最近お見送りをさせていただいた患者さんの話です。
癌が進行し、自宅での療養が難しくなって入院してこられました。
以下、看護師さん、臨床心理士さん、私との会話の抜粋です。
◆入院時:ショック
進行していることがショックです
それ以外考えられません
◆最初の1週間:家族への心遣い
今は何もしたいとは思いません
何か食べたいとか、そういうことが考えられません
こんなに早いなんて思っていませんでした
夫には「自分よりも先に逝かないで」とずっと言われていて、それが心残りです
夫が定年となり、やっと二人で色々と楽しい時間が過ごせると思っていた矢先に病気になってしまいました
夫ひとりでは楽しみなんかないだろうと思うとつらいです
結婚記念日・・・これで最後ね
もうこれからのことはないから
穏やかに安楽に過ごしたい
苦痛が強くなれば眠らせてもらうことを望みます
家族「夜だけ眠らせてもらったら…」
患者「だって日中覚醒してしまったら苦痛を感じてつらい顔を見せるのはまたつらいじゃない」
◆次の1週間:できなくなった自分
入院までは自分でお風呂も入れたし、トイレもできていました
急に何もできなくなってしまってつらいです
トイレは自分で行こうとしても看護師さんの手を借りないと行けなくなりました
友人に来てもらっても気を使ってしんどいです
できないことがどんどん増えて、トイレ、水を飲むこと、入れ歯を外すことができません
もっとできなくなるんかな?
こうなったら恥ずかしいなんて言ってられないです
日に日に衰えていくことがつらいです
ゼリーも看護師さんに食べさせてもらいました
夫「何もしてあげられない自分が情けない」と涙
その後数日でオピオイドの持続皮下注射、鎮静となり永眠されました
この頃に読んだ本につぎの文章を見つけました
『患者が最も落ち込むのは、病名を告知されたときでも予後を告知されたときでもありません。今までできていたことができなくなってきたことを実感したとき、例えば、更衣が自力でできなくなったり、トイレ歩行ができなくなり床上排泄を余儀なくされるようになったときなど、自律存在がおびやかされたと感じたときに、医療不信になったり、激しく落ち込んだりします』(注)
この患者さんも入院されてから急速に自分のできることが奪われていきました。そのことにつよい戸惑いを感じながら、毎日のように辛さを訴えられました。
私たちはベッドサイドで座り、話を聞くことしかできない日々でした。
実は私は時間を作ってこれまで過ごされてきた人生のお話を聞かせていただく計画をしていました。
でもその時間を十分にとれないまま患者さんはどんどんと弱っていきました。
「何ができるんだろう」と悩みました。
先ほどの文章には続きがあります。
『一方で、自分が他人の役に立っていると感じることは生きていくうえでたいへん大きな力になります。家族や医療者が患者に尽くし続けるだけがケアではありません。患者が、「他人の役に立っている」という感覚を持てるような場面をつくることによって、患者は生きる意味を見いだし、生きがいを取り戻すきっかけになるのです』
残念なことに間に合いませんでした。
患者さんに残された時間はわずかです。
私たちが生活で意識する時間の概念と同じではありません。
必要なときにはすぐに行動に移すこと――大きな教訓でした。
スピリチュアルペインと一口に言っても様々な場面があります。
さらに学習と経験を積み重ねながら少しでも進歩したケアが提供できるよう頑張ります。
(注)紹介した文章は次の書籍からの引用です
著者は私たちと同じ医療生協の医師、和田浄史先生(川崎協同病院)です