私たちの緩和ケア病棟の入院基準では「積極的治療の終了」が条件のひとつになっています

患者さんの多くは気持ちの切り替えをされているように思いますが、中には「まだここに来るのが早かった」「ここでは(積極的な)治療をしてもらえないのですか」などと話される方がいます

頭ではわかっていても心の中はまだなんとかなるのではと期待をされているようです

そのような患者さんへのケアも担うことになります

外来や訪問診療でも対象となる患者さんを診ているのですが、残念ながら「早期からの緩和ケア」には取り組めていないのが現状でありこれからの大きな課題です

 

そのような複雑な感情を抱きながら日々患者さんと向き合っています

 

 

■Pさんは入院されてきたとき呼吸困難がつよく起き上がることも不十分な状況でした

オピオイドの効果がありご自分でトイレに行けるまでに改善しました

 

ある日のこと

「私は寿命が長くないことはわかっています。このたびは急な入院でした。だからいちど家に帰って身の回りの整理をしたいんです。着物が大好きでたくさん買ってきました。それを親しい人にプレゼントしたいと思ってます」

と話されました

 

症状が改善したといってもまだトイレなどは介助が必要な状態です

Pさんは一人暮らし

そばにいてくれる人がいません

 

みんなで話し合いました

リハビリでなんとかひとりでできることを増やせないだろうか?

ヘルパーさんはどこまで入ってもらえるのだろうか?

近所の人の協力はむりだろうか?

などなど

一つ一つ解決に向けて課題に挑戦しました

Pさんもリハビリを頑張っています

 

また別の日のこと

「私はもっと生きたい。10年前に見送った夫と長年暮した家を守りたい。それが私の生きがいなんです」

と切々と訴えられました

 

 

――そうなのだ、ほんとうは生きたいのだ。病気が重くても辛いことが多くても、それでも生きがいは感じているんだ

 

――「生きたい」って思えるように患者さんと向き合って支えることが医療者の役割なんじゃないだろうか

 

これはある本からの抜粋です

 

私にとって決定的だったのはつぎのコトバです

――臨終期にあって、医療者には「生きていていいんだよ」という心、命を惜しむ心、別れの悲しみ、哀れを感じる心、未練を肯定する心があると思うのです。ですから、スタッフにはむしろ迷いやためらいを捨ててほしくないと私は思います

 

 

そしてPさんは退院され、1か月後に戻ってこられました

 

心は揺れ動いていました

痛みがつよくなり、少しの動作で呼吸が荒くなり、食事を食べようとすると吐き気が出てきます

でも生きようとする気力は持っていました

 

毎日のように襲ってくるつらい症状に対して

「この苦しさはどこからくるのか知りたい」と言います

病気が進行しているためと一言でいうことはたやすいことですが、Pさんにとっては自分の身体のことはどんなささいなことでも知っておきたいという気持ちがつよく、いいかげんな返事では済まされません

「原因はわかりました。でもほかにいい方法はないのですか?」とさらに尋ねられます

 

いろんな文献や症例にもあたりました

私たちもあきらめるわけにはいきません

わずかでも効果が見られれば笑顔になられるPさんをみて

私たちも逆に励まされました

 

患者さんから学ぶってこういうことなんだと教えられました

 

 

……このPさんの事例は多くの患者さんとの出会いをまとめたもので架空の出来事ですが、特殊な出来事ではありません

 

 

 

■コロナ禍でのくやしさ

 

――これが……この病の難しいところなのです。近しい間柄の人ほど遠くで見守ることを

余儀なくされるのです(近くにいる人に感染させる不治の病に侵されている女性を描いた

小説から)

 

――(新型コロナに感染した患者さんのご家族に医師が言った言葉)そうは言っても、

大切な家族の距離まで遠ざける必要はありませんからね

 

――私には時間がありません。それなのに、与えられたわずかな時間の中ですら、自由

を許されない。本当に毎日が悔しかった

 

 

いつもいちばん苦しみ、戦っているのは患者さんなのです

 

――(そしてある往診専門の医師が言います)「僕たちの仕事はコロナでも変わらないよ。

だって患者さんが待ってるんだから」「そんな中、僕らの仕事はこれまでとなんら変わるこ

となく、患者さんや家族に向き合うことだと思っています。それにこういう時こそ心配し合

えるのが家族だと思うんですよね」

 

 

コロナだけでなく、すべての医療に通じるものですね

 

本は私たちにたくさんのことを教えてくれています

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▶主な引用図書

 

※コミック「はっぴーえんど」 魚戸おさむ著

※「砂時計のくれた恋する時間」扇風気周著

※「死の恐怖を乗り越える」佐々木常雄著

※その他

 

「緩和ケア病棟で出会った患者さん、印象に残っている患者さんのお話を聞かせてください」とお願いしたところ、がんばって文章を書いていただきました

若手の看護師さんです

 


▼印象に残っている患者さん

 

自宅で食欲が低下し入院の運びとなった終末期がんのAさん。もともと病院嫌いで、入院する前から「絶対に病院では死にたくない」「最期は家で死にたい」と繰り返し家族様に話しており、家族様もAさんの希望を叶えたいという思いがありました。

一方で、新型コロナウイルス流行によって病院では面会制限があったため、家族様は直前までAさんの入院を悩んでいました。Aさんも家族様も症状が改善した後は早期の自宅退院を希望していました。

家族関係は良好でAさんの入院生活が退屈にならないように、家族様がテレビゲームなど差し入れを持ってこられていました。

しかし、徐々にAさんの病状が悪くなり、治療に必要な医療処置が増えていきました。

一度ご家族様をお呼びし、医師から「病院での看取り」を含め、厳しい状況であることが伝えられました。Aさんにはせん妄の症状も出現し、暴言や看護師を足で蹴るなどの行動がみられていたため、病棟スタッフ間では、女性が主となる家族の介護力では、自宅退院は難しいと判断していました。

一方で、家族様は、Aさんと面会できないまま入院期間が延びるにつれて「病院で最期を迎えるかもしれない」という不安が大きくなっていきました。その結果、家族様からの電話は感情的で、攻撃的な発言が多くなっていきました。「コロナウイルス流行で退院できない」のではなく、「医療的な処置が必要なため自宅退院が難しい状況である」ことを、何度も説明しました。しかし、依然として面会はできない状況のため、本人が今どういう状況なのか直接見て頂く事もできず、家族様の理解は得られないままでした。Aさんのせん妄も持続しており、Aさんの「今の退院に対する思い」も確認することができず数日が経ちました。とても、もどかしく感じていたのを覚えています。

 

家族様と病棟スタッフの方向性の違いは平行線をたどっていたため、1度話し合いの場を持つことになりました。

「Aさんに必要な医療処置は、病院で100できることが、自宅では60しかできない」

「自宅だとできないことが増えるため、Aさんの苦痛が増す可能性がある」

「『自宅で看取る』という家族様が満足感を得るために、Aさんが苦しい環境に

身を置くことになるかもしれない。それはAさんにとって望ましいことなのか」

 

話し合いの後も家族様の発言は一貫して変わらず。

「それでも、家に連れて帰りたい」「なんとかします」

 

 

病棟スタッフ間でも様々な意見が出ました。

「家族様は現状を冷静に判断できる余裕がないのではないか」

「本人の意思確認が困難な状況で、苦痛症状が多いAさんを、十分な医療が提供

できない自宅へ送るということは医療者として正しい判断なのか」

 

懸念される点は多く残りましたが、家族様の希望は変わらなかったため、退院方向で調整を進めることになりました。

そして、いよいよ自宅退院の日を迎えました。家族様は看護師に深く礼をされました。

 

数日後に、家族様の見守る中、自宅で永眠されたようです。

家族様からお手紙が届きました。

「本人の願いが叶えられました」

「看護師さんにきつい言葉で当たってしまってすみませんでした」

「大変ご迷惑をおかけしましたが、看護師さん達にはとても感謝しています」

 

「最期は自宅で」と希望される患者様やその家族様は多くいらっしゃいます。

以前のように、家族様と一緒に誕生日や記念日を祝ったり、季節ごとの催し物へ参加など、できなくなってしまいました。本来の緩和ケア病棟の強みは、コロナ渦の今、多く奪われてしまっています。家族様と直接お話しする機会も減ってしまいました。

まだまだコロナ流行の勢いは増すばかりですが、そんな中でも、私たち看護師は、日々の関わりの中で、患者様とその家族様が望むそれぞれの最期を迎えられるよう、今後も精一杯支援できるよう努めて参りたいと思います。

 


 

つづけてわがままを言わせてもらいました

「緩和ケアを選ばれたきっかけも教えてもらえれば……」

 


 

▼私が緩和ケアを選んだ理由

 

私がまだ新人看護師の頃、祖父は膵臓がんの診断をうけました。百姓で身体が丈夫だった祖父は、なかなか良くならない背中の筋肉痛がきっかけで病院を受診し、がんが見つかったようです。

すでにがんは進行しており、手術ができない状況でした。医師に化学療法を提案されましたが、もともと病院嫌いだった祖父は、「管だらけになってまで長生きしたくない」「最期は家で死にたい」と。

退院後の祖父は痛みと闘いながらも、食べたいものを楽しめていたようです。私を含め、親戚中が集まり、数日おきにお見舞いに来ていました。最期は家族や愛犬に囲まれて迎えました。

「急に死ぬわけじゃない。がんは家族にお別れを言う猶予が与えられている」と。予後が短いにもかかわらず、満足そうな顔で話していたのをよく覚えています。

私が緩和ケア病棟を選んだのは祖父の、あの言葉がきっかけでした。「○○を食べたい」「家族と過ごしたい」など望むことはそれぞれ違うと思います。限られた時間の中で、最期まで患者様が自分らしく過ごせるように支援し、その方の人生の終末に関われることは、とてもやりがいがあり、誇りを持てる仕事だと思いました。

325-01

 


 

毎日元気でがんばっていただいています

これからもよろしくお願いいたします

 

 

 

 

入院患者さんたちがご家族や友人など大切な人との面会が容易でないことをこの間何度か書いてきました

 

一方でSNSなど最新の手段を活用したコミュニケーションの努力が患者さんとご家族との間で、また医療者を通じて行われてきていることも今や医療現場では当たり前のことになっています

そのことで不安を和らげられた方々がたくさんいます

LINEは年齢を問わず、多くの人が使いこなせるようになりました

日常の重要なツールとなり、これなしでは生活が成り立たないこともままならずあります

 

 

―――SNSをめぐってこのようなことがありました

 

若い患者さんです

イレウスを合併され、食べたくても嘔吐をしてしまう状況でした

嘔吐を繰り返され徐々に体力が消耗してきました

 

患者さんの支えは、ご家族との電話やメール

友人たちとのLINEグループです

毎日のやり取りが励ましになっていました

 

 

病状が進行し疲労困憊となったある日話されました

 

「(友人たちに)緩和ケア病棟に入院していることを伝えているのに、食べることが苦痛なのに、『早く退院できるといいね』とか『みんなできれいにしておいしいものを食べに行こう』って言われ、そのたびに説明することに疲れました」

「メールやLINEの返信にエネルギーを使ってしまいます。私は1日のうち使える時間が少なく、大切な人と話をしたり、しておきたいことのために時間を温存して、そのほかの時間は体を休めたいんです」

「私のことを理解してくれている人はいいけれど、『がんばれ』とか『もっとがんばれる』と言われると、十分に頑張っているのにって苦しくなってしまう」

「もういいやって思ってしまうんです」

「だけどスマホをつい見てしまうし、そうすると返信をしなくちゃとも考えてしまうんです」

 

切実な訴えでした

 

 

患者さんのお話を聞き、ふたつのキーワードを思い浮かべました

ひとつは「いつでもつながれる」、もうひとつは「気軽に」です

 

想いを伝えたい人にいつでも伝えることができます

日常のたわいのない話ができます

 

ほんとうは直接会って顔を見ながら話をしたいことも

誠意をもって伝えたいことも

確かに伝わるのだろうかと気になりながら

気軽にメッセージを送れてしまいます

「指一本」で

 

つながっていたいのは

だれですか?

なにを伝えたいでしょうか?

 

 

先の患者さんの場合

コロナ禍がなければ

直接会っていただければ

様子が正しく伝わっていたでしょう

今は話をしたくない、会いたくないのであれば

「面会をお控えください」と

私たちからお伝えすることができたでしょう

 

 

コミュニケーションツールを利用して、会いたい人の顔が見える、話ができるという便利さは否定しません

病気の不安や恐怖を少しでも和らげることができる場面を何度も見てきました

 

でもメールやLINEが送信者の意図しない結果を生んでしまうこともあるようです

 

 

簡単には解決できないことが多く戸惑っている現状ですが

便利になった手段を有効に生かせる努力や工夫をしていきたいものです

324-01

 

今回の患者さんからはたくさんのことを学ばせてもらいました

・鎮静をどうとらえるのか

・苦痛があることを承知の上で、望むことを叶えるお手伝いをするということ

・「生きたい」と思えるような向き合い方をすること

など

 

それはまたの機会に……

院内の学習会でのことです

コロナ病棟で奮闘している看護師さんたちの報告を聴きました

 

『コロナ病棟において私達がこだわっていること』というお題です

 

さいしょに次のようなアピールがありました

コロナ病棟を開設以降、私たちは、『生命を守る』『生活を守る』『尊厳を守る』ことを基盤に質の高いケア(ケアの充実)の提供をめざしています

 

そしてそのこだわりを以下の4つにまとめて報告しました

  1. 離床へのこだわり
  2. DNRから要CPRとなった患者・家族への関わり
  3. 家族ケア・リモート面会について
  4. 終末期ケア・鎮静について

 

病院にとっても、医師・看護師にとってもまったく初めての経験であり、当初から手探りでの取り組みでありました

その経験をこれからにつなげることができたとの報告

 

私にとってどれもが新鮮であり、教訓に富むものでした

緩和ケア領域にも共通し、生かせることがたくさんありました

 

 

その中からいくつかを紹介します

内容はまとめを参考にしながら私の視点での記載です

文責はすべて道上にあります

 

 

☆コロナ病棟では医師や看護師をはじめ多くの職種が関わっています

とくに入院の早期からリハビリセラピストが積極的に介入し、チームとして廃用予防や無気肺の予防、生活リズムの調整などを行ってきました

 

昼夜逆転となっていた患者さんは、日中のリハビリにより夜間の眠剤が減り、入院前のADLに改善、元の生活に復帰されました

 

看護師さんから聞きました

最初のころは「コロナ」に意識が向きがちで患者さんが見れていなかったと言われました

たとえばシャワーのこと

「感染力が高いから無理」と判断していました

しかしある時から、「感染力が高いから、どうすればケアが可能となるのか」と発想を変えたそうです

ここからみんなの意識が変わりました

 

多くの発想が生まれてきたとのこと

緩和ケアであってもコロナ病棟であっても病名は関係ない

患者さんやご家族に行うことはどこにいても一緒

と話されています

 

 

☆ご家族との関係づくりは大変だったようです

・急な発症から突然の入院

・病状の急激な悪化

・面会ができないという哀しみ

に患者さんやご家族は直面します

 

今後の方針に関しての重要な決断をせまられることがたくさんあったでしょう

ご家族への頻繁な連絡や話し合いを繰り返す姿を目にしました

いわゆるキーパーソンだけでなく、ご家族みなさんの気持ちを受け入れることへのこだわりに努力していました

 

治療が適切に行われているところには

必ず良好なコミュニケーションがあるのです

 

 

☆今では全国どの医療機関でも普通になっている

「リモート面会」にもいち早く取り組みました

患者さんもご家族も不安の軽減につながったようです

入院中に旅立たれる患者さんもおられます

いよいよのとき、ご家族からお別れのことばをかけていただくことができました

 

リモート面会は看護師が患者さんのそばにつきっきりとなるため、一般の病棟とは異なり感染のリスクを減らすための時間制限はやむをえません

面会の時期の判断が大切と総括されています

 

 

☆終末期の鎮静についてはみなさん悩まれたようです

――報告から私の言葉に変えて抜粋します

※面会不可のため、ご家族は患者さんの様子を理解しにくい

そのため医師からこまめに病状説明を行い、看護師からも電話で状態を伝え、患者さんの置かれている状況をイメージしていただく

※病状の重い患者さんは呼吸困難や倦怠感、不安感など苦痛がつよい

入院時より悪化時や苦痛時の対応をご家族と相談、医療者―家族間で話し合う時間を確保する

※鎮静に対しての怖さや不安がつよい人がたくさんいます

効果とともにリスクを詳しく説明し、不安に寄り添い話を丁寧にお聴きし、納得して治療が受けられるように十分な話し合いの努力を行う

 

急な病状の変化(悪化)の中での判断が求められる現場だと思います

緩和ケア病棟での鎮静のカンファレンスにもとづく判断とはやや異なる状況に見えます

共通することは多いのですが、貴重な経験をもとに「コロナ病棟での鎮静の方針」の提案を期待しました

 

 

☆さいごのまとめとして

・早期からのリハビリの介入

・患者さんやご家族への医療者からのこまめな説明、患者さん・ご家族の心情の理解とサポート

・保健所との緊密な連携(重症化されたときのすばやい移送など)

・リモート面会などITの活用

・短時間で変化する病状に対して、医療者間でのタイムリーな意思統一

・QOL向上への努力

などが強調されていました

 

 

まだまだ取り組みは続きます

病院全体として協力しながら、教訓を他の現場に生かしていくことが課題です

今回の報告から次につなげる勇気をもらいました

 

ほんとにご苦労様でした

323-01

 

 

 

 

「制限がある中でもあきらめることなく……解決の難しい課題にこそ、緩和ケアが必要になってくる」

これはある緩和ケアの先輩医師の言葉です

 

★まだ若い患者さんでした

入院してこられたときにはすでに病気はかなり進行しており、今日・明日ということが考えられる状況でした

 

彼女には10代の子どもたちがいました

病気のことは伝えられていましたが、予後などは知らされておらず

ご家族も私たちも悩みました

 

―――お母さんに会いたい

子どもたちは言います

 

かろうじて意識が保たれているので、面会されるなら今しかないと判断

子どもたちは学校が終わってすぐに駆け付けました

 

呼吸は早くなってきました

高い熱が出ています

 

子どもたちが到着

彼女は大きな息をしながらベッドの両脇に座った子供たちに眼球を左右に何度も動かしながら想いを伝えようとしています

 

どうしていいのかわからず戸惑う子どもたち

「手をにぎってあげようね」

「話しかければわかってくれるよ」

とアドバイス

やさしく、またしっかりと手を握りしめました

彼女もそれに応えて涙を流されます

 

そばに付き添っていた看護師さんは

「私たちに見せる表情とははっきりとちがうお顔を子どもたちに向けられていました」

と語っていました

 

言葉での会話はできなかったけれど

アイコンタクトや体のぬくもりを通しての交わりができたのではないでしょうか

 

 

 

最近出版された森田達也先生(聖隷三方原病院)の書物につぎのような記載があります

 

『最期のときの立ち合い』に関する記述です

引用します

「立ち会えた家族と立ち会えなかった家族とで抑うつの度合いを比べてみると、立ち会った人のほうが抑うつが強いという逆の結果でした。これは、もともと患者との関係が深く、その後悲しみが増える人ほど立ち会いたい、立ち会ってももともとの悲しみがなくなるわけではない、という現象を表しているのだと解釈できます」

「『患者さんは大切な人に伝えたいことを伝えられた』についてみると、伝えられた家族のほうが抑うつになりにくく、最後に立ち会うかどうかよりも、その前に患者と家族でのやり取りができていることが遺族の死別後の健康に影響する」

「亡くなる前に患者と家族が顔を見て話せるような工夫をすると、いくらかは家族の役に立つかもしれないという意味で、この研究がしばしば引用されています」

 

コロナ禍での面会制限が続く中ですが、私たちの病棟の看護師さんたちはいよいよの時だけでなく、意識がなんとか保たれているこの瞬間にご家族と会っていただこうと努力をしています

 

本来ならば、毎日でも時間の制限なく、ときにはお部屋に泊まっていただいて、大切なときをともに過ごしていただくはずなのですが、感染防御が優先される厳しい状況での工夫です

 

 

 

★男性患者さんのご家族はこれまで過ごしてきた医療機関での対応に不満や不信を持たれていました

入院にあたっての面談のときに患者さんやご家族の悲しみをお聞きしました

 

私たちの病棟に移ってこられたとき

家族が付き添えない間、どんな風にスタッフが接するか心配されていました

 

病状が急激に悪化したときのことです

 

ご家族に急いで連絡をとりました

患者さんのスマホからご家族に電話をしました

「がんばっておられますよ、みなさんのお声を聞かせてあげてください」と看護師さん

 

ビデオ通話にしてお顔が見えるようにしています

さらにスマホを患者さんの耳にあててご家族の呼びかけを聴いてもらいました

「おとうさんがんばって、もうすぐいくからね」

「ずっとがんばってきてくれてありがとう」

ご家族は声をかけ続けました

 

 

※ある看護師さんが話されていたことを、昼のカンファレンスでみんなに紹介したことがあります

――ご家族が最期のときに間に合わないことがあります。たとえ応えることができなくても、意識がなくても、聞こえていますよとお伝えして電話を患者さんの耳元に添えて、ご家族から話しかけていただいています

 

このような内容であったと思います

そのときの話をさっそく実践してくれました

 

 

旅立ちの時

奥様はご主人にそっと口づけをされました

「ありがとうね」

 

 

ご家族から看護師さんへの言葉です

「この病院の看護師さんたちは全員プロです。ここでそのことを知れたことがうれしいです」

「私たちはどの施設も信用できなくなっていました。でもこのような最期を迎えることができてよかった。後悔はないです」

と言っていただきました

私はのちにこのお話を聞いて努力がむくわれたなあと感じました

 

 

冒頭に書いた制限がある中でもあきらめることなく

まさに実践され勇気づけられた思いです

322-01