このたびの豪雨災害の犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、被害にあわれた方々にお見舞いを申し上げます

 

私たち神戸医療生協からも職員や組合員が被災された地域へお手伝いにうかがいました

その先頭に立たれたI専務理事さんから支援の活動報告をいただきましたので、ここに掲載させていただきます

文章は原文のままとしております

 

 

 

7月5日から8日にかけ、西日本地域に集中した豪雨は多くの地域で甚大な被害をもたらしました。全日本民医連や日本医療福祉生協に加盟している事業所でも大きな被害を受けた事業所がありました。今回、ボランティアに参加した倉敷市真備町には、倉敷医療生協真備歯科診療所があり、大きな被害を受けています。

 

7月14日と22日に、新聞やテレビで報道されている岡山県倉敷市真備町に、現地の社協が募集しているボランティアへ参加しました。

14日(土曜日)は、協同病院リハビリ科の管理者と2名で、神戸を午前5:30に出発し、真備町から車で3~40分離れた、倉敷市玉島のボランティア受付センターに8:00頃到着、そこから他のボランティア参加者(14日から市外のボランティアも受け入れ開始)とともに、大型バスで真備町へ、バスの車窓から浸水した地域と浸水がなかった地域が、川を隔てた左右でこんなに違うものかと驚きながら、真備町内のボランティアセンターに到着、同じバスに乗ってきた約50人が8班に分かれて、作業するお宅に徒歩でむかいます。時間は10:00でしたが、立っているだけで汗ばむ気温。作業するお宅に到着し、ご主人に作業内容を伺います。ここで驚いたのは、「とにかく、家の中のものを全部、捨てるので取り出してほしい」と言われたことでした。2階まで浸水し、水浸しなのはわかっていましたが、とにかく家のものが一切使用できない、捨てるしかない状況を目のあたりにして、ショックでした。8人がバケツリレー方式で、二階から荷物をおろし、台車に積んで近所の捨て場に、“捨て場”といっても普段は“歩道”です。約4,600世帯が家の中の物をすべて捨てるのですからすぐに“捨て場”は満杯になります。荷物を持ちだした後は、家の中、玄関や納屋に堆積した泥の撤去作業です。幸い、飲料は無理ですが、作業には使える水が出ていたので、とにかく家の中はホースで泥を寄せては、土のう袋に入れる、玄関や納屋の泥は、スコップで土のう袋にいれる作業の繰り返し。

外は砂ぼこり、家のなかはびしょ濡れの状態。なんとも言えない異臭があるなかでの作業です。暑い中での作業、汗だくになりながら1件目のお宅は、約1時間で作業を終えて、2件目に、2件目のお宅は、家の中の物は浸水した状況のまま、玄関ではなく、窓を開け、そこから家財道具や生活用品の取り出し、“取り出し”しても使用できる物、できない物を分別できるはずもなく、とにかく“捨て場”に持っていく、3件目のお宅も2件目と同じ作業。

浸水から1週間、まだ、なにも手が付けられていないお宅も含め、3件のお宅の作業し、13:00には、作業を切り上げ、真備町内のボランティアセンターに、そこから大型バスで玉島のボランティア受付センターに戻り、ボランティアは終了。朝、ボランティア受け入れスタッフからの説明で、“作業時間が短いのでは?”と感じていましたが、約3時間の活動が限界ではないかと思い知らされました。作業は、暑い中でも長袖、長ズボン、長ぐつ、マスクは必需品です。この猛暑で、そのスタイルでの作業ですから暑いのは予測できましたが、その予測をはるかに上回るもので、休憩しながらの作業でも、12:00を過ぎたあたりから、水分を補給しても体温が下がらない感覚や、体が自由に動かせない感覚となりました。阪神淡路大震災、豊岡の水害、東日本大震災など、何度も災害の復旧ボランティアに参加していますが、これまでで最も過酷なボランティア作業でした。

22日(日曜日)は、組合員1名、本部職員1名、県連や関連法人職員3名とともに、6名で真備町に。前回に引き続き、現地の社協ボランティアに参加。6:00に神戸協同病院前に集合し、再び、玉島のボランティア受付センターにむけて出発。8:30頃にボランティア受付センターに到着し、前回と同様に受付の後、大型バスに乗車し、真備町のボランティアセンターにむかいます。家の中から持ちだされた物は、依然、歩道に高く積まれたまま。1週間前と変わらない景色をみながら、真備町のボランティアセンターに到着。受付時に1班5人組で作業と聞いていましたが、現地では3班15人で作業するように指示を受け、徒歩で作業するお宅にむかいました。今回のお宅は、土地が高くなっているところに建てられた家で、ご主人からは、疲れた表情で「土地が高いのでここまで浸かるとは思わなかった」と、1階と2階で持ち出しができていない家財の持ち出しと、倉庫にたまった泥の撤去作業をおこないました。2週間たっても家財の持ち出しができていない状況、倉庫にたまった泥、家の中の家財や倉庫の泥には、おおくのカビが発生していました。このお宅には軽トラックが2台あり、持ちだした家財などは、軽トラックに積んで、“捨て場”に持ち込み、この作業をくりかえし、13:00に作業を終了。

2日間で4件のお宅に伺い作業しましたが、夜は避難所、朝から自宅に戻られての片づけを繰り返しておられる被災された方々。気丈にふるまわれていますが、疲れた表情が日を追うごとにみられます。家財のひとつひとつを“捨てるか、捨てないか”伺うのですが、その人の歴史や思い出の品を“捨てる物、捨てない物”の分別、その判断を伝える返事につらさが見え隠れします。ボランティアに入る時に「被災された方と、会話してくださいと」説明されたことを思い出し、何か話をしようとは思いますが、どのような会話をしたらよいのか言葉が見つかりません。「大変でしたね」「頑張ってください」というのも申し訳ない気がして、「お体には気をつけてください」と言うことが精いっぱい。

圧倒的に数が不足しているボランティアも、平日はさらに人数は少なく、炎天下での作業時間も限られてしまい、復旧は長期化せざるを得ない状況。最近は、いつ自分が被災するかわからないほど、災害が相次いでいるなかで、他人事と思わず、これからもできるだけ、ボランティアにとりくんでいきたいと思うと同時に、できるだけ多くの人に、それぞれの条件にあわせたボランティアや支援の活動にとりくんでほしいと思います。

 

暑い中ほんとうにご苦労様でした

今後も引き続きよろしくお願いします

 

ところで、次の写真を見てください

216-01

 

これは病院のデイケア室のそばの庭に、利用者さんと職員が春に植えたヒマワリです

6月にすくすくと伸びてきて、みんな花が咲くのを楽しみにしていました

 

ところが…

216-02

このたびの集中豪雨でほとんどの茎が影響を受けました

それでも

2本だけがんばって耐えていました

 

7月の下旬

216-03

 

元気な花が咲きました!

 

災害にめげず咲いてくれたヒマワリ

私たちを元気づけてくれます

 

阪神淡路大震災のとき

全国の温かい支援に励まされ

私たちは立ち直ってきました

 

これからも

どこでどのような災害にあうか

わかりません

 

私たちは

仲間です

 

いつでもお互いを

大切に

気にかけながら

 

連帯の心を

もち続けたいと

思います

 

 

 

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