神戸の中心街に用事があって出かけました

たくさんの人と夏の暑さに負けて

目の前にあった喫茶店に入りました

 

途端に空気が変わりました

 

そこは喫煙が可能なお店だったのです

 

入ってしまったかぎり、気の小さな私は出ていくこともできず

いちばん被害の少なそうな席を選んでカレーとコーヒーを注文しました

お腹もすいていたのです

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まわりは男性も女性も煙の中でゆったりとされていました

 

私はたばこを吸わないので、患者さんにも禁煙を勧めることが多いのですが

この場所では余計なお世話なんでしょうね

とても職業意識を丸出しにすることはできません

 

喫煙されている方のほとんどは

おそらく

「たばこは体に良くない」

「肺癌などのリスクが増加する」

ということはご存じだと思います

 

それでもやめられない、あるいはあえてやめない理由は様々なのでしょう

 

 

そこで思い出したことがありました

「他人に迷惑がかからなければ、愚かな行為(喫煙者の皆様ごめんなさい! けっして非難しているわけではないのです)でもその人の自由にできる権利がある」

と何かの本で読んだことがありました

『愚行権』というのだそうです

 

 

そこからいくつかの場面が浮かびました

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☆食べると必ずといっていいほど誤嚥してしまい、呼吸が苦しくなる

でも好きなものを自由に食べたいとたこ焼きを食べてしまった

☆先生から勧められた治療、受ければよくなる可能性があるということは理解している

しかしわたしはあえて治療を受けないという選択をした

治療を受けることでやり遂げたいことができなくなるのがいやなのです

☆このまま何もしてあげられないことがとてもつらい

病気が重いということはわかっているけれど

家族でいっしょに旅に出て思い出を作ってあげたい

 

……少なくない患者さん、ご家族が悩まれています

 

 

購入したばかりの新書の一文を思い出しました

気になった文章はときにメモをとっています

ノートを開いて見つけました

「QOLってなんだろう」(小林亜津子さん著)から引用します

 

(カレーの味はまずまずでした。コーヒーは?)

 

“医療における「愚行」において重要なことは、治療を拒否する患者は、けっして「死にたい」わけではないということです。彼はただ、自分らしく「生きたい」だけなのです。医学的観点から見れば、「愚かなこと」に思えても、本人にとっては、QOLを熟慮した上での決断であり、自分の生きがいに直結した選択なのです”

 

「幸福追求権」(憲法13条)に関しても述べられていました

 

 

「愚行」というあまり印象のよくない表現ではあるのですが

患者さん、ご家族のQOLや幸せを第一に考えたときに忘れてはいけない視点だと心に留めておきたいと思います

 

 

ご夫婦とはながいお付き合いでした

奥様(患者さん)のお母様を私が往診、私の妻が訪問看護でかかわらせていただいたのが最初です

すでに30年ほどになるでしょうか

 

それから

ご夫婦ともに私の働く病院の患者さんとしてこられるようになりました

 

阪神淡路大震災のときには

数年間親戚のところに避難されていたようです

 

それから現在の住所に

 

私が地域で医療のお話をさせていただく機会があり

その会場となった集会場で

お会いしました

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奥様はしっかりした方で

ちょっとやそっとで根を上げる人ではありません

身体の不調できっとしんどいだろうなと思うときでも

笑顔でやってきて、大丈夫ですと帰っていかれます

 

 

その方が

癌になりました

 

たまたま受けていただいた検査で

症状が出る前に発見されました

 

もよりの基幹病院に紹介

めずらしい病気でしたとの返事がかえってきました

 

さあ、そこから抗癌剤治療の始まりです

 

でも副作用はほとんどなく

担当医からも「あなたはとても楽です」と言われていました

定期的に私の外来にも通院され

いつもと変わらない姿に感心していました

けれど患者さんの心の中は

きっと不安と期待が複雑にあったのだと思います

短時間しかとれない外来では

そのお気持ちをしっかりと受け止めることができなかったこと

申しわけなく思っています

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いよいよ薬の効果もなくなるときがやってきました

「これからは緩和医療が中心ですよ」と言われました

 

 

私もこれまで以上に気を引き締めます

 

もともと大きかったお腹が

腹水でさらにふくらみ

食事が食べにくくなってきました

 

入院の時期と判断しました

 

 

入院されてからもすべてを達観した雰囲気はかわりません

「おなかが張ってきました」と言われたとき

腹水を抜かせてもらいます

「あ~楽になった」

とほっとされた姿

けっして私たちに苦情を訴えられることはありませんでした

 

そのような日常を繰り返すなか

ご主人は毎日付き添いにこられました

 

お二人にはお子さんはおられず

頼りになるのはお互いという状況

自分で動くことが困難となった患者さん

ご主人がベッドで起き上がるお手伝いをされる姿が印象的でした

 

 

だんだんと体力が落ちてくることは避けられません

それにつれて患者さんの口数も少なくなってきました

食事も減ってきます

 

心配されたご主人はほとんど毎日泊まり込みをされるようになりました

ご自分も病気をかかえながらの介護です

スタッフから時々は家に帰られて休息をとられることを提案するのですが

「○○が心配やから」

「自分の身体のことはだいじょうぶ」

身体をマッサージされたり

身体を拭いたり

アイスクリームをお口に運ばれたり

……

 

ご自分のお食事は

コンビニで買ってこられ

ときには奥様のパンを拝借したり

病院のお風呂も使っていただきました

 

あまりの疲れ様に見かねた私たちは

多少の強引さでご自宅に帰っていただきました

翌日には「よく休めました」と

さわやかな表情

しかし

やはり心配でと

病室に泊まられます

 

 

お亡くなりになる前日のことです

 

いつもは少しでもご主人の勧められるアイスクリームを

この日はまったく口にされることがありませんでした

「あなたはあほやなあ」

とひとこと言われたそうです

――どういう意味だったのでしょう?

 

のちにご主人は「のた打ち回るような苦しさはなかったことが有難かった」と話されました

 

ずっとふたり手を握り合っていました

 

……気が付くと

息をしていなかった

 

穏やかな顔で

旅立たれました

 

 

ある日の夕方

真夏の熱い西日のさす集合住宅におじゃましました

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ちょうど百か日をすまされたところでした

 

お仏壇に手を合わせ

その後に

ご主人からお話を聞かせていただきました

 

 

ご夫婦のなれ初めから

仕事のこと

お互いの素敵な関係

ときにはケンカもしたこと

などたくさんのお話をされました

 

 

「わたしは妻に頼り切っていました」

奥様は

自治会のこと、婦人会のこと

たくさん人のために尽くされてきました

民生委員をされていたわけでもなく

ボランティアで独居の高齢者の訪問、安否確認をされていました

 

「病気になって体が疲れていてもゴミだしや、住宅の見回りをがんばっていました」

 

一方でご主人は

「自分のしたいことさせてもらっていました」

 

 

おひとりの生活になって

 

「家に引きこもらないようにしています」

「自治会の会合にも顔を出しました」

 

……おうちのことは?

 

「ちゃんとできていますよ」

洗濯

ゴミだし

食事の準備

買い物―――私もスーパーでご主人と出会いました!

部屋の掃除―――みまわすととてもきれいにかたずけられています

 

「妻に笑われないようにね」

「だれが訪ねてきてもいいように」

「時間のあるかぎりできることをしています」

「わからないことは近所の人に尋ねています」

 

……悲しくなりませんか?(つらい質問をしてしまいました)

 

「亡くなってからは毎日泣きっぱなしでした」

「まだ○○のぬくもりを感じていました」

「これではいけないと運動を始めることで、忘れる時間をつくることを覚えました」

 

……記憶に残る奥様のことがあれば教えてください

 

「あるとき私に対しての言葉が荒くなり、性格がきつくなったときがあったのです」

 

奥様は入院前に

ご主人に家のことをたくさん伝えられていたようです

洗濯の方法や調理の仕方など

 

そのときのことです

 

どうしてそんなに口調がきつくなったのかを聞きました

 

「(あなたが)だらだらしていると未練が残るでしょ!!」

 

……未練、ですか?

 

「自分が『生きたい』という未練だったのだと思います」

 

「このままだと別れられないでしょ!」

「わたしがいなくなればどうするの?」って

 

自分の命の時間をきっと悟っていたのでしょう

 

ご主人は「もっと早く気づいてあげられていればなあ」

とこのお話を締めくくられました

 

……今の暮らしはいかがですか?

 

「毎晩、仏壇のまえでお経を唱えています」

「よく間違えるんですが、そのときには『○○、ごめんな』って謝るんです」

「外出したとき、妻がそばいるように話しかけています」

「ここに段差があるからきをつけて・・と」

「近くの子どもに不思議な顔をされたこともあります」

「今も妻のネックレスやブレスレットを身に着けているんです」

と見せていただきました

 

 

 

気が付けば1時間半も経っていました

 

夕方の風を感じられる時間になったことをきっかけに訪問を終えました

 

 

 

さいきん読んだ本の中につぎのような話があります

 

「奥さんが入院すると、ご主人は定期券を買って毎日、お見舞いに来る。逆に、ご主人が入院すると、奥さんは定期券を買って毎日、都心のデパートに行きます」

 

もう一つある人が言っていました

 

「クジラの夫婦がいました。

あるとき漁船がやってきてメスクジラを捕まえてしまいました。

オスクジラはいつまでも漁船のまわりをグルグルと回っていました。

 

別の日、ふたたび夫婦のクジラが泳いでいます。

そこにやってきた漁船。

こんどはオスクジラを捕まえました。

するとメスクジラは一目散にそこから逃げ出しました」

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男の私にとっては

とっても痛い話です

 

 

 

だけど

ご主人は

きっと元気に頑張られることだと確信しています

 

 

私も主治医として心から応援いたします

「患者さんが亡くなるの、怖い?」

「……怖いです」

「私も最初は怖いって思ってた。けど今は、私が受け持ちの日を選んでくれた

んだなと思ってるよ」

☞私の思い上がりかもしれませんが、同じようなことを考えるときがあります

出張の前にお亡くなりになった患者さん

朝の出勤まで待っていてくれた患者さん

たまたまだよと言われればそうなのですが、でもそう思いたい時もあるのです

 

「つらい生活を一緒に闘い、あるときふと共鳴して一緒に泣けてくる時って、看護師と患者という関係を越えて、人として関係性が築けていることの証拠でもあると思うのです」

☞最近もありました

一緒に受け持ちになってくれていた看護師さん

さいごの看取りのときこらえていた涙があふれてしまったようです

看護師さんと患者さんの関係はしっかりと(主治医以上に)築かれていました

 

「医療者はさ、患者さんと、その人を大事に想う人たちを、少しでも幸せにしなくちゃいけないんだ」

☞医師の言葉です

またつぎの言葉もありました

「明日が来ない人への、取り返せない後悔と不甲斐なさ」

何年経験を繰り返しても、毎回後悔はあります

お風呂につかりながら振り返っています

 

「着替えを手伝って、点滴を替えて、

ごはんを配って、歯磨きを手伝って。

それだけで時間はあっという間に過ぎていくけれど、

それだけじゃただの業務で、

(中略)

そうじゃなくって、些細な時間のなかでも、

患者さんの人となりを知っていくことを大事にしたい。

患者さんの思い、ご家族の願いをキャッチしたい。

そこまでやらなくちゃ、きっと看護師がいる意味はない。

それが積み重なっていけばいくほど、

きっといざという時、

確信をつかむ瞬間が降ってくる」

「私は意識的におしゃべりをして、病気とは関係なく患者さんが今までどん

なふうに生きてきたのかを知りたいと思っています。

(中略)

『病気』ではなく『人』と関わっていることを忘れないようにするため」

☞このように考えることができるってことはすごいなあ

看護師さんだけでなく、医師もその他の医療従事者みんなにも共通することなんでしょうね

 

「一日一日を前向きに、大切に生きる患者さんに出会えて、あたりまえだったことのありがたさに気づけることは、幸せなことだと実感するようになりました」

☞看護師として、医療者として仕事を続けていくことへの自信をすごく感じさせられる文章です

 

 

かってに抜き書きをさせていただきました

作者にしてみれば不本意かもしれません

でも、読みながら久しぶりに目頭が熱くなり

多くの人に知ってほしくなりました

 

 

本をご紹介します

 

「病院というヘンテコな場所が教えてくれたコト」という風変わりな題名です

作者は仲本りささんという看護師さん

看護師になって1~2年目のとき、苦しかったときの実話をもとにしたお話とのことです

素敵なイラストと文章です

 

お勧めの一冊です

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6月のさいごの日曜日

私たちの法人の総代会(生活協同組合なので毎年開催が義務付けられています)がありました

 

1年間の地域での取り組みや職員の活動が生き生きと報告されました

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新入職員の紹介の場面ではみんな準備をしっかりとされ、評判は上々でした

 

 

わが病棟の師長さんからは「緩和ケア病棟の3年間」というテーマでの報告がありました

豊富なスライドを駆使して、きちんと制限時間内に収められました

 

参加者からは「とてもよかった」「泣きそうになりました」という声が寄せられています

 

報告のさいごに3周年記念のつどいのお知らせをしてもらいました

 

ビラを載せておきます

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このブログをご覧になっていただいている方々のご参加をお待ちしています

何かしたいこと?

―とくにないなあ

車いすに乗って散歩?

―今はいいです

 

と看護師さんが色々と提案しても消極的な返事ばかり

 

病気が腰椎に転移したために痛みが強くなり入院してこられました

痛みのコントロールはなんとかできました

でも様々な事情からベッド上での生活となってしまいました

 

気分転換をかねて車いすでの散歩のお誘いをしても

「行きたくない」

と断られます

 

寝ながらテレビと新聞をみている毎日でした

 

ある日「この病院では天ぷらがでないのか」と言われました

その話を聞いて看護師さんたちがすぐに反応

栄養士さん、調理師さんと相談です

 

「ぜひ提供させていただきましょう」

と快く引き受けていただきました

 

 

そのことを患者さんに伝えると大喜び

予定されている日が待ち遠しいのか

「今日じゃなかったの?」

「天ぷらの日はまだ?」

と毎日のように催促されます

 

とうとうその日がやってきました!

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私は残念ながらその場に居合わせることができなかったのですが

看護師さんの話では

「患者さん、涙を流しながら食べておられましたよ」

「ほんとにうれしそうでした」

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準備をしていただいた栄養士さんと調理師さんです

ありがとうございました

 

☆無理をお願いして調理師さんからコメントをいただきました

 

 

病院の食事は全て“治療の一環としての食事”だと自負しています。

 僕は治療食に携わることを誇りに思っています。

 

 緩和ケアオープン時から、自分たちが提供している食事が患者さんにとって人生最後の食事になるかもしれないと思ってやってきました。

 

 僕は直接患者さんを治療することはできません。

 患者さんが“緩和ケアの治療食”に何を望んでいるか考え、食べたい気持ちを支えることが僕たちの仕事であり、やりがいです。

 

 天ぷらは“日清の黄金”

 花はかすみ草

 

 が僕のポリシーです。

 

(日清の天ぷら粉はからっと揚がるおススメの天ぷら粉、かすみ草は縁の下の力持ち、引き立て役というニュアンスだそうです)

 

 

☆後日患者さんにインタビューしました

 

○とても上出来です!

○おいしくて最高でした

○今まで入院した病院では食べたことはなかった

○エビも大きく、天ぷらは大好きです

○こんどは天ぷらうどんが食べたいなあ

○頑張ろうという気持ちが湧いてきました

 

と話されました

 

 

緩和ケア病棟は色んなスタッフに支えられているんだということを、改めて認識した出来事でした