ピザをひとりで食べるときはなぜかさみしくなりませんか?

家族や仲のいい友人たちとにぎやかに食べるときの方が幸せを感じるのは私だけでしょうか

 

日本のピザについては色んな説があるようですが、こんな話もあります

第二次世界大戦時、イタリア海軍の船が神戸港に着きました

乗組員のひとりが神戸で2か月間だけ開いたレストランで初めてピザが焼かれたという説があるそうです

 

ここでも私たちのまち、神戸がでてきました

 

Aさんはふだんとっても物静かな患者さんです

自分から症状を訴えられることも多くありません

看護師さんから薬を飲むことを勧められても、自らが納得してからでないと飲んでいただけません

しかし少しずつ病状は進んできます

「試しに使ってみませんか」とお勧めし、それほど言われるならと同意され、症状がよくなったことを体感されてやっと薬の追加を受け入れられるという状況です

 

そんなAさん

誕生日をみんなでお祝いしようと看護師さんたちが計画しました

「何か食べてみたいものはありませんか?」

少し考えて

「ピザを食べたい」

と返事

 

当日の模様です

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この日に勤務していた看護師さん全員と栄養士さん、そしてご家族、みんなで誕生日の歌を歌いました

いよいよお待ちかねのピザです

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この日のために栄養士さんが手作りで準備してくれました!

そして病棟のスタッフからの寄せ書き

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Aさん、満面の笑顔でした

 

あとで「どうしてピザなんですか?」とお聞きしました

「ほとんど食べたことがなくて、食べたいなと思ったから」との返事

 

よかったですね

 

ちなみに「ピザの日」というのがあるそうです

11月20日が「ピッツア・マルゲリータ」の名前の由来となったイタリア王妃マルゲリータの誕生日だからと聞いています

 

Aさんにとっては、この日が「ピザの日」ですね

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大学入学後すぐに学生寮に入りました

そこでは2学年上の先輩と同室でした

彼は学部こそちがえ、とてもいい人で尊敬できる先輩でした

 

おおくの影響を受けたものです

たとえば…

先輩は『ドストエフスキー』が大好きで、私も貯金をして全集を買いました

夏休みには冷房もつけずに読みふけったものです

 

彼は音楽の趣味があり、とくにビートルズの大ファンでした

毎晩のように歌を聴かされ

いつしか私もファンのようになってしまいました

 

彼は「メロディーもいいけど、歌詞が大好きなんだ」と言いながら、得意の英語力を生かして日本語訳をしてくれました

 

なかでも「Yesterday」を毎日歌っていました

そのとき「これは別れた恋人を想う歌だって言われてるけど、ほんとはポール・マッカートニーが子供のころに癌で亡くなったお母さんへの想いを歌ったものなんだよ」と教えてくれました

 

最近ふとそのときのことを思い出しました

 

また私の母が私が勤める病院で最期を迎えたときにも自然とそのときの情景が浮かんできたことも思い出しています

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―その一部です

 

Why she had to go

I don’t know she wouldn’t say

I say something wrong

Now I long for yesterday

 

邦訳はネットで調べました

 

“なぜおかあさんは旅立たなければならなかったの

わからない 黙っているだけ

ぼくは悲しませることを言ってしまったの

今は焦れるだけ 昨日に戻れたらと”

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今、患者さんとご家族(あるいはご遺族)のつながりについて勉強をしているところです

 

 

緩和ケア病棟で働くときに避けて通れないテーマのひとつがセデーション(鎮静)です

 

当院での開設後のデータでは、

最初の1年間の「深い持続鎮静」の比率は26%でした

その後の半年間の比率は6%と減少していました

この結果をどう評価するかはまだ早いと考えています

 

患者さんが入院してこられて最初のお話(この場合はご家族も一緒のことが多いです)で、鎮静の説明もさせていただくことがよくあります

しかし「最悪の場合」とお断りをいれさせてもらっても、みなさん想像ができないのは当然です

病状の進展に合わせて何度かお話を繰り返させていただくことになります

 

いよいよ必要だろうと思われる時期を迎えたときに、ご本人の思い、ご家族の思いを十分にお聞きしながら、日本緩和医療学会の「鎮静のガイドライン」に沿ってスタッフ間でカンファレンスを行ないます

 

担当医として大いに悩むときです

「ほんとにこの判断でいいのだろうか?」

「死期を早めてしまうのではないだろうか?」

一方で

「患者さんの望みをかなえてあげることができれば…」

などなど

 

ある先生は『普通の亡くなり方に近づけるための治療です』と話されるそうです

(お断り:http://drpolan.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-c838.htmlより引用させていただきました  ありがとうございます)

 

またWHOの見解は

『鎮痛薬を適切な量で使ったことが死を早めることになったとしても、それは過量投与によって意図的に命を絶つことと同じにはならない。適切な痛みの治療法が死を早めることになったとしたら、尊厳のある、容認できる生活状況を維持するのに必要な治療手段にさえ耐えられないほど、患者の状態が悪化していたことを意味するだけである』(WHO1990)

 

 

簡単には結論にたどり着けないのがこの分野の難しさであり、またやりがいにもつながることなのでしょう

 

 

まだまだ大いに悩むことになるでしょう

(このテーマはきっと永遠のものだと思っています)

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追記:ブログもついに130回目を迎えました

 

医療/介護の大きな流れとして「地域包括ケアシステム」の課題があります

私たちは医療生協という特徴を生かした「つながりマップ」づくりという地域での医療生協組合員さんが主体となった活動に取り組んでいます

これは地域での医療や介護だけでなく生活全般にわたる要求や課題を盛り込んだ地図を作りこれからの取り組みに生かそうとするものです

 

その中から住民の困りごとがたくさん明らかになってきました

今後は組合員の活動に加え、事業所職員のかかわりをどう強めていくか、地域での医療や介護の資源をどのように生かすか、それらの連携をいかに強めるかに取り組むことになります

 

法人としては「虹のサポートセンター」という部門を立ち上げ、私たちが目指す地域包括ケアづくりのかなめとしての役割を果たすことが期待されています

 

以下に責任者のK氏作成の資料を掲載させていただきました

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ところでこの議論をするときに政府の説明に使われる図があります

いろんな集まりで紹介されていますが、私にとっては軽視できないものです

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(出典:平成25年3月 地域包括ケア研究会報告書より)

この一番下に述べられている「本人の選択と本人・家族の心構え」について次のような記載があります

「常に家族に見守られながら亡くなるわけではないことを、それぞれの住民が理解したうえで在宅生活を選択する必要がある」

 

この記述を見て私は違和感を覚えました

 

「すまいとすまい方」から上の部分は理解できます

しかし「本人の選択と本人・家族の心構え」とは?

 

私たち医療者は重い病気を抱えた患者さん・ご家族とお話をするとき、病気が進行しこれからの医療や生活、やっておきたいことなどを話し合います

その際にご本人やご家族の意思を最優先にさせていただくし、もし迷いがあればじっくりとお話をお聞きし、最善のことを選択していただくお手伝いをします

現場から見れば上記の「本人の選択と本人・家族の心構え」は当然のようにも思えます

 

しかしこの図はあくまでも「システム」の説明だと考えられます

「本人の選択」「心構え」はそれぞれの方の「人生観」にかかわる領域ではないでしょうか?

それを「システム」として「規定」してしまうのはあまりにも乱暴な気がしてならず、そこに違和感を覚えたのです

もし何らかの記載が必要なら「本人や家族が安心して暮らせる保障、その際の本人・家族の選択」ということになるのではないでしょうか

 

すでに多くのことが動いています

私たちは地域の医療資源のひとつとして貢献できるよう頑張りたいと思っています

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私たちの仕事はその日一日何がおきるかわからないことが多いのです

本来患者さんとはゆっくりと落ち着いてお話をし、診察をし、方針をたてるということが求められているのですが、実際にはままならないことがたくさんあります

 

ずっと前のことですがこのようなことがありました

 

土曜日の午前診でのできごとです

診察の終了時間が来ても、この日は患者さんがたくさんでした

カルテはまだ山のように積まれていました

介助の看護師さんもそわそわと落ち着きません

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そのようなとき隣の診察室から大きな声が聞こえてきました

「僕はこのあと○○に行く用事が入っているんだ。だからあなたの話にこれ以上付き合うことはできない!」

(○○の中身は自由に想像してください。仕事とは関係のないまったく個人的な理由でした)

「あとは□□先生(私のことです)に診てもらって…」

と部屋を出て行ってしまいました

 

私は別の患者さんを診察中でしたが、その方もあっけにとられていました

 

たしかに彼は今日の午後から大切な約束があると話していました

でもこのような対応は…

 

私もあとの用事があるときの外来はイライラすることがあります

しかし焦るといいことは何もありません

診断を間違えたり、患者さんとの関係が気まずくなったり

いつのころからか次のように考えることにしました

――外来診療は何時から何時までと決められており、必ず「終わり」がくるはずだ

それからは焦ることが少なくなりました

 

またこんなこともありました

今度は私の経験です

20代のころでした

 

入院中の終末期を迎えた患者さん

不安がいっぱいで訴えも多彩です

最初は一つ一つの話に付き合っていましたが、そのうちに次の予定のことが気

にかかりうわの空になっていきました

気付くと顔は患者さんに向けているのですが、足はドアの方に向いています

(立ったままで話をしていました)

あとで申し訳ないことをしてしまったと大いに反省です

 

最近読んだ本に以下のようなことが書かれていました

(題名は「スピリチュアル・コミュニケーション」著者は岡本拓也先生)

――ゆっくり丁寧に仕事をしたほうが、むだな動きをしないですみますし、的確な仕事ができます

――せっかちに業務を果たすことで、私たちは、自分がしている仕事に、深い喜びや満足を感じられなくなってしまうのです

――今の仕事、目の前の患者さんに、常に100%の力を向けること

 

耳に痛い、また胸に響く言葉です

 

「忙しいからこそゆっくりと」を心がけたいものです

そのためには心身の状態も最善に保つ努力も必要ですね

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