少しまとまった時間がとれたので今まで影響を受けてきた本からの抜き書きを記録しておこうと思います

緩和ケアとはまったく異なる領域から入ってきた身としては、すべてが新鮮でした

ガイドラインや教科書的な書物はバイブルでした

しかしそれ以上にいろんな人たちが書かれた本はわたしにとっての「道しるべ」となりました

これまで書いてきたことの繰り返しがあるかもしれませんがご容赦ください

(著者の名前だけを記載して敬称は略させていただきます)

 

 

(Ⅰ)医師としての姿勢

 

・回診はこまめに、説明もこまめに、忙しさは大敵と知り、知りつつ忙しさをこなすこと。患者さん・家族が「見守られている」と思ってもらえるよう努めること(徳永進)

今の時代、コロナが蔓延している医療状況では反対のように受け止められますが、ぜったいに必要なことだと思っています

マスク越し、ときにはフェイスシールド越しの会話が要求され、身体を触ることがはばかられる医療となっていることが悲しいです

 

・ホスピスは医師主導ではありません。医師と看護師が十分に話し合って決めていかないと問題が起きます。対等か、あるいは看護師の方が立場は強いくらいですよ(青山ゆみこ)

ある医師が「緩和ケアの多くは看護師さんたちに頼っていますからね」と話していたことを思い出します

この時に少し疑問を感じていました

医師だけでなく、看護師だけでなく、たくさんの職種の関わりや話し合いが日常的には必要です

 

 

(Ⅱ)不安

 

・「死なせて」と言われたとき・・・

そんな時、どうすればいいか。一つ言えることは背景に病状の重さ、辛さ、家族関係のト

ラブルがあるのだろうかと思いを馳せてみること。あるいは私たち医療者の対応の悪さは

ないかと考えてみること。でもそんな言葉を発せられた場合、言いたくない人に向かって

は発せられないものであり、言われたのは、選ばれてと考えてみてもいいのかもしれない(徳永進)

私にはほとんどこのようなことを話される機会がありません

看護師さんから伝えられて知ることになります

より患者さんの近くにいなければと思います

 

・不安な心を支えるものに、「がんばる」「がんばっていく」という心情があることを知っておきたい

 当たり前のように見える生活動作の全てが、心の不安を和らげるものとして働いているのではないか(徳永進)

患者さんの不安をそのまま受け止め、寄り添えるようになりたいものです

 

 

(Ⅲ)心がまえ

 

・居心地よさは環境のよさにも大きく影響されるが、最も肝心なのは「個人の意思と生活ペースが最優先されること」だ。スタッフが病室に入るときは原則として扉をノックし、声をかけるのも、患者の生活に土足で踏み込まない配慮である(野木裕子)

大震災のときでした。避難所が生活の場となっている空間に「土足で」「遠慮も挨拶もなく」踏み込んでこられた支援者がいました

尊厳が大事と口にしても行動が伴わなければ何の役にも立たないことがわかりました

 

・(面会について)許可というのは「病院の」ではなく、「患者の」である(野木裕子)

コロナ禍においてまさに正反対のことになってしまっています

 

・ターミナルは人生の締めくくりをする時期で、ホスピスはそのための場だと。下手すると、そういう理想的な患者さんだけ選んで入院させたいみたいな雰囲気が出かねない(野木裕子)

指摘されると頭の痛い問題です

無意識に行動していることがあります

 

・ホスピスに来る人はね、ちゃんとした医療を受けたい、と思っているんです。ともかく苦痛を取り除いて欲しいという人が、八割方、九割方ですね(野木裕子)

・痛みはその人から人間らしさを奪い尽くす。これは体験した者にしかわからない

残り少ない日々の患者さんに副作用の心配で適切な除痛をしないというのはあまりにも思いやりがない(内藤いづみ)

まず痛みのコントロールをということを学びました

併せてちゃんとした医療の保証が必要だということを痛感しています

熱が出れば原因を追究して治療を行ったり、吐気があれば検査をして対処するなど

 

・ひとに対してむやみに「何々についての理解」を聞くのは、非常に無礼なことなのである(野木裕子)

私たちは不用意に「〇〇さんは病識が乏しい」などと簡単に言ってしまいがちです

 

・好きな人と好きなところに可能な限りいられるように、ホスピスの専門チームは痛みを取り去り心身の悩みに付き添い支えていく(内藤いづみ)

 

 

(Ⅳ)できることはきっとあるはず

 

・解決できないことを目の前にした時、大切なことがある。それでも解決方法を探すこと、この苦難をともに分かち合うこと(徳永進)

・「することは何もない、ただ死を待つだけ」という空気が病室に漂うことは、できることなら避けたい。「見捨てられる」という言葉は人の精神に深い影響を与えるキーワードだが、がん末期の臨床でも大切な言葉として存在する。無効であっても見捨てられていない、共に戸惑っている、迷いを共有している、難しいことだがそのことが深い意味へとつながっていくようだ(徳永進)

緩和ケアにたずさわるようになり最初に戸惑いを感じたことです

看護師さんたちから「患者さんは苦痛を感じています」「この方法がだめなら次はどうすればいいんでしょうか」と迫られました

そこから多くの本を読むようになり、先輩たちに聞いて回るようになりました

そのことでの恥ずかしさはまったくありませんでした

それからは「もう方法はない」という発言に敏感になっています

また、治療を継続していたのに、これからも頑張ろうと思っていたのに、ある日の診察で「これ以上の治療はむりです、あとは緩和ケアです」といきなり告げられた患者さんやご家族の悲しみを幾度となく聞いてきました

「私たちのところで、できることをいっしょに探していきましょう」という声かけを努力しています

 

・(一般病棟のスタッフから)「私たちにはできない医療がある・・・」

一方では「なぜ緩和ケア病棟だけ特別扱いするのか」という強い反発(野木裕子)

開設時にたくさん聞かれました

 

・ホスピス医以外の医師は治ることに価値をおくことが多いですが、どれだけ頑張っても命には限りがあります。治療できないことが敗北だと考えてしまうと、そのことで患者さんは見捨てられたような気がしたり、辛い思いをします。一般病棟では、そうしたことで苦しむ方を何人も見てきました。でも人は誰もが最期は死ぬ。そのことは平等です。その人らしく生きるという方向に切り替えれば、穏やかに最後を生き抜くことができるかもしれません(青山ゆみこ)

もっともっと「その人らしく」を求めていきたいです

 

・一般病棟では明日に回せば良いことが、ホスピスでは時間に限りがあるため後悔を生むことにもつながります。できることは必ずそのときに行う。末期なのでもう何もできないということはありません。最期まで手を尽くせることがやっぱりありますから(青山ゆみこ)

・明日という日はない。何かしてあげようと思ったら今日やろう(野木裕子)

 

 

(Ⅴ)その他

 

・患者さんにとって食事は、単なる栄養補給でも<味の表現>でもありません。医師や看護師とは異なる形で私たちもまた心のケアの一端を担っています。心が元気にならなければ体はついてこない。それには食はとても大切です(青山ゆみこ)

 

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