病棟で節分の豆まきをしました

豆は「落花生」です

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一部屋ずつ「鬼」と「福」がたずねていきます

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いきなり部屋におじゃましたのでけげんな顔をされる方もいらっしゃいました

あとになって「ああ、○○さんだったのね」と一安心

普段むずかしい顔をされることの多い患者さんは、このときは満面の笑みを見せてくれました

「鬼はそと! 福はうち!」

豆(落花生)をぶつけられた鬼は逃げ出します

全部のお部屋をまわった鬼と福は息切れをしてました

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この写真はボランティアさんたちが準備してくださったぜんざいです

すべての行事に病棟看護師やその他のスタッフとともにボランティアさんたちの力が生かされています

ところで「節分」は、季節の変わり目ごとにあります

その季節の変わり目の前日が「節分」と呼ばれています

一年の始まりは「春」です

春の始まりが立春であり、その前日が「節分」となって、2月3日がとくにメジャーになったようです

――ここからの一年がいい年になりますように

との願いを込めて

患者さんたちにとって一日一日がいい日でありますように……

 

 

病棟の受け持ち看護師さんからお亡くなりになられた患者さんのご家族にお手紙を送らせていただいています

ご返事をいただいたり、それ以外にもご家族から手紙が届いたり…

 

今回開設間もないころに入院された患者さんの娘さんからいただいた手紙を、ご本人の了解のもとご紹介させていただきます

 

―― 2015年7月に母が亡くなり、早いもので半年が経ちました。12月半ば、生きていれば82歳の誕生日。大好きだったイチゴのショートケーキを買い、遺影の前に供えて花で飾り小さくお祝いしました。

あっという間の6か月。日々の生活の折々は寂しくなりましたが、でも、いつも一緒にいる気持ちです。毎日、私の作った食事を供えて、一緒に食べて、話しかけて・・。

こんな時、こんなこと言うだろうなぁ・・などと思いながら、過ごしています。

 

体調がすぐれなくなった週末の3日間泊まり込み、4日目、一旦、帰宅した翌朝に亡くなり、最期のときに傍にいてあげられなかった、会えなかったことへの自分自身の納得できない気持ちは、たくさんの方々に言葉をいただいても、今もなお、心のどこかに住みついています。「もっとこうしてあげたらよかった」さらには、「もっと早く気づいてあげられなかったのか・・」と、今なお自問自答しています。本当は、母はどう思っていたのか・・今となっては、知るすべがありません。

 

毎日、病院から帰るときに「帰るね」と言うと、決まって「(駅まで)広い道、通って帰りよ」「明るいとこ、通って帰りよ」と、いつも気遣ってくれた母。

また、帰るときに「ありがと」と言うので、私も「ありがとう」と言うと、「なんで、あんたが『ありがとう』言うの?」と言うので、「『ありがと』って言ってくれて、ありがとう・・」というと、なんだか微笑んでいました・・。今までずっと、私の世話ばかりをしてきた母に少しでも役に立てたような気がして。「ありがとう」・・そう言ってくれる母が嬉しかったのです。

 

先生や看護師さん、外科病棟、緩和ケア病棟の方々をはじめ神戸協同病院のみなさまに、81年の母の人生の最期を支えていただき、本当に感謝いたしております。

いま、一人になった私を気遣い、周りの方々からのメールやお手紙で、近況を尋ねてくださったり、「遊びに行こう」と誘っていただいたりと、たくさんの方々に「支えられている」毎日を感じています。

心にぽっかり空いた穴を、まだまだ埋められずにいますが、毎日を元気に過ごすことが、きっと母への供養になると思い、たくさんの楽しい報告ができるよう努めていきたいと思っています。

ありがとうございました。 ――

 

 

娘さんは毎日仕事の帰りに病室に立ち寄られ、遅くまで付き添われていました

ときには泊まり込まれて…

「母ひとり、娘ひとり」の生活を送ってこられていました

とても大切なお母様だったのだなあと、毎日の様子からうかがうことができました

 

お手紙をいただいてお礼の電話をさせてもらいました

元気な中でもときに声が小さくなります

でも、たくさんの友人やお知り合いが声をかけてくださるそうです

 

悲嘆は簡単には解決しませんが、私たちはつねに寄りそっていきたいと思います

 

最近入院してこられた患者さんの話です

 

まず地元の新聞の切り抜きから…

『Mさんが約20年かけて製作した小型地車の入魂式が、Mさんの自宅前であった。地元の人や地車ファンら約60人が精巧に作られた地車にため息をついた』

 

何冊ものアルバムに整理された写真を見せていただきました

それが次の写真(一部)です

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“地車”、この漢字は“だんじり”と読みます

少し調べてみました

 

「地車(だんじり)とは、神社の祭礼に曳き出される、笛・太鼓・鉦などの囃子方を乗せた「曳き物・練り物」のひとつです。特に大阪を中心とした近畿一円で見られる「山車(だし)」のひとつをだんじりといいます」

とありました

江戸時代からあったようです

 

 

Mさんは大工さんです

震災前から準備をはじめ、工業高校の生徒さんたちといっしょに20年かけて手作りで仕上げられました

 

とてもりっぱです

 

 

Mさんは「身の回りのことは一通り整理をして入院しました」と言われます

しかしおなかは腹水で大きく張っていました

 

腹水がいくらか抜けると食事もとれ、「楽になった」と笑顔が復活します

その合間に地車の話など、いちど話し出すと話題が尽きません

 

この状態が少しでも長く続けばいいですね

 

ある日のことです

いつものように訪問診療に出発しました

すると、

目のはしっこに何やら見慣れない物体が…

動いているような、そうでもないような

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そうです

ぞう…ゾウ…象…!!

 

とても気になり少し寄り道をしました

お店の玄関にいました

「はく製なんです」

「防腐剤を塗ったので外で乾かしています」

「子供たちが触るといけないので見張っています」

とお店の人

 

中を覗くと他にも、トラ、シロクマ、その他いっぱい

「趣味でそろえています」とのこと

あらためてお店の看板を見ると、まったく関係のないお仕事でした

 

「きっと子どもの象なんでしょうね」

「ちょっとかわいそうかな」

などと話しながらつぎの往診先に急ぎました

 

 

私たちのまちにはこんな驚くことがたくさんあります

そんななかに緩和ケア病棟があります

もっともっとたくさんの人たちに知っていただきたいです

 

 

入院患者さんの散歩のときにお連れしたい場所でした

 

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1月24日、毎年恒例の「新春のつどい」を開催しました

300人を超える組合員と職員がともに参加し、大いに盛り上がりました

歯科職員の演奏、ふたりの方の講演、地域の組合員と職員のコラボによる出し物 などなど

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私は開催にあたりあいさつをさせていただきました

ここにその全文を掲載します

新年おめでとうございます

昨年は緩和ケア病棟の開設という大きな課題に全力で取り組みました。

ご協力ありがとうございました。

7か月あまり経過してなんとか順調に推移しております。

たくさんの地域、職場での多彩な活動、本当にごくろうさまでした。

さて今年は年初から大変な課題が提起されております。

まずつぎのスライドをご覧ください。

(以下の詩の紹介)

 

雪崩のとき(石垣りん 作)                                 1951年1月

人は

その時が来たのだ、という

雪崩のおこるのは

雪崩の季節がきたため、と。

 

武装を捨てた頃の

あの永世の誓いや心の平静

世界の国々の権力や争いをそとにした

つつましい民族の冬ごもりは

色々な不自由があっても

またよいものであった。

 

平和

永遠の平和

平和一色の銀世界

そうだ、平和という言葉が

この狭くなった日本の国土に

粉雪のように舞い

どっさり降り積もっていた。

 

私は破れた靴下を繕い

編み物などしながら時々手を休め

外を眺めたものだ

そして ほっ、とする

ここにはもう爆弾の炸裂も火の色もない

世界に覇を競う国に住むより

この方が私の生き方に合っている

と考えたりした。

 

それも過ぎてみれば束の間で

まだととのえた焚木もきれぬまに

人はざわめき出し

その時が来た、という

季節にはさからえないのだ、と。

 

雪はとうに降りやんでしまった。

 

降り積もった雪の下には

もうちいさく 野心や、いつわりや

欲望の芽がかくされていて

”すべてがそうなってきたのだから

仕方がない”というひとつの言葉が

遠い嶺のあたりでころげ出すと

もう他の雪をさそって

しかたがない、しかたがない

しかたがない

と、落ちてくる。

 

嗚呼、あの雪崩、

あの言葉の

だんだん勢いづき

次第に拡がってくるのが

それが近づいてくるのが

 

私にはきこえる

私にはきこえる。

 

この詩は朝鮮戦争が勃発し、自衛隊の前身である警察予備隊が発足した翌年、1951年に書かれました。

私たちは「しかたがない」ではなく「何とかしよう」と呼びかけましょう。

安倍首相は「つぎは憲法の改正(悪!)だ」と明言しております。

石垣りんさんは次にようにも述べておられました。

「平和憲法はたった一つの、私たちの大切な湖だと思うの。あれを手に入れるためにものすごく多くの人が犠牲になった…」

大変危険な状況です。

現在戦争法を廃止する「2千万署名」に取り組んでおり、神戸医療生協は55000筆という過去最高の目標をかかげております。

達成のためには全員の力が必要です。

ぜひ広げていきましょう。

今年は神戸医療生協の55周年を迎える年でもあります。

どんな年にしようかと今検討されております。

元気に、そしてみんなが頑張ってよかったねと言える1年にしていきましょう。

今年もよろしくお願いいたします。