5回目の6月がやってきます
開設して4年が経ちました
取り組めば取り組むほど、患者さんやご家族と話せば話すほど、カンファレンスを行うほど、本を読めば読むほど課題がたくさん見えてきて頭を抱えています
その中でも最近の出来事から感じていることがあります
- 若い患者さんでした
時々感じる痛み以外の訴えはなく
希望を聞いても「とくにありません」「このままで十分です」としか返ってこないもの静かな女性でした
いつのまにか時間と日が過ぎていきました
あるとき
検査の結果と今後の見通しをお話しました
ベッドサイドに椅子を持っていき
ゆっくりとお伝えしました
患者さんにとっては嬉しくない内容もあります
説明がひととおり終わった後
お聞きになりたいことはありませんか
と尋ねました
少し首をかしげて考えている様子
だまって待ちました
「長くないことはよくわかっているつもりです」
ぽつりと一言
それまでご自分の感情をほとんど口にされなかった方です
返す言葉がなく
つぎを待ちました
待つことに耐え切れず
そうなんですね
と返すだけで精一杯
私の目を見ながら
「でも痛いのだけはたまりません。それだけはなんとかしてください」
とお願いされました
わかりました
最善をつくします
と返答
さらに希望されることはないかを尋ねると
「とくにはありません」
といつもの返事
あとで思いました
…私はまだまだ未熟でした
…最初の一言のときに
…せっかくの機会だったのに
…患者さんが自分のことを思いきって話されたのに
受けとめる言葉が浮かばなかった…
- ちょうどそのころに読んでいた本にあったフレーズを思い出しました
“現在の医師の多くは患者さんに病気や治療に関しては詳しく説明してくれたり、療養の生活の指導はしてくれますが、病気があっても人生を楽しく生きるコツのようなものは何も教えてはくれません”
(「ともにあり続けること」堂園晴彦著より)
また故日野原重明先生の看護師にあてたメッセージから
“ケアは傷の処置だけではないからね。孤独な心の傷を癒すのもケアだからね。患者さんの生活がどうしたら豊かになるかを考えてケアするのが「看護」ですよ”
現在の病院医療では入院期間がますます短くなっており、ゆっくりと患者さんと話をする時間がとりにくくなっています
それでも緩和ケア病棟ではまだまだ時間はたっぷりとあります
在宅ではそれ以上です
医師にとって実行は難しいことであっても、努力することは可能です
目標にしたいと思っています
- 関連してもうひとつ問題意識を持っています
ACP(アドバンス・ケア・プランニング)をめぐって医師会の講習会に参加しました
ACPを一言でいうと
「万が一のときに備えて、あなたの大切にしていることや望み、どのような医療やケアを望んでいるかについて、自分自身で考えたり、あなたの信頼する人たちと話し合ったりすることを『アドバンス・ケア・プランニングーこれからの治療やケアに関する話し合い』といいます」
とあります (神戸大学 木澤義之医師より)
いままで以上に早い時期から、ゆとりをもって話し合うことが必要になりそうです
さらにDNAR(Do Not Attempt Resuscitation)も課題です
緩和ケア病棟の面談時にルーチンにお尋ねしてきたのが正直なところです
また紹介状にも「DNARを確認しています」と一行添えられていることが少なくありません
DNAR指示とは
「患者さんの意向に沿う形で、臨死期の患者さんに対する心肺蘇生の差し控えの指示を医師が行うこと」と言われています
ある文書には
「DNAR指示は場合によっては作為的に患者の生命を短くする可能性があり、(中略)法に抵触する可能性もある」との記載があります
正しい理解とガイドラインが求められています
ACPやDNARはこれからも取り上げることになります
その前提として、私たちは患者さんの意思決定への支援が求められます
次の文献を目にしました
*患者さんが意思決定の場面で迷うことは
「転院」「退院」「手術」で65%
*その場合の看護師の役割は
「傾聴すること」と「いつでも情報や知識の提供ができること」
とありました
(ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/kmj1997/50/1/50_1_39/_pdf)
実際には説明すればするほど不安が増してしまう患者さんがます
これ以上は聞きたくないと言われる方もいました
データだけではすまないのが医療や看護、介護の難しいところでしょう
冒頭の患者さんのことを振り返ると
あたりまえのことですが
信頼関係がすべての基本となります
それも
人と人とが向き合う仕事であるから
なんでも話し合える、安心できる雰囲気のなかでの信頼関係づくりが大切になるのでしょうね