緩和ケアの場面で難しいなあと思うことはたくさんあります
日常的に経験することを書きます
胸水や腹水が大量にたまってくると呼吸困難がつよくなったり、腹満感のために食事がとれなくなります
そのような時には適応をしっかりと考えて、胸水や腹水を一定の量抜く(排液)ことで楽になりますが、終末期を迎えられた患者さんではふたたび悪化してくることが少なくありません
今後の過ごし方についてどのように患者さんやご家族と気持ちや方針を一致させ共有していくことがいいのか悩みます
ある患者さん(Cさんとします)のお話です
Cさんは抗癌剤治療の限界を迎え、これからは症状の緩和が中心となり私たちのところに紹介となりました
胸水のため少しの動作で呼吸困難が強くなります
今まではそのつど胸水を抜いてもらいいっときの安楽を得ていました
紹介状には「今後は胸水穿刺の効果は望めず、酸素吸入と医療用麻薬での対症療法が中心となります」と書かれていました
初回の訪問診療時、「ずっと息が苦しいんです。水を抜いてください」とつよく望まれました
最近のCTでは確かに胸水がたくさんみられます
しかし抜いて数日後には再びたまってきています
何度も胸水穿刺を繰り返すことで体力がかなり弱っていました
紹介元の担当医に連絡をとり方針を相談しましたが、紹介状の内容と同じ返事でした
Cさんは胸水を抜くことにすべてを賭けているようすがみられ、在宅酸素療法は受けながらも医療用麻薬への信頼があまり感じられませんでした
「前の先生は水を抜けば楽になるって言ってたのに…なんとかしてほしい」
前医からの方針を伝えても腑に落ちる様子が見られませんでした
臥床することさえも困難でこれ以上身体に負担をかけることを躊躇するほどの病状です
Cさんの悲しそうな目を見ながら私は「体力が低下してきています。今胸水を抜いてもすぐに元通りになり症状が楽になることは考えにくいです。それよりも酸素とモルヒネで呼吸困難を和らげるようにしませんか?」と『説得的な』話になってしまいました
(後になってからですがCさんとの関係づくりを考えるとはなから胸水穿刺を否定することはよくなかったと反省しました)
Cさんのことではないですが、私たち医療者はときに「この患者さんは理解が悪い。何度話をしてもわかってもらえない」と言うことがあります
口には出しませんでしたがCさんとのやりとりの中でそのような思いがあったのは否めません
(Cさん自身の病状の「解釈」―どのように受け止めているのかーを考えていませんでした)
最近目にした書籍では次のような内容がありました
「緩和ケア病棟に入院中の患者さんの否認に関連した行動様式」として
・オピオイド拒否
・非現実的な生命維持治療の希望
・代替療法の実施
・非現実的な抗がん剤治療の希望
・水分・栄養補給の中止への躊躇
などが挙げられています
「緩和ケア÷精神医学}(森田達也、明智龍夫 著)より
(Cさんとしては病状の「否認」のみではなく治療への「希望」を持ち続けたかったのだろうと今なら思えます)
Cさんはその後しばらくして永眠されました
リスクについてしっかりと共有しながら少しでもCさんの希望を叶えることができたのではないか、いややはりリスクは相当高く症状の緩和にはつながらないのでは、という二つのせめぎ合いのなかで最期のお看取りをさせていただきました
患者さんにとっては今まで受けてきた医療内容や医療者の説明からの急な方向転換は難しいのです
まして症状の悪化に直面されているときはなおさらでしょう
もし最初から私が主治医であれば何かできたのだろうか?という傲慢な考えが浮かんだり、積極的治療を担う医療者から緩和ケア病棟へのスムーズな橋渡しはどうだったのだろうか?
など様々なことが頭をよぎります
(それでもできることは、精一杯いっしょに悩むことではないでしょうか)
緩和ケア病棟として依頼を受けた患者さんの予後は短い方が多く、入院期間も1~2か月前後がほとんどという状況の中、終末期のケアを担われている皆さん方はどのようにされているのか機会があれば話を聞きたい思いです