今年も新入職員がたくさん入職しました

入職式では例年のように私もあいさつをさせてもらいました

 

今年はふたつのことをとくにお話しました

 

その中の一つです

 

“(私たちの)仕事の対象は「心や体が傷ついた人たち」です

大げさな言い方になりますが、自分の人生観が患者さんや家族の人生観とぶつかったり、同僚の人生観との違いに悩むこともあります

そのときに何が大切なのか?

これから考えながら経験を重ねていってほしいです

きっと1年後には大きく変化した自分自身に気づくでしょう”

 

と話をしました

 

 

その後新刊の雑誌が届き、「『患者の価値観に寄り添う』と私がモヤモヤする理由」という特集が組まれていました

 

そこでは

「(対話において)自分の考えを話すだけではなく、相手の言うことをじっくり聴くこと、ただ聴くだけではなく、表面的な選択の背景にどんな理由があるのか、能動的に質問をして、相手の考えの根本にある価値観や前提を理解することである」

「(対話は)相手と同じ考えになることや、表面的な合意をするために行うのではない。むしろ、この部分は違うということをはっきり認識し、違いをもとに共同的、創造的な関係を築くために行われるのである」

と述べられていました

 

なるほど!

と思いました

 

日常の診療やケアの場面で

患者さんや(とくに)ご家族が「なぜこのようなことをされるのだろうか?」「どうして分かってもらえないのだろうか?」

と思うことがあります

 

たとえば

食事を食べたい

水分をとりたい

との希望が強いけれど

呑み込む力や能力が低下し

すぐにむせてしまう患者さん

がいます

 

誤嚥して

肺炎をおこされている患者さん

やむをえず絶食にしたり

水分にとろみをつけたり

させていただきます

 

ご家族にとってみれば

「何もたべないと弱ってしまう。餓死するんじゃないか」

と心配になり

頑張って食べさせようとされます

 

しかし

そのつど吐き出したり

咳き込まれたり

 

その時に私は

食事をすることのリスクの話をして

理解していただこうと努力します

 

そこから

考え方に食い違いが生まれてしまうことが

時にはあるのです

 

――なぜ頑張って食べさせようとされるのか?

――大切なご家族(患者さん)に何をしてあげたいと望まれているのか?

 

あらためてお尋ねして

その背景にある「判断」の生まれるところを

理解する努力がもっと必要なのでしょう

 

そこからより深いケアにつながるような気がしています

 

私にとって実際にはとても難しいことなのですが…

その努力は今後さらにしていかねば

と自らを励ましています

 

 

これから機会があれば

新入職員さんが悩まれているときに

もっと話ができればいいな

と思います

205-01

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