気になりました。おとうさんもおかあさんも、つきっきりの看病だったので、わたしとハッちゃんは、おとうさんのお知り合いの獣医さんの病院に預けられました。毎日「おねえちゃんがんばれ」ってお祈りしていたので、少しやせたおねえちゃんがおうちに帰ってきたときは、本当にうれしかったです。健康って大切だなって思いました。□□□□

でもご病気は避けようがありません。わたしは前庭疾患という難しい名前のご病気になり歩けなくなりました。楽しみにしていた朝夕のお散歩も抱っこでお出かけです。病院に行くのは怖くって、病院近くになると大声を出すので、「またナナちゃんのGPSが作動したね」と笑われました。自分ではお水も飲めなくなると、朝から晩まではおかあさんが抱っこして大好きな玉子焼きを作って食べさせてくれ、日にちが変わるとおとうさんがわたしの隣で添い寝をしてくれました。雪の中の事件は忘れてあげることにします。

わたしの体は雲の上。でも、おとうさんやおかあさん、おねえちゃんとハッちゃん家族みんなの胸の中に生きています。時々でいいから優しい声で「ナナちゃん」って呼んでくださいね。それがわたしののぞみです。一緒に暮らせて本当に楽しかったです。

ありがとう。

312-01

 

 

私たちの病院では既報のように昨年新型コロナウイルス感染症のクラスターが発生、その対応に追われてきました

多くの関係者の努力でやっと収束にこぎつけましたが、この経験から「コロナ病棟」の開設に踏み切ることになりました

 

その中心で頑張っていた病院の総師長さんから貴重な文章をいただきましたので、ここに掲載します

 

緊急事態宣言が解除された現在も医療現場ではまだまだ、またこれからも新型コロナウイルスとの闘いは継続することになるでしょう

将来振り返ることができたときの大事な資料になると思っています

 

11月末に入院中の患者さんから陽性者が出ました。もちろん当院でも認定看護師を中心に感染対策を講じており日々の看護業務にあたっていました。

世間でも病院内でのクラスター発生の声が多く聞かれ「明日は我が身である」との覚悟はしていましたが、当院で陽性患者さんをこのまま見る事になり、それを聞いた時は頭が真っ白になりました。すでに次々と当該部署の看護師や介護スタッフに陽性者が判明する中、どうスタッフを確保していくかの問題がありました。外来や手術室、他の病棟への依頼、在宅看護師までをも要請し部署をまたがる業務は避けなければならなかった為、ある程度の期間の支援をお願いしました。

クラスター時は看護師から様々な悲痛の声が上がりました。「ゆっくりと温かいお湯で体を拭いてあげたい。」「コロナにかかった不安な患者さんの話をそばでゆっくり聞いてあげたい。」などなど今まで大事にしてきた、患者さん一人一人の尊厳を大事にし、思いに寄り添うという看護師としての信念が崩れ去った事が、自らが感染するかもしれないという不安に加えて、一番の精神的苦痛であったように思います。ケアの充実を図りたい、しかしまずは自分が感染しない事が最優先!この言葉はスタッフにとってどれだけ辛かったことでしょう。クラスターが落ち着く頃、私の中ではとても大きな葛藤にぶち当たりました。クラスターによって経営状況が更に悪化した事や本当に親身になって援助して下さった保健センターの皆様の要望にお応えしたいのもありましたが、当院でも外来を訪れる患者様の中に、神戸市内の専門病床のひっ迫した医療体制の中で入院できずに自宅で過ごされるコロナ陽性患者様の辛い状況が日々伝わってきたからです。「地域の方々を守りたい」そんな思いと、「スタッフを危険な目にあわせてもいいのだろうか・・」と言う気持ちで揺れ動きましたが「それでも今やらないと・・」という思いは変わりませんでした。院長をはじめ管理部での議論を短時間で重ね、1週間の準備期間を経てコロナ病棟開設の運びとなりました。ハード面の準備と感染対策に対する再度のレクチャー、働くスタッフの選定へのアンケートが急がれました。家族の事を考え悩むスタッフもいましたし、もちろんこのような方針に戸惑い怒りをぶつけるスタッフもいましたが、当然の事として受け止め対話を重ねました。現在コロナ病棟のスタッフからは「学習を重ね、病態の変化や感染対策の知識も増えた。安全に患者さんと接する事が出来るようになった」という声が聞かれます。介護スタッフやリハビリスタッフも専任で配置し、洗髪・手浴・足浴などの保清やリハビリの充実も図れるようになりました。スタッフからも「落ち着いて笑顔で患者さんに対応できるようになりました」「状態が悪い方も私達が最期まで看る。生き抜いた事を伝える役目になりたい。」このコロナ禍で今までに私達に不足していたことや看護が一気に見えてきたという思いです。まだまだこの状況は続くと思いますが、スタッフの身体面、精神面に配慮しながら、地域医療に貢献できるよう使命感を持って進んで行きたいと思っています。

311-01

 

患者さんとご家族のあたたかなふれあいが病棟で見られています

忙しい中無理を承知で、受け持ちの看護師さんにお願いしました

 

コロナ禍で感動的な出来事を目にすることができたのも

緩和ケア病棟ならではのことだと思います

 

 

 

・・・以下に原文のまま載せさせていただきます

 

 

「いつも感謝の気持ちで過ごしています」

そう語ってくれたのは、私が受け持たせていただいているKさんです。

当たり前にできていたことが、できなくなったこの1年。

私達、緩和ケア病棟のスタッフも、様々な葛藤を抱えながら、日々のケアにあたっています。

思うようにいかない状況に、心乱されることもありますが、一番つらいのは患者様、ご家族様であることを忘れずに…。

そんな時に、出会ったのがK様とそのご家族様でした。

できないことを嘆くより、今、できることは何か?ということを考えさせていただくきっかけになった出会いでもありました。

そして、心が狭くなっていた私の心に一筋の光を与えてくださいました。

皆様にも少しばかり温かい気持ちになっていただけたら…と思い、筆をとらせて頂きました。

 

K様との出会いは、コロナ禍の渦中でした。

お声をかけるとにっこり微笑まれ、私達に笑顔を見せてくださいます。

病気の影響で思うようにコミュニケーションがとりにくい中でも、一生懸命会話をしてくださいます。

時に、何度も聞き返すこともあります。

また、筆談でコミュニケーションをとることもあります。

一度で伝わらないこともありながら、何度も私達に想いを伝えてくださいます。

私達も真剣です。

そのようなK様とのやりとりの中で、冒頭の言葉をゆっくりと穏やかに、様々なことを思い出すかのように話されました。

K様のお人柄に触れさせていただいた瞬間であり、忘れていた大切なものを思い出させていただいた瞬間でもありました。

 

ここからは、K様と息子様との心の触れ合いについてご紹介させていただきたいと思います。

入院されてすぐに、私は、コミュニケーションがとりづらいK様にとって、電話でのやりとりが難しく、面会制限がある中、ご家族様との橋渡しの方法について考えていましたが、よい方法が思いつかないままでした。

そんなとき、息子様がK様へ当てた直筆の手紙を持参されるようになりました。

一部ですが手紙の一節をご紹介させていただきたいと思います。

「4月並みの暖かい一日、寒い間が出来なかった池の浄水器を掃除。踏ん張りがきかなくなってきた。長い間きれいにしてくれてありがとう。」

「『お母さん』という響きが恥ずかしくなって、友達と同じように『母ちゃん』と言い始めました。四十年ぶりに昔の呼び名に戻します。お母さん、お母さん、お母さん 〇〇はここにいます。」

「お母さんが長い間頑張ってくれたお陰で、私もたくさんの教えを聞かせて頂きました。本当に有難う。」

ここでは紹介しきれないほどのたくさんの想いが込められた手紙は、ほぼ毎日届き、K様は心待ちにされるようになりました。

そして、その手紙をK様のそばで読ませていただくことが、私達のかかわりの一つになりました。

浮かない表情をされていたり、寝つけそうにない時に、息子様からの手紙を読ませていただくと、穏やかな表情になられる姿を見て、たとえ離れていても、心は傍にあることを感じました。

いつも息子様に見守られて、身近に感じていただけるよう、大切な手紙はK様が常に目に触れることができる場所に貼らせていただきました。いつしか、その手紙はお部屋いっぱいになりました。

ときには、ご自身で手紙を読んでほしいとおっしゃられることもあります。

その時にはたくさんある中でどの手紙を読ませていただこうかと、K様と一緒に考えながら読ませていただいています。

 

ある日、K様に息子様のお手紙はどのような存在ですか?と尋ねると「ありがたいね。うれしいです。」とお部屋に貼っている手紙を眺めながらおっしゃられました。

その姿にK様の心の支えになっていることを感じました。

お手紙の内容は私達にはとても難しいことが書いていることも多く、K様に教えていただきながら読ませていただいています。

時に息子様の心の叫びのような言葉に、感謝の言葉に私達が涙してしまうこともあります。

K様と涙しながら読ませていただくお手紙は私達とK様をもつないでくれているように思います。

そして、K様も息子様への思いを震える手で一生懸命したためられます。

離れていてもお互いがお互いを思いやる心。

私はK様と息子様の手紙のやりとりから学ばせていただきました。

息子様からK様へ、そしてK様と私達をもつないでくださり、目に見えないものにこそ、大切なものがあることに気がつかせていただきました。

 

振り返れば、私達が携わっている看護ケアもできないことを補いながら、できることを支援することです。

このコロナ禍で思うようにできないことにもどかしさを感じていた自身を振り返り、当たり前にできることのありがたさを感じました。

「できていたことが、できなくなることとは?」この言葉の意味の重さを痛感しました。

そして、様々な思いを抱えている患者様の心に触れながらケアすることの大切さをあらためて感じました。

K様と息子様の心の触れ合いは、狭くなっていた私の心の琴線に触れ、優しさと温かさを感じさせてくれました。

これからもK様と息子様のストーリーは紡がれることでしょう。

私もこれからも続くお二人のストーリーを楽しみにしながら、見守らせていただきたいと思います。

「いつも感謝の気持ちで過ごしています」

K様のこの言葉を胸に抱きながら、一日一日大切に過ごしていきたいと思います。

310-01

こちらはK様がお好きだと教えてくださった蝋梅です

蝋梅の花言葉は「慈愛」

まだ、寒い冬にひっそりと花を咲かせて、癒やしてくれる蝋梅はまさにK様の心を表しているように感じます

 

(担当の看護師さんが撮影された写真と文章を添えます)