――歯科の衛生士さんから文章をいただきました

担当を始めて1年になる○○区在住のA様、歯周病の治療で定期的に来院されていました
ある日の来院でA様は、最近忙しくて(歯を)磨けていないんです
出血があります
と言われました

お口の中を確認してみるといつもきれいに磨かれているのに、普段と様子が変わり、炎症が強く現れていました
話を伺うと、今年の夏は忙しくて・・・・・・・・・・、実は父親が亡くなりまして……

ゆっくりとA様は振り返るように話されました
父が緩和ケア病棟でお世話になっていたんです
その父が夏に亡くなりました
本当に短い期間だったけど、協同病院の緩和ケア病棟の方々にはよくしてもらいました

私はA様の思いをどのように受け止め、話を返せばいいのかわからず、ためらいながらも大変だったんですね  としか言葉をかけるしかできませんでした

私は歯科に来ている担当患者様が、協同病院の緩和ケア病棟を利用していたということを知ったことが、私にとっては、遠い存在だった病院を、とても身近に感じる出来事となりました

患者様を通して協同病院と協同歯科が繋がっているということや、
自分の働く神戸医療生協が緩和医療を行なっていることを誇らしく思いました

涙を浮かべながらも語られたA様は、またこれからも宜しくお願いしますと最後は笑顔で帰っていかれました

協同歯科 歯科衛生士 S

(栄養士さんからのお話)

お酒とタバコが大好きだったある男性(Aさん)は、自分で食べたいものを買われることが多かったため、栄養科からは希望のある時に合わせてお食事をお出ししていました。

ある時お部屋に伺うと、お酒の話に。

緩和ケア病棟では、お酒も楽しめます。(もちろん酔っ払いは厳禁ですが)
一般病棟から移ったばかりのAさんにそのことを伝えると、Aさんの目がぱっと光りました。

「僕、お酒大好きなんですよ。」

聞けばAさん、かなりの酒豪だったようで、入院前はジョッキ5・6杯は軽々飲んでいたとのこと。病気をきっかけに徐々に飲みづらくなり、病気になってからは飲酒後に一度熱を出した経験から怖くて飲めなくなってしまったとのこと。

「ここでなら、病院だし、安心して飲めますよね!せっかくお酒飲むんだから、酔っ払うまで飲みたいなあ。病院で飲んだら、帰る心配しなくていいですよね!眠剤も飲まなくていいし・・・酔っ払ってベットに倒れこむ・・・!今日からの人生の楽しみができました。」

私もお酒が大好きなので、同じお酒好きとしては、酔っぱらう楽しさもよくわかる。でも…うーん。そんなに酔っ払うまで飲むのは、先生がOKしてくれるかなあ・・・?

先生に確認したところ、お酒はビール1~2杯にしましょうということになり、それを伝えにいくとAさんは「それでもいいです。」と笑顔で答えてくれました。

そして当日・・・薄く雲のひろがる、風が気持ちいい絶好のビアガーデン日和。
私は夕方頃から簡易のイスと机を屋上に引っ張り出し、調理師さんたちが昼休みに材料を買いに行って作ってくれたばかりの揚げ物やサラダを並べます。

Aさんは、私が部屋にお迎えに行くと、いそいそ楽しそうに焼酎のカップ酒を取り出します。あれ?ビール1~2杯じゃなかったかな?焼酎のほうがアルコール度数高いんだけど・・・大丈夫かな?

担当の看護師さんが「後で行くからね。」と声かけしてくれ、さっそく乾杯し、ビアガーデンスタート。

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「今から病院でビアガーデンするんやって会社の上司に電話したんですよ。そしたら絶対嘘やって言われて。本当なのにね。」

Aさんはうれしそうに話してくれます。

病院の屋上から空を眺めていると、飛行機が何機も飛んでいきます。お酒とおつまみを食べながら、Aさんはいろいろな話をしてくれます。飛行機が好きで、一度だけタイに行ったことがあること。中学時代はこのあたりが地元で、新長田の南側の景色はちっとも変わらないと思うこと。Aさんは独身ですが、結婚の話も少ししてくれました。昔は結構遊んでいたようです。

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病院の南側は海なので、飛行機以外に時折船が通りすぎていくのも見えます。
外で飲むお酒はおいしい。

こうしてAさんは、協同病院でビアガーデンをした第一号の患者さんになりました。

少し寒くなってきたので、そのあとは院内に移ってお酒を飲みました。主治医の先生をはじめ、MSWや病棟の看護師さん、色んな人が来て、一緒に食事を食べました。

「入院して、誰かと食べる食事が一番美味しいというのを本当に感じました。おいしいものも、一人で食べるより、誰かと食事をするほうがずっとおいしく感じます。」

Aさんは結局この後、チューハイも1本開けて楽しそうにみんなと話をしながら飲んでいました。

「また、ビアガーデンしましょうね!」

次の週に訪問すると、Aさんはそう言いました。

Aさんは、本当にお酒とたばこが大好きでした。

食事には体に栄養を補給するということと同じかそれ以上にコミュニケーションを図る力があります。それは心の栄養の栄養になります。

「楽しみが増えました。」

Aさんは食事のメニューや食べたいものを提供できるように私が提案すると、いつもそう言ってくれました。

ワードローブにたくさん詰め込んだおつまみをうれしそうに見せてくれる姿と、焼酎をおいしそうに飲む姿が、ずっと残っています。

 

とても印象に残った試みだったので、
無理なお願いをして栄養士さんに投稿
していただきました!

真夜中に患者さんとのお別れをしたあと、ようやく家にたどり着いてひと眠り

ゆっくりと目覚めて休日の日課になっている喫茶店へ行きました

モーニングサービスとアイスオーレがお目当てです

 

4人がけのテーブルにつくと、巨大なガラス窓から公園が見えます

澄み切った青空、気持ちのいい秋の朝でした

お店手作りのリンゴジャムをトーストにのせて、しばらくはこの雰囲気を味わいました

 

……少し前に看護師さんたちとかわした真剣な議論の場面がよみがえってきます

テーマは「緩和ケア病棟での輸血をどう考えるか?」でした

とってもむずかしいテーマです

直截的なことばでの議論とともに、少し水割りをされたことばのやりとりも必要です

 

私たちの病棟を開設するとき入退院基準なるものを提案し、今もそれを基準にしています

輸血に関しては、「大量の消化管出血をきたし、輸血を頻繁に必要とされる場合には一般病棟での治療をお願いする」ということが了解事項でした

入院基準にも入院適応とならない場合のひとつとして「多量の輸血療法」とあります

かなりぼやかした表現です

 

患者さんは出血がつづき急性期病棟では頻回の輸血でしのいでこられていました

目に見える出血がなくなり、輸血も当分はしなくてもよくなり、緩和ケア病棟に移ってこられました

しばらくは落ち着いた日々を過ごされていました

しかししだいに(出血のサインはありませんが)貧血が進行、同時に全身倦怠感が増加、血液検査をみながら輸血の再開です

病状の進行とともにしんどさが増し、輸血の頻度が増える可能性がでてきたときの議論でした

「患者さんからは不安もあり、輸血の回数を増やす希望が出されています」

「輸血の条件として一応はヘモグロビンが7.0以下を基準にしています」

「大量・頻回の輸血が必要となったとき緩和ケア病棟ではどこまで行えばいいのかの基準はありません」

「輸血後の患者さんのADLや表情は明らかによくなっており、緩和につながっていると評価できます」

「しんどさに対してステロイドなどの他の手段はすでに行われており、有効な緩和の方法は考えにくい状況です」

「急に輸血の希望が出されたときの対応や判断に困る可能性がでてきました」

「何回以上となれば一般病棟へなどのような明確な基準はつくれないものでしょうか」

「かりに一般病棟へお願いしたとして、受け入れる側の病棟はどのように思うでしょうか」

などそれぞれから多くの意見が出されました

簡単には結論が出ません

 

この議論を終えてから後日いくつかの文献にあたってみました

 

(1)「日本ホスピス緩和ケア協会」ホームページのQアンドAから

「通常の診療は患者さんやご家族の希望に応じて、今までと同様に継続して行います。…輸血など全身状態を維持するために必要な検査や治療は行います」

 

(2)私たちが教科書にさせていただいている「トワイクロス先生のがん患者の症状マネジメント」より

―緩和ケアおける非緊急性の輸血―

適応

一般に、次の基準すべてに適合しているときに行うべきである:

  • 貧血に起因した症状、例えば、労作時に疲労感、脱力感、息切れが起こり

・それらが患者にとり煩わしい

・日常生活を制約する

・輸血により是正できる可能性がある

  • 輸血の効果が得られ、その効果が少なくとも2週間は持続すると期待できる
  •  患者が輸血とそれに必要な血液検査を受け入れている

禁忌

  • 既往の輸血で利益が得られていない
  • 状態からみて、患者の死が差し迫っている(超終末期である)
  • 患者の死を遅らせるだけという表現があてはまる輸血である
  • 「何かしなくてはならない」と思う家族からの要求を根拠とした輸血

 

輸血は、元気さ、体力、息切れの点で75%の患者を助ける。

ヘモグロビン値が8g/dl以下の患者にも、8~11g/dlの患者にも、同

じ程度の利益をもたらす

(3)厚生労働省の指針(平成24年3月改正)より

使用指針:慢性出血性貧血

「消化管や泌尿生殖器からの、少量長期的な出血による高度の貧血は原則として輸血は行わない。日常生活に支障を来す循環器系の臨床症状(労作時の動悸・息切れ、浮腫など)がある場合には、2単位の輸血を行い、臨床所見の改善の程度を観察する。全身状態が良好な場合は、ヘモグロビン値6g/dl以下が一つの目安となる」

 

末期患者への投与

「末期患者に対しては、患者の自由意思を尊重し、単なる延命措置は控えるという考え方が容認されつつある。輸血療法といえども、その例外ではなく、患者の意思を尊重しない単なる時間的延命のための投与は控えるべきである」

QOLの維持・改善のためにできることを考えるのは当然です

「トワイクロス先生」の基準・適応にあるふたつめの●、「効果が少なくとも2週間持続する」という判断は絶対的なものなのでしょうか?

さらには、厚労省の指針の「末期患者への投与」は「不適切な使用」の項目にあげられていました

「不適切」という表現と「患者の自由意思」、矛盾しないのでしょうか?

 

……ますます難しくなりました

当院としての基準づくりにはまだまだ経験と議論が必要なようです

さて再度今回の話し合いのまとめです

「倫理的な面から考えると一概に病院の基準として○週に○回などと決めることは難しい」

「輸血が有効な緩和方法となっていないと判断される場合には、医師から今後の方向性の説明をして患者さんと相談する」

「輸血は本人の体感や希望で行うものではなく、血液検査などの根拠をもって行う」

そして、

―輸血にかかわらず、治療の方向性や看護の方向性については、医師・看護師にかかわらず各個人の考え方が存在する。どの考え方が正しいともいえないため、カンファレンスを行い、意見を出し合って話し合いの上で方向性を決めていく―

というところに落ち着きました

当然決定は医療者だけでなく、患者さん本人やご家族との十分な話し合いが前提となります

短い時間でしたがとても有意義な議論となりました

これからも困難を感じたときにはみんなで話し合っていくことが大切だと実感しています

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いろんなことで悩んでいるときに心がほっとすることがありました

看護師さんが「○○さんがこんなことできるんですよ」を驚きながらみんなに話をしていました

その話を聞いて私もさっそく患者さんのもとへ…

そしてお願いしました

そのときに書いていただいたのが次の文字です

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サラサラと左から右に一気に書かれました

さてこれはなんと読むのでしょうか?

回診のたびに多くのことを話していただける患者さんです

今まで撮りためていた写真を見せていただいたり、きれいな文字で書かれた漢文に感心したり…

たくさんの特技をお持ちのようです

さて、答えは…

書かれた紙を裏返し、さらに90度回転させると、

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このようになりました!!

おかげでこの日はとても幸せな気分になりました

80歳の男性患者さんの話です

「がんが再発したということで抗がん剤治療を受けました。けれど薬の副作用に耐え切れず中止になりました。そのときにここではもう治療することがないのでホスピスを紹介すると言われてきました」

 

会話はしっかりとされています

突然おそってくる痛みに苦しまれ、また腸閉塞をおこしたために食事は絶食となっていました

痛みにたいしては当初消炎鎮痛剤の点滴で抑えられていましたが、

それも効果がしだいになくなり医療用麻薬の持続皮下注射をはじめました

サンドスタチンというお薬の注射でおなかの張りがいくらか改善したため、

食事は少しとれるようになりました

しかし腫瘍熱と思われる発熱が時々みられるようになり倦怠感もつよくなってきました

 

一般病棟から緩和ケア病棟での治療を引き受けるとともに、

副主治医として受け持たれていた研修医の先生もいっしょについてこられました

 

患者さん、ご家族との面談にはいつも同席してもらいました

変化する症状の評価や治療方針の検討もいっしょに相談しました

 

研修医の先生は熱心な人で1日何回も患者さんのベッドサイドにこられています

ある日悩んでいる姿をみかけました

「急性期病棟の医療の方法と緩和ケア病棟の方法が違うのでここではどこまで行っていいのかわからなくなることがあります」

 

――決して方法が異なるわけじゃないんだけど…

「先生は今は患者さんを『治しきる』急性期医療の勉強中です。緩和ケアでは手段やテクニックではなく、考え方や姿勢のエッセンスをみていただければそれで十分だとおもいますよ。緩和ケア病棟での薬の使い方は急性期医療と違う面もあるかもしれませんが、患者さん・ご家族とのコミュニケーションは決して矛盾するものではなく共通です」という意味のことを話したように思います

 

この患者さんは結局入院後2か月あまりでお亡くなりになりました

ご家族がさいごまで付き添われていたのが印象的でした

 

 

最近次のような文章に出会いました

ホスピスで働く看護師さんです

『ホスピス医以外の医師は治ることに価値をおくことが多いですが、どれだけ頑張っても命には限りがあります。治療できないことが敗北だと考えてしまうと、そのことで患者さんは見捨てられたような気がしたり、辛い思いをします。(中略)でも人は誰もがその時を迎えます。そのことは平等です。その人らしく生きるという方向に切り替えれば、穏やかに最後を生き抜くことができるかもしれません』

『ホスピスでは一つひとつのケアがすべてオーダーメイドです。ご本人にとって何が心地よくて安心なのかは、生きてこられた道が異なるように一人ひとり違います。ささいに思えるサインを見逃さないで、できるかぎりケアに戻していくときに、一般病棟では明日に回せば良いことが、ホスピスでは時間に限りがあるために後悔を生むことにもつながります。できることは必ずそのときに行う。末期なのでもう何もできないということはありません。最期まで手を尽くせることがやっぱりありますから』

――「人生最後のご馳走」(青山ゆみこ著)より 一部改変

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実は近頃少し後ろ向きな気分になりかけていました

患者さんの「症状のコントロール」がうまくいかないことが続いていました

急性期医療にたずさわっていた時のような反応をしてしまいがちな自分に気づいて戸惑ったりすることもありました

上記の看護師さんの言葉に触れたとき、同時に研修医の先生の悩みを思い出し、私たちの役割ってなんだろうと振り返ることができました

 

 

「何かできることがある」

「手を尽くせることがある」

いま一度……