――皆様お元気でしょうか

私にとって早かったような、長かったような1年でした

 

という書き出しでお手紙が病棟に届きました

看護師さんたちがご家族に届けた手紙とメッセージカードへのお返事が返ってきました

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“ホスピス・緩和ケア病棟で提供された遺族ケアとして、最も多くの対象者が経験していたのは「病院スタッフからの手紙やカード」であり、各種遺族ケアサービスに対して多くの遺族が肯定的に評価していた”という調査があります

新型コロナウイルス感染が拡大する前には、家族会などを定期的に催し、家族の方々のケアを積極的に行ってきました

しかしコロナ禍のもと、たくさんの取り組みができなくなり、四十九日レターや折に触れてのお手紙・メッセージカードなどを送らせてもらっています

 

お手紙の内容に心を打たれ、ご家族(娘さん)の同意をいただきその一部(若干変更させていただきました)を引用したいと思います

 

――ことあるごとに母を思い出し

どうしようもなく切なく、悲しく、会いたくなります

 

――(母がいないことが)頭ではわかっていても、心で理解できていないままです

母の姿がどこにもいない家はがらんとしていて

無駄に大きく感じます

 

1年たっても、2年たっても思い出しては涙されているご家族がいました

ある日偶然街で出会い、涙ながらに今の生活を話されました

私は口をはさまず、ご家族の話を静かにお聴きしました

 

またある人は

最愛の奥様を見送られ

一人での生活が始まりました

最初に困ったことは

いつゴミをどこに出せばいいのかということでした

食事はコンビニや食堂ですませることができます

でも日常の小さな、それでいて生活するためには必要な様々なことがわからず

途方に暮れたと話されていました

 

ご家族の日用品、化粧品や歯ブラシなどを捨てられずにいたり

テレビを見ていてふと亡くなられたご家族に呼びかけ、そこにはいないことに気づき哀しみが込み上げてきたりします

 

あとになってかけがえのない存在だったことに思い至ることもあります

 

――母がいない人生がこんなにもつまらないなんて…

いつでもそばにいた(母の)うっとうしいくらいの優しさが恋しくてしかたがない…

抱きしめてごめんねって言いたい

愛してくれてありがとう…って伝えたいです

 

最期のとき

娘さんたちはずっとそばを離れず

頬ずりをされたり

声をかけたり

されていました

見ていてほんとに優しいご家族だと感じていました

 

そのときも今も

様々な感情のなかにおられます

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生まれ変わることがあれば、もういちど家族になりたい

その日はきっと来ると信じている

と、ある人は話していました

 

――やっぱり私は自分を責め続けているし

普段明るく振舞っていても

ひとりになった途端に

いろんな感情があふれ出てしまいます

 

抗癌剤治療を受けている姿を見て、とてもつらそうに思われたそうです

他の治療法にも出会うことができれば

もっと長くいっしょにいることができたのではと

ご自分を責められていました

 

何度もなんども同じ言葉を口にされ

そのつど看護師さんたちは黙って話を聴いたり、背中をさすったり

身体へのケアをともに行ったりしながら

寄り添っていました

 

――病院の方々が私に言ってくれた言葉や、泣きじゃくる私の背中を撫で続けてくれた温かい手を思い出します

皆様の優しさに私たち家族は本当に救われました

 

このとき看護師さんたちは

今この時間を大切にしてね

と声をかけられたそうです

娘さんはその声かけで楽になりました

と話されています

 

ある本には次のような記載がありました

 

「どれだけ悲しいかではなくて、(患者さんが)あなたにくれた素敵な思い出でこの部屋

いっぱいにしてあげて。(いっしょに何かをしたり旅に出かけたりしたことなど)患者さんが忘れていることも思い出させてあげて」

「それが患者さんから与えてもらったものをお返しすることになるの」

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患者さんは病気との闘いを選択してこられました

あきらめたくない、できることは何でも挑戦してみたい

とつよい意志をもって

 

その心のうちには「家族のため」ということが多くを占めていたように思われます

その思いは娘さんたちご家族に十分に伝わっています

 

――おかあさんありがとう

おかあさん大好き

わたしたちはおかあさんのような人になるからね――

 

カルテに書かれていた言葉です

 

患者さんはいちど自宅に帰られ

望んでいたことを行い

ふたたび私たちのもとに来られました

 

 

今、私は「看取り」のことを考えます

様々な理由からその場にご家族がいることができないときもあります

そこに居ることのみが「看取り」ではなく

向き合ってきたこと、向き合った想いが

「看取り」そのものではないだろうかと考えています

 

 

娘さんが最後に述べられています

 

――同じ思いを抱える方々とぜひ一緒にお話ししたかったのですが、コロナの影響で叶わなくなりすごく残念です

機会があれば(家族会に)ぜひ参加させていただきたいです

 

 

私たちの取り組みがご家族の癒しに少しでもなることができればうれしいです

コロナ禍が落ち着けば必ずお会いしましょう

 

 

看護師さんたちは今も、一人ひとりの患者さんのお顔やいっしょに過ごした日々を思い返しながら、ご家族へのメッセージを心を込めてしたためています

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このお話は2020年9月のブログ「患者さんからの贈り物」と併せて見ていただければ有難いです

彼女は「もうやり残したことはありません」「すべてやりきってここに(入院して)きました」と入院の当日に話されました

 

ご家族とは時間をとって話をされ、誕生日のお祝いをして

友人たちとのゆっくりとした時間を過ごされて

やってこられました

 

けれど症状は急激に襲ってきます

お腹全体の張りと痛み

突然の大量の嘔吐

 

つらくて辛くて、24時間寝かせてほしいとまで望まれました

――わたしは鎮静を希望してここに来ました と

 

少しだけ症状が和らいでいるときにお話を聴きました

ご家族のこと

すべてがうまくいっていたわけではないようです

それでも心の拠り所となる場所はご自分で見つけていました

 

もしもの時のこともしっかりと準備をされていました

 

話しながらも嘔吐をされます

時間をとっていただいたことに感謝しながら

苦痛のなかでのつらい話になったことをおわびしました

――だいじょうぶですよ

――わたしはここにこれてよかったです

とおっしゃられます

 

苦痛のすべてを取り去ることはむずかしいのですが、あなたらしく生きることの支えに少しでもなることができれば……

と話を締めくくりました

 

 

彼女は24時間眠らせてほしい、鎮静を希望しますと言われながらも

ご家族や友人たちとのスマホでの交流を心待ちにされたり

この時間は起こしてほしいと望まれ

私たちはどのように願いをかなえることがいいのか悩みました

・・・結局は間欠的鎮静の選択となりましたが、なんとなくモヤモヤが残ったままです

 

持続的な鎮静に関しては、私たちの病棟では1割から2割の患者さんに必要な状況で、集団でのカンファレンスをしっかりと行ってきています

でも「間欠的鎮静」についての手順がしっかりと定まっておらず

患者さんの耐えがたい苦痛を前にして何を選択すればいいのか

その時その場での相談と判断で、そのたびに悩んできました

 

緩和医療学会の『がん患者の治療抵抗性の苦痛と鎮静に関する基本的な考え方の手引き』(以下手引きと記載)に載っているフローチャートがあります(P19)

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これに則ればいいのですが、勉強不足から有効な活用ができていませんでした

 

「鎮静はまだ早いのでは」という言葉が時々聞かれます

「今すぐにでも休ませてあげたいけれど、これって鎮静になるの?」

「精神的な苦痛がつよいときにはどうすればいいのでしょうか」

たくさんの疑問点をもったままケアを行ってきました

 

背景には鎮静についての理解が様々であったり、持続的な鎮静と間欠的鎮静の区別がしっかりとついていなかったり、適応や開始にあたっての手順が不明瞭であったりと

私は責任を感じていました

 

 

看護師さんたちはチームを作り、スタッフ全員からアンケートを集め、学習を繰り返して真剣にこのテーマと向き合っていました

私もアンケートの結果を見せてもらい、これはいよいよ責任をはたさないといけないと決意しました

 

それからは緩和医療学会の手引きを頼りに、何人かの先輩方にどのように実践されているのかを尋ね、疑問点にひとつずつ答えていただきました

 

 

その結果とくに間欠的鎮静についての当病棟での手順案をまとめ、先日スタッフに提案しました

手順以外の課題もこの過程でたくさん出てきましたが、とりあえずは今困っていることへの対応ができることを重視して、これでやっていきましょうと確認してもらったのです

 

この議論を通じて私たちの緩和ケア病棟は、みんなで困りごとを率直に相談でき、みんなで確認してきたことをスムーズに実践に生かせることができる素敵な職場であることをあらためて感じています

 

 

※「手順」については内部資料なのでここには載せておりませんが、その際に患者さんやご家族への説明文書が必ず必要であるということで同時に提案しました

(本来ならとっくに持っていないといけない文書なのですが…私の怠慢でした)

 

それをここに掲載しておきます

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このような出来事がありました

 

<Aさんのこと>

 

いつも物静かなAさん

毎日の回診のときはきまって「だいじょうぶですよ」とお返事をされます

文学「少女」のAさんは文庫本を手元において、時間があれば読書をしています

 

そのようなAさんがある時から小さな折り紙をたくさん差し入れしてもらい

せっせと何かを折っています

 

出来上がったのがこのような…

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大小様々なきれいな立方体

 

たくさん作られました

それを看護師さんがさらに手を加えて…

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ナースステーションの入り口に飾ってくれました

 

作る方もさらに励みになります

私たちだけでなく

患者さんやご家族を和ませてくれています

 

 

特技を生かした共同作品です

病棟の展示品がもうひとつ増えました

 

<Bさんの出来事>

 

さいしょにふたつの写真を掲載します

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一つ目の写真は

ご家族が差し入れをされ

看護師さんが調理をして

おいしそうなステーキの完成です

 

Bさんは今までにない笑顔でした

「入院すると食べれないものと思ってました」

 

 

二つ目の写真

看護師さんといっしょに作ったお好み焼きです

若い看護師さんにあれこれと指導するBさん

 

じょうずに出来上がりました

 

 

開設当初は頻繁にこのような取り組みをしていました

ご家族やボランティアさんも参加して

 

コロナ禍で躊躇していたかもしれません

 

ここにいたるまでにはいくつかの苦労がありました

 

Bさんは毎日のように思いをぶつけられます

――早く逝きたい

――これ以上よくならないの? 治療法はないの?

――方法がないのなら自分で……

――私はまだ大丈夫なの?

頻繁に心は揺れています

苦痛症状があり、さらには一人暮らし

とてもご自宅で暮らせる状況にはありませんでした

 

 

話を聴きながら

Bさんから一つずつ失われていくものがあることに心を痛めていました

たとえば

家には帰れない

そのために借りていた介護用品を返さないといけない

好きなものが食べれない

病院には自由がない

など

 

物忘れが認められるBさんには理屈や説得が通用しません

嫌な思いだけがたまっていくようです

希死念慮を思わせるような言葉も聞かれました

 

 

文献には

「死を受容することを求めない」

「逃げないでそばにいる」

「ともに苦しむ、答えを出す必要はない」

「医療者自身の感情を大切にする」

と述べられています

 

そして

「言葉に出して伝える」

とも

 

みんなで話し合いを持った結果が上のような取り組みでした

ささやかなことですが

私はBさんに

「思い出を一緒に作らせてください」と

お願いしました

開設当初の「患者さんとの思い出作り」を浮かべながら

 

それがどれだけ有効なのかは今はわかりません

でもBさんから危機的な発言が聞かれることだけはなくなったように思います

 

 

ここに述べたことは、一つひとつが小さな経験ですが

スタッフみんなと気持ちをひとつにした大切な記憶となっています

 

「もう何もできることはない」

ではなく、

みんなで考えればなにかできると実感しています

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私たちの緩和ケア病棟の入院基準では「積極的治療の終了」が条件のひとつになっています

患者さんの多くは気持ちの切り替えをされているように思いますが、中には「まだここに来るのが早かった」「ここでは(積極的な)治療をしてもらえないのですか」などと話される方がいます

頭ではわかっていても心の中はまだなんとかなるのではと期待をされているようです

そのような患者さんへのケアも担うことになります

外来や訪問診療でも対象となる患者さんを診ているのですが、残念ながら「早期からの緩和ケア」には取り組めていないのが現状でありこれからの大きな課題です

 

そのような複雑な感情を抱きながら日々患者さんと向き合っています

 

 

■Pさんは入院されてきたとき呼吸困難がつよく起き上がることも不十分な状況でした

オピオイドの効果がありご自分でトイレに行けるまでに改善しました

 

ある日のこと

「私は寿命が長くないことはわかっています。このたびは急な入院でした。だからいちど家に帰って身の回りの整理をしたいんです。着物が大好きでたくさん買ってきました。それを親しい人にプレゼントしたいと思ってます」

と話されました

 

症状が改善したといってもまだトイレなどは介助が必要な状態です

Pさんは一人暮らし

そばにいてくれる人がいません

 

みんなで話し合いました

リハビリでなんとかひとりでできることを増やせないだろうか?

ヘルパーさんはどこまで入ってもらえるのだろうか?

近所の人の協力はむりだろうか?

などなど

一つ一つ解決に向けて課題に挑戦しました

Pさんもリハビリを頑張っています

 

また別の日のこと

「私はもっと生きたい。10年前に見送った夫と長年暮した家を守りたい。それが私の生きがいなんです」

と切々と訴えられました

 

 

――そうなのだ、ほんとうは生きたいのだ。病気が重くても辛いことが多くても、それでも生きがいは感じているんだ

 

――「生きたい」って思えるように患者さんと向き合って支えることが医療者の役割なんじゃないだろうか

 

これはある本からの抜粋です

 

私にとって決定的だったのはつぎのコトバです

――臨終期にあって、医療者には「生きていていいんだよ」という心、命を惜しむ心、別れの悲しみ、哀れを感じる心、未練を肯定する心があると思うのです。ですから、スタッフにはむしろ迷いやためらいを捨ててほしくないと私は思います

 

 

そしてPさんは退院され、1か月後に戻ってこられました

 

心は揺れ動いていました

痛みがつよくなり、少しの動作で呼吸が荒くなり、食事を食べようとすると吐き気が出てきます

でも生きようとする気力は持っていました

 

毎日のように襲ってくるつらい症状に対して

「この苦しさはどこからくるのか知りたい」と言います

病気が進行しているためと一言でいうことはたやすいことですが、Pさんにとっては自分の身体のことはどんなささいなことでも知っておきたいという気持ちがつよく、いいかげんな返事では済まされません

「原因はわかりました。でもほかにいい方法はないのですか?」とさらに尋ねられます

 

いろんな文献や症例にもあたりました

私たちもあきらめるわけにはいきません

わずかでも効果が見られれば笑顔になられるPさんをみて

私たちも逆に励まされました

 

患者さんから学ぶってこういうことなんだと教えられました

 

 

……このPさんの事例は多くの患者さんとの出会いをまとめたもので架空の出来事ですが、特殊な出来事ではありません

 

 

 

■コロナ禍でのくやしさ

 

――これが……この病の難しいところなのです。近しい間柄の人ほど遠くで見守ることを

余儀なくされるのです(近くにいる人に感染させる不治の病に侵されている女性を描いた

小説から)

 

――(新型コロナに感染した患者さんのご家族に医師が言った言葉)そうは言っても、

大切な家族の距離まで遠ざける必要はありませんからね

 

――私には時間がありません。それなのに、与えられたわずかな時間の中ですら、自由

を許されない。本当に毎日が悔しかった

 

 

いつもいちばん苦しみ、戦っているのは患者さんなのです

 

――(そしてある往診専門の医師が言います)「僕たちの仕事はコロナでも変わらないよ。

だって患者さんが待ってるんだから」「そんな中、僕らの仕事はこれまでとなんら変わるこ

となく、患者さんや家族に向き合うことだと思っています。それにこういう時こそ心配し合

えるのが家族だと思うんですよね」

 

 

コロナだけでなく、すべての医療に通じるものですね

 

本は私たちにたくさんのことを教えてくれています

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▶主な引用図書

 

※コミック「はっぴーえんど」 魚戸おさむ著

※「砂時計のくれた恋する時間」扇風気周著

※「死の恐怖を乗り越える」佐々木常雄著

※その他

 

「緩和ケア病棟で出会った患者さん、印象に残っている患者さんのお話を聞かせてください」とお願いしたところ、がんばって文章を書いていただきました

若手の看護師さんです

 


▼印象に残っている患者さん

 

自宅で食欲が低下し入院の運びとなった終末期がんのAさん。もともと病院嫌いで、入院する前から「絶対に病院では死にたくない」「最期は家で死にたい」と繰り返し家族様に話しており、家族様もAさんの希望を叶えたいという思いがありました。

一方で、新型コロナウイルス流行によって病院では面会制限があったため、家族様は直前までAさんの入院を悩んでいました。Aさんも家族様も症状が改善した後は早期の自宅退院を希望していました。

家族関係は良好でAさんの入院生活が退屈にならないように、家族様がテレビゲームなど差し入れを持ってこられていました。

しかし、徐々にAさんの病状が悪くなり、治療に必要な医療処置が増えていきました。

一度ご家族様をお呼びし、医師から「病院での看取り」を含め、厳しい状況であることが伝えられました。Aさんにはせん妄の症状も出現し、暴言や看護師を足で蹴るなどの行動がみられていたため、病棟スタッフ間では、女性が主となる家族の介護力では、自宅退院は難しいと判断していました。

一方で、家族様は、Aさんと面会できないまま入院期間が延びるにつれて「病院で最期を迎えるかもしれない」という不安が大きくなっていきました。その結果、家族様からの電話は感情的で、攻撃的な発言が多くなっていきました。「コロナウイルス流行で退院できない」のではなく、「医療的な処置が必要なため自宅退院が難しい状況である」ことを、何度も説明しました。しかし、依然として面会はできない状況のため、本人が今どういう状況なのか直接見て頂く事もできず、家族様の理解は得られないままでした。Aさんのせん妄も持続しており、Aさんの「今の退院に対する思い」も確認することができず数日が経ちました。とても、もどかしく感じていたのを覚えています。

 

家族様と病棟スタッフの方向性の違いは平行線をたどっていたため、1度話し合いの場を持つことになりました。

「Aさんに必要な医療処置は、病院で100できることが、自宅では60しかできない」

「自宅だとできないことが増えるため、Aさんの苦痛が増す可能性がある」

「『自宅で看取る』という家族様が満足感を得るために、Aさんが苦しい環境に

身を置くことになるかもしれない。それはAさんにとって望ましいことなのか」

 

話し合いの後も家族様の発言は一貫して変わらず。

「それでも、家に連れて帰りたい」「なんとかします」

 

 

病棟スタッフ間でも様々な意見が出ました。

「家族様は現状を冷静に判断できる余裕がないのではないか」

「本人の意思確認が困難な状況で、苦痛症状が多いAさんを、十分な医療が提供

できない自宅へ送るということは医療者として正しい判断なのか」

 

懸念される点は多く残りましたが、家族様の希望は変わらなかったため、退院方向で調整を進めることになりました。

そして、いよいよ自宅退院の日を迎えました。家族様は看護師に深く礼をされました。

 

数日後に、家族様の見守る中、自宅で永眠されたようです。

家族様からお手紙が届きました。

「本人の願いが叶えられました」

「看護師さんにきつい言葉で当たってしまってすみませんでした」

「大変ご迷惑をおかけしましたが、看護師さん達にはとても感謝しています」

 

「最期は自宅で」と希望される患者様やその家族様は多くいらっしゃいます。

以前のように、家族様と一緒に誕生日や記念日を祝ったり、季節ごとの催し物へ参加など、できなくなってしまいました。本来の緩和ケア病棟の強みは、コロナ渦の今、多く奪われてしまっています。家族様と直接お話しする機会も減ってしまいました。

まだまだコロナ流行の勢いは増すばかりですが、そんな中でも、私たち看護師は、日々の関わりの中で、患者様とその家族様が望むそれぞれの最期を迎えられるよう、今後も精一杯支援できるよう努めて参りたいと思います。

 


 

つづけてわがままを言わせてもらいました

「緩和ケアを選ばれたきっかけも教えてもらえれば……」

 


 

▼私が緩和ケアを選んだ理由

 

私がまだ新人看護師の頃、祖父は膵臓がんの診断をうけました。百姓で身体が丈夫だった祖父は、なかなか良くならない背中の筋肉痛がきっかけで病院を受診し、がんが見つかったようです。

すでにがんは進行しており、手術ができない状況でした。医師に化学療法を提案されましたが、もともと病院嫌いだった祖父は、「管だらけになってまで長生きしたくない」「最期は家で死にたい」と。

退院後の祖父は痛みと闘いながらも、食べたいものを楽しめていたようです。私を含め、親戚中が集まり、数日おきにお見舞いに来ていました。最期は家族や愛犬に囲まれて迎えました。

「急に死ぬわけじゃない。がんは家族にお別れを言う猶予が与えられている」と。予後が短いにもかかわらず、満足そうな顔で話していたのをよく覚えています。

私が緩和ケア病棟を選んだのは祖父の、あの言葉がきっかけでした。「○○を食べたい」「家族と過ごしたい」など望むことはそれぞれ違うと思います。限られた時間の中で、最期まで患者様が自分らしく過ごせるように支援し、その方の人生の終末に関われることは、とてもやりがいがあり、誇りを持てる仕事だと思いました。

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毎日元気でがんばっていただいています

これからもよろしくお願いいたします