いろんな事情で入院期間が長くなった患者さんにはそれぞれの思い出があります

お付き合いが長い分だけたくさんのことをいっしょに経験してきたことが記憶として残ります

(決して入院期間が短い患者さんがそうでないという意味ではありません)

 

旅立たれたあと、様々な出来事が思い出されます

 

 

「〇時□分、ご臨終です」

ご家族に告げ、病室をあとにしたとき

これから寂しくなるなあとつぶやいてしまいました

 

Sさんと入院前の面談を行ったとき

認知機能の低下があり、物忘れや複雑な行為が難しくなっていましたが、一方では体や心のことへのこだわりを持たれた言葉が聞かれました

不安いっぱいのお顔をされていたことがとても印象に残っていました

 

それから1年近く病と闘われて私たちの病棟にやってきました

おもな症状は呼吸困難と不安感です

 

入院してから高熱が出たり、呼吸困難が強くなったりして、余命は長くないだろうと思われました

 

それでもSさんは頑張り

私たちはたくさんの思い出を共にすることができました

 

 

受け持ちとなった看護師さんには限りない想いがあるでしょう

私は今、主治医として関わらせていただいたことをありがたく思っています

 

 

Sさんからたくさんのことを学び、経験を共にすることができました

順不同で述べてみます

1)病状が悪化してきたとき、「早く逝きたい」「おとうさん(亡くなられたご主人)がまだ迎えにきてくれない」「もうしんどいのはいや」が毎日のあいさつになりました

それでもご家族のことや好きなことの話題になるととたんに穏やかな笑顔を見せてくれます

2)コーヒーが大好きなSさん

ベッドサイドでいっしょにインスタントコーヒーを飲みながら話をしました

受け持ちの看護師さん(プライマリーナース)も何度かコーヒーをともにしていました

苦しくてもコーヒーをお勧めすると「飲みたい」とはっきりと主張されます

3)ときには症状の悪化からパニックのようになることがありました

そのようなときには背中をさすったり、落ち着いて話を聞いたりしながら患者さんに寄り添っている看護師さんたちの姿を見かけていました

認知機能の低下も加わり、Sさんの苦痛を改善するためには薬に頼らざるを得ないことがあり、効きすぎたり効かなかったりと苦労をしながら病状に合わせた工夫をみんなで話し合ってきました

4)「食べると元気になる」「ご飯はおいしいよ」と食へのこだわりが強いこともSさんのidentityのひとつです

進行してきた時期にSさんにとって何がいちばん大切にしてもらいたいことなのかを考えるヒントになりました

 

 

Sさんとのお付き合いを振り返り、ふたつのテーマを考えています

 

 

<生きるということ>

 

毎日のように「早くおとうさんのところに行きたい」と繰り返されていたSさん

しかしご飯の時間が待ち遠しく、少しでも食べることができたときは「お腹いっぱい食べましたよ」「食べないと元気がでないからね」と笑顔を見せてくれました

コーヒーが大好きで飲んでいるときにはいい笑顔をしています

 

何度も危機的な状況になり、ご家族には余命は短いですと告げてはしばらくすると落ち着かれるという状態の繰り返しでした

 

「死別」をテーマにした本の中に次のような一節があります

「病状を理解していても、かなり悪くなるまでは本人も家族も意外にピンときていない。病状が急激に悪化すると、本人も家族も混乱しやすい。状況を理解しているはず、と決めつけず、混乱を受け止めることが大事。どのような状態でも、人間は生きたいと思っている」

「どんな状態であっても、生きることをすんなりと諦められる人はいない。緩和ケア病棟でも、この現実は変わらない」

(ともに「月間保団連」No1394より)

 

Sさんの姿に接して同じことを感じました

 

<ケアについて>

 

毎日同じ会話の繰り返しのように見えても、いい日があり、悪い日があります

聴診器を当てながら診察をしていると、Sさんはゆっくりと変化していっていることがわかります

「呼吸が苦しい」と訴えられたとき、胸に聴診器をあて丁寧な診察を心がけるようにしていますが、そんなとき患者さんたちがほっとされる表情を見せてくれる瞬間があります

いきなりの「心のケア」や「薬」ではなく、まず身体症状を受け止めることが心理面を大切にすることにつながるのではないかと気づかされることが少なくありません

 

WHOの緩和ケアの定義を改めて引用します

「緩和ケアとは、生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者とその家族のQOLを、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見出し的確に評価を行い対応することで、苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチである」

 

Sさんが認知機能低下の進行やせん妄の出現、食事量減少、倦怠感の増悪に苦しまれたとき、プライマリーナースをはじめ私たちは悩み、何度もカンファレンスを行いました

その結果Sさんのもっとも大切にしたいことを目標としようと意思統一し、1日1回でも食事を安心してとっていただこうということになりました

そのことがQOLの向上につながったと思っています

 

※このような関わりの中でも最も重視することになったキーワードがあります

 

それは『コーヒー』です

Sさんはどのようなときでもコーヒーがのめれば安心していました

 

最期のお別れのとき

ご家族が準備された誕生日祝いのケーキとスプーン一杯のコーヒーをお孫さんが口に含ませてあげていた姿が忘れられません

Sさんは唇を通してその温かさを感じられたのではないでしょうか

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