このような出来事がありました

 

<Aさんのこと>

 

いつも物静かなAさん

毎日の回診のときはきまって「だいじょうぶですよ」とお返事をされます

文学「少女」のAさんは文庫本を手元において、時間があれば読書をしています

 

そのようなAさんがある時から小さな折り紙をたくさん差し入れしてもらい

せっせと何かを折っています

 

出来上がったのがこのような…

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大小様々なきれいな立方体

 

たくさん作られました

それを看護師さんがさらに手を加えて…

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ナースステーションの入り口に飾ってくれました

 

作る方もさらに励みになります

私たちだけでなく

患者さんやご家族を和ませてくれています

 

 

特技を生かした共同作品です

病棟の展示品がもうひとつ増えました

 

<Bさんの出来事>

 

さいしょにふたつの写真を掲載します

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一つ目の写真は

ご家族が差し入れをされ

看護師さんが調理をして

おいしそうなステーキの完成です

 

Bさんは今までにない笑顔でした

「入院すると食べれないものと思ってました」

 

 

二つ目の写真

看護師さんといっしょに作ったお好み焼きです

若い看護師さんにあれこれと指導するBさん

 

じょうずに出来上がりました

 

 

開設当初は頻繁にこのような取り組みをしていました

ご家族やボランティアさんも参加して

 

コロナ禍で躊躇していたかもしれません

 

ここにいたるまでにはいくつかの苦労がありました

 

Bさんは毎日のように思いをぶつけられます

――早く逝きたい

――これ以上よくならないの? 治療法はないの?

――方法がないのなら自分で……

――私はまだ大丈夫なの?

頻繁に心は揺れています

苦痛症状があり、さらには一人暮らし

とてもご自宅で暮らせる状況にはありませんでした

 

 

話を聴きながら

Bさんから一つずつ失われていくものがあることに心を痛めていました

たとえば

家には帰れない

そのために借りていた介護用品を返さないといけない

好きなものが食べれない

病院には自由がない

など

 

物忘れが認められるBさんには理屈や説得が通用しません

嫌な思いだけがたまっていくようです

希死念慮を思わせるような言葉も聞かれました

 

 

文献には

「死を受容することを求めない」

「逃げないでそばにいる」

「ともに苦しむ、答えを出す必要はない」

「医療者自身の感情を大切にする」

と述べられています

 

そして

「言葉に出して伝える」

とも

 

みんなで話し合いを持った結果が上のような取り組みでした

ささやかなことですが

私はBさんに

「思い出を一緒に作らせてください」と

お願いしました

開設当初の「患者さんとの思い出作り」を浮かべながら

 

それがどれだけ有効なのかは今はわかりません

でもBさんから危機的な発言が聞かれることだけはなくなったように思います

 

 

ここに述べたことは、一つひとつが小さな経験ですが

スタッフみんなと気持ちをひとつにした大切な記憶となっています

 

「もう何もできることはない」

ではなく、

みんなで考えればなにかできると実感しています

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