前回のブログの最後に積み残し課題を書きました

引用します

 

「病状を『受け止めきれていない』と思われている患者さんがいます

しかし、今の苦痛の原因を知ることのみが目的ではないように思います

・ こんな状態になってしまったことが、悔しい、情けない、腹立たしいという思いをぶつけたい気持ちに共感する努力がいるのでは?

・受容が必要と言って、悪い病状を繰り返し説明することで、患者さんの小さな望みをつぶしてしまっているのでは?

などと考えてしまいます」

 

今回このテーマで考え、また反省したことがあります

今までのブログと比べて過激な表現となってしまっている部分がありますが、お許しください

 

(1)Bさんの出来事

 

私にとって緩和ケアがまだまだ手探りの時期のことでした

 

Bさんは50台の男性です

病気が見つかったのは約1年前

食欲がない状態が続き近くのかかりつけ医を受診、そのまま大きな病院に紹介となりました

すでに多数の臓器に転移しており、抗癌剤治療の選択となりました

予後は約半年と言われたそうです

それから1年が経過

るい痩の進行、腹痛の悪化で私たちの病棟に紹介入院となりました

 

食事はあまり口にできず

突然の痛みに悩まされています

医療用麻薬の量がだんだんと増えてきました

 

そのような状況でのBさんの声です

「どうして食べれないのか?」

「なぜ痛みが続くのか?」

「なんでこうなってしまったのだろう」

と毎日のように繰り返されます

 

私たちのカンファレンスでは

――Bさんは病気の悪化を十分に受け止めきれていないようです

――今まで何度も説明をしているんだけれどね

――「私はまだ生きたいんです」とおっしゃっていることもあります

――残された時間はおそらく1~2か月とあまり長くないのになあ

――Bさんにとってはきっとやり残したことがあるんじゃないでしょうか

・・・・・

――繰り返し話をしないといけないのかな

というようなやり取りが何度か行われました

その結果Bさんの気持ちを大切にしながらも、「病状の受容」が必要だろうという点に落ち着きました

 

医師からは検査の結果説明や現在の状態を詳しくお伝えし

看護師からはしておきたいことはないか、あっておきたい人は…

など折に触れて話をしました

 

Bさんはそのつどうなづかれ、わかったと返事をされるのですが

数日すると同じ望みや悩み、心配事を話されます

 

病気と今後のことへの不安がそうさせているのではないかということで

抗不安薬に頼ることもありましたが、眠くなってしまうだけで解決にはつながりません

 

ある日のこと

一人の看護師さんがベッドから起き上がれなくなったBさんの清拭をしているときです

……わたしのきもちをわかってほしい……

か細い声でBさんがぽつんと漏らされたと報告を受けました

 

Bさんはそれから一層苦痛が強くなり

Bさんの希望、ご家族の思いを聞き

私たちの話し合いを経て

持続的な鎮静が開始され

1週間後に旅立たれました

 

2か月ほどのお付き合いの中で、Bさんが言葉にできなかったこと

最後に看護師さんに漏らした言葉

などを振り返り

いま、たくさんのことを反省しています

 

1.Bさんの思いや希望をないがしろにしてしまったのではないだろうか?

 

医療者は患者さんに対して病状や置かれている状況を正しく受け止めていることを求める傾向にあります

患者さんからの反応が「いま一つ」と思ったとき、こちらからの説明が繰り返しーこれでもかというようにー行われることがあります

当事者は決してそのようには考えていないのですが

その結果患者さんのわずかな望みをつぶしてしまうことがあるのではと思ってしまいます

 

というのも

患者さんたちはご自分が悪い状態であることをほとんど本能的に感じているときであっても、おそらくは「少しでも生きたい」という希望を持たれているのではと感じさせられる場面に出合うことが少なからずあります

そのときに医療者としての役割を自覚しながらも、一方的な対応とならずに患者さんの世界に飛び込んでみる努力が求められているのではないでしょうか?

2.Bさんへの期待(何かしたいことがあるはず、それを私たちは叶えてあげたい)がBさ

んにとって重荷になってしまっていたのでは?

 

終末期医療や緩和ケアの書籍や文献がたくさんでています

マスコミで闘病記が紹介されることが多くなりました

無意識に患者さんの生きざまを私たちの枠にはめてしまうようなことはないでしょうか

 

ある患者さんが言われたことがあります

「私はもう何もしたいことはありません。ただこのベッドでゆっくりと身体を休めることがいちばんの幸せです」

「みなさん親切にしたいことを見つけましょうと言ってくださいます。でもわたしはしんどさが強いのでどうしても今できることしかできないのです」

そして

「自分の生き方は自分で決めたいと思っています。強いられたくないのです」

としんみりと話されたことがありました

 

3.Bさんの気持ちをきちんと聴けていたのでしょうか?

Bさんは医療者からの話を聞かなくなってしまったようにも感じました

 

最近読んだ本につぎのようなことが書かれていました

「医者とか看護師さんは私(患者さん)が話をするとすぐ『そうですよね』とか『わかります』とか適当に相槌を打つんだ。でもあなた(目の前の看護師)はただ黙って私の話を聞いてくれた。ありがとう」

・・・・・患者さんの気持ちに応えることができず悔しさで何も言えないまま立ちすくんでしまった若い看護師さんに対しての患者さんがかけた言葉

 

こちらからの気持ちをよかれと思って一生懸命に伝えても患者さんには響かないことがあります

そのようなとき気持ちを切り替えて患者さんからの言葉を静かに待ってみることが必要なのでしょう

 

(2)私の家族の話から

 

ずっと前のことです

私の家族が重い病気になったとき

本人からの言葉を文章にまとめたことがあります

看護師をしていた本人の言葉をそのまま掲載します

 

 

――私はいわゆる病気の「受容」はできていません。キューブラー・ロスの死にゆく患者がたどる心理的プロセス(否認⇒怒り⇒取引⇒抑うつ⇒受容)の話を引き合いに出しますが、私は行きつ戻りつ何かあるたびに何度もこの過程を繰り返しています。ささいなことで気持ちは揺らぎ、怒りや否認という段階に戻ってしまう。自らの体験を通して人は病気になったとき一人ひとり反応は違うのだと初めて気づきました。私は今まで教科書的に理論やデータに当てはめようとしていたのです。科学的な見方はとても大切です。でも忘れないで。患者さんには心があり、身体も一人ひとり特別なのだということをーー

 

――私の受け持ちの看護師さんはとてもよくできた人です。静かな物腰で、丁寧な言葉遣いのできる人でした。ところがあるとき血圧を測ったあと、「これからしばらくはゆっくりとされればいいですよね。これまでがんばってこられたんだから」といつものやさしい声かけをしてくださいました。

でもこの言葉に腹立たしさを覚えました。≪あなたが優しさで言ってくれたことは十分に分かっているのよ。でもあなたは私がこれまでどんなふうにがんばってきたかは知らないでしょう? 私は今の仕事・・看護や介護・・が本当に大好きなの。休みたいと思って休んでいるんじゃないのよ!≫ そして「どうするのかこれから考えます。働き続けられるのか、退職するのかも含めて・・」と答えました――

 

――後輩たちに対して⇒「『私に何かできることはありませんか?』『お聞きになりたいことはありませんか?』と患者さんに声をかけてあげてください」――

 

ここで強調しておきたいことを二つ見つけました

「受容とは何なの?」

「私のことをどれだけ知っているの?」

 

(3)上記ふたつの経験を通して「いのちと家族の絆」(沼野尚美著)を参考に考えてみました

 

☆私たち医療者はともすれば現実の厳しさを患者さんが受容できるようにお手伝いすることを優先しがちです

これまで出会ってきた患者さんから学んだことは、「どのような状況であっても生きたいという望みを持っている人は少なくない」ということです

昨日よりも少し気分がよければ「奇跡が起きるんじゃないか」と期待を持たれていた人がいました

そんなことは考えられないと否定するのではなく、そのわずかな期待や喜びをともに共有することが大切であり、支えることのひとつではないでしょうか

過激な言い方をすれば「希望をたたきつぶさない」ということです

 

☆患者さんが望むことを全部叶える努力をするということではなく、反対に患者さんの人生観をないがしろにして医療・看護を行うことでもない

一人ひとりの状況に合わせた最善を尽くしながら、患者さんが生きる支えとなることが私たちの役割だと気づきました

 

☆沼野さんの文章を引用します

「患者さんにとって、いまさらながら癌になった原因を知ることが目的ではないことが多いのです。むしろ、原因がどうあれ、こんな状態になってしまった、悔しい、腹立たしい、情けない気持ちを誰かにぶつけたいと思っておられます。その腹立たしい不本意な思いに共感する努力をしなければなりません」

「人はどうすることもできない状況のとき、自分の気持ちをわかろうとしてくれる人を求めます。なぜならば、気持ちが理解されることは、心の癒しだからです」

「病める方には『なぜ、なぜ』と何度も言わせてさしあげてください」

「私たちはこの問いかけとつきあっていく覚悟をもたなければなりません」

 

・・・大切な内容が書かれています

 

☆そして…

悩みがある人に寄り添うための秘訣は、「その人のことを理解しようとする」こと

「その人のことを知るためには、きちんと尋ねる必要がある」

とのことでした

 

 

ただ限界も感じています

たとえば急に病状が悪化して入院となった方、短い入院期間の方、コミュニケーションができる時間が短い方 が多い病棟です

今の緩和ケア病棟のあり方の中でどこまでのことができるのか試されています

 

――――いつも中途半端な文章で終わってしまい、消化不良を免れません

さらに考えを深めていきたいと思います

 

⦅追加⦆

「下町の緩和ケア病棟」として日常の出来事を書いてきた文章が今回で100回目となりました

これからも気が付いたこと、気になったこと、悔しかったこと、感激したことなどをちょっとずつ残していきます

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