実行委員会には「10/8の記念集会」の準備と同時に、記念誌の発行という大きな役割がありました

 

みんなで原稿を書き

患者さんやご家族に写真掲載の許可を得るための手紙を出したり

何度も印刷業者と話し合ったり

急いで、慎重に進めてきました

230-01

 

集会に参加された方々にお贈りいたしました

 

そのさいごに「まとめにかえて」と題してこれからの課題を私見として載せてもらっています

 

ここに再度掲載したいと思います

 

 

まとめにかえて

―――神戸協同病院緩和ケア病棟のこれからの課題

 

 3年間は長かったように感じています。

 しかし緩和ケア病棟としての経験は浅く、振り返るとこれでよかったんだろうかと反省することがたくさんあります。

 関係する職種・スタッフで何度も話し合い、研修や見学、学習会を通じてイメージを共有してきました。その作業は現在も続いています。

 記念誌をまとめることもその一環でありました。まとめにあたってのテーマを「苦労と感謝」としました。内外の多くの方々に支えられたことを感謝いたします。

 目の前の課題をなんとかこなしながら、同時にこれからのことを考えることも私の務めであると自覚し、以下に整理することでまとめとさせていただきます。

 

Ⅰ.私たちの力量アップ、職員の教育、研修の受け入れ

  ○学会や研究会への参加、他の緩和ケア病棟との交流などを通じて疼痛緩和をはじめとした力量の向上をはかること

  ○緩和ケアが未経験の医師や看護師の研修受け入れ、院内/法人内の短期研修受け入れやコンサルト力をつけること

  などが求められており、そのための努力を重ねます

 

Ⅱ.診療報酬改定への対応

  ○ホスピスの理念を大切にしつつ、現実の制度への対応をしていかなければいけないと考えています

   毎日の到達の把握ときめ細かな対策が求められています

  ○患者さんやご家族に迷惑をかけず目標を達成するために、多くの人の知恵を借りながらカンファレンスの充実を中心として対応をしていきます

 

Ⅲ.連携の強化

  ○院内、法人内連携/院外医療機関との連携

   スムーズな面談・入院が一層求められています

   そのためにこれまで面談の枠を増やしたり、臨時面談を行ったりしてきました

   また直接の緊急入院ができないため、一般病棟の協力も得ながら少しでも早い入院に心がけています

   今後さらに他の医療機関の取り組みを参考にしながら期待に応えられるよう努力します

  ○他科との連携(精神科、放射線科、麻酔科など)

   放射線科や麻酔科(ペインクリニック)、精神科は当院にないため、疼痛ケアや精神的な苦痛のケアに関して不十分さを感じることがあります

   専門科を持たれている医療機関との連携をさぐっていくことが課題です

 

Ⅳ.「地域包括ケア」の一環として

  ○神戸協同病院では在宅医療・訪問看護の歴史が古く、蓄積や教訓がたくさんありま   

 すが、外来や在宅での緩和ケアに関してはこれからの大きな課題となっています

  ○最近は緩和ケア病棟への依頼だけでなく、外来でのフォローや在宅医療への紹介が増えてきました 

そのため緩和外来、在宅ターミナルケアの短期・長期の展望づくりが求められます

  ○関連する医療者(とくに医師、看護師、薬剤師、介護職)の連携が重要です

  

Ⅴ.これからの緩和ケア病棟を展望して

 平成30年度日本緩和医療学会総会でWHOの緩和ケアの定訳が提起されました

 「緩和ケアとは、生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者とその家族のQOLを、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見出し的確に評価を行い対応することで、苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチである」

私たちにとっては「QOLを向上させるアプローチ」が中心テーマになるでしょう

なかでも、

  *早期からの緩和ケア

*患者さんの尊厳(人権)を守ること

 *アドバンスケアプランニング(ACP)

  *トータルペインのケア

 を考えていきたいと思います

 

これからも引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。

 

 

10月8日、3周年の記念集会を開催しました

台風が心配でしたが、なんとか通り過ぎたあとの快晴のお天気の休日となりました

―――それにしても今年は台風の直撃が多かったですね

229-01

会場は駅の目の前です

 

副院長の素敵なあいさつのあと

私から3年間の報告をスライドを使ってさせていただきました

 

そのあと

参加者の皆さんが待ちに待った徳永進先生の講演です

“生もこんとん 死もこんとん”

229-02

229-03

229-04

参加者はなんと324人!!

普段からお世話になっている医療機関の方々や看護学生さんも多数参加していただきました

 

徳永先生からは日常の出来事をおもしろく、明るく伝えていただき

笑いあり涙ありのお話にみなさん大感激していました

(参加された方々の感想は今後のブログに載せます)

 

私が感銘を受けたことの一部ですが

以下に記載します

 

☆オープンダイアローグという用語を教えていただきました

ネットで調べると「1980年代から西スコットランドの病院で行われている家族療法の一種」「参加者は患者さんにかかわ重要な人ならだれでもOK」「そこではあらゆる発言が許容され、傾聴され、応答される、開かれた対話」

などと述べられています

 

先生はカンファレンスを取り上げられ

「結論を出すためではない」

「その場で大事な意見を出し合う」

「何か事が起きれば60分以内に集まる」

などと話されました

 

 

☆また、ネガティブ・ケイパビリティという言葉も…

「私たちに必要なのは共感すること」

「その共感する過程で、容易に答えの出ない事態に耐えうる能力がネガティブ・ケイパビリティ」

 

 

☆さらには

「臨床には決めていく力と決まっていく力があります」

「臨床では思いがけないことがおこるのです」

 

 

短い時間で全てを理解することが難しいのですが

関連する書籍なども参考にしながら学んでいきたいと思いました

 

最近患者さんへの「病名の告知」に関して考えることが何度かありました

 

私たちの緩和ケア病棟の入院基準には「原則として病名の告知がされていること」という一文があります

絶対的なものではないのですが、入院されてから「わたしはなぜよくならないの?」「ここでは治療はしてもらえないの?」と話される患者さんがいたことから基準として付け加えることになりました

また「緩和ケア病棟の役割」についても面談時に説明を行っています

 

 

ご家族にこのお話をするとき、「告知されるとショックを受けるから」「病気を受け止めきれないから」「きょうだいが同じ病気で亡くなり、はっきりと告げると気持ちが落ち込んでしまうから」と積極的なお気持ちになられないことがあります

 

これまで専門病院で癌治療を続けてこられた患者さんの場合はそのようなことはほとんどないのですが、病気がみつかってもすでに手術や抗癌剤などの積極的な治療が望めないときに、ご家族たちは途端に悩まれることになります

 

私もそのお気持ちは十分にわかります

 

 

今から25年ほどまえのことでした

 

私は小さな内科中心の病院で働いていました

 

患者さんは様々な病気で入院してこられます

急性期治療を必要とされる患者さん

糖尿病のコントロールが必要となった患者さん

ときには診断が難しい患者さんがいました

免疫不全の患者さんでした

癌の患者さんもいます

 

高齢の女性でした

ご主人はすでに亡くなられ

ふたりの息子さんたちと同居していました

体調不良で入院され、検査で膵臓に癌が見つかりました

すでに進行しており治療は難しい状態でした

 

いつもならここでご家族にまず説明と相談をするのが当時のやり方です

 

しかし息子さんたちは精神疾患で治療を受けておられ

ありのままをお話してしっかりと受け止めていただけるか心配な状況でした

一方で、お母さんである患者さんは、息子さんたちのこれからのことを心配されています

 

病院では少し前から入院患者さんへの「カルテ開示」を行なっていました

看護師さんの日勤時間帯にベッドサイドにカルテを置かせていただき

患者さんやご家族が自由に見ていただくことができます

さらにご自分の意見や思いなどを書き足していただくことも可能でした

 

当時の医療状況から考えると先進的な取り組みではなかったかと思います

 

――この患者さんの場合どうしようか?

 

みんな考えました

 

――カルテ開示は何のためにしているの?

――自分たちの自己満足でおわったらダメだと思います

 

などの意見

 

時間をかけた話し合いの結果

カルテの開示は患者さんのため

病名の告知も患者さんのために必要

という結論になりました

 

 

主治医である私と受け持ちの看護師さんとで患者さんに話をすることになりました

 

患者さんはご自分の病気はすべて教えてほしいと言われていました

 

「○○さんにとってうれしくない話になるかと思いますがよろしいでしょうか」と切り出しました

 

患者さんは落ち着いて私や看護師さんの話を聞いてくださいました

しっかりと受け止めていただけたようです

 

そして

「息子たちはどうなるのでしょうか?」

と、ご自分のことよりも息子さんたちのことを気にかけられました

 

息子たちにも伝えてほしいと望まれ

後日息子さんたちにも病状をお伝えしました

私たちが予想していた以上に動揺されました

 

しかし患者さんから息子さんたちにご自分の考えを伝えられ、しだいに息子さんたちも冷静になられました

 

「病気になったものはしょうがないよ。私は大丈夫。心配なのはあなたたち。きょうだいで助け合って頑張ってね」

 

このご兄弟には結婚されたお姉さんがいたのです

その支えが大きかったように思います

――女性はたくましいと思ったものです

 

 

私たちは告知にいたるまで大いに悩みました

息子さんたちも悩まれました

でもいちばんつらかったのは患者さんです

 

 

病気の真実を伝えることも伝えられることもつらいことです

しかしどれほどつらい事実であったとしても

だれかが伝えることをしないと

患者さんはその後の生き方を決めることができません

 

もしこの女性にだれも何も話をすることがなければ

ご家族の間での本音の話し合いはできなかったでしょう

患者さんも息子さんたちも不信のなかで過ごさざるをえなかったかもしれません

 

 

ただ、

このお話のようにすべてがうまく行くとは限りません

ご家族の納得が得られないまま最期を迎えられた患者さん

ご自身が「怖い話はいや」と説明を拒まれた患者さん

みなさんそれぞれの人生の在り方は様々です

 

 

けれど面談のときにいつも言うことがあります

「私たちはけっして嘘を言ったりごまかしたりすることはありません。そして、いつでも患者さん、ご家族さんの支えになりたいと思っています」と

 

 

山崎章郎先生の著書にこのようなことが書かれていました

“告知は、患者さんが新たな道を歩む始まりに過ぎない”

228-01

 

恒例になりました“秋の音楽会”がありました

227-01

今回の演奏は神戸大学医学部の「クラシック愛好会」の学生さんたちです

227-02

いつもの如く私が前座を務めました

 

その後の演奏になると

一気に参加者の興奮が高まります

 

いつになく子供たちの姿も多くありました

227-03

227-04

ピアノや楽器の演奏

澄んだ歌声はみんなを魅了します

 

さいごにみんなで大合唱!

 

今回は1部と2部にわかれての取り組みでしたが、

ともに参加された患者さんもいました

「歌声に誘われました」と

227-05

ずっと前から準備をされた看護師さんたち

お手伝いをいただいたボランティアさん

お疲れ様でした

 

そして

メインゲストの医学生さんたち

私の大学の後輩です

 

素敵なお医者さんになられることを

期待しています

 

 

阪神淡路大震災がおきて、まだ日も浅い時期のことでした

 

保健師さんから往診の依頼がありました

 

患者さんは寝たきりで食事も高齢の娘さんの介助で何とか食べているという状況でした

なによりもご自宅が山の上の方にあり、長い石段を上り下りしなければたどり着けない、言いかえると高齢のご家族は簡単に買い物にもいけない一軒家の中で暮らしていました

 

初めての往診のときです

布団にくるまって休まれている患者さん

そのまわりで甲斐甲斐しく介護をされている娘さん

娘さんとはいっても高齢で、腰が90度ほど曲がった女性です

時は秋

これから寒くなることが予想されます

 

古い家屋のため、すきま風がまちがいなく室内の温度を下げてしまいます

――これから大変になるなあ

と往診に同行してもらった看護師さんと話しました

 

幸いにも患者さんには大きな病気はなさそうです

加齢と認知症にともなうADLの低下から寝たきりになられたようでした

いずれは老衰を迎えることになるのだろうなと思われました

 

「ありがとうございます」

何を話しかけても同じ返事が返ってきます

若い頃小料理屋を営んでいたとのことで

そのころのお客さんへのあいさつだけが記憶に残っているようです

 

娘さんが出されたアルバム

そこにはきれいにお化粧をされ、着物を上手に纏われ、踊りを踊っている患者さんの姿

写真をお見せすると、顔を赤らめて恥ずかしそうにされました

――この頃が患者さんにとってもっとも輝いていた時なんだなあ

 

また来ますね

とご挨拶をして往診を終えました

 

帰りの下りの石段

冬眠に入る前なんでしょうか

ゆっくりとした動きをするヘビに出会いました

 

 

何度か訪問をさせていただきました

しだいに寒さが身に染みるような季節となり

患者さんの全身状態は弱ってきました

これ以上進むと入院も考えないといけないとだれもが思う状況になってきました

 

ある日の訪問でのことです

 

娘さん

「お話があります」

といつになく真剣な表情です

 

「あの方にはこれからは来てほしくないんです」

訪問看護師さんのことのようです

 

「お母さんはもう限界だから入院しないといけません」

「これ以上おうちで看ていくことは無理でしょう」

と訪問ごとに言われるそうです

――私もそのように思っていたところなので、娘さんの訴えに驚きました

 

「私たちはいままでずっとふたりで助け合って暮らしてきたのです」

「私はまだまだ頑張れると思っています」

「それなのに看護師さんは私の話を聞いてもくれず、もう無理だから、限界だからとばかり言って…」

さいごには泣き顔です

 

私も反省を迫られました

 

――よかれと思ってしたことでも、患者さんやご家族にとっては今までの努力が台無しになってしまいかねない働きかけとなってしまうことだってあるのだということ

――患者さんやご家族の思いをしっかりとお聴きし、受け止め、支えとなる役割りが求められているのだということ

――「限界」は私たちの側にあり、患者さんたちの方にあるわけではないということ

 

などなど、たくさん学ぶことがありました

 

 

ちょうど山崎章郎先生の最新刊を読んでいるときにこの出来事を思い出しました

 

そこでは次のような記載がありました

 

「自分では、まだやれると思っている。あるいは、そろそろ限界かもしれないと思いつつも、まだがんばりたいという気持ちがある。まだ現実を受け入れていない、揺れている状態のときに、まわりがとやかく言っても、それが善意に基づくものであったとしても、なかなか受け入れられるものではないのだ。

こういった場合には、待つしかない。その人が自ら一人暮らしの限界を感じたときに、初めて自分の中で、折り合いがつくのである」

「そのような人に関わる関係者は、その人が現実と折り合いをつけたときから、次へのステップを考えるのではなく、その人の心の変化を待ちながらも、折り合いをつけた後に、すみやかに次の事態に備えられるような準備はしておいた方がよい」

 

この文章にもっと早くに出会えていればと思いました

 

というのは、

この患者さん、あるとき熱が下がらず、娘さんもやむなく入院を承諾されました

しかし病状は落ち着いたものの、介護の手間がこれまで以上にかかるようになり、介護施設に移ることになったのです

その後ほどなくして、患者さんがお亡くなりになったという知らせが届きました

 

私たちは娘さんに合わす顔がなく、もっとほかにいい方法があったのでは、とたいへん悔やまれる出来事となりました

 

 

高齢者の介護の場面と緩和ケアの場面では異なることもありますが、人の思いはどのようなときにも違いはないでしょう

私はそのときから成長しているのでしょうか?