以下の文章には吟味が不十分な記載もあります
ご容赦ください
私たちの病院は医療生活協同組合です
そこでは「健康観」を大切にした活動が行われています
“昨日よりも今日が、さらに明日がより一層意欲的に生きられる。そうしたことを可能にするため、自分を変え、社会に働きかける。みんなが協力しあって楽しく明るく積極的に生きる”というものです
病院や診療所の(職員の)役割の大部分は地域の人たちの健康を守り、増進するお手伝いをし、病気になったときに治療を行ない再び地域や職場、家庭に復帰していただくことでした
この考え方に共鳴して働いてきました
しかし緩和ケア病棟での仕事をはじめてから2年が経過し、矛盾を感じることが多く出てきました
悪性腫瘍だけでなく、進行性の難病の患者さんの訪問診療にたずさわっていても上記の「健康観」を意識すると、なんとなく居心地の悪さを感じてしまいます
「病気を治療し、健康を回復する」
という普通に考えられている「医療」とは少し異なるところにある自分に気づきます
終末期を迎えた患者さんやそのご家族と接していると、一般的に思われている「医療」とはちがう活動も同様にあるいはそれ以上に大切ではないのかと思います
時間が限られた(かもしれない)患者さんを前にして、寄り添うことの重さを痛感させられます
「覚悟はしているよ」
でも
「もっとおいしいものが食べられればうれしいのにね」
「どうしても行きたいところがあるんです」
「まだ何かよくなる方法が見つかれば試してほしい」
同じ患者さんから発せられた声です
一見矛盾ですね
でもその言葉すべてが患者さんのほんとの声、想いだと受け止めながら支えるようにスタッフは頑張っています
そんな中での「健康観」をどう考えるのか、です
患者さんによっては「明日」がないのかもしれない
今日一日がとても大切な日になったりします
昨日よりも今日の方が、また明日が悪いことだってあるのです
同じ医療生協の組合員であっても、その人がどのような状況に置かれているのかにより、ずいぶんと物の見方、人生観が変わってくることもあって然るべきでしょう
患者さんたちは生き方を模索されています
その姿がご家族や友人たち、私たちスタッフに多くのことを教えてくれているようです
「健康観」を何度も読みかえしているうちに、“自分を変え、社会に働きかける”というフレーズが“一層意欲的に”や“楽しく明るく”という言葉以上に存在感をもって迫ってきました
患者さんたちの日々の姿、それが社会(=とりまく人たち)に影響を与えています
7月に「ブログ集」の第3集を発行しました
その表紙にはつぎのような言葉を載せました
これからもさらに「緩和ケア病棟の患者さんにとっての『健康観』っていったいなんだろう」ということを、考え続けたいと思っています