2016年2月のブログで紹介した少女が医師としての研修を積みながら「成長」していく姿を、私自身の経験や見てきたことなどをまじえながら再度物語として構成しました
緩和ケアにたずさわりながらいつも思い出すことなどを随所に述べてみたいと思っています
(1)
研修医としての生活も1年を迎えることになった。
入院患者を受け持つだけでなく、当直の業務も月2回行うことになり、いよいよ医師としての仕事が忙しくなってきた頃であった。
40歳台前半の男性が入院してきた。
彼女は副主治医として担当することになった。
病名は「ウイルス肝炎」
2年前に会社の健診で指摘を受け、近くのかかりつけ医に通院していたが、最近になり全身の倦怠感が強くなり、食欲が低下、体重も半年で5Kgほど落ちてきたため、精密検査を目的に紹介されてきた。
「はじめまして、私が担当させていただくことになりました。よろしくお願いします」
病室を訪れると理知的な印象の男性がベッドで横になり、そのそばには不安顔の女性と髪を三つ編みにした女の子が付き添っていた。
ベッド上の男性患者は「よろしくお願いします。大事な仕事を抱えているのでできるだけ早くよくなりたいと思っています」と自分の困っていることを率直に話し、そばにいるのは妻と中学生の娘だと紹介した。
――話をしやすい患者さんだな
奥様の表情が少し気にかかるけれど
翌日から検査が始まった。
指導医と相談しながら血液検査、尿検査をはじめ、レントゲン、CT、MRIなどを順次行っていった。
「……?」
CTのフィルムに正常ではない影が大きく写っていた
いっしょに見ていた指導医は「キャンサーだな」
「肝臓癌でしょうか?」
「こっちのMRIと合わせてみてもまず間違いないだろうね」
「治療法は…」
「あとで外科と相談しないといけないけど、肝臓全体に広がっていて、周囲のリンパ節にもたくさん転移があるようだからまず手術は無理だろうな」
「そうすると抗がん剤でしょうか」
「その選択肢しかないようだ。結論がでれば家族に説明をしよう」
そのように告げる指導医の表情が冴えないことが気になった。
数日後彼女は指導医とともに妻と面談を行った。
妻はあいかわらず不安げな表情。
「先生、結果はどうでした?」
自分が説明をする役割を任されることで、彼女は前日から緊張していた。
指導医とは直前に打ち合わせをさせてもらった。
「奥様、言いにくいことですがよくない結果をお話しなければいけません」
こう切り出した彼女をにらみつけるように見ていた妻の目がうるみ始めた。
「よくないって……、がんということですか?」
「そう…、肝臓癌と思われます」
「そんな、まだまだ頑張ってもらわないといけないのに。どうしてがんなんかになってしまったのですか? 主人の何がいけなかったのです? わたしたちはこれからどうすればいいの? ねえ先生、教えてください!」
立て続けの言葉に彼女は動揺してしまい、検査結果を詳しく説明する予定ができなくなってしまった。
指導医の舌打ちが聞こえたかと思った瞬間には、「奥さんあなたがしっかりと受け止めてあげないとご主人はつらくなりますよ。肝臓癌になったことを悔やんでもしょうがないです。これからどうすればいいのかを考えましょう」と、きっぱりとした口調で話の主導権を取られてしまった。
その後指導医は癌は全身に転移していること、手術の適応はないこと、治療法は抗がん剤を使うことになるだろうということを淡々と説明していった。
妻は肩を震わせながら黙って聞いていた。
「主人にはどのように話せばいいでしょうか」
「これだけ進行していることをご主人にお話しするのは残酷でしょう。慢性肝炎だけれど治りのよくないタイプとでも説明します」
「告知はしないということですか?」
「そうです。告知されてもご主人にとって何もいいことはありません」
はっきりと言い切る指導医の言葉に押し切られるようにして面談の場は終了した。
妻の表情からは一層不安がつのっているようにうかがえた。
「先生、告知しないという方針でいいのでしょうか。奥様は一人で秘密を抱えることになりませんか?」
妻が病室に戻ったあと、彼女は尋ねた。
「きみはヒポクラテスの誓いって知ってる?」
医学部の医療倫理のときに聞いたことがあった。
たしか“紀元前4世紀の「医学の父」ヒポクラテス、あるいは彼の弟子の一人による誓言であると広く信じられているものであり、医者にとって重要なものとして長らく伝承されてきた。医学部で臨床実習が始まるときに医学生に読ませる大学もある”と言われている短い宣誓書だったように覚えている。
「そこでは三番目にこんなことが書かれてあるんだ」
私は能力と判断の限り患者に利益するという養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない
指導医はそらんじた。
「患者に告知することは悪くて有害な方法だ、だから告知するつもりはない」
断言されてしまうと研修医である彼女はこれ以上言いかえすことができなかった。
――ほんとにこれでいいのかしら。奥様はあんなに悲しんでいたのに。娘さんにはどのように話すのだろう、家族の関係がだいじょうぶかな
様々な思いが浮かんだ。
理屈でせまられると反論できない自分も情けなかった。
――明日から患者さん、奥様とどのような顔で接すればいいのだろう
今夜はとても眠れないな
(2)
その日の夜
「あ、先生、結果はどうでした」
いい返事が聞けると期待している顔だ。
妻はベッドの横で感情を抑えていることがわかる。
「結果は…、慢性肝炎でした」
「慢性肝炎、よかった。がんじゃないのかと心配でした。これで近いうちに仕事に復帰ができますね」
「そうとばかりも言えないんですよ」
「それはどうしてですか? がんでなければ通院でもいいんじゃないのですか」
「慢性肝炎と言っても様々なタイプがあって、あなたの肝炎は少し治りにくいタイプなのです。もうしばらくは治療が必要です」
「飲み薬でいいのなら私はいつでも通います。家庭も仕事も気になってしかたがなくって」
「飲み薬では効果が弱く、点滴治療が必要なのです。点滴も副作用があって入院でないと使えません。もうちょっとだけ辛抱していただけませんか」
我ながら説得力のない説明だと思った。
患者は納得のいかない様子だったが、妻からも「あなた家のことは私がするからきちんと病気を治しましょう」と懇願されしぶしぶ入院を続けることになった。
治療が始まった。
運悪く抗がん剤の副作用が強く出てしまった。
しばらく治療をやすまないといけなくなった。
「点滴が始まってから食事がとれなくなるし、吐き気もひどくなった。これ以上治療を受けるのは耐えられない」
当然だと彼女は思った。
「やっぱり本当のことをお話するべきじゃないのですか」
思い切って指導医に意見を述べた。
「まだそんなことを考えているのか。もしこの状態で告知すると患者はますます弱ってしまうことになるぞ」
指導医の考えは変わらなかった。
看護師たちにも意見を聞いてみたが、告知への賛否は様々でみんなの合意が取れる状況にはならなかった。
そのうちに毎日の回診がとてもつらいものになってきた。
病気の進行に加え、抗がん剤の副作用もあり、ますます食事がとれなくなってきた。
腹水や足のむくみも徐々に増え、トイレへの歩行が苦痛になってきた。
幸い痛みはほとんどなくそれだけが付き添っている妻にとっても安心できる材料であった。
ある日妻に呼び止められた。
「慢性肝炎と言われたけどほんとうは肝臓癌じゃないのか。お前も先生たちもみんな嘘を言ってるんじゃないか?」
と患者が妻を攻め立てるとのことであった。
「私はどうすればいいんでしょうか?」
副主治医である彼女も同様のことを言われていた。
「担当の医者はいつも大丈夫、大丈夫とばかり言う。だけどこんなに痩せてきてけっしてよくなってるとは思えない。ほんとのことを教えてほしい」
指導医は「今まで嘘の病名を告げてきたのは患者のためだとの考えからだ、それはきみもわかっているはずだろ。今更じつはがんでしたなどと言えるわけがない。同じ説明をつらぬくしかないんだ」と姿勢を変える気持ちはまったくないと言われる
――先生も「嘘を言っている」とはっきりと話された
それなのに対応を変えないというのは矛盾じゃないのかなあ
毎日の診察が苦痛であった。
患者が寝ているときはほっとして、カルテに「睡眠中」とだけ記録すればよかった。
起きているときは無意識であったが、ベッドサイドに立ったまま話をして、足は出口に向かっていることに気づくことが少なからずあった。
他にも数人の患者を受け持っていたが、いつも最後になっていた。
それでも毎日の回診は欠かさずにいくことがせめてもの務めだと思っていた。
「慢性肝炎だからいずれはよくなることを期待していっしょに頑張りましょう」
「頑張れって言うけど、どれだけ頑張ればいいのですか? もうこれ以上は無理です!」
悲痛な叫びだった。
妻も患者と共に不信感がつのってきていることが態度を見れば明らかであった。
患者の意識状態が次第に低下し始めた。
そうなると経過は急激になる。
食事がとれなくなった。
「このままだと栄養もとれずますます悪くなる一方じゃないですか」と妻は指導医に詰め寄った。
「高カロリー輸液をしましょう」
指導医は妻に告げた。
左の鎖骨の下から注射器で穿刺を行ない、カテーテルを挿入、そこから高濃度のブドウ糖や、ビタミンなどを24時間かけながら点滴をするのだ。
意識がもうろうとした患者にも告げて開始した。
次には呼吸状態が悪化し始めた。
「これ以上悪くなれば人工呼吸しかない」と指導医は言う。
――いままで苦しまれてきた患者さんにさらに苦痛を長引かせる処置をするの
ね
今回だけは指導医に反発した。
「じゃああとのことはきみにまかせるから」
指導医は彼女にすべてを丸投げしてきた。
疲れ切った妻と中学生の娘を別室に呼んで医師一人で話の準備を始めた。
「私も参加させてください」とナースが一人同席した。
「ご主人は十分に頑張ってこられたと思います。そして奥様も、娘さんも。ご主人にはほんとのことをお話できなかったことを私は申し訳なく思います。おそらく残された時間はあとわずか、2~3日かもしれません。最期のときをおだやかに過ごしていただけるように全力でサポートしていきます。それが私のできる最善のことだと考えました」
妻は今更なにをという顔で聞いていた。
娘はずっと泣いていた。
同席してくれたナースは「先生の気持ちはきっとわかってくれるると思いますよ」と言った。
患者はそれから5日間少量の輸液だけで過ごし、5日目に息を引き取った。
妻と娘は静かに頭を下げながら患者とともに病院をあとにした。
妻からは一言の言葉も聞かれなかった。
ここまでのお話は私が体験してきたことであり、きっと少なくない医師が経験されたことではないでしょうか
彼女は最後には自分の意思を示すことができましたが、でもどの時点で行動すればよかったのかは私にもわかりません。
彼女はこのあともたくさんの経験を積みながら成長していくでしょう。
……お話はきっとつづきます