前回のブログで「私らしく」ということを書きました

今回も同じテーマです

 

 

Bさんは病状が悪化し入院されました

治療の継続が必要な状態でしたが

「どうしても家に帰りたい」という希望がつよく

再入院される可能性がかなり高いことを覚悟で

退院となりました

 

関係するスタッフはみんな

「きっと1週間ほどで病院にもどってこられるのだろう」と

思っていました

 

数日後に体調が悪化

訪問看護師が臨時で訪問

奥様は病院にもどることを望まれました

Bさんはしかし

入院の話をすると険しい表情となり

返事をしてくれなくなりました

 

Bさんには何かつよい思いがあるように感じた看護師は

奥様とよく話し合われることを提案しました

 

 

その結果

「病院にはもどらない」「ここ(自宅)で最期を迎えたい」

とのつよい意思表明があり

奥様は最初のような動揺はなく

「命が長くないのなら、住み慣れた我が家で静かに過ごさせてあげたい」

と落ち着いた様子がみられました

 

 

それからの1年あまり

幸いにも比較的安定した生活を送られました

私も訪問診療担当医として

微力ながら関わらせていただきました

 

 

退院後2度目の冬がきました

Bさんはゆっくりと衰弱してきました

 

もういちど思いを訊ねます

――やっぱり自宅がいいです

 

奥様には

これからたくさんのことが起こってくるかもしれないけれど

気持ちを確かめさせていただくと

――だいじょうぶです

としっかりとした返事

 

Bさんはさいごまで意識がありました

呼吸困難もなかったと聞きました

奥様がそばでずっと付き添われ

しずかに

旅立たれました

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経過は以上です

 

この間の1年以上にわたる奥様をはじめみんなのことを

記しておきたいと考え

 

Bさんがいなくなってからすいぶんと経過してしまったのですが

次に残しておきます

 

 

3つの観点から考えてみます

ひとつは患者さんの願い、夫婦の話し合いを経て出した結論

ふたつめに患者さん・ご家族の意思を支える支援の輪

みっつめにはお二人の生活

 

 

Ⅰ.Bさんの願いに沿って

 

病状がよくないことはBさんも奥様もよく理解をされていました

入院中も在宅での闘病中の悪化時にも

「住み慣れた家で静かに過ごしたい

「思い出のたくさんつまった我が家がいちばん」

「病院には戻りたくない」

と気持ちは明確でした

 

看護師の訪問時には

いっしょに写真を見たり

生い立ちやこれまでしてこられたことを聞かせてもらったり

とても生き生きとした印象を看護師は受けたそうです

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再入院が必要かと思われたとき

奥様は動揺されましたが

Bさんの胸に秘めた思いを感じた看護師は

すぐに入院へとつなぐことをせず

お二人の会話の時間をとりましょうと

提案しました

私はこの判断をした看護師さんに

エールを送ります

 

一方で

訪問看護師は病院と連絡をとり、緊急入院ベッドの確認を行い

病棟看護師からは受け入れ準備が可能との返事をもらいました

急変時には入院中の主治医であった医師から対応ができますとありがたい返事もいただきました

 

 

再度の訪問のとき

Bさんの意思はかわりません

奥様はしっかりとした面持ちとなられ

夫の気持ちを尊重したい、だいじょうぶです

と心を決められた様子

 

 

看護師は

『自分たちで出した答え』なので

みんなで支えていこうと

決意しました

その思いは在宅医療・ケアにかかわるみんなにも

伝わりました

 

 

Ⅱ.支援の体制づくり

 

介護者が奥様ひとりではとても長続きしません

在宅での療養がどれくらいになるのかは

だれにもわかりませんでしたが

様々な支援の体制ができました

 

 

その前に大切なことがあります

 

「家に帰りたい」

とのBさんの思いを受けとめた病棟の看護師さんがいます

退院に向けてたくさんの準備が必要でした

奥様にケアの方法をアドバイス

在宅酸素の手配

 

退院支援看護師と医療ソーシャルワーカーも力を発揮しました

退院前カンファレンスの段取り

在宅に関わるすべての職種への連絡

ケアプランの作成

などなど

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その上での退院です

 

 

訪問看護

訪問診療

急な入院となったときの受け入れ態勢(病棟や外来)

ケアマネジャー

ヘルパー

のみんながそれぞれの役割を果たしました

 

過去長年にわたる私たちの在宅ケアの基盤があって

可能となったものでしょう

 

 

 

Ⅲ.奥様とともに

 

奥様はBさんの思いを受けとめて

自宅でいっしょに頑張ろうと

決意されました

 

 

Bさん「次の世でもいっしょになりたいな」

奥様 「あなたといっしょになれてよかった。あなたと添い遂げたいです」

 

「添い遂げる」という言葉は、ただ一緒にいるだけではなく、覚悟を持って何があっても側にいるという場合に使うそうです

強い覚悟がないと言えない言葉です

 

 

在宅療養を支える準備が整ったことを話すと、ともにほっとされたことが印象的でした

とのちに看護師さんは話していました

 

 

Bさんは大好きな読書をされ

――書棚にはたくさんの書物があふれていました

ときには奥様と声を合わせて歌われ

親しい人たちとも会うことができ

 

……多くの時間をふたりで穏やかに過ごされました

 

奥様はBさんの好みの食事を用意され

奥様の介護不安には看護師が適切なアドバイスをして

 

 

静かな、自分らしい生活を

きっと送られたことでしょう

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初冬の季節に自宅に帰り

春の桜を愛で

暑い夏も熱中症にならずに乗り切り

台風で不安な夜をふたりですごし

2回目の冬を迎え

次の桜の季節を待たずに

 

天に召されました

 

ご冥福をお祈りいたします

Aさんのお話です

多くを脚色していますが、気持ちは伝えたいと思います

 

Aさんは40歳台の女性

胃の全摘術を受けられました

 

外来に通院していましたが

ある日急に体調が悪化し

入院となりました

 

痛みと吐き気、発熱があり

会話をすることも難しく

衰弱した状態でした

 

このまま弱っていくのではないだろうか

と予後のことを考え

ご家族には厳しい話をしました

 

 

Aさんはそこから頑張りました

少しずつですが食事がとれるようになり

ときには笑顔が見られるようになりました

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ゆっくりとですが

ベッドからの離床が進み

リハビリを開始

 

ご家族といっしょに

病院の近くのお店に買い物にも行かれ

 

勤め先の友人に

会いにいくことができるようになってきました

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穏やかな日常をとりもどすことができたAさん

――できれば実家に帰りたいなあ

 

と、希望を話されました

 

そのためには多くの準備が必要です

Aさんはこれまでのしんどかった時を取り戻そうとするかのように

精力的に退院にむけての準備に取り組まれました

 

そんなある日の午後

いつもの診察を終えたとき

Aさんが語られました

 

「前からなんとなく体の調子がおかしかったのです

癌だって言われて、でもそのときはそれほど悪くは考えていませんでした

家族に報告すると泣かれました

息子は『お母さんはふつうの人じゃないからきっとよくなるよ』って

励ましてくれました」

家族の支えがあり、手術を決意されたそうです

抗がん剤治療はいい印象がなく受けないという選択をされました

 

しばらくは調子がよく、治ったのじゃないかしらと思うほどで

「それが油断につながったのでしょうね」

再発しているとわかったときにそう反省したそうです

でも主婦としての役割はちゃんとしようと決意され、仕事も継続されました

 

 

今回の入院にあたって

「こんどこそだめだと思いました

気持ちが滅入ることが多く、このまま生きていてもいいんだろうかと

考えたりしました」

 

一方では

「落ち込みましたが、すべてを受けとめるしかないとも思ったのです

私らしく前向きに生きなくちゃ って」

 

ご家族は

「あなたの思うようにすればいいよと言ってくれて

それがすごくありがたかったです」

――私のこの思いをいつかきっと家族に話をするときがくるだろうな

と遠くを見ながら話されました

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ときに目頭を押さえながら

ご自分のことを客観的に話される姿に

心が揺さぶられます

 

「私の実家は神戸からは遠くにありますが

時々はここにやってきてもいいですか?」

 

私たちはAさんのことを大いに歓迎しますよ

できればいっしょにお茶ができればいいですね

と私

 

「できるところまで生きたいです」

生きることを強く意識した言葉です

 

 

どうしても聞きたかったことがあります

 

Aさんにとって私らしく生きたいって

どういうことなのでしょうか

もし聞かせてもらえれば…

 

しばらく考えてから

 

「たとえば、綺麗になりたいって思うの」

Aさんは外出のときにエステでとても美しくなって帰ってこられました

「大好きな洋服も着たい」

「食べることが大好きなので、おいしいものをたくさん食べたいな」

「アロマもはじめたい」

……

 

話が尽きません

女性であれば、いや男性であっても、だれしもが望まれることでしょう

○○さんらしさとはこういうことなのだと

教えられました

 

「けれど家族は私が弱っていくことをきっと冷静には受け止められないと思う」

ご家族への支援も私たちの役割なのですが…

 

 

後悔の言葉も出てきます

「親が私と同じ病気で亡くなったとき、私は十分なお世話ができませんでした。当時は学生で自分のことで精いっぱい。忙しさにかまけてしまい、後悔がないといえば嘘になります。だから息子や娘たちに何かを求めることは難しいと思うんです」

つねに心は揺れています

 

「できるなら仕事にも復帰したいなあ」

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Aさんの表情に疲れが見えたため

お話はいったん終了としました

私はAさんの話に耳を傾けるだけで精いっぱいでした

 

入院患者さんとゆっくりとお話をしたいと思っていても

病状が早くすすみ

その機会をもてないことがよくありました

…もっと早く声をかけられればと

 

そうすれば

患者さんの揺れる心にわずかでも触れることができたかもしれません

 

もっともっと言いたいことがあったのじゃないだろうか?

私の都合で話の腰を折ってしまっていないだろうか?

 

もういちどAさんと話ができれば

と思っているうちに

退院の日がやってきました

 

 

このたび、このときのことを記しておこうと思いました

その後の人生のつづきが聞ければなあと思いながら…

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昨年の8月のブログで

認知症に関連した内容を

少し書きました

 

その後「認知症サポート医」の研修会にも参加

いろいろと勉強になっています

 

“日常の暮らしの場面では「生活そのものをケアとして組み立てる」ことが望まれる”

具体的な支援のあり方として

環境の変化をできるだけ避けて、それまでの暮らしが継続されるよう配慮することなどが強調されていました

 

 

しかし日常の忙しい医療の現場では

なかなか学んだことが十分に生かされていないことに

モヤモヤしたものを感じています

 

 

そんなとき

ある本に出会いました

長谷川式スケールの開発者である

長谷川和夫先生の書かれた本です

『ボクはやっと認知症のことがわかった』

という題名です

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読み進めるうちに

多くの感銘をうける文章に出会いました

 

 

とくに次のふたつには心を動かされました

 

認知症の本質は「暮らしの障害」です

―――周囲の接し方次第で、障害の程度はずいぶん軽減できます

 

という文章がありました

 

また

人間は、生まれたときからずっと連続して生きているわけですから、認知症になったからといって、周囲が思うほど自分自身は変わっていないと思う部分もあります。そもそも認知症になったからといって、突然、人が変わるわけではありません。昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいます

 

ここに述べられた「連続」という言葉、あるいは「切れ目のない」と言いかえてもいいのかもしれません

私が今かかわっている緩和ケアの分野にも共通するものでしょう

 

 

5年前に私たちの病棟を立ち上げた時

「コンセプト」が大事だということになり

3つを考えました

http://kobekyodo-hp.jp/kanwacare/concept.html

 

そのひとつが

“切れ目のない医療の中での緩和ケアを追求します”

でした

急性期、慢性期、リハビリテーション、外来、在宅、介護

と連続した医療/介護のなかに

緩和ケア病棟を位置づけたいと

考えました

 

患者さんやご家族は

それぞれの人生の途中で

私たちの病棟にこられました

 

その時間だけを

切り取ってのケアではなく

 

一人ひとりの連続した人生の中での出会いを大切に

おもてなしをさせていただくことが

私たちの役割りなんだと

提案をした

当時のことを思い出しています

(実際にはどこまで行えているかは自信がありませんが…)

 

 

 

また同じ本のなかで

私がもっとも感銘を受けたお話があります

掲載をさせていただきます

 

 

長谷川先生の同僚の方が書かれたものだそうです

 

公園を歩いていた小さな子が転んで泣き出しました。

すると、4歳くらいの女の子が駆け寄ってきました。

小さな子を助け起こすのかと思ってみていたら、

女の子は、小さな子の傍らに自分も腹ばいになって横たわり、

にっこりと、その小さな子に笑いかけたのです。

泣いていた小さな子も、つられてにっこりとしました。

しばらくして、女の子が「起きようね」というと、

小さな子は「うん」といって起き上がり、

二人は手をつないで歩いていきました――。

 

というお話です

 

先生は

「これは、ケアを必要としている人と同じ目線の高さに立つということです」と

述べられています

 

 

今の私に必要なことは

これなんだと気づきました

 

 

忙しさの中に

埋没してしまいそうになる日常

 

戒めとして

大事にしたいことです

 

 

早起きをしました

 

早朝に回診をすませ

やっと運転免許の更新手続きに行くことができました

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最近の情勢を反映してでしょうか

講習では

・あおり運転

・スマホなどのながら運転

・高齢者の認知症

などがとくに強調されていました

 

 

お昼に終わったので

どこかで昼ごはんにしようと思っていたところ…

 

 

―――今日は、「春節祭」か!

 

南京町が近いので

さっそく歩いていきました

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多くの人でにぎやかです

ホームページから引用します

 

旧暦で節句を祝う中国では、旧暦のお正月を「春節」として盛大に祝います。
この時期の中国は爆竹が鳴り響き、
祝い事にはかかせない龍や獅子が舞い踊り、おおいに賑わいます。
南京町でも旧暦の正月に合わせ、1987年(昭和62年)から
「春節」をアレンジし「春節祭」として開催が始まりました。
その後、昭和天皇崩御の年と阪神淡路大震災の年の2回は中止となりましたが、
2020年は34年目、32回目の開催となります。
1997年(平成9年)には、神戸市の地域無形民俗文化財に指定されました。

https://www.nankinmachi.or.jp/event/shunsetsu/2020/index.html#shunsetsu2020より引用

 

ということです

 

いい匂いの漂うお店に入り

「ふかひれラーメン」を注文

おいしかった

 

ちょうど獅子舞が始まりました

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獅子は家や建物を守ってくれる

伝説上の霊獣だそうです

 

患者さんたちや私たちスタッフを守ってくれることを期待して

勇壮な舞いに引き込まれていました

 

 

厳かな気持ちになり

この気分をおすそ分けしようと

休日勤務のスタッフに

お土産を買うことに

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すると

目が合ったものが…

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病院にもどり

プレゼント

 

 

後日ネットで検索すると

わりと有名な饅頭だったようです

 

今年も

いい年になればいいなあ

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正月気分が抜けた土曜日の午後

遅ればせながら

「新春のつどい」が開催されました

 

参加者はなんと…!!

400人以上

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ぎっしりと

立見席が出るほどでした

津軽三味線のオープニング

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メインは

岡野雄一さん

“ペコロスの母に会いに行く”の作者です

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私は私用で途中までの参加しかできませんでした

参加した職員にお願いをして

感想を書いてもらいました

 

以下に掲載します

(若干の追加などがありますので、文責は私になります)

 

漫画のタッチと同じ、温かい声で、認知症の母・みつえさんとの日々が語られました。

 

☆記憶のパッチワーク

 

若いころ、飲んで荒れた夫から逃げて裸足で親戚の家に駆けこんだ母、認知症になって、町の入口に裸足で座り込んでいた母が、追いかけていたのは既に亡くなっていた夫だった。

戦争の時代、小さな弟、妹を背中に負ぶって働いた母、動けなくなった母を布団におろそうとすると、「背中に、かわいい弟、妹がいるから優しく寝かせて」と言った。

 

岡野さんが「認知症の人は、記憶のパッチワークをしている」と話され、私は、もう亡くなりましたが、高次脳機能障害だった母の晩年のことを思い出しました。何もわからなくなっても、私はちゃんと母の記憶の中にいたんじゃないかという安心感と、どんな私がいたんだろうと母との思い出を振り返るような懐かしい気持ちになりました。

 

―――その他お話されたこと

 

☆死ねばいいのに→豊潤な時間へ

 

自分が世話をしていたときは、死ねばいいのにと何回か思ったが、認知症の症状が進み、迷った末に、海辺のグループホームに入所させた数年後、口からの食事ができなくなり、胃ろうを選択した。世話はスタッフの方に任せて、自分は会いに行き、ただ母のそばに座っているだけの、亡くなるまでの1年半の生活は、豊潤な時間だったので、1日でも長く生きて

ほしい、と思うようになれた。

 

―――お話の最後に、岡野さんから介護をする人へのアドバイスとして、まじめな方ほど壊れやすくなるため、プチ親不孝をして、自分の時間をもってほしい、と言われました。

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☆どげんでんなる

 

講演の終わりに、歌を歌うということで、まずそれだけでびっくりしましたが、おしゃべりの声とは全く違う、長崎弁で自作の歌を歌う、力強い歌声にびっくりしました。

母の口ぐせ「生きてればどげんでんなる」と、母が少女に戻っていく様子をつづった「ホームスイートホーム」の2曲

 

窮屈な会場以外は全部よかった、とは、多くの参加者の感想です。

 

 

私は開会のあいさつで

岡野さんの漫画を引用させていただきました

https://www.comic-essay.com/episode/read/2417から

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神戸医療生協は来年創立60周年を迎えます

今年はその準備の年と位置付けています

 

生協の組合員や職員

一人ひとりの

瞳のなかに

医療生協が

入っているのです

 

そのことを大切にしていきます