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クリスマスの出来事でした

 

高齢の男性患者さん

「今日はクリスマス(イブ)なのに、なんにもいいことがないなあ。メリークリスマス…」

夕食時に看護師さんへの一言です

 

眠る時間が来ました

「まだサンタさんはきませんか?」

 

――看護記録から

入眠されている

クリスマスについて楽しそうに話されているため

スタッフで相談

テーブルに小さなお花とメッセージカードを置いておく

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翌朝のことです

 

「あれなんですか?

びっくりしました!

だれか……

あ~ サンタさんなんだね」

 

この話を聞いて朝の回診時に

患者さんといっしょにお花とメッセージカードを写真に収めました

患者さんのお顔をのせられないのがとても残念です

まるで太陽のような笑顔をされています

 

 

さらにその翌日のこと

 

「やっぱりサンタさんが来てくれた

太陽がサンタさんに

『あそこの〇〇は可哀そうだからプレゼントをあげてくれ』

って頼んだのだと思う」

と全身でその喜びを表現されていたそうです

 

 

小さな出来事ですが

患者さんにとっては大きなこと

励みになればいいですねと

私も写真をお届けしました

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Sさんとはわずか1か月のお付き合いでした

その間にたくさんのことがありました

 

私たちの病棟ではまだ若い世代に入るSさん

病気がみつかってからの3か月間

治療に期待していましたが、次々と合併症が出現

治療の機会を失した状態で私たちの病棟に来られました

 

入院の日

最初の問診時に、若いころからの武勇伝を受け持ちの看護師さんに生き生きと話されました

食事がとれず体力がないはずなのにどこにこのようなエネルギーがあるのだろうと思われるほど長い時間話されました

 

青年の頃に海外に渡り

手広く事業を展開され、多くの富を手に入れたことがありました

たくさんのことに手を染め

危険な経験もしてこられました

外国に付き合いをしている女性を置いて帰国

まったく資産のないままの帰国でした

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そこから持ち前の頑張りで勤めた会社ではなくてはらない存在となりました

上司は「彼はとっても頭のいい人です。安心して仕事を任せていました」と話されました

 

しかし暑い時期に病気が判明

上記の経過となったのです

 

 

自覚症状は腹痛、そして繰り返す嘔吐

完全な通過障害です

 

それでも「水分だけでもとりたい」と希望

たくさんの水分―ジュースや炭酸飲料、氷菓子などを一気に飲まれ

そのまま吐き出されるのです

 

医療用麻薬をはじめいくつかの治療方針を提案しました

胃にチューブ(胃管)を留置してたまったものを出しながら好みのものを飲んでいただくことを提案しました

 

 

「病状がどんどん進み治療がとうとうできなくなってしまった」

「まるでベルトコンベアに乗せられた気分だった」

―――ベルトコンベアに乗せられ大事なものを一つひとつ手放されてきたようです

 

「そのようなことで、ここにきてほっとしたいと思いました」

―――ほっとしたではなく、“ほっとしたい”という表現です

これ以上のしんどいことはもう御免だという思いからなのでしょうか?

 

 

入院日にたくさん話され

その翌日からはほとんどウトウトしている状況になりました

気力の多くを使い果たしたように見受けられました

 

「余命を知りたい」

「わかれば何をしたいのかを考えたい」

ずっと食事がとれていない状態です

予後は短いだろうと予測されます

一般論としての説明をしましたが、いい時の可能性と悪い時の可能性もお話しました

 

「妹と連絡をとりたいんです」

「あやまりたいことがあるんです」

 

第一番の望みでした

数十年もの間会っていなかった妹さん

この間の連絡はまったくありません

唯一の手掛かりはずっと前に届いた一通の手紙のみ

 

努力の末やっと連絡がとれました

私は電話で病状をお伝えし

受け持ちの看護師からはSさんの状況やこれからのことなど丁寧に話をしてもらいました

 

「面会が可能ならぜひ会いに行きたいです」

「兄に言ってやりたいこともたくさんあるんです」

最期のときの面倒もみたいと話されました

 

 

 

☆症状の緩和について

胃管はやっと承諾されました

何度も嘔吐を繰り返し

それまでは吐いても飲みたいものを飲みたい

と言われていましたが

嘔吐をすると看護師さんたちに申し訳なくて…

という理由からでした

 

苦痛の中でも気遣いをされていました

 

 

☆妹さんとのこと

電車を乗り継いで面会に来られました

今日会いにこられますよ

とSさんに告げても

そんなことまでしなくても

と言いながらも

心待ちにされていたようです

 

顔を見るなり

―――おにいちゃん!

Sさんはこらえきれずに号泣されました

 

兄妹だけの話がすみ

Sさんの顔には安心した様子がうかがえます

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私は『仲直り現象』という言葉を思い出しました

『仲直りは神様が与えてくれた、大切な人と過ごせる最期の大切な時間』

と話された医師がいました

 

☆スピリチュアルペイン

「食べることはできなくても好きなものは飲みたい

たとえすぐに吐くようなことがあっても飲みたい

それもできないようならもう終わりにしたい」

 

「今の自分の姿(きっと自分ではできることが少なくなり人の手を借りなければいけなくなった状況だと思われます)は本来の自分ではないです。そのことはぜひわかってください」

 

だれに頼っていいのかわからなくなっていたとき

目の前に現れた妹さんに、今後のすべてを任せたい

と告げられました

 

入院時に自慢話をいっぱい話されたSさん

まったく初めての病院で

自分の存在を知ってほしい思いからなのでしょうか

入院当初のSさんも

苦しくても好きなものを口に入れたいとつよく望んだSさんも

日に日に衰弱し弱気になっているSさんも

妹さんと会うなり号泣されたSさんも

どれもがSさんのすべてでした

実はもっとSさんからの自慢話を聞きたかったのですが

弱っていく姿をみていくうちに

その機会を逃してしまいました

 

 

 

眠る時間が増え

嘔吐することも少なくなり

 

静かに旅立たれました

 

空の上でも自慢話をされているかもしれませんね…

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これまでいくつかの視点でコロナ禍での医療や看護、ケアについて載せてきました

今回訪問看護師さんの眼で見たコロナ禍での在宅患者さんの状況を伝えてもらいました

私自身も少しですが在宅医療にかかわる中で同じ思いをしています

その中でも苦労をしながら患者さんやご家族の支えになろうと努力している看護師さんたちには頭が下がります

 


 

≪コロナ禍の在宅療養≫

 

コロナの流行から訪問看護の利用者さんの状況が変わりました。多くの病院が入院すると面会制限、あるいは面会禁止となりました。そのため、癌の末期やその他の病気の終末期の利用者さんとご家族が「できるだけ自宅で過ごしたい」と希望されました。病状が進み、食べたり飲んだりできなくなってきた時、体が弱り動けなくなった時、褥瘡などの傷が大きくなってきた時、熱が出た時など入院するか家で頑張るか何人もの利用者さん、家族が悩まれました。家で辛くなってきたら緩和ケア病棟に入院するつもりで準備を進めてこられた方が多くおられます。でも、いざその時になるとお互いに会えない事はとても大きな壁となりました。

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Aさんは、1年半程癌治療をされていましたが効果がなくなり予後3か月と診断されました。妻と二人暮らしで、訪問当初から面会制限があるためできれば在宅で最期まで過ごしたいと希望されていました。腫瘍が皮膚の表面に出てきて毎日妻がガーゼを交換していましたが、出血が多い時もあり手当が大変になってきました。口から食べられないため3食チューブから栄養剤を入れる、管で痰を吸引するなどのお世話はすべて妻がされており、それだけでも大変な介護の量でした。寝たきりとなり、意識がもうろうとしたり、夜寝ずに何度も妻を呼んだりするようになるとご家族も疲れてきます。娘さんが泊まり込んで一緒に介護をされましたが、「こんな状態やったら入院させていると思う。入院したら、お父さん声が出ないから電話もできないし、面会もできないからいややって言う。なんでこんな時にコロナなんやろ…」と何度も言われていました。毎日訪問しガーゼ交換や体調確認、お薬の調整や排泄のお手伝いなど行いました。主治医の先生とも相談しながらAさんの苦痛が少ないように、ご家族の負担や不安が減らせるように関わりましたが、使える薬やケアの時間も病院と同じようにとはいきません。24時間の訪問対応をしていますが、到着までに時間がかかることもあります。ご本人やご家族がしんどい状況になってもコロナのため入院という選択がしにくいということはお互いに辛い事でした。

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Bさんは入院しておられましたが、面会制限で家族に会えないため退院を決められました。癌による痛みが強くなり、薬の調整のため入院されました。予後は一カ月ほどとみられていました。夫と息子さんは少しでも一緒に過ごさせてあげたいと退院を望まれました。Bさんの夫は体が不自由で車椅子の生活でした。息子さんも仕事があります。Bさんは家族に迷惑をかけるのではないかと退院を悩まれていました。最期まで自宅で過ごすという思いではなく、体調が悪くなれば再度入院をする予定で退院となりました。退院後、他のご家族とも会われ、穏やかに過ごされていました。退院してからも夫や息子に迷惑をかけているんじゃないかと心配されていましたが「家にいたらええんやで」と声をかけられ、再入院の希望は最後までありませんでした。退院の16日後に急な体調の悪化がありました。夫、息子さんとお話をし、「病院へ行っても同じであればできるだけ家で過ごさせてあげたい。」「入院して会えないまま亡くなるのはかわいそう」という思いがあり、このまま最期まで自宅で過ごすこととなりました。その日の夜中に自宅で亡くなられました。別に住まれている息子さん全員揃われ、ご家族みんなに見守られた中で亡くなられました。夫より「最期まで一緒にいれてよかったです」と話されました。亡くなるその日まで自宅でシャワーを行ないました。半分抱きかかえるような状態でのシャワーでしたが気持ちよかったと喜ばれました。最期の最期まで息子さんに抱えられながらトイレまで行かれていました。最期までとっても頑張られていたように思います。それもこの方らしいとも感じました。

Bさんのように介護をするご家族を心配して在宅療養を躊躇されるかたもいます。それでも実際自宅で過ごしてみるとこのまま家で過ごしたいと思われるのも自然なことだとも思います。コロナで面会制限とともに入院中の患者さんの外泊もできなくなりました。今まで短期間でも家に帰りたい、家族と過ごしたいと思われている患者さんは外泊という形をとることができました。しかし、退院でしか家に帰ることができないため、医療者が常にそばにいない自宅で過ごす不安は大きいと思います。それはご本人だけでなく特にご家族の不安がとても大きいです。そんな利用者さんやご家族に寄り添い訪問看護を行っています。

 

コロナ禍でAさん、Bさんのように在宅で過ごす終末期の利用者さんが増え、家での看取りをさせていただく事が増えました。ご家族は先のみえない介護に不安や疲労を感じ、できれば入院を…と考えられます。でも入院してしまうと全く会えなくなってしまう、誰にも会えず1人で亡くなってしまうのもかわいそう…と悩まれ、頑張って介護をされています。「コロナでなければ入院している」何度聞いたでしょうか。そんなご家族の疲れや思いも一緒に受け止め、ご家族と一緒に終末期を過ごす利用者さんを支える、私たち訪問看護師の今の現状です。

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ご家族のケアにグループで取り組んでいる看護師Sさんにメッセージをお願いしたところ

心のこもった文章をいただきました

 


私は緩和ケア病棟で遺族グループとして活動をさせてもらっています。

緩和ケア病棟では患者様が旅立たれてから1年が経過された方の家族様を対象に「家族会」を開催しています。私自身も何度か参加させていただいたり回らせていただいたこともあります。

 

家族会では家族様と、医師・看護師(以前はボランティアスタッフさんも一緒に参加されていました。)で患者様との入院中の過ごされ方や、患者様が旅立たれてからの家族様の過ごされ方などを話させていただいたり、聞かせていただく中で様々な思いに触れ、同じ時間を過ごすことのできる大切なひとときでした。

 

私が初めて家族会に参加させていただいたのは、入職して2か月後のことでした。

先輩スタッフから「一度見てきたらいいよ。雰囲気も知っていてほしいしね。」と言われたことがきっかけです。どんな雰囲気か見せていただくといっても、とても緊張しながら参加していたことを昨日のように思い出します。家族様とM先生やY先生、病棟スタッフが話をされている場面を眺めながら、笑顔の方、泣き顔の方と様々な方がいましたが、皆様穏やかで優しい時間を過ごされていることは分かりました。

そうしていると、突然Y先生に呼んでいただき、参加されているお一人とお話しさせていただきました。先ほどもお伝えしたように、対象となっている方は患者様が旅立たれて1年が経過されている方なので、面識のない方でした。その時にできる精一杯の言葉をもち、お話を聞かせていただき、患者様の事を教えていただきました。その瞬間にただの見学者から参加者になれた気がしました。とても温かく特別な時間を過ごすことが出来ました。

 

家族会準備も慣れないうちはとても大変でした。病棟全体を巻き込んで協力してもらい、徐々に当日が近づき、家族会が終了してやっとほっとできて、家族さんと会えた喜びを感じながら過ごせました。普段の日常的なケアや関りとはまた違った家族様とのつながりを感じることができとても嬉しかったです。

 

しかしコロナ禍になり、一気に状況が変化しました。病院へ来ていただくことも、家族会を開催することも出来なくなったからです。コロナ禍で患者様、家族様、ボランティアスタッフ、病棟スタッフそれぞれを守るためには必要なことだと分かっていても、とても残念で悔しい思いでした。病棟では遺族グループを中心に家族会の在り方について話し合いをしました。そしてコロナ禍でも出来ることとして、家族様へのお手紙、写真入りメッセージカードを送ることを考えました。こんな時だからこそ家族様との繋がりを持ち続けることが大切だと感じました。患者様に向き合われていた時間や思いをねぎらい、共感し、これからを過ごしていかれる家族様が次のステップへ一歩を踏み出すお手伝いになればと思っています。

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以前もこれからも課題となってくるのは、患者様との思い出や時間に向き合うことが難しく、周囲との関りをもつこともしんどく感じてしまうほど強い悲嘆の中で過ごされている方がいるということです。病棟スタッフの多くがそんな方達にこそ目を向けるべき、支えになりたい、1人でないことを知っていてほしいと思っています。嬉しかった時や楽しい時はもちろん、辛くて苦しい時や困った時にこそ協同病院で過ごされた日々を通して、あの人達になら話してみたい、頼ってみようかなと思い出していただけるきっかけになればと思っています。そのために最近ではアンケート(負担にならないよう少数の項目に絞り、フリーコメント欄を作成、悲嘆の強い方もピックアップし今後につなげていけるようなもの)も同封し家族様の反応をみながら、プライマリーナースを中心に電話かけを行ったり、フォローが出来る体制を整えている最中です。アンケートの返信をみていると、家族会の時のように様々な反応をいただくことが出来ました。お返事をいただけることはやはりとてもうれしいなと感じました。しかし全ての方にお返事がいただけるわけではありません。辛い気持ちの中で過ごされているのかと思うと心配な気持ちもあります。電話かけやアンケート内容、家族様との関わり方どれをとっても、まだまだ改善していかなければならない課題が残っています。私たちの思いや真心が1人でも多くの方々に届くことを願っています。

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コロナが落ち着けばしてみたいことがあります。家族会はもちろんなのですが、以前から行っていた季節ごとのイベントです。イベントも人と人との繋がりが感じられ、普段では見ることのできない表情を見ることが出来ます。イベントでの患者様、家族様をみることも私の癒しの時間です。四季、におい、風、温度といった様々なことを感じ、日常の中にある非日常を一緒に楽しんでいきたいです。患者様、家族様に残されている時間を支えていくうえで「その人らしさ」を知り「患者様や家族様が大切にされてきたこと」を知り寄り添いながら同じ時間と場所を共有出来ることに感謝しながら日々関わらせていただいています。私は緩和ケア病棟の雰囲気や温かさ、患者様、家族様、スタッフが好きです。そんな空間や人達と一緒に作り上げていける家族会や、イベント、日常を大切にしていきたいと思っています。

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またコロナ禍で面会制限がある中でも取り入れられそうな事としては、家族様の協力が必要となりますが、思いを形にできればと思っています。他の病院でも取り入れている事で素敵だと思ったことがありそれを応用できればと思っています。サイズ等もまだ悩み中ですが、木の土台と葉っぱや果物の形をしたメッセージカードを準備します。メッセージカードには伝えたい思いを言葉にして書くかシールを貼り付けてデコレーションしてもらったりし、それを木の土台に貼り付けることで1つの作品になります。

日々の連絡や、10分面会で思いを伝えられている方もいると思いますが全ての人がそう出来るとは限りません。年齢や住んでいる場所、体調と様々な理由で会いたくても会えない方もいます。思いを言葉にすることが苦手な方もいるかもしれません。家族様の存在そのものが患者様の支えとなっていて、安らぎに繋がると思います。逆もしかりです。言葉にすることだけが全てだと思ってはいませんが目に見える形にすることや、それまでの時間が思い出の1つとして残ればと考えています。参加されるか、しないかも自由ですし、完成までのペース、何を書くか、誰が書くかも自由ななかで、いろいろな形の思いが繋がれば素敵だなと思います。

 

今後コロナの状況がどう変化していくのかはわかりません。しかし1日でも早くコロナが落ち着き患者様、家族様にとってより良い日々が過ごせるように、また病院にも足を運んでいただき、一緒に家族会やイベントが開催出来ることを楽しみにしています。

Sさんありがとうございました

これからもみんなの取り組みに期待しています

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少しまとまった時間がとれたので今まで影響を受けてきた本からの抜き書きを記録しておこうと思います

緩和ケアとはまったく異なる領域から入ってきた身としては、すべてが新鮮でした

ガイドラインや教科書的な書物はバイブルでした

しかしそれ以上にいろんな人たちが書かれた本はわたしにとっての「道しるべ」となりました

これまで書いてきたことの繰り返しがあるかもしれませんがご容赦ください

(著者の名前だけを記載して敬称は略させていただきます)

 

 

(Ⅰ)医師としての姿勢

 

・回診はこまめに、説明もこまめに、忙しさは大敵と知り、知りつつ忙しさをこなすこと。患者さん・家族が「見守られている」と思ってもらえるよう努めること(徳永進)

今の時代、コロナが蔓延している医療状況では反対のように受け止められますが、ぜったいに必要なことだと思っています

マスク越し、ときにはフェイスシールド越しの会話が要求され、身体を触ることがはばかられる医療となっていることが悲しいです

 

・ホスピスは医師主導ではありません。医師と看護師が十分に話し合って決めていかないと問題が起きます。対等か、あるいは看護師の方が立場は強いくらいですよ(青山ゆみこ)

ある医師が「緩和ケアの多くは看護師さんたちに頼っていますからね」と話していたことを思い出します

この時に少し疑問を感じていました

医師だけでなく、看護師だけでなく、たくさんの職種の関わりや話し合いが日常的には必要です

 

 

(Ⅱ)不安

 

・「死なせて」と言われたとき・・・

そんな時、どうすればいいか。一つ言えることは背景に病状の重さ、辛さ、家族関係のト

ラブルがあるのだろうかと思いを馳せてみること。あるいは私たち医療者の対応の悪さは

ないかと考えてみること。でもそんな言葉を発せられた場合、言いたくない人に向かって

は発せられないものであり、言われたのは、選ばれてと考えてみてもいいのかもしれない(徳永進)

私にはほとんどこのようなことを話される機会がありません

看護師さんから伝えられて知ることになります

より患者さんの近くにいなければと思います

 

・不安な心を支えるものに、「がんばる」「がんばっていく」という心情があることを知っておきたい

 当たり前のように見える生活動作の全てが、心の不安を和らげるものとして働いているのではないか(徳永進)

患者さんの不安をそのまま受け止め、寄り添えるようになりたいものです

 

 

(Ⅲ)心がまえ

 

・居心地よさは環境のよさにも大きく影響されるが、最も肝心なのは「個人の意思と生活ペースが最優先されること」だ。スタッフが病室に入るときは原則として扉をノックし、声をかけるのも、患者の生活に土足で踏み込まない配慮である(野木裕子)

大震災のときでした。避難所が生活の場となっている空間に「土足で」「遠慮も挨拶もなく」踏み込んでこられた支援者がいました

尊厳が大事と口にしても行動が伴わなければ何の役にも立たないことがわかりました

 

・(面会について)許可というのは「病院の」ではなく、「患者の」である(野木裕子)

コロナ禍においてまさに正反対のことになってしまっています

 

・ターミナルは人生の締めくくりをする時期で、ホスピスはそのための場だと。下手すると、そういう理想的な患者さんだけ選んで入院させたいみたいな雰囲気が出かねない(野木裕子)

指摘されると頭の痛い問題です

無意識に行動していることがあります

 

・ホスピスに来る人はね、ちゃんとした医療を受けたい、と思っているんです。ともかく苦痛を取り除いて欲しいという人が、八割方、九割方ですね(野木裕子)

・痛みはその人から人間らしさを奪い尽くす。これは体験した者にしかわからない

残り少ない日々の患者さんに副作用の心配で適切な除痛をしないというのはあまりにも思いやりがない(内藤いづみ)

まず痛みのコントロールをということを学びました

併せてちゃんとした医療の保証が必要だということを痛感しています

熱が出れば原因を追究して治療を行ったり、吐気があれば検査をして対処するなど

 

・ひとに対してむやみに「何々についての理解」を聞くのは、非常に無礼なことなのである(野木裕子)

私たちは不用意に「〇〇さんは病識が乏しい」などと簡単に言ってしまいがちです

 

・好きな人と好きなところに可能な限りいられるように、ホスピスの専門チームは痛みを取り去り心身の悩みに付き添い支えていく(内藤いづみ)

 

 

(Ⅳ)できることはきっとあるはず

 

・解決できないことを目の前にした時、大切なことがある。それでも解決方法を探すこと、この苦難をともに分かち合うこと(徳永進)

・「することは何もない、ただ死を待つだけ」という空気が病室に漂うことは、できることなら避けたい。「見捨てられる」という言葉は人の精神に深い影響を与えるキーワードだが、がん末期の臨床でも大切な言葉として存在する。無効であっても見捨てられていない、共に戸惑っている、迷いを共有している、難しいことだがそのことが深い意味へとつながっていくようだ(徳永進)

緩和ケアにたずさわるようになり最初に戸惑いを感じたことです

看護師さんたちから「患者さんは苦痛を感じています」「この方法がだめなら次はどうすればいいんでしょうか」と迫られました

そこから多くの本を読むようになり、先輩たちに聞いて回るようになりました

そのことでの恥ずかしさはまったくありませんでした

それからは「もう方法はない」という発言に敏感になっています

また、治療を継続していたのに、これからも頑張ろうと思っていたのに、ある日の診察で「これ以上の治療はむりです、あとは緩和ケアです」といきなり告げられた患者さんやご家族の悲しみを幾度となく聞いてきました

「私たちのところで、できることをいっしょに探していきましょう」という声かけを努力しています

 

・(一般病棟のスタッフから)「私たちにはできない医療がある・・・」

一方では「なぜ緩和ケア病棟だけ特別扱いするのか」という強い反発(野木裕子)

開設時にたくさん聞かれました

 

・ホスピス医以外の医師は治ることに価値をおくことが多いですが、どれだけ頑張っても命には限りがあります。治療できないことが敗北だと考えてしまうと、そのことで患者さんは見捨てられたような気がしたり、辛い思いをします。一般病棟では、そうしたことで苦しむ方を何人も見てきました。でも人は誰もが最期は死ぬ。そのことは平等です。その人らしく生きるという方向に切り替えれば、穏やかに最後を生き抜くことができるかもしれません(青山ゆみこ)

もっともっと「その人らしく」を求めていきたいです

 

・一般病棟では明日に回せば良いことが、ホスピスでは時間に限りがあるため後悔を生むことにもつながります。できることは必ずそのときに行う。末期なのでもう何もできないということはありません。最期まで手を尽くせることがやっぱりありますから(青山ゆみこ)

・明日という日はない。何かしてあげようと思ったら今日やろう(野木裕子)

 

 

(Ⅴ)その他

 

・患者さんにとって食事は、単なる栄養補給でも<味の表現>でもありません。医師や看護師とは異なる形で私たちもまた心のケアの一端を担っています。心が元気にならなければ体はついてこない。それには食はとても大切です(青山ゆみこ)

 

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