80歳の男性患者さんの話です

「がんが再発したということで抗がん剤治療を受けました。けれど薬の副作用に耐え切れず中止になりました。そのときにここではもう治療することがないのでホスピスを紹介すると言われてきました」

 

会話はしっかりとされています

突然おそってくる痛みに苦しまれ、また腸閉塞をおこしたために食事は絶食となっていました

痛みにたいしては当初消炎鎮痛剤の点滴で抑えられていましたが、

それも効果がしだいになくなり医療用麻薬の持続皮下注射をはじめました

サンドスタチンというお薬の注射でおなかの張りがいくらか改善したため、

食事は少しとれるようになりました

しかし腫瘍熱と思われる発熱が時々みられるようになり倦怠感もつよくなってきました

 

一般病棟から緩和ケア病棟での治療を引き受けるとともに、

副主治医として受け持たれていた研修医の先生もいっしょについてこられました

 

患者さん、ご家族との面談にはいつも同席してもらいました

変化する症状の評価や治療方針の検討もいっしょに相談しました

 

研修医の先生は熱心な人で1日何回も患者さんのベッドサイドにこられています

ある日悩んでいる姿をみかけました

「急性期病棟の医療の方法と緩和ケア病棟の方法が違うのでここではどこまで行っていいのかわからなくなることがあります」

 

――決して方法が異なるわけじゃないんだけど…

「先生は今は患者さんを『治しきる』急性期医療の勉強中です。緩和ケアでは手段やテクニックではなく、考え方や姿勢のエッセンスをみていただければそれで十分だとおもいますよ。緩和ケア病棟での薬の使い方は急性期医療と違う面もあるかもしれませんが、患者さん・ご家族とのコミュニケーションは決して矛盾するものではなく共通です」という意味のことを話したように思います

 

この患者さんは結局入院後2か月あまりでお亡くなりになりました

ご家族がさいごまで付き添われていたのが印象的でした

 

 

最近次のような文章に出会いました

ホスピスで働く看護師さんです

『ホスピス医以外の医師は治ることに価値をおくことが多いですが、どれだけ頑張っても命には限りがあります。治療できないことが敗北だと考えてしまうと、そのことで患者さんは見捨てられたような気がしたり、辛い思いをします。(中略)でも人は誰もがその時を迎えます。そのことは平等です。その人らしく生きるという方向に切り替えれば、穏やかに最後を生き抜くことができるかもしれません』

『ホスピスでは一つひとつのケアがすべてオーダーメイドです。ご本人にとって何が心地よくて安心なのかは、生きてこられた道が異なるように一人ひとり違います。ささいに思えるサインを見逃さないで、できるかぎりケアに戻していくときに、一般病棟では明日に回せば良いことが、ホスピスでは時間に限りがあるために後悔を生むことにもつながります。できることは必ずそのときに行う。末期なのでもう何もできないということはありません。最期まで手を尽くせることがやっぱりありますから』

――「人生最後のご馳走」(青山ゆみこ著)より 一部改変

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実は近頃少し後ろ向きな気分になりかけていました

患者さんの「症状のコントロール」がうまくいかないことが続いていました

急性期医療にたずさわっていた時のような反応をしてしまいがちな自分に気づいて戸惑ったりすることもありました

上記の看護師さんの言葉に触れたとき、同時に研修医の先生の悩みを思い出し、私たちの役割ってなんだろうと振り返ることができました

 

 

「何かできることがある」

「手を尽くせることがある」

いま一度……

 

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