コロナ禍で病棟師長をされていたTさんから
貴重な証言となりました
―――コロナ禍における緩和ケア病棟の現場から ~分断と支援のあいだで~―――
新型コロナウイルス感染症の流行は、医療全体に大きな影響を与えましたが、特に「その人らしく余生を過ごすこと」や「その人らしい看取り」に深く関わる緩和ケアの現場では、その影響が非常に本質的で深刻なものでした。今回私たちが経験した現実と、それにどう向き合ってきたのかについてお伝えします。
面会制限という現実
コロナ禍で最も大きな変化のひとつは、「面会の制限」です。
感染対策のため、家族であっても病室に入ることができない、看取りの瞬間にも立ち会えない。たとえ会えたとしても短時間しか傍にいられない、そうした状況がありました。
病院での感染対策は、患者さんを守るためとスタッフも感染しないように、面会制限、さらには面会禁止措置をせざるを得ませんでした。それは緩和ケア病棟でも例外ではありませんでした。「緩和ケア病棟がそれでいいのか」という議論より、面会制限をしなければ、入院患者さんも働くスタッフも守れない。患者さん、ご家族にはとても辛いことになるが、「これは苦渋の決断、申し訳ないが仕方ない」と、スタッフ皆がそう自分に言い聞かせていたと思います。
コロナ禍以前の緩和ケア病棟
私たち緩和ケア病棟では、まず、患者さんの痛みやそれ以外のつらい症状をコントロールできるようにします。そして、自宅で過ごしていた時より少しでも楽な時間が作れたら・・・
コロナ禍以前であれば、ボランティアさんの淹れてくださるコーヒーが香る病棟で、ご家族だけでなくご友人の方とも制限なく過ごせたり、鎮痛剤の注射を受けながら、不安のあった外出に挑戦できたり、お誕生日や記念日にキッチンでご家族が集まり、焼肉パーティーをされたり、クリスマスや夏祭り、音楽会などなど、病棟イベント行事にご家族も一緒に参加してもらうことで、病床におられても季節を感じてもらえるように、スタッフがボランティアさんの力もお借りしながら、皆で楽しんで開催していました。ほかには、外泊が難しい患者さんに、週末の和室病室で子供さんたちが寝袋持参で泊り込まれ、ご家族で過ごす時間を作ることができました。これらはほんの一部分ですが、残された時間に限りがある中で、ご本人やご家族がどう過ごされたいのかを知り、それらを形にできるように、皆でサポートを考え実現する。そんな過ごし方のできる緩和ケア病棟でした。スタッフも皆、協同病院の緩和ケア病棟が好きで、ここで看護ができることに誇りを持っていました。
お見取りの場で生まれた分断
しかし、コロナ禍での面会制限はそれらの多くを奪い、とくに最期を迎えられるお看取りの際には、辛さと憤りのやる場のない無力さ、多くの無念さを残していきました。
『せめて、最期の時には家族と一緒に過ごさせてほしい』 患者さんからの切実な思いです。その願いが叶わないとき、看護師はご家族の代わりには到底なりえないと思いながらも、患者さんの傍に居て、出された手を握り、「ご家族がすぐに駆け付けてくれますからね、それまでは私たちが傍にいますから」と声を掛けながら静かに息を引き取られるのを見届けることがありました。胸が締めつけられました。
「ここは緩和ケアの病棟でしょ。なのに、家族が最期に立ち会えないって。家族みんなで付き添ってやりたい・・・こんな願いも叶わないんですか⁉それでもここは緩和ケアと言えるんですか」、ご家族からの悲痛な叫びを何度となく投げかけられました。そのたび私たちは、お気持ちを痛感しながらも感染を防ぐためにはと、頭を下げるばかりでした。しかし何を言葉にしてもご家族への救いにはなりませんでした。患者さんは、最期の時間を「ひとりで過ごさなければならないのか」という不安にさらされ、ご家族は、「大切な人と最期の言葉を交わせなかった、一人にさせてしまった」という後悔と悲しみを抱えながら病院をあとにすることになりました。
看護師の葛藤と恐れ
「もう、こんな思いするの、ほんまに耐えられへん、私が家族でもそう言うわ。面会制限辛い・・私らも会わせてあげたい・・・なんで私ら頭下げて謝ってそれでも許してもらえんのに・・・いつまでこんなことせなあかんのやろ・・・ほんまに辛い・・・・」 私たちが緩和ケア病棟の開設当初から、大切にし支えてきたことの一つには、患者さんと患者さんが大切に思う方と過ごす時間をサポートする、ということがありました。私たちがコロナ禍の前までは守ってきた緩和ケアの看護なのに、この時は「感染予防なんです、お気持ちはわかりますがすみません、ご理解ください」と、毎回のその言葉で、患者さんとご家族の大切なものに分断を強いてしまっていたのです。
しかし、私たちも面会の断りを伝えながら、ご家族の気持ちを思うと、いつもやるせなさと申し訳のない思いでいっぱいでした。そして自分たちの気持ちにも消せない傷が増えていきました。感染拡大を防ぐ責任と、患者さんやご家族の思いに寄り添いたいという気持ちの間で揺れ動きました。とくに看取りの場面では、命の終わりの時をどう支えるか、感染対策だけでは語りきれない大きな問いを突きつけられました。
そして、終息のないコロナ禍の私たちは、「自分が感染源となり、患者さんや家族にうつしてしまうのではないか」、という不安と恐れの中にありました。
「患者さんを守らなあかんけど、こんなコロナの中で・・・自分が知らずに感染源になるのだけは絶対に避けないと・・患者さんやスタッフの皆に迷惑はかけられへん・・でももしも感染したら・・・家族は、子供らは?おばあちゃん、おじいちゃんは無事でいられる?・・・・怖い。守らなあかんものがいっぱいある、自分だけは感染したらあかん・・・」
スタッフ皆、それぞれに守りたい人やものがあるからこそ、「感染してはならない」という強い緊張が常にありました。そのストレスは非常に大きなものでした。スタッフの中で、家庭内で別居を考えたり、それにより関係性にひびが入ったり、退職することを考える人もいました。感染をしない、ウイルスを持ち帰らないために、冠婚葬祭にも出席を断念したり、高齢の祖父母に会いに行けなかったり、別居家族の認知症が進んだケースもありました。私たち医療者もまた、家族との分断を強いられていました。
当時、3階病棟がコロナ感染症の患者さんに対応しているとき、その真っただ中にいたスタッフが、コロナと闘いながらも、一人、また一人と感染して現場を離脱していく状況にありました。その中に以前同僚だったAさんも感染したと聞き、私は彼女にねぎらいや感謝を伝えたくて、ラインでやり取りをしていました。以下は実際の内容を抜粋したものです。
私:激務の中、ほんとにお疲れさんでした。このあいだ、3階に医材の受け渡しに行ったとき、Bさんに手渡した。「頑張って!」としか声がかけられなかった。すぐエレベーターで5階に戻るとき、なんか、涙が出た。だって、Bさん、笑ってたもん。頑張ってくれてありがとー。前より元気になって帰ってきてね。
Aさん:(陽性になって)帰り、着替えしてて、もう勝手に涙が出て。みんな頑張ってるなか、もう働けない悔しさで号泣でした。ほんとみんな頑張ってる!弱音吐かずに。 Bさん、まかせろ!言うてました。
私:そうやったんやね。みんな、めっちゃカッコいいな! 自分責めたりせんで自分をねぎらってあげて。コロナに負けたわけじゃない!今度帰ってくるときは最強や!みんな待ってる、痩せんと出てきてね
Bさんは私たちの先輩で仕事のできるベテランNSです。騒然としたコロナ病棟の激務の中で、自らも大変な状況であったのに、頑張れとしか言えなかった私にも、頑張っても感染して療養に入らなければならなかったAさんにも、「まかせろ!」と笑顔を見せ颯爽と病棟に戻っていく後ろ姿がありました。私はこの時のことを思い出すと、今でも泣けてくるのです。ほんとうに壮絶でした。(Aさんは無事に復帰されています)このあと、私も負けていられないと、すぐ管理にコロナ病棟への志願をしました。今は自職場を守るときだと諭されましたが、それでもいつでも声がかかれば支援に行く覚悟を伝え、家族にもそう話していました。
当初は、感染すれば自分もどうなるかもわからず、患者さんにも、自分の家族にも、同僚にも迷惑をかけ、奪うものも小さくないかもしれないと、私たちは理解していたからこそ、「患者さんのために制限の解除をするべきだ」と、簡単には言い切れなかった。私たちはあの時、面会制限だけが悪だとは思えなかったのも事実でした。私たちにも、それぞれに守りたい家族や生活、信念があります。
「自分の家族を守りながら、他の方の家族の人生の最期の時に責任を持つ」、その緊張感と覚悟の中で、きれいごとでは語れないリアルな感情がそこには確かにありました。
支え合いと工夫
こうした中で、現場ではいくつかの工夫や試みが行われました。一つにはオンライン面会です。
タブレットを使って、画面越しではありますが、患者さんとご家族が顔を合わせられるようになりました。私たちが慣れない機器に戸惑いながらも、患者さんがご家族の声を聞いて笑顔を見せる姿に、また、その笑顔や患者さんの何気ない仕草などを見て喜ぶご家族に、私たちもつられて笑顔になり、立ち会うたびに癒されました。
ほかには、担当看護師が、平日のオンライン面会にも来れないご家族に、電話連絡でその間の様子を伝えさせてもらうことや、荷物の受け渡しの際のわずかな時間を貴重な時間ととらえ、患者さんの様子を伝え、ご家族の近況などを伺うよう積極的にコミュニケーションをとるようにしたり、ご家族からのお手紙を受け取ったあと、ご家族には少し待機してもらい、すぐに患者さんへ届けて代読し聞いてもらい、その反応をご家族にお伝えしに戻ったこともありました。それから、急な危篤状態で駆け付けられなかったご家族と、携帯電話をつないで、携帯の通話口から患者さんへ語り掛けてもらうなど、 「つながることの意味」を改めて感じた瞬間がいくつもありました。
私たちスタッフの間では、3密を避けながらも、毎日カンファレンスを行いケアの方向性を見い出し、できるだけその人らしい看取りを実現するために話し合い、最期の時の一時的な面会許可についてなど、その患者さん個々の希望に寄り添えるようにしていきました。そのほか、ミニデスカンファレンスの開催を継続し、逝去された方を偲び、思い出を語り合ったり、やりきれない思いも率直に出し合い、チーム内で思いの共有やケアの確認も重ねていくことで、自分たちの心も守りました。
分断とつながりのあいだで
コロナ禍にあって、私たちは「患者さんと家族、患者さんと医療者、家族と医療者、医療者同士」の対話とつながりの重要性をより考える機会になったのではないかと思います。
人は、最期のときまで「誰かとともにありたい」と願う存在です。
誰かとともにあって、触れあい、語りあい、見つめ合うことでもたらす安心感が、どれほど深い力を持つのか。それを支えるのが私たち緩和ケア病棟の役割であると、あらためて気づきました。
今後も、感染症などの予期せぬ事態が起こる可能性があります。
そのとき、私たちは再び同じように「分断」に直面するかもしれません。しかし、どんな状況下でも、「その人らしく生きる、その人らしい看取りを守る」方法を考え続けることが大切なのだと思います。 緩和ケアの現場は命の尊厳を最期まで守る場所であり、その現場を守っているのが私たち医療者、看護師であることも伝えられたらと思います。
現在、我が国の医療施設では、次の非常事態に備えられるだけの医療体制があるとは思えません。私たち医療者は、常にリスクと隣り合わせですが、それでも現場を離れずに医療と看護ケアを守り続けるには、現場の努力だけでなく、社会の理解と支援が欠かせないと強く感じました。今起こっている医療崩壊など、あってはなりません。医療、看護を守る人材を、国は早急に確保できるような仕組みを作らなければならないと思っています。
