私たちの病棟は2025年5月で開設10年を経過しました

10年のまとめを作成し、記念講演会を開催しました

以下にいくつかの文章を順次掲載していきます

※まず、10月16日に行った集会でのあいさつを若干の修正を加えて載せます

ご参加の皆様、お忙しい中ありがとうございます。

私どもの緩和ケア病棟は10年を迎えることができました。

ひとえに皆様方のご支援、ご指導があったからこそだと思います。

本当にありがとうございました。

今日の集まりの記念講演をお引き受けいただいた関本雅子先生、ありがとうございます。

神戸協同病院は医療生協を母体とした病院です。

神戸医療生協は来年で創設65周年を迎えますが、生協の組合員と職員が協力して医療・介護の事業を進めてまいりました。

緩和ケア病棟も同様であり、組合員と職員のプロジェクトチームで準備を進めてきました。

開設のための費用あつめをはじめ、先輩となる緩和ケア病棟の見学、職員の研修を行い、病室の花の名前は組合員がつけ、ボランティアも組合員が中心となり運営してまいりました。

私たちは最初の5年間様々なことに挑戦してきました。

お花見や節分、夏まつり、クリスマス会などの年間の行事のみでなく、誕生日には患者さんの希望をお聞きし「たこ焼きパーティ」「しゃぶしゃぶ」「焼肉」や「すき焼き」「手作りピザでのお祝い」さらには病室でご家族がそろって麻雀などが行われました。

そこには病棟スタッフのみでなくボランティアさんや栄養科、リハビリ科の職員などたくさんの人の関りがありました。

またペットの面会やドッグセラピーなど、そして大きな声では言えませんが屋上でのビアガーデンにも取り組んできたことはみんなの思い出として残っています。

ギターで作曲した自作の歌を披露された患者さんもいました。

患者さん手作りの絵やボランティアさんといっしょに作った折り紙、元気なころに作成された写真などの展示も行いました。

とにかく考えられることは何でも取り組んできたといえます。

中には計画の実行直前で病状の変化のために断念したこともあります。

私たちのそのときの心情は、病との闘いだけでなく楽しかったことや嬉しかったこと、ときには悲しくて泣いた時のことなど患者さん・ご家族の「思い出探し」をともにし、同時にこれからの「思い出作り」を限られた時間の中でどうしていこうかという試みでありました。

これまで急性期医療やリハビリテーションなどが中心であった病院の職員にとっては多くのことが初めての経験でした。

たくさんの施設の力をお借りしながら自分たちの業務の形を作ってきました。

たとえば医療用麻薬を始めとしたさまざまな症状を緩和するための薬剤の使い方に始まり、鎮静のあり方など諸先輩方に教えを請い、教科書やガイドラインに学びながら何度も話し合いを行い真剣に取り組んできました。

スピリチュアルな苦痛への対応は難しく、スタッフはベッドサイドで時間をとりながら患者さんに寄り添いました。社会的・経済的な困難に直面している患者さんにはMSWがしっかりと対応しています。

私たちは緩和ケア病棟で働くことでたくさんのお話を患者さんやご家族としてきました。

一人ひとりの人生や価値観は様々でその都度教えられることがたくさんあります。

しかしお話をした方々が亡くなられ、会えなくなることはとても悲しいことでした。

そのためデスカンファレンスやご遺族への四十九日レター、家族会などで振り返りを行いました。

そんな私たちを2020年からのコロナ禍が襲いました。

面会の制限や入院制限というこれまで経験のない事態に直面しました。

ある看護師さんの言葉です。

「感染対策のため、ご家族であっても病室に入ることができない、看取りの瞬間にも立ち会えない。たとえ会えたとしても短時間しかそばにいられない、そうした状況がありました。

緩和ケア病棟がそれでいいのかと言う議論より、面会制限をしなければ入院患者さんも働くスタッフも守れない。患者さん・ご家族にはとても辛いことになるがこれは苦渋の決断、申し訳ないが仕方がないと、スタッフ皆がそう自分に言い聞かせていたと思います」

緩和ケア病棟での面会の意義は単なるお見舞いだけではなく、プライバシーの保たれた病室で親しい人たちがゆっくりとしたふれあいの時を過ごされることにあります。面会制限によりたくさんの問題点が生まれ、ご家族へのケアも難しくなり、遺族の悲嘆の複雑化や長期化を引き起こし、さらにはスタッフの苦悩を高める可能性があると言われています。

おそらく全国の医療機関でも同じ悩みを持たれ、対策に苦労してこられたことでしょう。

私たちもWEB面会に取り組み、ご家族とはもっと頻繁に連絡を取り合い、電話連絡などをしながらその間の様子をお伝えしてきました。

ある患者さんはご家族からの毎回のお手紙を心待ちにされ、担当の看護師がそばで読み上げさせていただき、たくさんのお便りを壁いっぱいに貼らせていただきました。

急な病状の悪化で駆け付けられなかったご家族には携帯電話を患者さんの耳元にあて語りかけていただきました。

分断の一方でそれに勝るつながりを大切にしてきたのです。

そのような中「会えないなら家に帰りたい」と望まれる患者さん・ご家族が増えてまいりました。

「このまま病院で最期を迎えさせることになれば一生後悔します」「家族みんなでがんばります」と涙を流しながらご自宅への退院を訴えられました。

せっかくできたつながりを大切にとの思いで病院からの往診や訪問看護を行い、遠くに住まれている患者さんには地域の先生方の力をお借りしながら可能なかぎり在宅療養を支えてきました。

多くの医療処置が必要で毎日の訪問看護と頻繁な往診を行い、ご家族の懸命な介護を受けながらご自宅で旅立たれた患者さんのご家族は「もしコロナがなければ入院していたのに」と悔しさをにじませていました。

訪問看護師さんはこのような言葉を多くのご家族から聞いたそうです。

24時間交代で睡眠を削って介護をされたご家族、お母さんの頑張る姿に「お母さんありがとう、大好きだよ、お母さんのような人になるからね」とお声をかけながら最期のお看取りをされた娘さん、そこに至るまでには様々なご家族の思いや葛藤があったのではないでしょうか。

そんなときご家族からのお手紙にはとても励まされたことを思い出します。

「コロナ禍の中、日々大変な思いをされていることと思います。その苦労は大変なものであり、緊張を強いられる日々は心身にかかる負担も重いものでしょう。頑張っておられる医療従事者の方々に敬意を表することはあっても、心ない差別や偏見等あってはなりません。ご自身のため、大切なご家族の為、ご自愛ください・・・」

今病棟は面会制限が緩和され、少しずつ以前のような賑やかさや明るさが戻ってきています。

10年の間に1300人あまりの患者さんが旅立たれました。それぞれに大切な人生があり、その物語の締めくくりのときに私たちは参加させていただきました。

反省することはたくさんあります。痛みなどの苦痛の緩和が十分でなかった患者さんとは最期までともに悩みました。病気の進行に私たちのケアが追い付いていかずご希望を叶えることができなかったことがありました。患者さんやご家族とのコミュニケーションが不十分のためご迷惑をおかけしたこともあります。スタッフ間での思いの行き違いなどもときにはありました。

しかし患者さんお一人お一人に思い出があり、ともに喜び、哀しみ、励まし合いながらお付き合いを重ねてきました。患者さんやご家族から教えられたこともたくさんあります。

すべてのことに感謝しています。

これからは、

・面会の制限をどこまで緩和できるか

・家族会をどのように準備、再開しようか

・病棟ボランティアさんはいつからお願いできるだろうか

・コロナ前のイベントの復活は?

・在宅での緩和ケアの方向性はどうか

・スタッフの交代は医療機関であるかぎり避けられない中で、さらに力量を高め蓄積したい

・他の施設との交流もしたい

・医療制度上の課題や経営のことも考えていかないといけない

等など…考えることはいっぱいです。

さらに医療機関や介護事業所の皆様との分担と連携は重要であり、急性期病院から、地域のクリニックから、介護施設から、患者さん・ご家族からの要望に応え、求められる役割を果たしていきたいと考えています。

そしてもう一つ忘れてはいけないことがあります。

コロナ患者さんの受け入れなどのために緩和ケア病棟の閉鎖や一部閉鎖を余儀なくされた施設があります。

私たちの病棟ではそのようなことはなかったのですが、もともと入院を希望される患者さんすべてにお応えすることができない現実に拍車をかける事態でした。

また緩和ケア病棟に限らず入院が必要な患者さんが入院できないという状況がコロナ禍により生じたということを忘れるわけにはいきません。

今政策的に全国の病床を減らす動きが始まっています。この間の痛苦の教訓は次のパンデミックに備えるためにも「ゆとりのある病床が必要」ということであり、同時に医師や看護師などの医療・介護の従事者を増やすことではないでしょうか。

10年を経験してまだまだだなあと思うことばかりです。

これからも期待に応えられるよう頑張りますので、引き続きご支援・ご指導をよろしくお願いいたします。

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