多彩な趣味をおもちのTさん

90歳になるまで音楽やスポーツ、カメラなどなど、私にとってはうらやましい限りです

 

奥様とも二人でたくさんの旅行をされたとお聞きしました

 

でも普段は仕事ひとすじのまじめな方です

 

そのTさんが病気になり、食事がとれなくなって私たちの病棟に入院してこられました

 

入院までの間、奥様は1時間ごとにTさんのお世話をされていました

その頑張りには頭が下がります

 

食べたいものはきっとたくさんあるのに、食べると通らなくなって吐いてしまうことの繰り返しです

奥様も息子さんたちも「できるだけ苦痛なく、安らかに永眠できること」を当初から望まれていました

――食べれない姿を見ていることがとてもつらいです

奥様は点滴を希望されました

そのことでご家族が安心されるのなら、ということで点滴を開始しました

しばらくの間点滴を続け、ご本人だけでなくご家族の思いに対しても効果は見られたように思います

車いすに乗っていただき、ピアノの前までいくと、Tさんはおもむろに手を差し出されます

鍵盤をたたく指の力が弱くなっていますが、“ポロン”と心地よい響きです

 

息子さんたちはとても優しく、情が深い方々です

Tさんを見守る眼はこれまでのご家族の素晴らしい関係を想像させてくれました

 

でもやはり病は少しずつTさんの体を蝕んでいます

 

ちょうどそのころです

「おとうさんのお気に入りの椅子に座らせてあげたい」という希望がご家族の中からでてきました

さっそく自動車に載せて病院へ

――病院に家を持ち込もう!

 

kblog3800

 

ご覧のようにとってもすてきな椅子です

 

Tさんに座っていただこうと頑張りましたが体力が持ちませんでした

残念ながらベッドの横にいてもらうことに……

ご家族やお見舞いの方が時々座っています

 

病気の進行はわかるけれど、「少しでも長生きしてほしい」というみんなの思いは一緒です

Tさんもその期待に応え頑張りました

 

けれども点滴が入らなくなり何度も針を刺す行為がTさんにとっては苦痛となるときがきました

みんなで相談し、いやなことはできるだけ控えましょうということで合意しました

 

 

……最期の日、

Tさんはしだいに意識状態が悪化、呼吸も弱くなってきました

そして…

悲しみと暖かさの空気が漂う病室でご家族が見守る中、天国に旅立たれました

 

 

「ここに入院して、あきらめるということができました」

「弱っていくことを受け入れつつ、見送ることができました」

「悲しいけれど、穏やかに見送れました」

奥様が私たちにおっしゃられたいくつかの言葉です

 

お父さんの椅子もきっとこれからもご家族を見守ってくれることでしょう