正月気分が抜けた土曜日の午後

遅ればせながら

「新春のつどい」が開催されました

 

参加者はなんと…!!

400人以上

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ぎっしりと

立見席が出るほどでした

津軽三味線のオープニング

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メインは

岡野雄一さん

“ペコロスの母に会いに行く”の作者です

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私は私用で途中までの参加しかできませんでした

参加した職員にお願いをして

感想を書いてもらいました

 

以下に掲載します

(若干の追加などがありますので、文責は私になります)

 

漫画のタッチと同じ、温かい声で、認知症の母・みつえさんとの日々が語られました。

 

☆記憶のパッチワーク

 

若いころ、飲んで荒れた夫から逃げて裸足で親戚の家に駆けこんだ母、認知症になって、町の入口に裸足で座り込んでいた母が、追いかけていたのは既に亡くなっていた夫だった。

戦争の時代、小さな弟、妹を背中に負ぶって働いた母、動けなくなった母を布団におろそうとすると、「背中に、かわいい弟、妹がいるから優しく寝かせて」と言った。

 

岡野さんが「認知症の人は、記憶のパッチワークをしている」と話され、私は、もう亡くなりましたが、高次脳機能障害だった母の晩年のことを思い出しました。何もわからなくなっても、私はちゃんと母の記憶の中にいたんじゃないかという安心感と、どんな私がいたんだろうと母との思い出を振り返るような懐かしい気持ちになりました。

 

―――その他お話されたこと

 

☆死ねばいいのに→豊潤な時間へ

 

自分が世話をしていたときは、死ねばいいのにと何回か思ったが、認知症の症状が進み、迷った末に、海辺のグループホームに入所させた数年後、口からの食事ができなくなり、胃ろうを選択した。世話はスタッフの方に任せて、自分は会いに行き、ただ母のそばに座っているだけの、亡くなるまでの1年半の生活は、豊潤な時間だったので、1日でも長く生きて

ほしい、と思うようになれた。

 

―――お話の最後に、岡野さんから介護をする人へのアドバイスとして、まじめな方ほど壊れやすくなるため、プチ親不孝をして、自分の時間をもってほしい、と言われました。

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☆どげんでんなる

 

講演の終わりに、歌を歌うということで、まずそれだけでびっくりしましたが、おしゃべりの声とは全く違う、長崎弁で自作の歌を歌う、力強い歌声にびっくりしました。

母の口ぐせ「生きてればどげんでんなる」と、母が少女に戻っていく様子をつづった「ホームスイートホーム」の2曲

 

窮屈な会場以外は全部よかった、とは、多くの参加者の感想です。

 

 

私は開会のあいさつで

岡野さんの漫画を引用させていただきました

https://www.comic-essay.com/episode/read/2417から

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神戸医療生協は来年創立60周年を迎えます

今年はその準備の年と位置付けています

 

生協の組合員や職員

一人ひとりの

瞳のなかに

医療生協が

入っているのです

 

そのことを大切にしていきます

 

 

 

今年の正月休みは

毎日出勤となりました

(自分の時間はやりくりしてつくりましたが…)

その間に何人かのお見送りをさせていただきました

 

 

身体と心がちょっとだけ疲れました

 

そんなとき

心が温まることがありました

 

 

年末のことです

出勤をしようとしたところ

玄関の

枯葉の吹き溜まりとなっているところに

何やら白いものと黒いものが…

 

よくみると

ネコの親子でした

お母さんネコ(と思われる)と4ひきの子どもたち

かたまって日向ぼっこをしています

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カメラを構えたところ

さ~っと逃げいってしまいました

 

残念に思っていましたが

年が明けて

ある夜のことです

 

子ネコたちがいるではありませんか!

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みんな年末から成長しています

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食べ物と暖を求めてやってきたようです

お母さんは見当たりません

子どもたちは自立したのでしょうか

 

昼間にもやってきました

目が合うと

何かを求めているような……

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この顏をみていると

疲れがどこかへとんで行ってしまいました

 

さらに

休日の午後です

 

恒例となった

「ドッグセラピー」がありました

 

ふたりの淑女たちが来てくれました

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12歳の姉妹です

まーちゃんとあーちゃん ♪

 

患者さんたちのお部屋へ訪問

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患者さんのとなりで

安心したのか

スヤスヤ・・・Z Z Z

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このあと顔中を

ペロペロと

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顏も体もワシャワシャと

満足げに目を細めていました

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「わたしをもっと見て・・」

患者さんたちは

みなさん笑顔で

このときは

痛みを忘れていた

と言われていました

 

ちょうど回診に来ていた時だったので

こんどは

彼女たちに

癒されました

 

ぬくもりのひとときでした

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土曜日の午後少しだけ早めの病棟クリスマス会が開かれました

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看護師さんたちの心のこもった案内状

何日も前から患者さんやご家族たちはワクワクされていました

 

いつものように

私も少しだけ参加

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そのあと

フルート三重奏!

・・・職員とその仲間たち

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クリスマスにふさわしい曲の演奏に

酔いしれました

 

いっしょに歌っている方も…

 

それから

みんなの笑顔を

ボランティアさんに撮っていただき

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さらには

ボランティアさん手作りの

「パンナコッタ」

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翌日の回診のとき

みなさんそれぞれの写真をお部屋に飾られ

「とってもよかった」

と話されていました

 

病院では

2階病棟から5階病棟まで

特徴のあるクリスマス会が開かれたようです

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この写真

見にくいですが

90度回転していただければありがたいです

 

緩和ケア病棟のナースステーションから

中庭を望んだ写真です

 

各階の窓に

素敵な飾りつけ

 

季節の移り変わりのたびに

この風景が変わります

 

時々上からのぞいてみては

心を和ませています

 

……ブログの表題はある患者さんの感想でした

 

先日26回目となる“看護総会”が開催されました

毎回お招きいただきあいさつをしております

 

1年間の活動のまとめ、医療・看護・介護をとりまく環境の変化、今後の方針などが活発に話し合われました

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先輩たちから受け継ぎ

継続して取り組んでいることにいつも感心しています

 

 

また一方では

病院あげての“望年(忘年?)会”でも

その力をおおいに発揮されました!

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これは『ヘイヘイドクター』『ヘイヘイナース』

をみんなで踊っているところです

 

毎年集団で盛り上げてくれます

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そのパワーには圧倒されます

 

看護集団の力で

私たちの病院や活動が支えられていることを

実感するときです

 

 

以下に看護総会でのあいさつの一部を載せておきます

 

総会方針は5点提案されています

うち最初に述べられていることが重要と感じたので

そのことを話させてもらいました

 

 

そこには

―――「その人らしく生きる」をチームで支え実践していきます―――

書かれています

さらには「寄り添う看護」「療養の主体はその人」という文言も添えられていました

 

 

ある看護師さんが書かれた書物に、『私たちは患者さんを生活を営む人として受け止める』とありました

入院のみでなく、外来や在宅でも医療が必要な状態となったとき私たちは「患者」となり、非日常を強制されることが多くなります

そのときに方針に書かれた「その人らしく生きる」を支えることが本当に大切になります

また患者さんだけでなく、患者さんをとりまくご家族たちへの心配りも必要であることは言うまでもありません

 

 

また『最期まで患者さんから逃げない看護』という表現を目にしました

医師は治療とはあまり関係がないと思うと現実から逃げがちのように思います(私だけかもしれませんが…)

でも看護師さんたちはそこで踏みとどまり24時間頑張っている姿をたくさん見てきました

「寄り添う」ということはそういうことなんだろうなと感じています

 

 

患者さんと私たちの価値観にも触れます

お互いの価値観、人生観、死生観などはちがって当たり前

しかし医療の現場では権威勾配があり、患者さんたちは自らの価値観を胸に秘めたまま療養されていることが多いのではないでしょうか

カンファレンスを繰り返し行いながら、「チームで支える」ことはそのときにとても重要になります

 

方針の文章を読み以上のようなことを感じたので、あいさつで話をさせてもらいました

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これからもよきパートナーとしてともに力を合わせていきたいものです

 

 

ずっと前の出来事です

医師になってまだ数年しか経過していないとき

高齢の女性が入院してこられました

 

診断は“脱水”

 

ご家族と同居されていましたが

みなさんお仕事をもっていて

日中の長い時間はひとりです

 

暑い夏の日

クーラーをつけず

意識がもうろうとした状態で

搬送されてきました

 

輸液をはじめて

数日で回復したため

無事ご自宅へ退院となりました

 

 

そこから訪問診療の開始です

介護保険制度が始まるはるか昔のこと

訪問看護も制度としては不十分な状態でしたが

私たちの病院では

診療報酬で保障されていない時期から

訪問看護を先輩たちの努力で

行なっていました

 

 

ご自宅をたずねて

衝撃をうけました

 

部屋は散らかり放題

 

箪笥の引き出しは開けられたまま

さらに衣類がたくさんはみ出しています

看護師さん…「まるで空き巣に入られたあとのようですね」271-01

 

患者さんは寝たきりの状態です

診察のために布団をめくると

 

…いろんな臭いが鼻を刺激します

 

食べ物が布団のまわりにたくさんあり

 

…小さな蟻が

 

安否確認もふくめ

定期的に訪問を開始しました

 

それでも気候の変化がはげしくなる時期には

入院となります

 

 

「自宅での介護には限界があるのじゃないの」

だれもが同じ思いを持ちます

 

でも

患者さんは

「家に帰りたい」

 

ご家族と何度も話し合いました

 

食事の準備をしていただくことだけで精一杯のようです

ひとりでいる時間のおむつの交換などは

とても無理

 

病気が悪化して入院となることは

自明のことでした

 

 

ちょうど医療保険制度が変わろうとしているときでした

入院期間が長くなると診療報酬が減額されることになります

 

主治医に対しての眼が厳しくなってきました

…このままでいいのですか??

 

 

患者さんの望み

家族の介護力の限界

不十分な制度

病院の「都合」

……

板挟み状態です

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困ったときのカンファレンスも

このときばかりはあまり有効に機能しませんでした

 

結局

患者さんは

当時の「老人病院」に転院という選択となりました

 

 

医療が万能とは思いません

家族の力にも限界や理由があります

特別養護老人ホームへの入所は「措置」という時代

この時代に「患者さんの尊厳」という言葉は

まだありませんでした

(あったかもしれませんが私たちは知りませんでした)

 

今から思うと

まだ何か方法があったのではと悔やまれますが

当時としては必死に考えて出した結論

 

そのときのことを思いだしたのは

緩和ケア病棟での入院期間が様々に議論されはじめているから

 

 

急性期病院で

「これ以上することはないから」と

私たちの病棟にこられた患者さん、ご家族

 

こんどは

私たちが

「緩和ケアの“対象”ではないので」と

患者さん、ご家族と話し合いをしなければならない状況にあるのです

 

 

矛盾が

年を追うごとに広がってきているようです

 

いちばん苦境に立たされるのは・・・・・