次の一文は最近依頼を受けて書いた文章です

ブログにも載せておきたいと思います

 

40歳代の男性が入院しました。

前日の夜遅くまで雨に打たれながら仕事をし、翌朝倦怠感をおぼえて熱を測ると38度ありました。

「きっと風邪だろう」と買い置きの薬を飲み、この日は仕事を休みました。

翌日も翌々日も熱は下がりません。

「おかしい、いつもならとっくによくなっているのに…」

顔色が悪いことを心配した妻が病院に連れて行きました。本人はそのときのことははっきりとは覚えていません。

診察を受け、気管支炎か肺炎かということで抗生剤の点滴を受け、そのまま入院となってしまいました。

入院してからも38~39度の高熱が続きます。解熱のための座薬で一時的に下がるのですが6時間もすればふたたび熱がでます。下がるときには急激に下がり大量の汗が流れ、何度も着替えを余儀なくされました。

担当医も診断に困り、血液検査、尿検査、レントゲン、CTではこれといった異常がないのです。頭痛が少しあるために髄膜炎を疑い腰椎穿刺をしました。肺に小さな影があるということで抗結核剤もたくさん処方されました。HIVの検査も受けました。結果は陰性です。

食欲はまったくありません。「○○の天然水」だけが唯一口にできました。多量の薬は吐きながらでもなんとか飲みました。

でも、熱は一向に下がりません。

4週間が経過し、困り果てた担当医はある病気を疑って市内のセンター病院に紹介しました。

 

転院先の病院で処方された薬を飲むと……なんと翌日には平熱になったのです!

その薬は「プレドニン」でした。1日40mgの多量です。

血液検査ではたったひとつだけ異常に高い数値を示すものがありました。

最終診断は、膠原病の類縁疾患のひとつでした。

それからは順調に回復、ステロイドのために食欲がありすぎて、夜中に隠れておにぎりを食べたり、気持ちがhighになり、「なんでもできるんだ」という感情の高ぶりを覚えたり…。

少しずつプレドニンを減らし、2か月ほどの入院でやっと復帰することができたのです。

 

 

実はこれは私自身の体験です

いちばん症状の激しい時は「このまま最期を迎えるのだろうか?」と考えたりしました

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自分の大きな病気

両親の看取り

家族の介護

などなど

色んなことを経験してきました

それらが後の仕事に教訓として生かされているのかといえば自信はありません

 

でも忘れないように書き記しておきます

 

 

2016年2月のブログで紹介した少女が医師としての研修を積みながら「成長」していく姿を、私自身の経験や見てきたことなどをまじえながら再度物語として構成しました

緩和ケアにたずさわりながらいつも思い出すことなどを随所に述べてみたいと思っています

 

(1)

研修医としての生活も1年を迎えることになった。

入院患者を受け持つだけでなく、当直の業務も月2回行うことになり、いよいよ医師としての仕事が忙しくなってきた頃であった。

 

40歳台前半の男性が入院してきた。

彼女は副主治医として担当することになった。

 

病名は「ウイルス肝炎」

2年前に会社の健診で指摘を受け、近くのかかりつけ医に通院していたが、最近になり全身の倦怠感が強くなり、食欲が低下、体重も半年で5Kgほど落ちてきたため、精密検査を目的に紹介されてきた。

 

「はじめまして、私が担当させていただくことになりました。よろしくお願いします」

病室を訪れると理知的な印象の男性がベッドで横になり、そのそばには不安顔の女性と髪を三つ編みにした女の子が付き添っていた。

ベッド上の男性患者は「よろしくお願いします。大事な仕事を抱えているのでできるだけ早くよくなりたいと思っています」と自分の困っていることを率直に話し、そばにいるのは妻と中学生の娘だと紹介した。

――話をしやすい患者さんだな

奥様の表情が少し気にかかるけれど

 

翌日から検査が始まった。

指導医と相談しながら血液検査、尿検査をはじめ、レントゲン、CT、MRIなどを順次行っていった。

 

「……?」

CTのフィルムに正常ではない影が大きく写っていた

いっしょに見ていた指導医は「キャンサーだな」

「肝臓癌でしょうか?」

「こっちのMRIと合わせてみてもまず間違いないだろうね」

「治療法は…」

「あとで外科と相談しないといけないけど、肝臓全体に広がっていて、周囲のリンパ節にもたくさん転移があるようだからまず手術は無理だろうな」

「そうすると抗がん剤でしょうか」

「その選択肢しかないようだ。結論がでれば家族に説明をしよう」

そのように告げる指導医の表情が冴えないことが気になった。

 

数日後彼女は指導医とともに妻と面談を行った。

妻はあいかわらず不安げな表情。

「先生、結果はどうでした?」

自分が説明をする役割を任されることで、彼女は前日から緊張していた。

指導医とは直前に打ち合わせをさせてもらった。

「奥様、言いにくいことですがよくない結果をお話しなければいけません」

こう切り出した彼女をにらみつけるように見ていた妻の目がうるみ始めた。

「よくないって……、がんということですか?」

「そう…、肝臓癌と思われます」

「そんな、まだまだ頑張ってもらわないといけないのに。どうしてがんなんかになってしまったのですか? 主人の何がいけなかったのです? わたしたちはこれからどうすればいいの? ねえ先生、教えてください!」

立て続けの言葉に彼女は動揺してしまい、検査結果を詳しく説明する予定ができなくなってしまった。

指導医の舌打ちが聞こえたかと思った瞬間には、「奥さんあなたがしっかりと受け止めてあげないとご主人はつらくなりますよ。肝臓癌になったことを悔やんでもしょうがないです。これからどうすればいいのかを考えましょう」と、きっぱりとした口調で話の主導権を取られてしまった。

その後指導医は癌は全身に転移していること、手術の適応はないこと、治療法は抗がん剤を使うことになるだろうということを淡々と説明していった。

妻は肩を震わせながら黙って聞いていた。

 

「主人にはどのように話せばいいでしょうか」

「これだけ進行していることをご主人にお話しするのは残酷でしょう。慢性肝炎だけれど治りのよくないタイプとでも説明します」

「告知はしないということですか?」

「そうです。告知されてもご主人にとって何もいいことはありません」

はっきりと言い切る指導医の言葉に押し切られるようにして面談の場は終了した。

妻の表情からは一層不安がつのっているようにうかがえた。

 

「先生、告知しないという方針でいいのでしょうか。奥様は一人で秘密を抱えることになりませんか?」

妻が病室に戻ったあと、彼女は尋ねた。

「きみはヒポクラテスの誓いって知ってる?」

医学部の医療倫理のときに聞いたことがあった。

たしか“紀元前4世紀の「医学の父」ヒポクラテス、あるいは彼の弟子の一人による誓言であると広く信じられているものであり、医者にとって重要なものとして長らく伝承されてきた。医学部で臨床実習が始まるときに医学生に読ませる大学もある”と言われている短い宣誓書だったように覚えている。

「そこでは三番目にこんなことが書かれてあるんだ」

 

私は能力と判断の限り患者に利益するという養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない

 

指導医はそらんじた。

「患者に告知することは悪くて有害な方法だ、だから告知するつもりはない」

断言されてしまうと研修医である彼女はこれ以上言いかえすことができなかった。

――ほんとにこれでいいのかしら。奥様はあんなに悲しんでいたのに。娘さんにはどのように話すのだろう、家族の関係がだいじょうぶかな

様々な思いが浮かんだ。

理屈でせまられると反論できない自分も情けなかった。

 

――明日から患者さん、奥様とどのような顔で接すればいいのだろう

今夜はとても眠れないな

 

(2)

その日の夜

「あ、先生、結果はどうでした」

いい返事が聞けると期待している顔だ。

妻はベッドの横で感情を抑えていることがわかる。

 

「結果は…、慢性肝炎でした」

「慢性肝炎、よかった。がんじゃないのかと心配でした。これで近いうちに仕事に復帰ができますね」

「そうとばかりも言えないんですよ」

「それはどうしてですか? がんでなければ通院でもいいんじゃないのですか」

「慢性肝炎と言っても様々なタイプがあって、あなたの肝炎は少し治りにくいタイプなのです。もうしばらくは治療が必要です」

「飲み薬でいいのなら私はいつでも通います。家庭も仕事も気になってしかたがなくって」

「飲み薬では効果が弱く、点滴治療が必要なのです。点滴も副作用があって入院でないと使えません。もうちょっとだけ辛抱していただけませんか」

我ながら説得力のない説明だと思った。

患者は納得のいかない様子だったが、妻からも「あなた家のことは私がするからきちんと病気を治しましょう」と懇願されしぶしぶ入院を続けることになった。

 

治療が始まった。

運悪く抗がん剤の副作用が強く出てしまった。

しばらく治療をやすまないといけなくなった。

「点滴が始まってから食事がとれなくなるし、吐き気もひどくなった。これ以上治療を受けるのは耐えられない」

当然だと彼女は思った。

「やっぱり本当のことをお話するべきじゃないのですか」

思い切って指導医に意見を述べた。

「まだそんなことを考えているのか。もしこの状態で告知すると患者はますます弱ってしまうことになるぞ」

指導医の考えは変わらなかった。

看護師たちにも意見を聞いてみたが、告知への賛否は様々でみんなの合意が取れる状況にはならなかった。

 

そのうちに毎日の回診がとてもつらいものになってきた。

病気の進行に加え、抗がん剤の副作用もあり、ますます食事がとれなくなってきた。

腹水や足のむくみも徐々に増え、トイレへの歩行が苦痛になってきた。

幸い痛みはほとんどなくそれだけが付き添っている妻にとっても安心できる材料であった。

 

ある日妻に呼び止められた。

「慢性肝炎と言われたけどほんとうは肝臓癌じゃないのか。お前も先生たちもみんな嘘を言ってるんじゃないか?」

と患者が妻を攻め立てるとのことであった。

「私はどうすればいいんでしょうか?」

副主治医である彼女も同様のことを言われていた。

「担当の医者はいつも大丈夫、大丈夫とばかり言う。だけどこんなに痩せてきてけっしてよくなってるとは思えない。ほんとのことを教えてほしい」

指導医は「今まで嘘の病名を告げてきたのは患者のためだとの考えからだ、それはきみもわかっているはずだろ。今更じつはがんでしたなどと言えるわけがない。同じ説明をつらぬくしかないんだ」と姿勢を変える気持ちはまったくないと言われる

――先生も「嘘を言っている」とはっきりと話された

それなのに対応を変えないというのは矛盾じゃないのかなあ

 

毎日の診察が苦痛であった。

患者が寝ているときはほっとして、カルテに「睡眠中」とだけ記録すればよかった。

起きているときは無意識であったが、ベッドサイドに立ったまま話をして、足は出口に向かっていることに気づくことが少なからずあった。

他にも数人の患者を受け持っていたが、いつも最後になっていた。

それでも毎日の回診は欠かさずにいくことがせめてもの務めだと思っていた。

「慢性肝炎だからいずれはよくなることを期待していっしょに頑張りましょう」

「頑張れって言うけど、どれだけ頑張ればいいのですか? もうこれ以上は無理です!」

悲痛な叫びだった。

妻も患者と共に不信感がつのってきていることが態度を見れば明らかであった。

 

患者の意識状態が次第に低下し始めた。

そうなると経過は急激になる。

食事がとれなくなった。

「このままだと栄養もとれずますます悪くなる一方じゃないですか」と妻は指導医に詰め寄った。

「高カロリー輸液をしましょう」

指導医は妻に告げた。

左の鎖骨の下から注射器で穿刺を行ない、カテーテルを挿入、そこから高濃度のブドウ糖や、ビタミンなどを24時間かけながら点滴をするのだ。

意識がもうろうとした患者にも告げて開始した。

 

次には呼吸状態が悪化し始めた。

「これ以上悪くなれば人工呼吸しかない」と指導医は言う。

――いままで苦しまれてきた患者さんにさらに苦痛を長引かせる処置をするの

今回だけは指導医に反発した。

「じゃああとのことはきみにまかせるから」

指導医は彼女にすべてを丸投げしてきた。

 

疲れ切った妻と中学生の娘を別室に呼んで医師一人で話の準備を始めた。

「私も参加させてください」とナースが一人同席した。

「ご主人は十分に頑張ってこられたと思います。そして奥様も、娘さんも。ご主人にはほんとのことをお話できなかったことを私は申し訳なく思います。おそらく残された時間はあとわずか、2~3日かもしれません。最期のときをおだやかに過ごしていただけるように全力でサポートしていきます。それが私のできる最善のことだと考えました」

妻は今更なにをという顔で聞いていた。

娘はずっと泣いていた。

同席してくれたナースは「先生の気持ちはきっとわかってくれるると思いますよ」と言った。

 

患者はそれから5日間少量の輸液だけで過ごし、5日目に息を引き取った。

妻と娘は静かに頭を下げながら患者とともに病院をあとにした。

妻からは一言の言葉も聞かれなかった。

 

 ここまでのお話は私が体験してきたことであり、きっと少なくない医師が経験されたことではないでしょうか

 彼女は最後には自分の意思を示すことができましたが、でもどの時点で行動すればよかったのかは私にもわかりません。

 彼女はこのあともたくさんの経験を積みながら成長していくでしょう。

 

……お話はきっとつづきます

まず以下の写真をご覧ください

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横に添い寝させてね…

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膝の上で、きもちいい…

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お孫さんも大喜び

 

彼女の名前は“ななこ”、9さいです

「添い寝」が大の得意

 

土曜日の午後

かねてから待ち望んでいたドッグセラピーのおためしの日がやってきました

 

患者さん、ご家族、ほっこりとした顔をされています

翌日の診察のときも、「よかったね~」「かわいかったね~」とみなさん話されます

でもいちばん興奮したのはナースたちだったかもしれません

研修に行っているY先生もかけつけてくれました

 

ドッグセラピーについてWikipediaで調べてみました

 

「セラピードッグとは『触れ合いや交流を通じて、病気やケガまたは精神的な痛手を受けた人の不安を減らし、気力を高め心と体を少しでも本来の働きに近づける為に高度な訓練を受けた犬』のことである。

……

ドッグセラピーが単に犬と触れ合うというだけでなく、患者自ら犬に触れ、犬に話しかけ、犬と共に歩く(歩きたいと思う)ことにより心理的な改善効果となり、積極性や前向きな姿勢を生み出していることが立証されている」

 

と書かれてありました

 

今後ももう少しおためしの期間があり、私たちの病棟でどう取り組むのか考えていくことになります

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仕事を早めに終えて患者さんのおうちを訪ねました

奥様との二人暮らしです

 

この方は入院中ですが、入院生活にともなう様々なストレスがたまり、「気分をかえるためにいちど外泊をしたい」と希望されました

 

入院中は夜間に転倒されることが度々あり、安全の確保という点でスタッフの大きな悩み事でした

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移動のときにはかならずナースコールを鳴らすようにお願いしてもついつい歩いてしまいます

行動を制限されることはどのような人にとってもストレスフルなことです

 

そのような状況がつづき、外泊をしてみようということになりました

 

困ったことがあれば連絡をしていただくことにしていましたが、一晩、二晩、三晩たってもまったく連絡がありません

 

どんな生活をされているのか訪ねてみることにしました

 

…………

 

いままで一般病棟を経験し、在宅医療にたずさわる機会がありました

そのときの教訓のひとつが、『困ったときには患者さんの生活を見よう』でした

 

30年ほど前のことです

長期の入院となった患者さん

一人暮らしということはわかっていましたが、帰れないという評価ではありませんでした

しかしご本人は「帰れない、帰りたくない」と言います

患者さんもふくめて何度かみんなで話し合いをもちました

結論がなかなかでません

ちょうど「在院日数」という言葉が経営面での課題となってきたときです

 

困り果てました

 

そのとき、ふと「いちどおうちをみにいこう」と思い立ち、提案しました

事務の職員さんが運転手、私と看護師さん、それに患者さんもいっしょに自宅訪問です

 

長屋のはしっこの部屋

玄関の戸をあけるとそこはすぐに部屋

四畳半くらいの一部屋だけ

ベッドなんておける状況ではありません

まだ介護保険もない時代でした

――このような環境で暮らしてこられたのか…

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私たちは「家」というと自然と自分が暮らす「家」を想像してしまいます

ワンルームマンションに住んでいる人はワンルームマンションなりに、一戸建てにいる人はそれなりに…

いろんな「家」があるということを忘れがちです

 

この環境に無理に帰すことは厳しいなと思いました

面倒を見てくれる人もいません

 

時間がかかりましたが、結局患者さんは高齢者施設に転院となりました

 

…………

 

さて現在にもどり

訪問したときの状況です

病状には変化がありません

自分の見慣れた環境、使い慣れた椅子やベッド、目をつむっても両手をのばせば壁伝いにトイレに行けること、などなどたくさんありました

穏やかな印象を受けました

 

スタッフと相談しました

「入院生活でのストレスを考えると自宅での療養のほうが望ましいのでは」という意見

しかし、ご本人やご家族は、「もし自宅で何かあったときのことを思うと不安が大きいです」

 

ご自宅は私たちの病院からは遠く、往診をお願いできる先生や訪問看護の依頼先をさがすことも検討しなければいけません

しかし悩んでいる間に病状が急に進行

残念ながら間に合いませんでした

 

悔やまれることが多かったのですが、これからも同じような課題をかかえた患者さんが入院してこられるでしょう

このたびのことを教訓にしなければと思っています

 

いま一番の旬の映画を観に行きました

1000万人の人が観たと言われる『君の名は。』です!

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https://prcm.jp/album/da7405992e17c/pic/60169490

 

少し前のことです

暇つぶしに本屋さんめぐりをしているとき、みんなが買っている本がありました

「ありふれた題名だな」と思いながらもついでに買ってしまいました

 

しばらくは本の存在も忘れていました

 

しかし、テレビなどで映画の予告が流されるようになり、思い出しました

何冊か積んでいるなかから探し出し

……一気に読みました!

 

 

なんとか休みの日をみつけて予約です

すでに評判になっていて

予約をしないとだめかなと思いました

でも1か月も先にしか休日がとれません

映画館に問い合わせると「大丈夫ですよ」と自信満々な返事

 

 

いよいよ当日

映画館の人が言うように封切り後、日が経っているのに満席状態でした

 

 

――あと少しだけでも

  一緒に居たかった

 

いままでお付き合いをしてきた患者さん、ご家族の顔が自然と浮かんできました

 

 

――糸を繋げることもムスビ

  人を繋げることもムスビ

  時間が流れることもムスビ

  ぜんぶ同じ言葉を使う

 

わたしたちの日常の仕事もその一部なのです

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https://prcm.jp/album/9a2bde082ef74/pic/61934119

 

小説を読みながら情景を思い浮かべ

映画を観て「ああ、こんな風景なのか」と思い

いろんな感慨をいだかせてくれる2時間でした

 

 

『観ていてドキドキしました。心臓がとまるかと思いました!』

『涙がとまりません』

 

いっしょに行った人の感想です

 

 

仕事から離れて違う世界に浸る瞬間も大切にしたいですね