Rさんは凛とした女性です

苦痛が強い時も笑顔で応えてくれました

私たちとのお付き合いは1年半ほどでしたが、私たちにとっては濃厚な日々となりました

 

抗癌剤での治療に限界がみられ

腹膜播種にともないイレウスなどの様々な合併症が出現

私たちの病棟に移ってこられました

 

幸い症状のコントロールがつき

高カロリー輸液からも脱却、食事がとれるようになりました

緩和ケアの役割として、まず痛みや呼吸困難など身体の苦痛の緩和です

苦痛が軽快することでもともと考えておられた退院の希望がつよくなってきました

 

心の中にあるのは待ち望んでいたお孫さんの誕生です!

 

娘さん一家と同居され

訪問診療と訪問看護でRさんとご家族を支えることになりました

 

 

それからは何度か入退院を繰り返しましたが

その都度危機を乗り越え、復活を果たすRさん

ご自身の体力に自信を持たれるようになりました

 

その間にもお孫さんはすくすくと成長しています

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穏やかな暮らしが1年と少しつづきましたが

ある時から全身の倦怠感や痛み、食欲の低下が現れるようになってきました

 

そこからの3か月間、Rさんとご家族、私たちの協同が行われました

 

 

担当医として関わり、たくさんのことを学ばせていただきました

ここにそれを記しておきます

 

 

 

≪気持ちをわかる ということ≫

 

 

Rさんの闘病をめぐってはこのことが大きな課題となりました

彼女がこれまでに話されたことを思い出しながら考えてみます

 

 

――前の病院の先生からはある時からもう治療方法がなく、あとは緩和ケアですと言われました

私はまだまだ頑張りたいと思っていましたが、やむを得ずここ(当院の緩和ケア病棟)に来ました

 

スタッフのおもてなしやケアにより少しずつ病気に対する姿勢に変化が見られてきました

退院後はご家族をふくめ訪問看護師さんと仲良くなり、安心して在宅生活を送ることができていたようです

 

 

――何度も入院をしましたが、そのつど良くなり家に帰ってきました

私は運が強いのだと思います

 

今回は厳しいのではと毎回思う私の予測を裏切り(?)、何度も回復し、Rさんの言われるように見えない力が働いてくれているのだと感じていました

 

 

――夫に何としても会いたい、ぜったいに面会に行きます

 

ご主人は別の病院に入院されていました

コロナ禍でなかなか会うことができません

やっとのことでその願いが叶いました

 

そして

ご主人を見送ることができました

 

 

病状が悪化し、生活の一つひとつにご家族や看護師さんの手を借りることが増えてきました

今までにない症状が出てきます

薬がのめないときもあります

でも入院は望まれませんでした

住み慣れたご自宅で家族に囲まれた生活を続けられました

さらには

 

――私はまだがんばります! よくなるという気持ちを持っています

ポータブルトイレはぜったいにいや

いろんなお医者さんたちからは何度も「限界」と言われてきたけれど、私は奇跡を起こしてきました

奇跡を信じます

先生の予想を裏切りたいんです

 

――みなさんが親身になってくれているのが心強いです

 

 

私たちはこの言葉に対し、「Rさんに逆に勇気づけられました」とお返事を返し、彼女の思いを支えていくことを再度決意したのです

 

身体の苦痛を和らげることだけが私たちの役割ではなく、患者さんの“気持ちをわかってほしい”という願いを理解することがとても大切なんだということを知りました

 

 

≪Rさんとご家族の葛藤と愛≫

 

介護の中心は娘さんです

子育てをしながらの介護、癌の終末期の家族の介護はとても苦労とストレスが多かったのだと思います

 

お母さんに寄り添う娘さん

毎日の訪問看護が支えになってくれました

 

日に日に現れる新たな症状

そのつど看護師さんに連絡をされ

(時には看護師さんから私に電話があります)

アドバイスを受けていました

 

 

ある日今後のことを話しあいました

 

Rさん;

「私はまだ『最期をどう過ごすのか』は考えたくありません」

「これまでも何度もよくなって先生たちを驚かせてきました」

「まだ元気になるつもりです」

「けれど娘には心配させていることが申し訳ないと思っています」

 

娘さん;

「このまま家にいる方がいいのか、入院すれば元気になるのか私には分からないです」

「父が亡くなってからは母の気力がなくなったようで心配です」

「食べ物や飲み物が全然減っていないのを見るととても心配になり、このまま体力が落ちて行ってしまうんじゃないかと不安がいっぱいです」

 

お互いに気を使いながら、どうすることがいちばんいいのか悩まれていました

 

Rさん;

「娘には迷惑をかけています」

「娘たちがいなければここまでがんばってこれなかった」

 

娘さん;

「そばで母を見ていてすごい人だと思ってます」

 

母娘の間ではたくさんのお話ができている様子がうかがえました

お互いに思い合い、娘さんのご主人の協力もたくさんありました

 

Rさんにとって娘さんご一家がいつもそこにいることが力になっていたのでしょう

 

どのような選択をしようとそれは決してまちがいではなく、私たちはそれを支えていきます

と言葉かけをしました

 

 

ある時娘さんの不安がつよくなり

場所をかえて話し合いを持つことになりました

点滴のことやこれからの病状の変化のことなど

様々な可能性を考えました

 

その話がRさんの知るところとなり

「私のことなのに私抜きでどんな話をしたの」

と言われたとお聞きし

逆に娘さんを困惑させてしまったのではと大いに反省したしだいです

この点はその後の看護師さんたちのフォローにより助けられることになりました

 

 

今までも、今も、これからも

「隠し事はなしね」

と母娘で約束をしてこられてきたことを知り

私はもっとも大切なことをないがしろにしてしまったと改めて反省しました

 

 

 

≪最期のとき≫

 

ご家族からの連絡を受け

さいごの訪問をしたとき

安らかなお顔で迎えていただきました

 

 

娘さんから

「『ありがとう』」って私たちに伝えてくれて

そのあとしばらくして息を引き取りました」

とお聞きし

 

後日

「孫の結婚式を見るまでは頑張ると言っていました」

とお聞きしたとき

 

Rさんの凛とした姿とこれまでの短かったけれど濃厚なお付き合いの日々を思い浮かべ、胸がいっぱいになりました

 

 

いつかこんな日が来ることも

きっと わかっていたはずなのですが

 

もう訪問することができなくなってさみしくなります

Rさんは私たちの心に思い出としてずっといてくれると信じています

 

 

Rさん、ご冥福をお祈りいたします

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さいごに柏木哲夫先生の言葉を引用させていただきます

 

――どんな最期を迎えたかは、私たちが想像する以上に、家族にとって大事なことなのです (中略) 本当に安らかな最期を実現させるために、ありとあらゆる努力を重ねないといけないと思うのです――

 

 

 

 

 

 

ある人から勧められた絵本があります

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やまのうえの1だいのでんわ

けれどこのでんわはつながっていません

原本に若干脚色して引用します(ほんとは全文を載せないといけないのですが、お許し下さい)

 

 

たぬきのぼうや

おにいちゃんに話しかけます

「ぼく、いいこにするからさ! ねっ! はやくかえってきて!」

 

 

うさぎのおかあさん

「ぼうや げんきにしてる?

いいこにしてる?

いつものようにこもりうたをうたうね!」

 

 

ねこさん

「かみさま、おしえてください

いきるということ、

しぬということは……

どういうことですか?」

 

 

そしてきつねのおとうさんです

「もしもし、おれ、どうしたらいいんだ!

おまえがいないとなんにもできないんだよー

 

おれとこどもたちをのこしていっちゃうなんて……

ひどいよー

 

ごめん!こんなことをいうつもりじゃなかったんだ

ほんとうはありがとうをいいにきたんだ

いままでほんとうにありがとう!」

 

 

 

後書きからの引用です

 

――岩手県大槌町の佐々木格さんが、自宅の庭に「風の電話ボックス」をおきました

「会えなくなった人へ伝えたい……」

ひとりきりになって

電話をかけるように相手に想いをつたえる空間で

実際の電話線はつながっていません

 

「あまりにも突然、多くの命が奪われた。せめてひとこと、最後に話がしたかった人がたくさんいるはず。そして今回の震災だけでなく、会えなくなった人に 伝えたい想いを持っている人は多いと思います。どなたでもいらしてください」

 

多くの方をお見送りし

ご家族の悲しみに接し

この絵本に出合って

たくさんの想いがよみがえってきました

 

チャンスがあればいちどうかがいたいです

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家に帰ることを強く望まれた患者さんの思いと受け持ちの看護師さんの思い

・・・その2

≪みんなにわかってほしい≫

 

――入院3週間後

 

合同カンファレンス数日前

吐気が強く、嘔吐すれば落ち着くのに中々出ない……辛い症状に気持ちが爆発した場面がありました

吐気で苦しい中、洗面台からやっとの思いでご主人へ電話をされました

ところがあまりの辛さに声が出なくうまく伝わりません

苛立ちがつのり、もう一度気持ちを伝える間もなく自分で電話を切ってしまわれました

つぎに娘様へ電話がつながりました

「みんなぜんぜんわかってくれない… このままここにいると死んでしまう… 早く帰りたい」

「まだ帰れないの? もっと家族がつよく(医師に)言ってくれたら…」

涙ながらに訴えられ、辛い思いはご主人への怒りに変わっていきました

また娘様への訴えから、なんとなく医療者への憤りや不信感も抱いておられたように感じました

Mさんはしばらく娘様と話をされ落ち着きを取り戻されました

 

その後症状が落ち着いたタイミングを見て、「退院前の話し合いまで少し日がありますが、訪問看護師の方には一番最短の日にちを組んでもらったのです。退院するためには周囲の人の力が不可欠。退院は待ち遠しいですが、話し合いの翌日以降で早めに退院できないかを相談してみましょう」と説明、約束しました

 

――受け持ち看護師の心のなか

 

「もっと早く退院調整ができていれば」

と、正直私自身後悔したこともありました

Mさんの倦怠感は病状からくるものだけではなく、絶食による栄養不良や血糖値の変動など複雑に絡んでおり、それを見極めることに少し時間を要しました

そしてMさんの中でネックになっていた倦怠感以外にも、嘔吐や疼痛の症状がありましたが、「食事を抜く」という選択肢は彼女の中にはなかったので、「症状コントロールがつきにくい」ということも退院調整に踏み切るまでに時間のかかった要因のひとつでした

体調が悪い時にはMさん自身会話することを遠ざけられたこと等が幾重にも絡んでいたためではないかと思っています

 

――合同カンファレンスの当日

 

当日はMさんご自身でしんどいながらもしっかり話し合いに参加されました

一方でご家族には退院にあたりマスターしてほしい処置や機器の操作方法の練習のために数日にわたって病院に通ってもらい習得していただきました

カンファレンスでは、病状は不安定だけれども明日にでも帰りたいと思っていることを病棟看護師から訪問看護師に伝えました

「早く退院したいよね?」

訪問看護師からMさんに声をかけられたとき、涙ながらにうなづかれたMさんを忘れることができません

 

ただMさんが自宅に帰るためには、周囲の人がいくつかの医療機器をマスターする必要がありました

病棟看護師でもあまり使用したことがない/はじめて見る精密機器もありました

それはご家族だけでなく、訪問看護師も同じでした

在宅という制限やご家族の注射や座薬、飲み薬などへの苦手意識があったため、使用できる薬剤や投与方法が限られており、症状コントロールは難しかったと思います

決して安定しているとは言えませんでしたが、それでもなんとか翌日に退院できることになりました

 

 

――退院後のこと

 

しばらくして自宅では表情よく過ごされていることを聞き、退院できてよかったと思いました

「医療者として、どうケアするのが患者さんにとって一番安楽で、患者さんが望む過ごし方なのか……」

とても考えさせられたMさんとのお付き合いでした

退院後Mさんを支えられたご家族も訪問看護師、主治医・往診担当看護師もたくさん悩まれたと思います

退院前はご家族はそれぞれの生活の場で過ごされていたので大丈夫かな、と心配していたのですが、最後には交替で付き添われ寄り添っておられたと知り、家族の力でならどこまでも団結して強くなれるし、その力の偉大さを感じました

もちろん、遠方から1日に何度も足を運び何度も電話で相談に乗ってくださった訪問看護師や医師・往診担当の看護師の存在なしでは成り立ちませんでした

がんばりに頭の下がる思いです

 

今後出会う患者さんにおいても、その方の思いを大事にし、思いを叶えるタイミングを逃さないよう、みんなと密に連携をとって大事なときを逃さないよう看護していきたいと思います

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家に帰ることを強く望まれた患者さんの思いと受け持ちの看護師さんの思い

・・・その1

 

以前にご自宅で最期の時をすごされたMさんのことを書きました

今回入院中にプライマリーナースとして受け持ってもらった看護師さんからの報告をいただきました

私の知らなかったこともあり、心に染みる内容となっています

 

2回に分けて掲載したいと思います

 


 

                                                   

症状のコントロールのために入院してこられたMさん

「症状が楽になったら家に帰りたい」

「お正月は家で過ごしたい」

という意向を示されていました

そしてご家族も同じ思いであることを確認しました

 

入院の当日から、ご病気の影響で蠕動痛が激しく強い様子で、睡眠剤で少し休息の時間を設けないと辛いほどの耐えがたい苦痛がありました

蠕動痛を緩和するために一時的に絶食へ

すぐに医療用麻薬の皮下注射を開始し、さっそく症状コントロールを始めました

 

 

≪楽になって家に帰りたい≫

 

その後、食事開始とともに症状が増悪

疼痛も嘔吐の頻度も増えました

食事をすることで症状が増強している可能性があること、また一時的に絶食にし食事形態を変更しませんか? と、主治医からMさんへ提案がありました

しかしMさんの食べたい思いは強く、そのまま食事形態を落とさずに3食食べたい思いは変わりませんでした

「食べること」がMさんにとってどういう意味を持っていたのか、直接は聞けませんでした

しかし、あれだけしんどい思いをしてでも食べることを継続する決断をされたのを見て、Mさんにとって「食べること」は症状が増強したとしても生きる上で大きな意味を持っていたのだと感じました

 

症状は落ち着いている時期もあれば増強している時期もあり、どのタイミングで退院の話を出してもいいのか迷いました

しかし、絶食の時は比較的症状が軽く、固形物を含む普通の食事を提供すると症状が増強することが分かりました

Mさんが食事形態を変えず食事を継続する意向なら、これ以上の症状緩和はのぞめないかもしれないと思い、このタイミングで退院について再度思いを聴くことになりました

 

――入院1週間後

 

「いつまでには帰りたいとかはないけど、もう少し体が元気になったら帰りたいかな」と、退院希望はあれども、倦怠感がネックになっていることを訴えられました

そして、急いで退院準備をするのではなく、あくまで「症状が軽減し、楽になったら退院したい」という部分も確認しました

 

痛みはある一定まで軽減できましたが、病状からこの時期の倦怠感の改善は難しいかもしれない……と思い、「病状から倦怠感はとれないかもしれないが帰りたいですか」という点も含めて退院について主治医から声かけしてもらうよう依頼しました

ただしMさんの体調は日によって違い症状にも波があるため、医師も言い出すタイミングを見計らっていました

 

――入院2週間後

 

「倦怠感が取れないなら帰りたい」

主治医からの説明を受け、Mさんの中で退院への思いが大きくなりました

しばらくしていよいよ退院方向で調整することになり、訪問看護師やケアマネジャーの方と合同カンファレンスを行う日が1週間後に決まりました

 

ご主人からお聞きしたのですが、Mさんは闘病生活を送る中で「意識がはっきりしている期間はいつまでか」を前の医師に聞きながらこれからの過ごし方を考えてこられたそうです

病状が悪いこともすべて自分で聞いて治療方法やこれからの人生を計画されてきました

そして、「最期は家で迎えたい」ということも以前からご家族で話し合われていたようです

Mさんに退院についての思いを聞いた時と同時期、ご家族に退院についての意向を伺いました

「本人が家で最期を迎えたいというなら支えたい」と言われました

自宅で最期を迎えられるかもしれないため、終末期に出現しやすい症状などをまとめたパンフレットを用いて、Mさんが今後どのような状態に変化していくことが予測されるかをご家族にお話しました

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回診のときのことです

Aさんとは社会のことを話すことがたくさんあります

 

この日もテレビをみながらいろいろとお話をしていました

 

戦争が終わり、Aさんが大陸から日本に家族といっしょに引き上げてきたときはわずか4歳だったそうです

そのときの厳しい生活のことなど今でもはっきりと身に染みて覚えておられます

「戦争なんて二度とするもんじゃない!」と話されていました

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ロシア軍がウクライナに侵攻(侵略と言わせてもらいます)を開始したニュースが流れていました

「小さな子どもが被害に合っているのを見てやるせなくなりました」

「どんな理由があっても戦争はよくないです」

ときっぱりと言われました

 

 

新聞やテレビなどで勉強しました

今回のロシアの行動は

“主権尊重”“領土保全”“武力行使禁止”などを義務付けた国連憲章に違反しています

どんな理由でも戦争行為は許されるものではないということは、何度も大変な経験を重ねてきた人類共通の思いでしょう

 

子どもや青年、お年寄り

女性や男性

みんなの命が脅かされています

 

 

 

緩和ケア病棟で働いて7年間

多くの方の生きざまと同時に

最期の迎え方を見てきました

 

一人ひとりの命は

とても大切なものであり尊重するべきものであることを

それまでの医療現場で働いてきたとき以上に

感じています

 

しかし

戦争状態のなかでは

まったく正反対のことが行われています

 

みんなの価値観が根底から覆され

人としての尊厳が踏みにじられてしまっています

 

 

緩和ケアを担当するものとして

また医療従事者として

なによりも人として

戦争や侵略行為には

心から反対の意思表示をします

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それぞれの立場から

声をあげることが求められています

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