「制限がある中でもあきらめることなく……解決の難しい課題にこそ、緩和ケアが必要になってくる」
これはある緩和ケアの先輩医師の言葉です
★まだ若い患者さんでした
入院してこられたときにはすでに病気はかなり進行しており、今日・明日ということが考えられる状況でした
彼女には10代の子どもたちがいました
病気のことは伝えられていましたが、予後などは知らされておらず
ご家族も私たちも悩みました
―――お母さんに会いたい
子どもたちは言います
かろうじて意識が保たれているので、面会されるなら今しかないと判断
子どもたちは学校が終わってすぐに駆け付けました
呼吸は早くなってきました
高い熱が出ています
子どもたちが到着
彼女は大きな息をしながらベッドの両脇に座った子供たちに眼球を左右に何度も動かしながら想いを伝えようとしています
どうしていいのかわからず戸惑う子どもたち
「手をにぎってあげようね」
「話しかければわかってくれるよ」
とアドバイス
やさしく、またしっかりと手を握りしめました
彼女もそれに応えて涙を流されます
そばに付き添っていた看護師さんは
「私たちに見せる表情とははっきりとちがうお顔を子どもたちに向けられていました」
と語っていました
言葉での会話はできなかったけれど
アイコンタクトや体のぬくもりを通しての交わりができたのではないでしょうか
最近出版された森田達也先生(聖隷三方原病院)の書物につぎのような記載があります
『最期のときの立ち合い』に関する記述です
引用します
「立ち会えた家族と立ち会えなかった家族とで抑うつの度合いを比べてみると、立ち会った人のほうが抑うつが強いという逆の結果でした。これは、もともと患者との関係が深く、その後悲しみが増える人ほど立ち会いたい、立ち会ってももともとの悲しみがなくなるわけではない、という現象を表しているのだと解釈できます」
「『患者さんは大切な人に伝えたいことを伝えられた』についてみると、伝えられた家族のほうが抑うつになりにくく、最後に立ち会うかどうかよりも、その前に患者と家族でのやり取りができていることが遺族の死別後の健康に影響する」
「亡くなる前に患者と家族が顔を見て話せるような工夫をすると、いくらかは家族の役に立つかもしれないという意味で、この研究がしばしば引用されています」
コロナ禍での面会制限が続く中ですが、私たちの病棟の看護師さんたちはいよいよの時だけでなく、意識がなんとか保たれているこの瞬間にご家族と会っていただこうと努力をしています
本来ならば、毎日でも時間の制限なく、ときにはお部屋に泊まっていただいて、大切なときをともに過ごしていただくはずなのですが、感染防御が優先される厳しい状況での工夫です
★男性患者さんのご家族はこれまで過ごしてきた医療機関での対応に不満や不信を持たれていました
入院にあたっての面談のときに患者さんやご家族の悲しみをお聞きしました
私たちの病棟に移ってこられたとき
家族が付き添えない間、どんな風にスタッフが接するか心配されていました
病状が急激に悪化したときのことです
ご家族に急いで連絡をとりました
患者さんのスマホからご家族に電話をしました
「がんばっておられますよ、みなさんのお声を聞かせてあげてください」と看護師さん
ビデオ通話にしてお顔が見えるようにしています
さらにスマホを患者さんの耳にあててご家族の呼びかけを聴いてもらいました
「おとうさんがんばって、もうすぐいくからね」
「ずっとがんばってきてくれてありがとう」
ご家族は声をかけ続けました
※ある看護師さんが話されていたことを、昼のカンファレンスでみんなに紹介したことがあります
――ご家族が最期のときに間に合わないことがあります。たとえ応えることができなくても、意識がなくても、聞こえていますよとお伝えして電話を患者さんの耳元に添えて、ご家族から話しかけていただいています
このような内容であったと思います
そのときの話をさっそく実践してくれました
旅立ちの時
奥様はご主人にそっと口づけをされました
「ありがとうね」
ご家族から看護師さんへの言葉です
「この病院の看護師さんたちは全員プロです。ここでそのことを知れたことがうれしいです」
「私たちはどの施設も信用できなくなっていました。でもこのような最期を迎えることができてよかった。後悔はないです」
と言っていただきました
私はのちにこのお話を聞いて努力がむくわれたなあと感じました
冒頭に書いたー制限がある中でもあきらめることなくーが
まさに実践され勇気づけられた思いです