今回は「支え」ということを少し考えてみました

☆40歳代の男性
一言、二言短く話されます
長くしゃべると息が切れるからです
「体を上にあげて」
「いや、もっと下げて」

お母様と長くふたりで暮らしていました
「この子は頭でわかっていても実行するまでに時間がかかる人なんです。自分からこうしたいと言うのを待っているんです」
「こうすればいいんじゃないと提案しても、本人がいやがるのでわたしはそれ以上にはこだわらないようにしています」
と言いながら、お母様は毎日病室へ顏を出され、付き添っています

顔を拭いてあげたり、歯磨きの手伝いをしたり、体のマッサージをしたり…

患者さんは時には文句を言いながらも母親の「支え」を頼りにされています

 

☆高齢の患者さんに毎日付き添っておられた奥様
「世話をしていただいている看護師さんたちを信頼しています。ほんとにありがたいです」
「わたしはそばにいてあげることしかできません…」
若い頃のお話もたくさん聞かせていただきました
日本全国をともに旅されたそうです
言葉の端々にとても仲が良かったのだろうなという様子がうかがえます

奥様がある日おっしゃいました
「たとえ寝たきりであってもお父さんが今ここにこうして生きていてくれるだけでわたしは支えられているんです」

 

☆80歳代の男性
入院されて間もない時期のことでした
夕方になって、
「急にさみしくなってきました。不安なので友人に今日は泊まってほしいとお願いしたのです」
異性の友人は快く引き受けてくださいました

翌日のこと
「よく眠れました」
「昨晩のお礼にこれから喫茶店にモーニングを食べに行ってきます」

 

☆中年の男性
「寒い! 布団をかけて」
看護師さんを呼んで、
「えーっと、あれ? なんやったかな?」
「起こしてほしい、いや、やっぱり寝かせて」
「ちょっと横にいてくれる?」
夜中に
「今からごみを捨てに行きます」
「お~い お~い」

しばらく付き添って話をしていると落ち着かれるようです
でもその場を離れようとすると
「そばにいて!!」
――私はいちどもそのようなお願いをされたことがありません
看護師さんたちがうらやましいです

 

これらの話は日常よくある出来事の一端です
でも、「母親」「患者さん(夫婦)」「友人」「看護師」がそれぞれ「支え」となっているのです
自分の辛さや苦しさを、ときには喜びをわかってくれる人を頼っているのだと感じました
そのような人の存在がありがたいのです
ある人は、
「誰かの支えになろうとする人こそ、いちばん支えを必要としている」
と、述べていました

そう考えると、ともに働いている看護師さんたちの「支え」はいったいなんだろうか? と思ってしまいます
機会があればこんなことをテーマに話し合ってもいいのかもしれません

 

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え? そういうあなたの支えはなんだ ですか?
私の「支え」は、
ひとつは、時々書いているブログです
日々のささやかな出来事、気になったことを自由に書かせていただいています
時には「読みましたよ」と言ってくれる人がいてうれしいです
主観もまじえながら、ある程度の客観性をもって文章にすることで、心のバランスを保っているのだと思っています

もうひとつは、
どんなささいなことでも聞いてもらえる人がいることでしょうか

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