私たちの医療生協では隔月に機関誌「三つの輪」を発行しています

その中で毎回いたやどクリニックの木村院長が「カンガルーのポケット」としてエッセイを連載しており

組合員さんたちからたくさんの感動が寄せられています

 

このたびの記事を読み、心が揺さぶられました

家族の一員としての愛犬のお話ですが

何か通ずるものを感じています

 

敢えてコメントをせずにそのままを載せたいと思います

木村先生からは快諾をいただきました


 

 雲の上のナナちゃん

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□「おとうさん、元気にしていますか。わたしは今、広い公園を 走り回って遊んでいます。雲の公園は、地面がフワフワッとして、どれだけ走っても疲れません。雲の地面をペロペロってすると、のどの渇きもなくなります。おとうさんが一緒に走ってくれないのが寂しいけれど、わたしは元気です」

 

家族になりました

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わたしはナナちゃん。6月1日生まれの白柴の女の子です。おとうさんとおかあさんが、ホームセンターにカブトムシさんのエサを買いに来た時に出合いました。生まれてまだ2か月でふるえているわたしを抱っこして、「決めた!」って言って、その日のうちにおうちに連れて帰ってくれました。8月7日に新しい家族になったので、お名前を決める時にハナちゃんにするか、ナナちゃんがいいのか迷ったみたいですが、呼びやすいのでナナちゃんになりました。

その年の暮れ、たくさん雪が降った日に、おとうさんたちは家族旅行に出かけました。わたしはお庭の小屋でお留守番。寒くて寒くて思い出してもつらかったです。旅行から帰ってきたおとうさんは、申し訳なさそうな声で「これからは一人にしないよ」って、言ってくれました。

□年が明けて、おうちに赤柴くんがやってきました。ホームセンターにわたしのご飯を買いに行ったときに出合ったそうです。またまた衝動買い。おとうさんの悪い癖は治りません。お名前はナナちゃんの次だからハッちゃん。単純な考え方も治りません。わたしより2か月後に生まれたのに、体が大きくって、落ち着きがなくってやんちゃさんで、わたしが注意すると目をつぶって噛みつくので、何度もケガをさせられました。今ではわたしを怖がって、目を合わせるのを避けるようになったので、注意しすぎたかなって思ってます。それでもふたりは結婚して、3人の女の子が生まれました。さくらとスズとペコちゃんです。お産は大変だったけど、かわいくって一緒にお庭を走って遊びました。3人ともかわいがってもらえる方にもらわれたので安心です。□□□□□

 

たくさんの思い出と

 

ハッちゃんとわたしと家族みんなで旅行にも行きました。車で何時間も揺られて着いたのが島根県の三瓶山。青い草原でいっぱい走り回り、バーベキューのお肉をもらって、夜は流れ星を見ました。この星に生まれて本当に良かったと思いました。□

わたしが2才の時に、おねえちゃんが大きなご病気になりました。おとうさんもおかあさんも、つきっきりの看病だったので、わたしとハッちゃんは、おとうさんのお知り合いの獣医さんの病院に預けられました。毎日「おねえちゃんがんばれ」ってお祈りしていたので、少しやせたおねえちゃんがおうちに帰ってきたときは、本当にうれしかったです。健康って大切だなって思いました。□□□□

でもご病気は避けようがありません。わたしは前庭疾患という難しい名前のご病気になり歩けなくなりました。楽しみにしていた朝夕のお散歩も抱っこでお出かけです。病院に行くのは怖くって、病院近くになると大声を出すので、「またナナちゃんのGPSが作動したね」と笑われました。自分ではお水も飲めなくなると、朝から晩まではおかあさんが抱っこして大好きな玉子焼きを作って食べさせてくれ、日にちが変わるとおとうさんがわたしの隣で添い寝をしてくれました。雪の中の事件は忘れてあげることにします。

わたしの体は雲の上。でも、おとうさんやおかあさん、おねえちゃんとハッちゃん家族みんなの胸の中に生きています。時々でいいから優しい声で「ナナちゃん」って呼んでくださいね。それがわたしののぞみです。一緒に暮らせて本当に楽しかったです。

ありがとう。

312-01

 

 

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