インフルエンザやコロナが増えてきている中でしたが、病院全体、また病棟ごとのクリスマスがありました

                                             

病院では外来の待合室でクリスマスコンサートが開かれました

                                               

内科医師によるバイオリン演奏――「愛の挨拶」「愛の花」

さらにはオカリナユニットのオカリナ+ギター演奏

通院患者さんや入院中の患者さん、ご家族、職員、100名近くの参加で

盛り上がりました

緩和ケア病棟に入院中の患者さんも職員と共に参加

みなさん演奏に魅了されていました

来年も開催してほしい

との意見がさっそく寄せられました

                                             

                                             

緩和ケア病棟ではサンタクロースの登場です

私と同僚の先生とのふたりサンタです

患者さんのもとを訪れ

帽子のプレゼント

一緒に写真をとりました

みなさんびっくりしたり喜んだり

「声を聞いてだれかわかったわ」との声

                                              

それまで反応のなかった患者さんは

呼びかけに目を開けてくれました!

ご家族もびっくり

このようなプレゼントも看護師さんによって準備されていました

ナースステーション前の飾りつけ

廊下のツリー

感染症のリスクがなければ以前のようにボランティアさんたちの参加もいただき

もっといろんな取り組みができたでしょう

来年はより楽しく開催できることを期待しています

新型コロナ感染が流行し屋外でのたくさんの人が参加するイベントが開催できずにいました

このたび「楽迎会(がくげいかい)」と銘打って大きな集まりを開催しました

医療生協の組合員と職員による手作りの催しです

以下写真を連続して載せます

雨を心配していましたが秋晴れのなかでの開催となりました

みんなのラジオ体操で始まりました

よさこいソーランです

力が入ってます

健康チェックコーナー

子どもコーナーは大人も大賑わい

高齢者体験です

医療・介護・生活相談の場面

近くのホールでは組合員の作品展がありました

高校生の描いた原爆の絵の展示では圧倒されました

商店街では「おむつの半額セール」や「野菜・お米の販売」が行われ、野菜はすぐに品切れになっていました

そして午後からの協同病院院長の講演「認知症を予防するには」にはたくさんの参加があり、ユーモアを交えたお話は時間を忘れるほどだったようです

ほかにも様々な取り組みが行われました

班活動や事業所の紹介等など

私は仕事をしながらの参加だったのですべての写真を載せることができませんでした

(残念です)

延べ700人の参加で成功しました!

                                     

緩和ケア病棟ではコロナ前は多彩なイベントを行ってきました

面会制限が緩和され

これからはスタッフやボランティアさんたちの力でいろんなことが復活できればいいなあ

と心から願っています

以前にも書いたことがあるかもしれません

それでもいまここに記しておきたいことがあります

                                                                             

                                                

私のとても親しくしていたひとのお話です

彼女はがんサバイバーでした

みずからも病いとたたかいながらの出来事です

                                                   

                                             

昔からの友人ががんの終末期ということで入院しました

                                                 

彼は毎日のように襲ってくる痛みや吐き気に対して医療用麻薬を使っていました

わがままな人であり、看護師さんや医師の言うことを聞かない「困った」患者さんとしてみんなから見られていました

                                               

自分の弱さを易々と他人には見せるものかという悲しいプライドと、激しさを増す痛みや苦痛、死への恐怖、一人で(彼は離婚し独り身でした)病気と闘わざるを得ないという心細さなどなど

きっとこれらのことがごちゃまぜになって、医療者にとっては「手のかかる患者」としての姿をとらざるを得なかったのかもしれません

                                            

彼女はそんな友人に対して、仕事の帰りなど時間が許す限り病床を訪れていました

今のような面会制限もなく、長い時間付き添っていました

医療者にとっては助かる存在だったのではないでしょうか

                                              

身体をさすったり、汗をかいていればきれいに拭いてあげたり・・・

                                              

徐々に弱っていく彼をどのような思いで介護していたのでしょう?

                                               

                                              

彼女はのちにつぎのように書き残しています

『わたしは病気になって悲しんでいる時、仲のいい友だちに抱きしめてもらった。でもわたしは彼を抱きしめてあげられなかった……』

心残りだったのかもしれません

しかし、彼女の心は残された日々をひとのために大事に使いたいという気持ちでいっぱいだったのだろうと想像しています

                                              

                                               

ある本でつぎの言葉を見つけました

―――自分のためではなく、ひとのために時間を使うこと、それはいのちを捧げることであり、尊い愛の行為だと思うのです

いのちは自分のものかもしれませんが、自分だけのものではないのだと思います―――

                                              

                                            

少し前のことになります

患者さん(Aさん)、ご家族(代表してCさん)とのやりとりの記録を振り返ってみました

『患者さんやご家族とともに悩むことができたのか』『患者さんやご家族にとって大切なものはなになのか』を考えるきっかけになりました


Aさんは癌による腸閉塞で入院してこられました

腹満、腹痛、嘔吐などで苦しんでいました

まず絶食(水分は少量ならOKです)、医療用麻薬の持続皮下注射を開始します

                                                                                           

私からの提案への納得がなかなか得られず、イラストを使って説明しましたが、「なぜ食事がとれないのか」「絶食だと栄養がとれないのじゃないか」「他の栄養補給の方法はないのか」など食事や栄養へのこだわりをつよく持っていました

Cさんからは点滴の要望がありましたが、Aさんは嫌がられています

何度か時間をとって話をしましたが、結局「強引な」スタートになってしまいました

                                                

AさんもCさんもそれぞれのニュアンスは違いますが、絶食という方法を受け入れることが難しい状況でした

――理解されていないから提案に応じられないのではなく、理解しているから辛い現状を受け入れられないのではないかと後になって思いました

嫌な現実を認めることが困難でそこから逃れようとする感情なのではないでしょうか

                                           

Aさんはあきらめに似た思いを持たれたようですが、Cさんの方は「水分だけで体がもつのでしょうか」「食べないと元気にならないのでは」という気持ちから話を繰り返されました

――強引に進めてしまい、私の価値観を押し付けてしまったのではないかと後に反省しました

                                             

アイスクリームやジュース、牛乳などを少しとってもらうことでひとまず合意がとれました

                                            

絶食にすることで腹満や腹痛は楽になってきました

するとAさん

「絶食だとお腹がすいてたまらない」

「大便が出ないのなら浣腸はできないの?」

「いつになれば食べることができるの?」

と、次の疑問や要望が出てきました

――なぜそのように思ったのか、Aさんは病状をどのよう解釈されているのだろうか

その検討が十分にできないまま……

                                                

症状が軽くなったので少しの食事を開始しました

しかし再び腹満や腹痛が悪化してきました

再度水分だけにして、我慢することになったのです

腸の穿孔のリスクも頭にありました

――このときのやり取りです

AさんもCさんも癌が治らないことはわかっている、でも食べないと元気にならないと言われます

「元気になりたい」思いを強く出されました

相反する考え方ですが、この時は言葉を否定せず、「元気になりたい」思いを尊重できないか、AさんやCさんの価値判断をまず受け止めようと考えました

                                             

医師:Aさん、絶食にしたときはお腹はどうでしたか?

Aさん:痛くなかったです

医師:お腹が痛くなっても食べたいお気持ちは強いようですね

Aさん:そうです、お腹がすいてたまらなくなるんです

 (気持ちを率直に伝えられました)

医師:なぜお腹が痛くなるのかAさんの感じられていることを聞かせていただけますか?

Aさん:大便が出ないから痛くなる…

医師:どうして大便が出なくなってしまったのでしょうか?

Aさん:癌が腸をふさいでしまっているから

    でも私の知っている人で癌があっても大便が出る人も出ない人もいるよ

 (病気に対するAさんの解釈です)

医師:たしかにそうですね

   Aさんの場合は残念なことに癌が大きくなって腸をふさいでしまっている

   から便秘になっています

 (否定をせずAさんの言葉をそのまま返しました)

   下剤や浣腸を使っても難しいと思います

 (前に希望された手段への答えです)

Aさん:どうすれば便が通るようになるのかな?

医師:体力があれば人工肛門という方法があるかもしれません

   しかし転移が広がっておりそれは難しいですね

 (別の対処法も考えたが困難であることを説明)

Aさん:どうすればいいのかな

医師:卵豆腐から始めてみましょうか

   可能なら他にも食べれそうなものをいっしょに考えてみましょう

   痛みが強くなるようならいったん止めますが、落ち着けばもう一度食事を

   考えてみるということでいかがでしょうか?

 (次の提案を順序だてて行いました)

Aさんとそばで話を聞かれていたCさんはこの提案に同意されました

何度でも話をしていく必要を感じています

この話し合いの中で、「病気の解釈」「感情の表出」「変化への期待」が見られました

                                                 

                                              

Cさんをはじめとしたご家族と話をしました

「無理に長生きをしてもらおうとは考えていません」

「でもこのまま食べることができずに弱っていく姿をみていくことは辛いです」

いくつかの方法を相談し、その中でCさんやご家族の期待を強く感じました

例えば胃管を留置しながら口から食べてもらう方法などです

しかしAさんは苦痛をともなう方法(点滴や胃管など)をすべて拒否されていました

                                            

                                             

そうこうするうちに少しずつ排便が見られるようになってきたのです!

閉塞したところが少し通過したようです

みんなに笑顔が戻ってきました

                                              

ちょっとずつ食事を増やしていきました

                                             

ある日のことです

看護師さんに

「家に帰ってみたい」

「退院じゃなく何日か帰ることってできないかしら」

――理由をたずねました

「今のままだと息が詰まってしまう」

「家の空気を吸いたい」

今までにない大きな期待感です

家でしたいことがあるわけじゃないけど一度は帰ってみたいと表情は明るいです

                                           

その一方でCさんは不安から尻込みをされています

                                              

――Cさんは決して拒否をされているわけではありません

帰ってきてほしいという期待もあり、短時間だからといっても自分に介護できるのだろうかという不安もある状況での悩みです

しかし他のご家族からみんなで支えるからと後押しされました

十分な準備を経て、短時間でありましたが自宅への外出が実現しました

それからは少しずつ悪液質が進行し

眠っている時間が増え

約1か月後にご家族に見守られながら旅立たれました

あれからずいぶんと日が経ちました

少しでも振り返ることができたかなと思います

                                          

                                            

※患者さんやご家族に対して「理解が悪い」「受け入れができていない」とついつい言ってしまいがちですが、お互いの価値観が最初から一致しているわけではありません

理解が悪いのではなく、「私たちの説明が不十分」であったり、「患者さんたちは理解できているけれどそれを簡単には認めたくない」のかもしれません

症状や病気をどのように解釈されているのか

何が不安で、どのようなことを期待されているのか

お互いへの影響をどう考えられ心配しているのか

など

私たちは冷静に考えないといけないことを学んだように思います

                                         

患者さんやご家族の思いと私の思いがどこか少しでも重なったとき、胸のつかえから解放されとても穏やかな気持ちになることがありました

                                       

                                             

今回はAさんやCさんとのやりとりをカルテ上に繰り返し記載できていたことで振り返りが可能になりました

                                            

                                                

この経験を日常の仕事にもっと生かせていければ・・・・・

                                       

                                           

                                                                                       

神戸協同病院の職員が、兵庫民医連の2年目研修に参加しました。

研修は、阪神大震災と民医連の災害支援活動について学ぶこと、民医連の理念や人との絆について考えること、入職して1年が経つ中で悩みを相談できる横のつながりをつくることを目的に行われました。その事後課題で「はるかのひまわり」を育て、取り組みのレポートと、育てたひまわりの種を提出することになりました。

「はるかのひまわり」は、阪神大震災で亡くなられたはるかちゃんの家で咲いたひまわりを配布し、その過程で由来を伝え、災害の悲惨さと共に命の尊さを再考する機会とする事で、「人の尊厳」と「人との関わりの大切さ」を知る感性豊かな地域社会を醸成する事を目的としています(「はるかのひまわり絆プロジェクト」紹介ページより抜粋)

園芸が得意な他職種の力をお借りしたり、時には患者様にも水やりをしていただいたりしながら育てた結果、現在はベランダに立派なひまわりが咲いています。通りすがる職員や、リハビリでベランダにこられた患者様からも好評です。とりくんだ職員も、育てる過程の中で「人と人とのかかわり」や「いのちの大切さ」を感じられたのではないかと思います。

——この文章は病院ニュースに載ったものに事務次長さんにお願いをして加筆していただきました