2年目の医師生活も半年が過ぎた。

彼女はより大きな病院に移って研鑚を積んでいた。

そこでの経験を経て医師にもいろんな人たちがいるんだと少しずつわかってきた。

彼女は医師はまず科学的でなければいけない、そのためには根拠にもとづいた診療姿勢が求められ、感情や一時の気分で仕事の内容が左右されてはいけないと考えていた。

 

(1)

「この患者さんは終末期だからこれ以上何もしなくてもいいよ」

そのときの指導医からこう告げられた

患者さんは80歳半ばの男性

長年呼吸器の疾患を患ってこられ、何度も入院と退院を繰り返してきた人だった。このたびも風邪をきっかけに呼吸困難が悪化して緊急入院となった。

「たばこをやめないとひどくなるって先生から言われていたのに、たくさん吸わないからと言ってとうとう禁煙ができなかったんですよね」と付き添っている娘さんが悔しそうに話された。

「けれど私が中学生のときに母親を亡くし、男手ひとつで私を大学まで行かせてくれました。私が遠くに行ってからはまったくの一人暮らし、その寂しさを紛らわすためにたばこを吸うようになったと思います」

そう話す娘さんの眼は優しさをたたえていた。

 

指導医の「何もしなくていい」という言葉の真意がわからず、彼女は悩んでいた。

――風邪から肺炎を併発して、たしかに厳しい状態であることはまちがいないけれど、終末期だから何もしなくてもいいってどういう意味なのかしら

思い切って指導医に尋ねることにした。

「肺炎の治療にたいして抗生剤の点滴は当然のことだろ。でも呼吸不全が進行した時には人工呼吸以外にはきっとなすすべはないと思うよ。患者さんは人工呼吸だけはいやだって以前から言っていたし、かりに人工呼吸を始めたとしても器械につながれたまま最期を迎えることになるから僕はそのような方針はとりたくないんだ」

指導医の考えも納得できるところはあるけれど、何かしっくりとこなかった。

 

運悪く患者さんは急激に病状を悪化させていった。

 

起き上がることはおろか、声を出すことさえ苦痛であった。

娘さんは常にそばで見守っており、患者さんの症状の変化に一喜一憂していた。

「食事はとれないと弱っていく一方ですか? 栄養補給はできないのでしょうか?」と娘さん。

指導医からは「この状態では点滴をするとよけいに病状が悪くなるし、点滴で栄養補給はむずかしいです。すでにそのような状態ではないです」と淡々と説明があった。

娘さんは頭では理解できても大切な父親の苦しむ姿を見続けることにつらさを感じていることは明らかであった。しかし、言葉ではわかりました、しょうがないことですね と返事をするのみであった。

――とても聡明なご家族だわ

彼女は自分なら同じ態度をとることができるだろうかと自問していた。

 

いよいよのときが近づいていた。

酸素吸入もほとんど効果がなく、昏睡状態に近い状況であった。

看護師から「酸素を増やさなくてもいいのですか? ご家族へのお話はどうされますか?」と質問を受け、指導医に相談をしたところ、「酸素はこれ以上不要だ。家族への説明は君の方でしておいて」とそっけない返事であった。

「あの先生はお亡くなりになる患者さんには淡泊なのよ。困ったものだわ」と受け持ちの看護師。

副主治医としての役割を感じた彼女は時間の許す限り患者さんと娘さんのそばに付き添う努力をした。

 

大きく息を吐いて、そこから二度と胸が動くことはなかった。

指導医に連絡、「看取りをしておいてよ。君ひとりで大丈夫だろ」との返答。

 

 

お見送りの場面で、娘さんからは「先生にはほんとにお世話になりました。先生がいてくれて安心でした」と告げられたとき、彼女は目を合わせることができなかった。

 

 

ほぼ同じ時期にもう一人の患者さんの担当になった。

指導医は別の内科医。

70歳の女性癌患者さんだった。

 

3年前に手術を受け、術後の抗癌剤治療を続けられ落ち着いた生活を送られていた。しかし最近食事量が減少、体重も10Kg減ったとのことで入院となった。

入院後の精密検査で、肝臓や腹膜への転移が見つかった。

「これ以上の抗癌剤はむずかしいな。BSCだな」と指導医。

BSCとは「手術や抗癌剤などの積極的な治療は行わず、身体的精神的な苦痛や治療による副作用を軽減したり、QOL(生活の質)を高めたりすることを中心にした治療・ケアに徹すること」をいう。

 

指導医による患者さんとご主人への説明の場面。

「これまでも説明してきたように、あなたの病気は全身に広がっています。抗癌剤治療は効果がありません。むしろ強い薬で体を弱らせてしまう恐れがあります。なので今後は抗癌剤での治療は終了とします。これからはできるだけやりたいこと、やり残したことをする生活に切り替えてください」

患者さんも家族も治療への期待を持たれていることが入院時からはっきりとわかっていたので、この一言が衝撃であった。説明の途中から患者さんの眼から大粒の涙が流れ出した。ご主人も肩を震わせていた。

「どうしても治療はむりでしょうか。私たちはまだ頑張りたいとおもっているのですが…」

「先ほども話をしたように治療は限界です。もしご希望されるなら緩和ケアを専門とする施設を紹介します」

「緩和ケアって…。最期の人が行く所じゃないんですか」

「今後のことは看護師から聞いてください。いい病院はたくさんありますので」

早くこの話を終わりにしたいという雰囲気を漂わせながら指導医は断言した。

「この病院は治療が中心の病院なので、病院をかわっていただくことになります」

 

横でやりとりを聞いていた彼女の胸はやりきれない思いでいっぱいだった。

――もっと患者さんやご家族の気持ちに寄りそった話し方ってあるんじゃないのかしら

たしかにこれ以上治療を続けると逆に寿命を縮めてしまう心配もあるけど、これじゃ納得できないって思われてもしょうがないわ

 

その日の診療が終わってから指導医に声をかけた

「癌の患者さんのことですが、いままで当病院で治療を行ってきた方なので今後もここで緩和ケアを続けるわけにはいかないのですか」

「君はまだ若いし、経験も浅いから理解しにくいかもしれないが、我々の病院は急性期医療が中心なんだ。治療を終えた患者はたとえばリハビリが必要であればリハビリ専門病院へ、介護が求められるなら介護施設へと送り出さないといけない。それは我々の医療の役割ではないんだよ。それに長期の入院となれば経営にも跳ね返るから経営陣の眼が厳しいんだ。あの患者はこれからのことを考えるとホスピスが望ましいと考えてあげるのが最善の選択なんだ」

「でも患者さんもご主人も納得は…」

「完全に納得されるまで待つわけにはいかない。あとは看護師やソーシャルワーカーに任せるしかない」

指導医からはっきりと言われるとさらに食い下がることもできず、彼女は「わかりました」と答えるしかなかった。

 

しかしもうひとつモヤモヤしたまま残っていることがあった。

指導医と議論して理解してもらう力がまだないことが悔しかった。

――いきなりの治療終了宣言ってどうなんだろう

治療は限界なんだろうか

医療って割り切らないといけないのかしら

私はどうすればよかったの?

突然言われた患者さんやご家族の気持ちはだれが受け止めるの?

 

研修をつめばつむほど、多くの患者さんと接すれば接するほど、医療現場の矛盾に直面し、医師の役割がわからなくなっていた。

 

(2)

初夏の当直であった。

「職員が意識障害で救急搬送されました。診察をお願いします」

コールがあった。

救急室に駆けつけると若い女性がベッドに寝かされていた。

――あ、この娘は…

 

卒業後2年目の看護師であった。

同期の就職ということで親しくしていた娘であった。

 

「○○さん、聞こえますか? どこか痛みます?」

体全体を緊張させて唸り声を出すだけで、返事が返ってこない。

――脳卒中だろうか? でもまだ20代で若いし、もっと他の病気かしら。それとも何か薬でも飲んで…

外傷はとくに見られず、手足のまひなども明らかではなかった。

付き添ってきた友人からの話によると、今日は風邪気味で一日中看護師寮で休んでいた。夜になっても起きてこないので様子を見に行くとこのような状態であったということである。

発熱や頭痛などもなく、嘔吐も見られていない。

とりあえず血管確保と必要な検査を指示し、入院の手配を行なった。

 

血液検査はCRPなどの炎症所見が軽度見られるほかには異常はなかった。緊急での頭部MRIも異常所見なし。原因は不明。

手足が緊張し、頸も硬いため髄膜炎の可能性も疑い腰椎穿刺を行ない髄液検査をしたが、やはり異常はなかった。

 

バイタルサインには問題がなかったのでとりあえず明日まで経過を見ることになった。

 

翌朝病室を訪れると、看護師は目を開けて返事もできるまで回復していた。

「何があったのですか」と不安と戸惑いの表情で尋ねる看護師に、こちらの方こそ聞きたいことがたくさんあるのよと答え、昨日、あるいはそれ以前からの体調の変化や飲んだ薬のことをこと細かく質問した。

 

昨日は朝から風邪気味で食事もとらずに部屋で休んでいたと言う。

詳細に聞いてもそれ以上のことはわからない。

 

「でも回復してきてよかったね」

経過を見るためにしばらくは入院を続けさせることにした。

 

しかし、手足の緊張がとれてくると、今度は脱力が現れ、自分で食事をとることや、立ち上がること、排泄などがまったくできない。

――まだ何か病気が隠れているのかしら

彼女はもういちど詳しく診察をして全身の所見をとり、検査結果を見直し、

追加の検査を行ない診断に努めたが、ウイルス感染や神経疾患などの徴候さえ見られず、結局のところ原因にたどりつけなかった。

 

意識ははっきりしているにもかかわらず、手足が自由にならない看護師は泣き出す始末。

担当の彼女も上級医に相談を持ちかけるがだれからも明確な返答をもらえない。

 

入院して3日目。

悩みながら病室を訪ねると、「先生! 手が動きます! ほらっ」

確かに左右の指のすべてが先の方から動き始めている。

自然によくなるのだろうか?

 

翌日には肘が曲がるようになっている。

さらに膝の関節も。

 

――いったいどういうことなんだろう

不思議な回復の仕方だ

 

病院の食堂で昼食をとりながらぶつぶつと独り言を言っているところに、同期の研修医がやってきた。

「難しい顔をしてどうしたの? あなたにはめずらしいことね」

ダメもとで困っていることを説明した。

「それってひょっとすると」と言って考えても見なかった病名を口にした。

同期の研修医は精神科をローテートしていたはずだ。

食事もそこそこに医局の図書室で教えてもらった文献を探した。

 

その日のカンファレンス。

彼女は看護師の病気について報告した

「患者さんは『ヒステリー』と思われます」と。

 

よくよく見ると看護師は手の先からあるいは足の先から少しずつ動き始めている。普通の麻痺の回復過程では説明がつかない。

一日ごとに徐々に体の中心に向かって動きだしてきたのだ。

同期の医師は「ヒステリーの患者さんが麻痺になって回復するとき、その人の知識レベルによって影響を受けることがあるって先輩から聞いたことがあるよ」と教えてくれた。

病気になった看護師はまだ若く、麻痺の回復過程の勉強が不十分であったようだ。そのおかげで診断にたどり着いたということもできる。

 

結果看護師は無事完全に治り、仕事に復帰することができた。

のちに二人だけのときに聞いたところでは、付き合っていた男性とうまくいかず別れ話を切り出されショックを受けていたということであった。

 

この出来事があり、彼女はまだまだ勉強することがたくさんあり、思い込みはよくないということを学んだ

また指導医からは「救急時の対応はよかったよ」と評価されたことを付け加えておこう。

 

さらにつづく…

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