ご夫婦とはながいお付き合いでした

奥様(患者さん)のお母様を私が往診、私の妻が訪問看護でかかわらせていただいたのが最初です

すでに30年ほどになるでしょうか

 

それから

ご夫婦ともに私の働く病院の患者さんとしてこられるようになりました

 

阪神淡路大震災のときには

数年間親戚のところに避難されていたようです

 

それから現在の住所に

 

私が地域で医療のお話をさせていただく機会があり

その会場となった集会場で

お会いしました

214-01

 

奥様はしっかりした方で

ちょっとやそっとで根を上げる人ではありません

身体の不調できっとしんどいだろうなと思うときでも

笑顔でやってきて、大丈夫ですと帰っていかれます

 

 

その方が

癌になりました

 

たまたま受けていただいた検査で

症状が出る前に発見されました

 

もよりの基幹病院に紹介

めずらしい病気でしたとの返事がかえってきました

 

さあ、そこから抗癌剤治療の始まりです

 

でも副作用はほとんどなく

担当医からも「あなたはとても楽です」と言われていました

定期的に私の外来にも通院され

いつもと変わらない姿に感心していました

けれど患者さんの心の中は

きっと不安と期待が複雑にあったのだと思います

短時間しかとれない外来では

そのお気持ちをしっかりと受け止めることができなかったこと

申しわけなく思っています

214-02

 

 

いよいよ薬の効果もなくなるときがやってきました

「これからは緩和医療が中心ですよ」と言われました

 

 

私もこれまで以上に気を引き締めます

 

もともと大きかったお腹が

腹水でさらにふくらみ

食事が食べにくくなってきました

 

入院の時期と判断しました

 

 

入院されてからもすべてを達観した雰囲気はかわりません

「おなかが張ってきました」と言われたとき

腹水を抜かせてもらいます

「あ~楽になった」

とほっとされた姿

けっして私たちに苦情を訴えられることはありませんでした

 

そのような日常を繰り返すなか

ご主人は毎日付き添いにこられました

 

お二人にはお子さんはおられず

頼りになるのはお互いという状況

自分で動くことが困難となった患者さん

ご主人がベッドで起き上がるお手伝いをされる姿が印象的でした

 

 

だんだんと体力が落ちてくることは避けられません

それにつれて患者さんの口数も少なくなってきました

食事も減ってきます

 

心配されたご主人はほとんど毎日泊まり込みをされるようになりました

ご自分も病気をかかえながらの介護です

スタッフから時々は家に帰られて休息をとられることを提案するのですが

「○○が心配やから」

「自分の身体のことはだいじょうぶ」

身体をマッサージされたり

身体を拭いたり

アイスクリームをお口に運ばれたり

……

 

ご自分のお食事は

コンビニで買ってこられ

ときには奥様のパンを拝借したり

病院のお風呂も使っていただきました

 

あまりの疲れ様に見かねた私たちは

多少の強引さでご自宅に帰っていただきました

翌日には「よく休めました」と

さわやかな表情

しかし

やはり心配でと

病室に泊まられます

 

 

お亡くなりになる前日のことです

 

いつもは少しでもご主人の勧められるアイスクリームを

この日はまったく口にされることがありませんでした

「あなたはあほやなあ」

とひとこと言われたそうです

――どういう意味だったのでしょう?

 

のちにご主人は「のた打ち回るような苦しさはなかったことが有難かった」と話されました

 

ずっとふたり手を握り合っていました

 

……気が付くと

息をしていなかった

 

穏やかな顔で

旅立たれました

 

 

ある日の夕方

真夏の熱い西日のさす集合住宅におじゃましました

214-03

 

 

ちょうど百か日をすまされたところでした

 

お仏壇に手を合わせ

その後に

ご主人からお話を聞かせていただきました

 

 

ご夫婦のなれ初めから

仕事のこと

お互いの素敵な関係

ときにはケンカもしたこと

などたくさんのお話をされました

 

 

「わたしは妻に頼り切っていました」

奥様は

自治会のこと、婦人会のこと

たくさん人のために尽くされてきました

民生委員をされていたわけでもなく

ボランティアで独居の高齢者の訪問、安否確認をされていました

 

「病気になって体が疲れていてもゴミだしや、住宅の見回りをがんばっていました」

 

一方でご主人は

「自分のしたいことさせてもらっていました」

 

 

おひとりの生活になって

 

「家に引きこもらないようにしています」

「自治会の会合にも顔を出しました」

 

……おうちのことは?

 

「ちゃんとできていますよ」

洗濯

ゴミだし

食事の準備

買い物―――私もスーパーでご主人と出会いました!

部屋の掃除―――みまわすととてもきれいにかたずけられています

 

「妻に笑われないようにね」

「だれが訪ねてきてもいいように」

「時間のあるかぎりできることをしています」

「わからないことは近所の人に尋ねています」

 

……悲しくなりませんか?(つらい質問をしてしまいました)

 

「亡くなってからは毎日泣きっぱなしでした」

「まだ○○のぬくもりを感じていました」

「これではいけないと運動を始めることで、忘れる時間をつくることを覚えました」

 

……記憶に残る奥様のことがあれば教えてください

 

「あるとき私に対しての言葉が荒くなり、性格がきつくなったときがあったのです」

 

奥様は入院前に

ご主人に家のことをたくさん伝えられていたようです

洗濯の方法や調理の仕方など

 

そのときのことです

 

どうしてそんなに口調がきつくなったのかを聞きました

 

「(あなたが)だらだらしていると未練が残るでしょ!!」

 

……未練、ですか?

 

「自分が『生きたい』という未練だったのだと思います」

 

「このままだと別れられないでしょ!」

「わたしがいなくなればどうするの?」って

 

自分の命の時間をきっと悟っていたのでしょう

 

ご主人は「もっと早く気づいてあげられていればなあ」

とこのお話を締めくくられました

 

……今の暮らしはいかがですか?

 

「毎晩、仏壇のまえでお経を唱えています」

「よく間違えるんですが、そのときには『○○、ごめんな』って謝るんです」

「外出したとき、妻がそばいるように話しかけています」

「ここに段差があるからきをつけて・・と」

「近くの子どもに不思議な顔をされたこともあります」

「今も妻のネックレスやブレスレットを身に着けているんです」

と見せていただきました

 

 

 

気が付けば1時間半も経っていました

 

夕方の風を感じられる時間になったことをきっかけに訪問を終えました

 

 

 

さいきん読んだ本の中につぎのような話があります

 

「奥さんが入院すると、ご主人は定期券を買って毎日、お見舞いに来る。逆に、ご主人が入院すると、奥さんは定期券を買って毎日、都心のデパートに行きます」

 

もう一つある人が言っていました

 

「クジラの夫婦がいました。

あるとき漁船がやってきてメスクジラを捕まえてしまいました。

オスクジラはいつまでも漁船のまわりをグルグルと回っていました。

 

別の日、ふたたび夫婦のクジラが泳いでいます。

そこにやってきた漁船。

こんどはオスクジラを捕まえました。

するとメスクジラは一目散にそこから逃げ出しました」

214-04

 

男の私にとっては

とっても痛い話です

 

 

 

だけど

ご主人は

きっと元気に頑張られることだと確信しています

 

 

私も主治医として心から応援いたします

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