前回に引き続き過去の経験です
主に在宅医療を中心に仕事をしていたころの話です
★16年前のこと
Aさんは60歳代後半の男性です
神経難病で訪問診療、訪問看護、訪問介護、訪問薬剤指導、呼吸療法士の訪問がはじまりました
一人暮らしをしており、在宅でNIPPV(マスク式陽圧人工呼吸療法)を受けていました
家の中はなんとか伝い歩きができます
1年後に呼吸機能やADLが低下してくるとともに不安がつよくなりました
しかし気管内挿管や気管切開は望まれません
入院は希望せず、本人との話し合いを重ねこれ以上の積極的治療は望まれないことが確認されました
したいことははっきりと表明されます
「阪神―巨人戦を甲子園に見に行きたい」
かかわっている人たちは何とかして望みを叶えてあげたいと相談しました
その結果
Aさんはボランティアさんや看護師さんの援助で器械と酸素をもって甲子園にいくことになりました
「たいへん楽しかったよ 久しぶりに広い場所に出て気持ちがよかった」
このような楽しいことばかりではありません
だんだんと呼吸困難が強くなってきました
往診医:入院された方が体は楽ですよ
Aさん:ぼくはこうしているのが一番いいんです
往診医:私が心配しているのは、いざというとき入院ベッドがなかったら……ということなんです
Aさん:そのときには他の病院に送られてもうらむことはありません ぼくのわがままなのはよくわかっています すみません
呼吸療法士から心配が伝えられました
「停電になったときNIPPVが使えなくなるんです」
台風が近づいてきている時期です
そのときにはみんなが駆けつけることになります
妹さんも時々様子を見に来てくださっていました
在宅医療が始まって4年が経過
そこから私が往診の担当となりました
すでにAさんは寝たきりの状態
食事や入浴は全介助
左手だけがかろうじて動き
電話をとることはできていました
秋になって
痰が増加してきました
自分で出すことが難しくなってきました
もういちど気持ちを確かめます
Aさん「入院はしたくないです 家にいたい」
呼吸状態の悪化のため
妹さん、ヘルパーさん、看護師さんが交代で常時付き添うことになりました
ビールが大好きなAさん
少しずつ口に含ませてもらっています
それから1か月後の初冬
Aさんはそばにいる妹さんを手招きしました
口から泡をたくさんだされ…
旅立ちのときを迎えられました
最期までご自宅での生活にこだわりをもっていました
生活を支えた多くの人たちの努力とともに……
★11年ほど前
50歳のBさん(女性)のお話です
独身の友人とふたりでつましく暮らしていました
ある宗教の信者です
40代のとき癌が発見されましたがご自分の意思で手術は受けていません
保健師さんからの依頼で訪問しました
体重は極端に減少
お腹は多量の腹水でパンパンになっています
声を出すことがしんどそうでした
食べ物は通過障害のため食べてもすぐにもどしてしまうのですが
食べることへのこだわりはつよくもっており、それが生きる意欲につながっているようでした
医療への不信感があるのか
簡単には思いを話してくれません
入院も拒否です
毎週往診を行い
頻繁な訪問看護で大好きな入浴の介助をしてもらい
お風呂上りに栄養剤なら何とか飲めるようになりました
時間はかかりましたが少しずつ笑顔を見せていただけるようになり
Bさんとの関係が築けてきたように思いました
ケアマネジャーさんの努力で、介護ベッド・エアマット・ポータブルトイレ・室内用車いすなどが導入されました
しかし思わぬ所から待ったがかかりました
介護申請は行っていましたが、サービスが急がれるため暫定での導入でした
お役所の担当者から言われます
――なんでも暫定で使用するのはいかがなものか?
介護認定の結果を待てないのか?
現場を知る私たちはつよく訴えます
――Bさんにとって、一日一日が貴重な状態です
苦痛を緩和し、Bさんの意向を大切にした生活のためには、暫定でもみんなが幾度も訪問を行い援助を続けています
おむつに排泄したくないというBさんのお気持ちを叶えるために一日でも早くサービスを入れるべきじゃないんでしょうか
Bさんの人間としての尊厳を尊重する意味でも、またご本人や介護されているご友人の負担を少しでも軽くするためには絶対に必要なことです
結果、お役所を動かすことができました
あきらめることはありません
ある日急な症状の悪化があり
一時ホスピスに入院されました
しかしせん妄が出現
Bさんは退院をつよく望みました
自宅に向かう車中では会話が可能でしたが
背負われて部屋に到着したときには
静かに息を引き取られました
住み慣れた家で、仲良しの友人に看取られ
幸せそうなお顔でした