医療生協は定款で年1回の定期総代会を開催することになっています。

昨年のまとめを行い、次の1年間の方針を決める最高決定機関です。

 

私は毎年最初のあいさつをさせていただいておりますが、今年は「安全保障関連法」と「緩和ケア病棟」の二つに絞ってお話をさせていただきました。

また親しくさせていただいている国会議員さんも来賓として参加いただき、貴重なご挨拶をいただきました。忙しい中ありがとうございました。

 

以下に私のあいさつの全文を掲載させていただきます。

 

 

“おはようございます

第73回総代会にご参加の総代、オブザーバーのみなさん、ご苦労様です。

お忙しい中お越しいただいた国会議員のH様、ありがとうございます。

総代会開催にあたり、理事会を代表して一言ご挨拶をさせていただきます。

 

まず、現在もっとも重要な政治・社会問題である「新安保法制」のことです。

先日山崎拓(たく)、亀井静香など元自民党の重鎮4人が反対の記者会見を開くなど、国民世論は圧倒的多数が反対をしております。

勉強のための資料を探していたところ、今月出版された元防衛官僚による本に出会いました。大切なポイントが分かりやすく述べられておりますので、少し引用させていただきます。

「我が国の平和と安全に重要な影響を及ぼす事態が起これば、それを日本政府が認定して米軍をはじめとする各国の軍隊を支援する。そして、そういう場面において各国の艦船等に攻撃があったら、グレーゾーン分野で改正される『自衛隊法』によって他国の武器等を防護できるようになるので、自衛隊がそういう船を守ることになる。そこまでいくと、相手国は、日本がじゃまになってきて、日本本土への武力攻撃も予想されるような状況になる。・・・憲法解釈を変えた日本が集団的自衛権を発動して武力を行使し、日本もまた戦争当事者となる」という事態をまねくことになります。

著者はさらに次のように書いています。

「この70年間、日本は戦争をしてきませんでした。・・・そういう日本をつくったのは、集団的自衛権を行使しないという憲法解釈を守ってきたからです。そういう日本を国民が理想として掲げてきたからです。その70年にわたる日本の歩みを断ち切ろうとしているのが、ほかならぬ安倍首相なのです。・・・私たちは、戦後の70年の日本の平和を保障したものは何かということをふまえ、この日本が進むべき道を模索しなければなりません。そのためにも、新安保法制の道を許してはならない」

今、広く力を合わせるときです。

 

さて、2年前の総代会で緩和ケア病棟を開設しようと決定して準備を進め、皆さん方の大きな支えにより6月にオープンすることができました。

私は理事長としての立場とともに病棟の責任者としてこの場で心からお礼の言葉を述べさせていただきます。本当にありがとうございました。

 

現在、幾人かの患者様が入院されています。

すでにお亡くなりになられた方もございます。

いくつか特徴的なエピソードをご紹介いたします。

 

「あなたの寿命は3か月でしょう」

「これ以上の治療は無理なので今後は緩和ケアです」

と、言われて相談にみえられる患者さま、ご家族様は少なくありません。

「奇跡はおきないよ」と言われた方もいました。

そのような方々に私たちはまず、「これまでよく頑張ってこられましたね」とねぎらいの言葉かけをさせていただいております。

「これ以上は無理なのではなくて、きっとまだ何かすることはあるはずだ」という姿勢でスタッフ全員がケアにあたります。

入院されるまで痛みのために大量の麻薬を使われていた患者様がいました。看護師たちの手厚いケアと治療法の見直し、環境の整備などにより今少しずつ薬を減らし、笑顔が増えてきています。

短期間の入院であっても日に何度も病室を訪れ、繰り返し患者様、ご家族と話を行い、最期はみな納得されてお見送りをすることができました。

「これからのことで不安なことはなんですか?」「今したいことはありませんか」と看護師たちは丁寧に語りかけています。

「ここに入院できたことで不安な気持ちがなくなりました」と言ってくださった患者様もいます。

 

スタートしてまだ3週間ですが、私たちが大切にしたいことはコミュニケーションだと思っています。患者様、ご家族とのコミュニケーション、スタッフ間のコミュニケーションです。

「回診は小まめに、説明も小まめに、忙しさは大敵と知り、知りつつ忙しさをこなすこと。患者さん・家族が『見守られている』と思ってもらえるよう努めること」これはホスピスの先人の言葉です。

もう一つご紹介します。

「解決できないことを目の前にした時、大切なことがある。それでも解決方法を探すこと、この苦難をともに分かち合うこと」

緩和ケアだけではなくこれからの神戸医療生協にとっても教訓となる言葉だと思います。

 

本日の総代会が実りあるものとなるよう積極的なご参加をお願いして、私からのご挨拶とさせていただきます。”

本日緩和ケア病棟がオープンしました。

たくさんの職員が駆けつけてくださって、テープカットや薬玉割りなどにぎやかに、明るいスタートとなりました。

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*逆光で暗いですが、本来は明るいフロアです

 

私の尊敬する六甲病院、安保先生のテキストから引用させていただきます。

 

『ホスピスでは、患者と家族の生活状況を全体的にとらえたうえで、実現可能な患者・家族の希望を引き出し、その希望の実現のために障害となっている問題を一つ一つ解決していくか、希望や問題を別の形に置き換えるとともに、患者や家族の人間関係にスタッフが入り込んで感情豊かな人間関係を再構築することによって、がんによって損なわれた生活全体を改善することをめざしている』

 

この間の様々な方の期待を背負って、あまり気負わずみんなで一歩を踏み出していきます。

 

“uproad”

 

病棟が完成し、内覧会を行っています

5月23日は医療機関向け、24日から26日は医療生協の組合員さんにむけてのお披露目です

開催に先立ち、設計事務所と建築会社への感謝状をお渡ししました

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素敵な病棟を作っていただき有難うございました

病院の玄関を入ると受け付けです

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受け付けをすませて左側のエレベーターで5階へどうぞ

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エレベーターを降りると目の前が開けます

 

緩和ケア病棟のフロアです

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私たちの先輩であるH病院・緩和ケア病棟からのお祝いのひまわり(!)です

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看護師さんたちのお出迎え

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私たち自慢の「畳の病室」   二部屋あります

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家族室……(時々昼寝に使わせてもらってもいいかな……?)

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面談室兼「緩和ケア外来」のお部屋

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壁の色のコントラストと奥に掛けられた絵画が落ち着きを演出しています

 

ずっと歩を進めるとボランティアさんたちがお世話をしてくれています

ここはデイルーム

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北側の病室の窓からは六甲山を望み……

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南に面した病室からは、大阪湾がみえる(……はずです)

夏には神戸港の花火が見えるかな……?

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いよいよオープンです!

 

6月1日から私たちはここで働きます

どうかよろしくお願いいたします。

 

 

“uproad”

Aさんの物語

 

Aさんは小柄な女性で、いつの外来でも物静かな方なのであまり目立つ患者さんではありませんでした。

 

ある年の春のことです。何となくおなかに違和感を覚えるようになり、次第につっぱるような感覚になってきました。

精密検査のため大きな病院を紹介、そこで「がん」と診断されました。

軽い気持ちで受診したのに、いきなり「がん」と言われ、その夜は泣き明かしました。

 

体力と病気の進行度を考えると、手術は困難と主治医は判断。抗がん剤治療が開始されました。

抗がん剤の効果が見られ、腫瘍は小さくなり一安心。

しかし約1年後にふたたび「がん」は大きくなってきました。

あらためて抗がん剤治療です。

しかし、下痢をしたり、食欲が落ちてきたりして薬の副作用が考えられました。血液検査でも白血球や血小板が低下しています。

主治医から「いったん抗がん剤をやめて様子をみましょう」と告げられ、Aさんは再びショックを受けました。このときに「緩和ケア病棟への入院も考えたほうがいいですよ」といわれたのですが、緩和ケア病棟がどういうところかもわからず、「はい」と返事したことだけを覚えています。

 

Aさんは治療について「副作用のためにいったん薬をお休みする」と理解はしましたが、抗がん剤治療を中止するという意志はありません。そのため治療の再開を期待してしばらく病院通いを続けます。

主治医との話し合いの中で、「抗がん剤は無理、手術もできない、放射線治療は効果がない。緩和ケアの病院も探すほうがいいでしょう」と言われます。

「でも、まだ何か治療法があるのでは?」と思いたいAさんから相談を受けた私は、セカンドオピニオンを受けるという方法があることを伝え、主治医に話してみようということになりました。

このとき「今は自宅にいたいが、ゆくゆくは緩和ケアの病院に入らないといけないと思っている」という発言もあり、少しずつご自分の状況をつかみ始めているのかなと思ったものです。

 

セカンドオピニオンの結果、別の病院で引き続き抗がん剤治療をすることになり、ふたたび希望がつながりました。

しかし3か月がたち「CTでみると腫瘍はますます大きくなってきています。これ以上の治療は難しいと思います」と告げられました。

 

私の外来の日。

「どうして抗がん剤が効かないのでしょうか」と疑問を口に出される一方で、「治療の方法がないと言われたのならしょうがないですね」と心は揺れています。

「Aさん、今日まで頑張ることができたのは抗がん剤のおかげかもしれませんよ」と私。

 

一人暮らしのAさんは不安がつよく、訪問看護も受けていました。

その看護師さんからの電話です。

「痛みが強くなり、食事もあまりとれていないようです。ご本人に聞くと『入院したい』と言われています」

 

・・・・・

 

Aさんはこのような状況で私たちの病院に入院されました。

このときの困っていることを尋ねると、

「おなかの鈍い痛みが続いています。寝ていると感じないけれど、歩くと痛みが強くなるようです」

「尿や便の回数が多くて困っています」

「38度前後の熱が時々あります」

「口が渇いてつらいのです。食べ物の味がわからないために食欲がありません」

 

さっそく対策を考えました。

まずおなかの痛みは腫瘍が大きくなってきていることが原因と考え、オキシコンチンという医療用麻薬を始めました。翌日には痛みはかなり軽くなったようです。

吐き気や便秘、眠気への注意は怠ってはいけません。Aさんにも詳しく説明し、我慢せずに私たちに伝えてくださいとお願いしました。

 

以前から足のむくみがあり、利尿剤を飲んでいます。尿の回数が多いのはそのためでしょう。便は麻薬による便秘のほうが怖いので、また尿のことほど困っている様子でもなかったのでお部屋をトイレの近くにすることでしばらくは様子を見ることにしました。

 

熱の原因はおそらく「腫瘍熱」でしょう。

ナイキサンというお薬で平熱のことが多くなりました。

 

問題は口の渇きです。抗がん剤による作用がもっとも考えられました。

これはこの先もずっとAさんと私たちを悩ますことになります。

「今しておきたいことはないでしょうか?」

恐る恐る聞くと、

「苦しまずに最後まで過ごせればいいのにね……

「これまで頑張ってきたのでこれ以上頑張れと言われてもしんどいです」

「静かに余生を送りたい」

「人の手を煩わせたくないです」

 

Aさんとご家族を交えて話しました。

こちらからは私と看護師さん。

思ったよりも腫瘍が大きくなってきています。

しかし、症状がコントロールされて病院に通えるようになれば退院も夢ではないでしょう。

もしも通院が大変なら往診も行います。

当面このことを目標にしましょう。

 

Aさんは入院後安心されたのか、また薬も効いたのかずいぶんと落ち着かれるようになりました。食欲も増え、睡眠も十分にとれているようです。

 

・・・・・

 

「したいことがあるのじゃないですか?」

気分のよさそうな日に声をかけました。

しばらく私の顔を見て、

「……桜の花見にみんなでいきたいなあ」

さっそくご家族と計画です。

ネットでいつが満開か調べました。

天気予報も大事です。

ご家族も乗り気で準備万端です。

毎日の回診ではその話でもちきりです。

このときは症状も軽くなっています。

 

これまでの生活のことを聞かせていただきました。

若い頃重病になり、結婚ができなかったこと

働きに出たときがいちばん楽しかったこと

母親の介護に一生懸命だったこと

などをゆっくりと思い出すように話してくれました。

現在の心境は、「もうダメという気持ちともういちど元気になりたいという気持ちが半々」

「元気になりたい」という意味を尋ねると、「自分のことができて、人の世話にならずに生活ができること」とはっきりと答えてくれました。

 

――まず、お花見を成功させよう!

 

Aさんのために4月はじめの空は上機嫌でした。

花見を満喫したあとの目標として試験外泊を提案しました。

 

・・・・・

 

現実は小説や映画のようにはうまくいかないものです。

試験外泊はご家族の予定との調整がつかず先延ばしになります。

外出だけならということで、自宅への外出となりました。

気にかかっていた用事を済まされたようです。

 

思ったように体が動かず、疲れもあったのか、このあとから少しずつベッドに横になっている時間が増えてきました。

おなかの腫瘍も日に日に大きくなってきています。

足のむくみがつよくなり、吐き気の回数も増えてきました。

 

ここから毎日のように薬を見直すことになります。

 

腎機能や高カルシウム血症のチェックにはじまり、緩和ケアの領域で使われる薬のオンパレードです。

お風呂に入って驚きの感想……思っていた以上に腫瘍が大きくなっていた

 

でも気持ちは今でも揺れ動きます。

「抗がん剤をやめたから大きくなってきたのでしょうか」

「薬を飲めばよくなるのでしょうか」

否定はせず、思いをじっくりと聴きながら、「これ以上悪くならないように努力をしています」と言葉を返します。

……ご自分の置かれている状況が正確に理解されていないのか、厳しい状況を認めたくないための発言なのか……当時の私のカルテ記載

病状が進むにつれて自覚する症状も強くなってきます。

「吐き気は朝はまだいいのですが、動こうとすると出てきます

「口の渇きは強くてつらいです」

人工唾液は甘すぎ

ノンシュガーの飴を手に入れてお渡しする

テレビで宣伝しているガムは甘くて耐えられない

試行錯誤の連続でした。

 

そんな中でも自分の足で歩きたい、トイレに行きたい、とリハビリの希望が出されました。

足のマッサージや立ち上がりの練習のために理学療法士さん、洋裁が好きということがわかり作業療法士さんのかかわりを求めました。

 

看護師さんとも相談です。

「トイレに行けなくなればポータブルトイレを、起き上がることができなくなればおむつを というのがよく行われるけれど、自分でできることはしたいという望みは最大限叶えてあげたいです。トイレまで歩くことが難しくなりそうならポータブルトイレの使用などいくつかの方法がありますよと示してあげて、ご本人の選択に任せるようにしてあげてください。自律を大切にしましょう」と意思統一しました。

 

食事がいよいよ少なくなってきます。

飲み薬が多いことも苦痛です。

思い切って薬を整理しました。

今やめても大丈夫と思われるものは中止、飲み薬は貼り薬へ、あるいは座薬へ などなど。

 

・・・・・

 

そうとう気弱になっています。

「こんなに急に悪くなるものなんですか?」

・・・「病気が進んでいるということですね。でもつらいですよね」

「落ち着けばまた歩けるようになるのですか?」

・・・「そうなることを想像しながら一緒に治療していきましょう」

「私もいろんな方法を考えます。決してあきらめているわけではないですので、ともに頑張りましょう」

 

ご家族には電話で状態を報告し、1~2週間の余命かもしれないとお知らせしました。

「今日は家族や友人などいろんな人たちが来てくれてとてもうれしかった」

知っている人がそばにいることが癒しになっています。

 

「体がしんどい、自分で動けないことがつらい」

おなかを触りながら「このかたまりが取れたらいいのに……」

・・・「ほんとにそうですね」

 

夜間の不眠が苦痛になってきたので、夜間だけ眠剤の点滴を開始。

 

日中もうとうとすることが増える一方で、「早くあっちに逝きたい」「死にたい」などの言葉が朦朧とした意識のときも、はっきりと覚醒しているときにも聞かれるようになってきました。

Aさんとの会話

「安定剤を使ってずっと眠ってもらう方法もありますが、その時にはご家族と話ができなくなります」

Aさん「それでもいいです。しんどいのをとってほしい」

 

ご家族に来院していただき、スタッフとともに「鎮静」の説明をしました。

「この数日さらに弱ってきています。しかし意識がはっきりしているときに『死にたい』『早くあっちにいきたい』と繰り返され、薬で眠ってもらう方法がありますがどう考えられますか?」

ご家族「自分たちにも同じようなことを言っています。もし本人が楽になるのならお願いします」

「ただ鎮静を始めると意識がなくなりますので、会話ができなくなります。また口から水分もとれなくなったり、背中などの痛みを訴えることもできませんので、スタッフで口を湿らせてあげたり、体の向きをかえてあげたりしていきます。ご家族も口に少し水分を含ませてあげることはできます。眠っているように見えてもまわりの声は聞こえている可能性があります。いろいろと話しかけてあげてください。また手をにぎったり、足をさすったりしてあげるとそばに人がいることがわかり落ち着かれると思います」

 

そのあと、もう一度Aさんの意思を確かめます。

「眠らせてほしい……」

 

鎮静をはじめて2日目に今後も続けるかどうかをご家族と話しました。

ご家族「これまでがとてもしんどかったし、本人も眠って楽になることを希望していました。今の状態を見ると楽に見えるのでこのままでいきたい」

ご家族はここまで本当によくお世話をされていました。

 

親しい友人が来られてもうっすらとうなづくのみ。

友人と二人にして部屋をあとにしてから、しばらくして訪室すると、

「お見舞いに来ましたが眠っているようなので帰ります」との書き置きがありました。

 

・・・・・

 

初夏というのに、いつもより寒く感じる夜

静かに息を引き取られました

 

プロジェクトのみなさん、お疲れ様でした。

長い間ありがとうございました。

やっと6月1日の開設にこぎ着けることができました。

ここまでよく頑張ったなあというのが実感です。

 

I先生には開設を検討するプロジェクトの時期からかかわっていただき、また症例検討会ではいろいろとご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。開設後も頼りにしていますのでよろしくお願いいたします。

A師長さんは、現場の応援にもたくさん入りながらも、「緩和ケア病棟開設統括責任者」という重要な役割を担っていただきました。とても忙しい中、組合員さんからの要望に応えて学習会にいっぱい出かけてもらいました。それぞれの事業所にも行っていただきました。お疲れ様でした。

 

E事務次長は私の突然の依頼を快く何度も引き受けてもらいました。経営の課題、建設の計画、業者との交渉など困難な任務を十分にこなしてもらえたことに感謝しています。

 

3人の看護の職責者の皆さんたちとは、学習会を通じて多くのことを学びました。3階の業務をこなしながらの準備はほんとに大変だったと思います。

Yさん(私が研修を終えて最初に受け持った終末期の患者さんですが)のケアに関してはたくさん相談に乗ってもらいました。亡くなられてから「これでよかったのだろうか?」という私の悩みにも意見をいただきました。

緩和ケア病棟は看護師がもっとも重要な役割を果たすことになります。これから一層素敵なチームをつくり、「明るい」緩和ケア病棟にしていきましょう。

 

薬局との学習会が私の最初の他職種との試みでした。分担して報告してもらいながらの学習でしたが、それぞれ自分の担当のところは一生懸命準備されているのがとても印象的でした。

新しい薬の採用、東神戸病院の見学、Yさんの処方をめぐって毎日のように変更するやり方に気持ち良く応えていただきありがとうございました。

これからも毎日が勉強です。

 

リハビリテーション科のみなさんとは回リハ病棟からの長い付き合いがあり、好きなことを言わせてもらいました。私の思いを伝えたいとセラピスト全員を対象に勉強会を持たせていただきました。みなさんがたの熱意は十分に伝わっています。

緩和ケア領域のリハはまだまだ手さぐりの状態だと思っています。今後も一緒に努力、工夫をしながら、協同病院ならではのリハの一分野として育てていきましょう。

 

栄養科とも話し合いましたね。

「緩和ケアのそもそも」の話もさせてもらいました。

こんなメニューも考えていますと示された時にはとても嬉しかったです。

自分たちはどのようにかかわることができるのだろうと熱心に考えていただいています。

最後まで好きなものを少しでもいいから食べたい、というのが多くの患者さんの希望です。そのための努力をともに続けていきましょう。

 

医療ソーシャルワーカーのかかわりはますます大切になります。

まだどのように働けばいいのかわからないこともあるようですが、緩和ケアは患者さんの負担が大きいです。長い間がんの治療(手術、抗がん剤、放射線治療など)を受けてこられ、そのときの負担は一般の医療と比べても大きいと言われています。その上に終末期にかかる費用です。C病院からは「おたくは無低診を採用されているので安心です」と言われました。「困ったときのMSW」、絶えず患者さん・ご家族の味方になってください。

 

医療業務課にはこれから様々な難題を持ち込むかもしれません。

開設直前になって「外来の流れ」「入院の流れ」の話し合いを急に持つことになり、ご迷惑をおかけしました。このことについては地域医療部の皆さんにも力を貸していただきました。とても感謝しています。

ときには病棟のカンファレンスにも医療事務という立場からの参加をしてもらうことを期待しています。

 

臨床心理士という私たちにとってはまったく新しい職種です。

私自身も受け入れにあたりどのように研修を進めていけばいいのか悩みました。しかし兵庫民医連の先輩たちの暖かいアドバイスを受け、イメージが次第にできてきています。

周囲からは「どんなことをしてくれるの」「こんなことを頼んでもいいのでしょうか」など期待も大きいと思います。

一人で悩まずチームで相談していきましょう

 

歯科衛生士さんたちとも話し合いをもちました。

双方の思いを出し合ったという段階ですが、今後病棟運営が軌道に乗れば積極的なかかわりを求めていきたいと考えています。

みなさん熱い思いを持っていました

 

管理委員会には私の「焦り」を何度かそのままぶつけたこともありましたが、いやがらずに話を聞いていただき感謝しています。

今はまだ経営面での期待のほうが大きいような印象がありますが、医療、看護・ケアの面では協同病院にとっての刺激となるよう頑張りたいと思います。

診療所の外来の終了、訪問診療の単位の縮小、特養の回診をM先生へ移行、病院の外来単位の縮小、リハ回診の中止/カンファレンスへの不十分な参加 など医局をはじめ多方面にわたりご迷惑をおかけしてきました。

また1月、2月の外部での研修のときにはそれ以上のご迷惑をかけたことと思います。

ご支援ありがとうございました。

 

いよいよ新たな医療活動の開始です。

当面はゆっくりと無理をせず、たくさんの方々の力を借りながら緩和ケア病棟を作っていきたいと決意しています。

 

これからもよろしくお願いいたします

そしてみなさんお疲れ様でした。

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病棟の改築が終了し、工事会社から引き渡しのあった日に、ともに頑張ってきたプロジェクトのメンバーに手紙を送りました。

 

“uproad”