パソコンの整理をしていたところ

8年前の緩和ケア病棟開設準備あたっての文章をいくつか発見しました

あのときはこんなことを考えていたんだなあと懐かしく読みました

 

なかでも決して忘れることのできないお話を残しておきます

医療生協の組合員と職員へのメッセージとして「私の期待する緩和ケア」と題した文章の書きだしの部分です

 

 

―――若い患者さんのお話です

 

私の知人は40歳代で末期の膵臓癌でした。すでに手術は不可能であり、本人もそのことは十分に理解していました。腹水が貯まり、腹痛が強くなり入院しましたが、アルコールにより失敗をした彼は数年前に離婚し世話をしてくれる家族がいません。唯一幼馴染の女性が毎日のようにベッドサイドを訪れます。苦しむ彼のそばで彼女はある時は彼からのメッセージを言葉にして返します。「そんなに苦しいのね。ここが痛むのね」あるときには背中をさすりながら沈黙して彼からのサインを待ちます。彼女の頭には困っている彼を支えたいという一言があるだけでした。

彼が病気になったのは若い頃からの大量の飲酒が原因です。マイペースの彼は調子のいい日は医師や看護師の指示に従わず、かってに歩き回りときには外へ買い物に出ていきます。そんな彼は病棟では困った患者と見られていました。看護師たちは思い余ってそばに付き添う彼女に対して不満をぶつけることもありました。でも彼女は彼がなぜ言うことを聞こうとしないのか知っていました。(自分にできることは自分でしたい。皆に迷惑をかけたくない。だから必要な物も自分で買いに行こう)日に日に病状は悪化します。彼の訴えは増え続けスタッフたちをこまらせました。何を言っても聞く耳を持ちません。

病棟のスタッフは彼に関わる人たちに呼びかけ話し合いを持ちました。当然彼女も参加します。痛みや苦しさに対しては主治医がモルヒネをはじめとした薬を組み合わせることで症状を和らげることとし、看護師たちはもっと彼の声に耳を傾けようということになりました。経済的な相談にも担当者が乗りました。(彼の心のコップを空っぽにしなければこちらの言うことも耳に入らない)彼女は聞きました。「何か私にできることはないの?」彼は遠くを見る眼をしながらつぶやきました。「別れた妻と娘に会いたい。お詫びをしたい」彼女はそのことを看護師に伝えました。

もう一度話し合いです。人にはそれぞれの人生の物語があります。彼の人生に新しい意味を最後に付け加えてあげたい。彼女は看護師たちとともに奔走します。別れた妻の居所をなんとか探し出し会いに行きました。何度も何度も足を運びます。とうとう元妻は「短時間だけなら」という約束で病院に来ました。そのとき彼の意識は朦朧としていましたが、元妻の声を聞くと力を振り絞って眼を開け「すまなかった…」……その後彼は息を引き取りました。

 

病院や在宅ではたくさんの人生の終わり方があります。私たちはこれまでの経験の上に立ち、さらによりよいケアを実現させるため緩和ケア病棟づくりを目指しています。

この物語は実際に私が体験した出来事です。その人の人生の大切なときに少しでも医療生協の職員として力を出すことができればと思います。夢を実現させるため多くの組合員、職員のみなさんの協力をお願いします。

 

 

―――今もこの気持ちを持ち続けたいと思っています

316-01