このブログも50回以上となり、また病棟開設後半年が経過したこともあり、これまでのことを振り返り、記憶に留めるためにも「ブログ集」を発行しました

ある人から「パソコンやスマホを使える人ばかりじゃないです。いちどブログをまとめてはどうでしょうか」と提案を受けたことがきっかけでした

緩和ケア病棟に関連しない文章は省き、準備の段階からの記録として作成することになりました

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前書きから引用させていただきます

『神戸協同病院に緩和ケア病棟が開設されて4か月がたちました。

多くの方々に支えられてここまでくることができました。

緩和ケアってどんなものなの? 誰でも入れるの? など様々な疑問やご意見を受けながら担当職員みずから勉強会をもち、研修に出かけてきました。まずはみんなに知っていただこう、私たちの取り組みをお知らせしようとの思いから、病院のホームページの片隅に「緩和ケア病棟のご案内」というコーナーを立ち上げました。

そこでは「緩和ケアとは?」「3つのコンセプト」「入院について」「医師・看護師をはじめとした医療従事者募集」などの情報を提供すること、医療生協組合員と職員との協同である「実現させる会」の取り組みをお知らせすること、職員の日常の活動を紹介することなどを中心に記事を載せてきました。

同時に「スタッフのブログ」として準備段階から開設後のことまでを、日常の出来事やそのときに考えたことなどを通じて知っていただくことに努めてきました。

この冊子は約1年間に書き溜めたブログを集めたものです。

難しい文章ではなく、日々起こっている小さな出来事を描くことも大切だと感じています。

6月の開設までは、職員の研修にまつわるお話や講演会、勉強会など準備にどのようなことをしてきたのか、スタートしてからはこんなことがありました、そのときにこう感じましたという内容に心がけながら、医療者の視点だけでなく、患者様・ご家族様の視点にも立てるよう努力しました。

少しずつ見ていただいている方が増えてきました。

病院訪問のときには担当の方から「ホームページ見てますよ」と声をかけていただき、亡くなられた患者様のご家族からは「父のことを書いていただいてありがとうございます」と聞かされたり、「写真を使うなら顔を出してもいいですよ」と許可をいただいたり…

とてもありがたく思っています。

反省することもたびたびです。

ここまで書いていいんだろうか? もっと違う見方もあるんじゃないだろうか?

客観的な出来事に主観をまじえて書こうというのが私の最初の姿勢でしたので、これでもいいんだと今は思うことにしています。

これからますますたくさんの患者様・ご家族様とのお付き合いがあります。きっと困難を感じることも多いと思います。

しかし毎日の感動を記録できればと、気力の続く限り継続していくつもりです。』

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医療生協の役員さんや、職員、ボランティアさん、入院してこられた患者さん・ご家族のみなさんにお渡ししています

病院訪問のときにも携えて…

完成までには株式会社KのHさんの大きな協力がありました

ホームページ作成にも力を貸していただいています

この場をお借りしてお礼を申し上げます

ありがとうございました

もしも可能であれば、2冊目も出せればいいなあと思っています

 

○月□日、Aさんのお誕生日会でした

娘さん、お孫さん、ひ孫さんも参加です

*写真はご家族、ご本人の許可をいただきました]

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前から希望のあった「明石焼き」でのパーティです!

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この「たこ焼き器」は私から栄養科へプレゼントさせていただいたもので、

本日がデビュー戦でした

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室内だと煙探知器が作動する心配があり、お部屋の外で焼いています

この日はとても風がつよく、寒い日でした

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こんな感じ…

いろんなものが飛ばされてました

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Aさんは前の病院での入院中から時々吐き気がでて、食べたものを嘔吐されることが多かったようです

私たちの病院に移ってこられてからも、回数は減ったようですが症状はなくなっていません

 

でも、「明石焼き」のリクエスト

 

病気になるまでは船乗りだったようです

関西人です

 

関西の人がみんな「お好み焼き」や「たこ焼き」が大好きとは限りませんが、なぜか郷愁を感じるものがあるようです

 

実は私の身内が病気になり、ほとんど食事がのどを通らなくなった時期に、「お好み焼きが食べたい」「あそこのたこ焼きが夢に出てくる」と言って、私が急いで買いに走ったこともありました

しっかりと食べれるのですね!

 

Aさんは、とってもおいしそうに召し上がっていました

吐気なんかはまったくみられません

 

 

「私からひとこと言わせてください」と、Aさん

 

……私はとても○○歳の誕生日を迎えることができるとは思ってもいませんでした

縁があってこの病院に入院しました

私は若い頃は好きなことをしてきて妻にも迷惑をかけてきました

がんこな人間です

これからの余命がどれだけあるかはわかりませんが、頑張ります

一生に一度の日になりました

 

Aさんとても素敵なお話でしたよ

 

 

緩和ケア病棟には様々な職種が関わってくれています リハビリスタッフに原稿のお願いをしたところ、5人のスタッフからあったかい文章が届きました 以下に紹介します

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<その1> 緩和ケア病棟が6月に開設しこれまで四人の患者様を担当させていただきました。その中で印象に残っている二人の方について書かせていただきます。   1人目は80代の男性の方です。○○さんは病院の近くに妻と二人暮らしをされていました。娘さんは結婚して遠方に住んでいましたが、よくお見舞いにこられていました。 ○○さんは、「一度でいいから家に帰りたい」と言われていたので、リハビリがはじまり、介助でリクライニングの車椅子まで移れるようになった時にお家の見学に行きました。玄関の入り口が狭く、車椅子が一台なんとか通れるくらいで、玄関には大きな段差がありました。車椅子に移れたし、長い時間も座れるようになってきたので、家の中までは無理だとしても、家の前までは車椅子で散歩に行くことはできると思い「○○さん、車椅子乗れるようになったし、家の前まで散歩に行きませんか?」と言うと「リクライニングの車椅子は少しなぁ。ちょっとたいそうやろ?普通の車椅子やったらええんやけどなぁ。」と言われました。よくよく聞いてみるとリクライニングの車椅子では少し近所の人に見られるのが恥ずかしいようなことを言われていました。そうしているうちに徐々に状態が悪くなり、起きることが難しくなってきました。 状態が悪くなってからもベッドサイドでマッサージをし、お母さんや娘さんと色々話をしました。その中で、お母さんに「この人、先生が来るのをすごく楽しみにしているんですよ」と言われました。自分は特に何もしてあげられていないのに、こんなことで楽しみにしてもらって良いのかな?家に帰れなくなってしまったし、これからどう関わったら良いのか?と思いながらリハビリを続けていました。 この方は、結局、家に帰ることができずそのまま亡くなってしまいました。状態がいよいよ悪くなり、亡くなる前日の夕方に部屋を訪れました。訪室すると、娘さんが遠方から駆け付け、いつものようにお母さんがおられました。二人とも涙を流しながら「今日は朝からずっと目をつむったままやわ。」「色々、ありがとう。この人リハビリ楽しみにしてたんよ」と言われました。今まで、何人も担当していた患者様が亡くなってきましたが、亡くなる直前にご家族様と話をし、ご家族の泣いている姿も見たことがなかったので自分自身も何か今までにない悲しい気持ちになりました。結局、家には帰ることができなかったけど、自分自身は今できることを精一杯できたのではないかな?と思いました。 2人目は40代の男性の方です。□□さんはとても気を使われる方ですごく礼儀正しい方でした。リハビリを開始した当初は足の力が弱っていて歩行が不安定でした。最初は歩行の安定性向上を目的にリハビリをはじめましたが、すぐに歩行は安定し長い距離も歩けるようになりました。その方は特に何かしたいということも言われず「一度、家に帰って整理をしたい」とだけ言われていました。外泊はできませんでしたが、外出され家で車を動かしたり、役所に行ったりして用事を済ませてきたと言われました。この人にリハ職種としてどのように関わったら良いのか?ずっと考えていました。この方は体調が時間帯によっても大きく変わりリハビリができない日もありました。普段はリハビリ室で運動をしていたのですが、ある日体調がすぐれずベッドサイドでリハビリをする日がありました。その時、ちょうど芸能人の川島さんが癌で亡くなったり、北斗さんが乳がんで手術をするということがテレビで流れており、普段テレビをあまりみない方がたまたま見ていたテレビでこの放送をしていました。テレビを一緒に見ていて、つぶやくように□□さんは「みんな癌で死んでいってしまうなぁ」と言いました。僕はそのつぶやきに何と答えて良いのか?とても悩み黙ってしまいました。あの時、□□さんはどう思っていたのか?今もすごく心に残っています。年齢の近い方の死、そして癌で亡くなったということに対して何か思っていたのでしょうか?僕は何か声をかけてあげたら良かったのか?今でもよくわかりません。その後、徐々に状態が悪い日が続くようになり、この方のしたいことなどをうまく聞き出せずそのまま亡くなられてしまいました。状態が悪くしんどい時、お部屋を訪ねてもいつも「来てくれてごめん。今日は無理ですね。すいません。」としんどいのに気を使って言ってくれていたのを覚えています。この方にはどのような声をかけてあげて、どうしてあげたらよかったのか?今でも考えてしまうことがあります。   今まで緩和の患者様を担当して一人目の方のように明確な希望があり、何かしたいことがある方はすごく関わりやすかったような印象があります。二人目の方は、したいことを聞き出せなかった自分にも後悔があります。ただ「何かしたいことありますか?」と単純に聞けるものでもなく、話の中から聞き出していくことの難しさを痛感しました。今後も患者様・ご家族様と色々話をして正面から関わっていくことで何か聞き出せることがあるかもしれないと思っています。

理学療法士Mくん

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<その2> 夏から初めて、緩和ケア病棟のKさんの担当になりました。リハビリ介入当初は、頭痛や倦怠感が強く家族さんに説得してもらいマッサージ中心のリハビリから入りました。だんだん会話やKさんの要望も多く聞かれるようになり、故郷の事や好きな食べ物の話をたくさんしてくださいました。 Kさんはベッドから起きることへの拒否が強い方でした、車椅子に座る時も病棟に協力してもらいながら本人を説得して移ってもらっていました。私自身もその件で、「もっと動けるのにもったいないな、でも本人が嫌がるし無理に起こす事はどうかな」と悩むことが多かったです。本人に何かやりたいこと、できるようになりたい事はないか聞いてみると、「自分の足で歩きたい、使い慣れた押し車で歩きたい」という言葉が聞かれました。それ以降、数回Kさんと歩く練習をしました。歩行には介助も必要であり、動作後の倦怠感も強い状態でしたが、歩いた後のKさんの満足そうな顔と次は押し車で歩くと言いながらみられたやる気に満ちた顔をよく覚えています。 Kさんを担当して、自分のリハビリに悩むことが多かったですが、毎回リハビリを楽しみにしてくださり、一緒に色んなことをして過ごせてよかったと思っています。

理学療法士Tさん

<その3> 安静臥床が長くなり、起きたり歩いたり、トイレへ行くことも難しくなっていた患者様を担当させて頂きました。 元々カラオケや旅行など趣味が多くアクティブな方で、リハビリは開始時から積極的に取り組まれました。痛みがありますが服薬でコントロールしながら、毎日リハビリを行い、座る練習から立つ練習、トイレを使う練習へと少しずつ進み、そして今は歩行器で歩く練習を行っています。自分から「ちょっと歩いてみよか」「もう一回行ってみよか」と言われるなどとても意欲的です。廊下を一緒に歩いていると、主治医の先生や看護師さんらから声をかけられ、素敵な笑顔を見せてくださいます。またリハビリをしながら家族の話や趣味の話、以前訪れた名所についてなど、色々な話をしてくださいます。 患者様の頑張っておられる姿を見ると、こちらも力が湧いてきます。そして日々のやり取りやお話の中から多くの事を教えて頂き、学ばせて頂いています。 これからも緩和ケアに関わる他職種の方々と共に、患者様に寄り添い一緒に考えながらサポートしていけるようにしたいです。

作業療法士Cさん

<その4> 緩和ケア病棟のリハビリを担当し約3ヶ月が経ちます。 はじめは緩和ケア病棟に向かうのにもどこか緊張感を感じていました。一般病棟にいる患者様と何も変わらないのに、どこかでどういう風に接したらいいのかと思うこともありました。3ヶ月が経った今はもう緊張することなく、詰所に毎日飾られている季節の生花をM氏と一緒に鑑賞するのも楽しみの一つになっています。  今回、緩和ケアの担当セラピストになりリハビリスタッフとして関われることはどんなことなのかと考えました。決していい方向には向かうのが難しい状況のなかでなにができるのかと。  うまくいえませんが、患者様は個々に疼痛や痺れといった様々な訴えがあると思います。そこで投薬だけでは改善できない、身体を軽くする・散歩に行くといった気分転換などを私達リハビリスタッフが少しでも身体を楽にできるマッサージや環境設定を提供し、家族や主治医、看護師さんとは違う形で関わりをもてたらと思いました。また1日の中でリハビリの時間を楽しみと思って頂けたら嬉しいなと思い介入しています。  今後、主治医や看護師さん、リハビリスタッフともっともっと情報共有しあい、よりよい関わり合いが出来たらいいなと感じています。

                     理学療法士Oさん

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<その5> 理学療法とは病気、けが、高齢、障害などによって運動機能が低下した状態にある人々に対し、運動機能の維持・改善を目的に運動、温熱、電気、水、光線などの物理的手段を用いて行われる治療法です(理学療法士協会ホームページより抜粋)。   緩和ケア病棟に入院している患者さんは、一時的に運動機能やADLが改善する場合があるものの、間違いなく運動機能もADLも低下していきます。そのような中で、理学療法士としてどのように関わっていけるのか、何ができるのかを日々考えさせられます。   運動できる患者さんに対しては、体を動かして機能維持を図ることができるけど… 今担当させていただいている方は、肺がんの末期であり酸素療法を行っている方。動くと疲労感が強くなっており、最近では座位での運動でも疲労感を訴えられるようになりました。「おいしいものや好きなものが食べたい」という希望があるため、希望があるときは一緒に買い物に行っています。 しかし、今後さらに動けないようになってくることが予想され、その時何ができるのだろう?   在宅で末期がん患者の看取りに関わっている、知り合いのケアマネージャーからこんな話を聞きました。   「普段は痛みでよく眠れないけど、マッサージしてもらっている時はよく眠れるみたい。機能がどうこうというのも大事だけど、体に触れられる温もりがあって、心身ともにリラックスできる時間って、すごく大切だと思う」   私たち理学療法士は、ついつい身体の機能やどれくらい動けるのか、ということを考えそこにアプローチしようとしてしまいます。でも、緩和ケア病棟の患者さんにはそれだけでは不十分だと感じます。 残念ながら、理学療法ではがんの痛みを取り除くことはできません。ですが、がん以外の身体痛みは、和らげることができるのではないでしょうか。 今後、なにができるのかわかりません。ですがせめて心身の痛みを和らげ、できる限り患者さん・ご家族が穏やかに最後を迎えられる何かを探し続けていきたいと思っています。

理学療法士Fくん

    若いセラピストたちが緩和ケアにおけるリハビリテーションとは何かと、毎日悩みながら、また工夫しながら患者さんとともに頑張っています   いただいた文章を読みながら胸にぐっとくるものがありました 私が長々と述べるよりも、みんなの実践とそのときに感じてくれたことを知っていただく方がはるかに意味のあることでしょう   その一方で、緩和ケア病棟でのリハビリは診療報酬上「無報酬」となっていることがとても残念です blog17_04

私たちが元気になるきっかけはどこにあるのでしょうか?

最近「達成感」が薄れてきているように思うのは疲れてきているためなのでしょうか

こんなことを書くと、患者さんやご家族に申し訳ない思いでいっぱいになります

 

――少し振り返ってみます

 

☆病棟を開設して間もない頃です

40歳代の女性が入院されました

がん治療がつらく、病気に関してもストレートな表現で説明(たとえば「奇跡はおきないよ」など)を受けてこられて、心身ともに傷ついている印象でした

若い息子さんが付き添ってこられていましたが、彼も同じような気持ちだったようです

言葉や態度に医療への不信が滲み出ていました

 

病状から考えてそう長くは頑張れないと判断されました

初対面の時から今後の長くはない時間でのお付き合いを大切にする必要がありました

前の医療機関を超える関係づくりが求められ、スタッフは頻繁に患者さん、息子さんと話し合いを持ちました

彼女には入院中にどうしても実現させたい夢がありました

息子さんや知人、スタッフみんなでなんとかしようと努めましたが、残念なことに私たちの努力以上に病気の勢いが勝り実現はできませんでした

しかしこの中で息子さんの思いを幾度となく聞きながら一緒に取り組んできたことが、彼の気持ちに変化をもたらしたのかもしれません

 

1か月たらずの闘病の末に患者さんは旅立たれました

最期を迎えた日、息子さんはいくつかの言葉を残されていました

「医療系の仕事ってたいへんですね」

「苦しまなくてよかった」

「いい歳して泣いてしまいました…ありがとうございます。ここからは切り替えていきます。母に心配かけないように…一人で何でもやっていかなきゃいけない…」

担当の看護師さんはその言葉を聞きながらいっしょに荷物の整理をしてくれました

 

四十九日を終えられたある日、息子さんがナースステーションにあいさつにこられました

元気そうです

「一人でやれていますよ」

 

最後に言われたことが私を元気づけてくれました

『…この病院に移ってよかったって思います』

 

 

☆もう一人のお話もしましょう

高齢の男性です

入院されてた病院から移ってこられたとき、いくつかの症状で苦しまれていました

私たちは患者さんの苦痛をまずなんとかしようと資料を調べたりしてその日のうちにある程度の苦痛を軽くすることができました

表情が穏やかになりました

 

でも病状はかなり進行しています

数日後には意識も低下してきました

1週間と少しで旅立たれました

短いお付き合いでした

 

最期に苦しみから解放されたことでご家族は安心されたようです

 

お見送りのためにともにエレベーターに乗ったとき、娘さんが私に耳打ちしてくださいました

『このような病院がいっぱいあればいいのにね…』

 

今思うとそれぞれのご家族はなにげなく話されたことなのかもしれません

しかし、私たちにとっては「最高の褒め言葉」だと受け止めました

 

 

ささやかなことが日々の疲れを癒してくれます

元気の源の一つです

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病棟をオープンして5か月半
やる気満々でスタートしました

しかし、ここにきて悩みが増えています

当初は「緩和ケア」あるいは「緩和ケア病棟」への理解の仕方に病院内で温度差があり、戸惑う毎日でした
今はそのようなことも少なくなってきています
(課題は山積みですが)

今回ぶつかっている問題は、きっとどの施設でも開設時には悩まれたことばかりだと思いますが、いざ自分がその立場になるととても苦しくなります
順不同であげてみます
――「弱音」と受け取られるかもしれませんが、決して自分ではそのようには考えていません
むしろ越えなければならないハードルだと捉えています

・薬の使い方は決して教科書通りにはいかないものだと実感
ある本の著者は次のように書かれていました
「緩和の難しい苦痛に遭遇し、本を調べて得られることでは太刀打ちできないというケースにたびたび遭遇しました」
ほんとにその通りでした!
・病院によって治療の方法、薬の使い方があるいは大きく、あるときは微妙に異なるということに気づいた
上記の著者の言葉を再度引用します
「さまざまな事例に対処できる臨床は個々の臨床家が経験の中で培った小さなノウハウの集積であるのだな…」
・私も含めてスタッフの知識や経験、力量に差があることからスタートせざるを得なかった
急性期医療のスタイルや感覚からの脱却が求められたし、自分よりも臨床の経験が豊富なスタッフたちへ迷惑をかけてきたことを反省しています
一層のチーム内でのコミュニケーションが求められています
・勉強には限界がないことを痛感、そして我流でもだめなことも
相談に伺ったある先生からは「ノウハウでなく、なぜこの薬をこの順番で使用するのかを文献にもあたって考えなさい」とアドバイスを受けました
真摯な気持ちで取り組みたいと思います

悩みが大きくて体調を崩すこともありました
ひょっとして自分には向いていないんじゃないのか、他の先生ならもっとうまくできたのじゃないかなどと思うことも正直なところありました

しかし、責任をすべて引き受けた限りは形ができるまで全うする覚悟は持ち続けています
困りごとから目をそらさない姿勢は大切にします

先人から見ればささやかな悩みなのかもしれません
ずっとあとになれば同じことで悩んでいる同業者にはきっと何とでもなるよとアドバイスができることでしょう

それまではもっともっと悩みながらいい病棟を作っていきたいものです

まわりには話を聞いてくれたり、相談にのってくれる仲間がたくさんいるのですから…